研究する意味(2)

 前回の回答は全く問題の答えになっていませんでした。大きな問題を前にしての一種の逃避ではなかったかと思います。確かに、人生における哲学の価値として考えるならば、答1のような可能性もないわけではありません。しかしこれではあまりに視野を広く取りすぎているため、何も見えていません。
またこの答えの妥当性がどれくらいあるのかもわかりません。恐らくこれに共感できる人などほとんどいないでしょう。反対に

「ふざけるな」

と思う方が大方だと思います。そこでまた新しい方向で考えなければならなくなりました。もう1度問題を確認します。

何のためにインド哲学を勉強しているのか?

答2:我々日本人のもつ東洋思想の1つの原点としてインドに焦点を当て、インド思想のさまざまな諸相を明らかにすることによって東洋の思惟方法を克明に描写し、その観点から日本人の思考パターンを分析して我々の自己理解の一助とすると共に、それのみならず西洋との綿密な比較文化的研究から人類に普遍の思想の様態を明らかにして、「人間とは何か」という問題に思想文化的側面から妥当性の高い結論を導く。

 本気でこんなことを考えられる人がいるんでしょうか。人智をとうに超えた高望み、学問を武器にした無謀な振る舞い、学者と全知者をとりちがえた傲慢であるといわざるを得ません。もちろん人文社会研究というのはここまで言い切らなくてもこの一歩手前位を看板にしているには違いないのですが、建前でしかありません。
 「建前じゃなくて、これを目標にやっていかなければならないんだ」というならば、誰がこの目標を達成したまたは達成しそうだというのでしょうか。あまりに高いところにありすぎて結局はないものねだりの理想主義ではありませんか。月を見上げながら歩いていると石につまづいて転んでしまうのがオチでしょう。
 ではなぜこういう答えを出したかというと私が先生の前ではこういった答えを述べるかもしれない、というだけです。要するに建前、あくまでも建前です。本気でこんなことを考えるほど偉くもないし、身の程知らずでもありません。

でも「足元をよく見ながら研究する」というのは目標をもたないということではないか?重箱の隅をつつくようなつまらない研究が莫大な時間を費やして行われている。その仲間入りをするつもりかあなたは?

 その通りです。その通りなんです・・・。何かまた新しい答えが今、浮かんだような気がしたのですが・・・。

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Takuya Ono ( hourei@dp.u-netsurf.ne.jp )