『指導必携』には、休止符の前の音の切り方について指示はありません。拍の長さを守り、伸ばしすぎて休止符にかからないように指導される程度です。
しかし、上手なお唱えを聞いていると、その心地よさの原因は休止符の前の音の切り方にあるように感じます。すーっと音が終わって余韻が残るのは聴いていて非常に気持ちいいものです。逆に年配の方には長年の積み重ねか癖のあるお唱えをする方がいらっしゃって、音の切り方を飾り立てるあまり、聴きごこちがあまりよくないこともあります。
「終わりよければ全てよし」というのは失礼かもしれませんが、音の切り方がお唱えの大きな要素になっていることは、間違いのない事実と言えるでしょう。
声明などではよく聞かれますが、音の最後を強めにして一気に切る方法(インテンスと呼びます)は、詠讃歌のお唱えとしては不自然であり、相応しくないように感じます。

自然なお唱えとして望ましいのは、音が小さくなって自然に消えるような方法(レゾナンスと呼びます)でしょう。鈴鉦と同じように、余韻を伴って消える自然な音は、聴く人の耳によくなじみます。

鈴や鉦は鳴らせば自然に消えますが、人の声はそうはいきません。自然に聞こえるように意図的に音形を作らなければならないのです。それには腹筋の支えが必要です。
ところが音の切り方は全部「レゾナンス」にするべきであるかというと、そうではありません。御詠歌では歌詞の一節・一句が終わる前に休止符が入る場合が数多くあります。

これは「渓声」の冒頭ですが。「ね」の音の切り方と、「の」の音の切り方は明らかに異なります。「ね」に「レゾナンス」を入れると、「の」が孤立してしまいます。「ね」と「の」には歌詞の上で連続していなければなりません。「の」はどのように唱えるべきでしょうか。
まるで全部つながっているところをカセットテープで流して、一時停止ボタンを押してまた再開させるように、「レゾナンス」を極小にしてみます。

「レゾナンス」が全くないというのは難しい話ですが、「インテンス」にならないように気をつけながら、終わる直前までしっかりと音を張って、すっと抜きます。こうすると、音の切り方が不自然になる分、聴く側からすれば「休止符の後に次の音があるにちがいない」という期待が生まれ、フレーズがつながるわけです。
ただ全ての音の切り方を「レゾナンス」の有無で考えていいのかというと疑問もあります。紫雲の「しゃ●あかにょらい」、渓声の「みなな●あがら」、歓喜の「あ●あれし」など、「ー(ア)」と続く場面、また不滅の「いりぬ●とも」、廓然の「あり●がたや」などフレーズとしては切れているけれども文法的に分解可能なものなどはこの中間として適切な音の切り方が模索されなければなりません。
御詠歌にはフレーズが切れる前に休止符が入っている個所が多数あります。この個所で「レゾナンス」が極小の音の切り方をすれば、曲全体が意味的につながって来ます。どうぞお試しください。(●は休止符、半拍休止符も●にしてあります)
紫雲:「だい●おんきょうしゅ」
梅花:「あらい●●そのな●みも」、「たかい●わに」、「のりなら●ばこそ」
渓声:「みね●の」、「こ●えとす●がたと」
歓喜:「みほと●けの」、「たたえま●つらん」
法灯:「の●りのと●もしび」
迎火:「さゆら●ぐは」、「きたま●えるらし」