『冥途の旅はなぜ四十九日なのか』

  • author: hourei
  • 2010/03/10 11:51

表題の答えは現世と来世の間にある世界を七日間ずつ七回さまよって、七回の審判を受けるからで、なぜ七なのかといえば七曜ということと、七という数字は素数で縁起がよいという説明がなされている。

中陰四十九日説の由来は、『阿毘達磨大毘婆沙論』(インド、2世紀ごろ)第七十で設摩達多という人の説として「中有極多住七七日。四十九日定結生故。」という文言に由来する。ほかにも七日以内という説と無限という説が挙げられている。ここでも根拠述べられていない。インドでも時間のひと区切りであった七日を適用したものという説明しかなさそうである。

とはいえ、後世には冥土の旅の絵解きなども作られ、死者が三途の川を渡って地獄極楽めぐりをするという観念が一般化しているので、それと四十九日を重ねて説明を試みてもよかったのではないか。

仏教にはとてつもない広さや長さがあるのを数学的に分析したくだりは面白い。お釈迦さまの守備範囲である一仏土は、小世界十億個分で、小世界を太陽系くらいの広さと仮定すると、一仏土の幅は100万光年。さらに西方浄土は十万億仏土なので、1000京光年の遠くになるという。

天人の寿命は500歳だが、天界の1日は人間界の50年にあたるので、人間で言うと9125000歳。しかしこれは天界でも下のほうの下天の話で、もう少し上の兜卒天は、1日が人間界の400年にあたり、天人の寿命は4000年に延びる。人間で言うと5億7600万年である。ここに住む弥勒菩薩が人間界に現れるのが、釈尊入滅後56億7千万年といわれており、1桁違うがだいたいこの計算に合致する。

「劫」という時間の単位は、実際何年かを考察してもらいたかった。天女が百年に一度、羽衣で7km四方の石を軽くひとこすりして、その石が摩擦でなくなるくらい、または7km四方の箱に芥子の実をつめて、百年に一度一粒ずつ取り出し、全てなくなるくらいが一劫である。

本に書いていないので自力で計算してみる。すりきれのほうは定量的な評価ができないが、芥子の実の直径を0.8mmとすると、体積は8立方mm。7km四方の箱には4287京5000兆個入るから、一劫はその100倍で42垓8750京年ということになる。

世界は20劫ずつ成・住・壊・空の段階があり、合計80劫で1サイクルとなる。現在は住劫の第9劫だそう。仏教の尊い教えは、百千万劫に1度会えるかどうかだという説き方があるが、その長さを年で表したら、428穣7500ジョ(のぎ編に予)年となる。お釈迦様の教えに行き会うまでいったい何回生まれ変わって待っていなければならないのか。

仏教由来の単位である恒河沙、阿僧祇、那由他には30桁くらい足りないが、宇宙ができた137億年前、地球が誕生した46億年前なんていうのはごく最近の話という気がしてくるから面白い。

ほかに大仏の黄金比や、百八つの煩悩の計算など。こじつけに感じる説明もあるが、仏教のいろんな数字に着目して整理した本として面白く読めた。

『日々是修行 現代人のための仏教100話』

  • author: hourei
  • 2010/03/09 20:19

朝日新聞に2年間にわたって掲載されたコラムを加筆修正したもの。初期仏教の思想を、現代の生活に即して紹介する。著者は花園大学の教授だが、空理空論に走らず、また抹香臭い説教にもならず、日常の言葉で語っているところがよい。

インドの仏教では当初、肉食と殺生は切り離して考えていた。生き物を殺さないようにして暮らしつつ、お布施はありがたく頂かなくてはならない。しかし一部の仏教徒が肉食しなくなったのは、インド社会の「肉には穢れがある」という考えに影響されてのことだという。それでは「差別の沼に足を踏み入れている。」

お寺は、野宿で暮らす修行者を気の毒に思う人が建てたのが始まりである。今も、お寺に固定資産税がかからないのは、公共物だからであり、仏道修行という業務、誠実さという家賃を怠ってはならない。建物だけは立派なんてことになっていないか。

仏教は本来、非社会的な宗教であり、世間の片隅で悩む人たちをそっと受け入れてきた。お釈迦様が、自分の出身の一族が滅亡させられてしまうが、政治的にも軍事的にも抵抗しなかった。それは「仏教は政治に関わることができない」というメッセージだという。

その一方で、社会に迎合してしまう危険性がある。日本中の僧侶がこぞって戦争協力をしたのは、当時の善意でもあっただろう。この「宿命的板挟み」には、自分の考えが絶対正しいと思わないことと、仏教がもつ独自の世界観を失わないことで正しい判断を心がけるしかない。世界平和だって、ときに全ての人の幸福になるとは限らない。

宗教の実体は、資金調達と使途、決定システム、一般社会からの批判に対する対応、政治へのかかわりの4点が注意点である。ありのままに社会に向かって公開できているか。不都合なことは隠していないか。

仏教の3つの柱に入っている「僧」とは、集団としての僧である。集団生活には、雑事に時間をとられず、病んだり老いたりしても支えてもらえる相互扶助システムがある。僧侶は、みんなと力を合わせて修行に専念していることによってのみ、敬われる存在になるということだ。

慙愧=良い人を敬い、至らぬ自分を反省するのはとてもよいことであるとされる。劣等感も、心の大切な栄養であるという。傲慢になって地道な努力をやめてはならない。

仏教では自業自得ということをよくいう。でも著者は「そうやって批判する人は、今苦しんでいる人たちの、苦しみの原因を、きちんと論理的に説明できるのか」と反問する。社会の巡り合わせまで考えることが必要であり、因果応報を誤ってはならない。

「お坊さんの価値」は、新聞連載時から気に入っていた一節だ。お布施の適正価格が決められないのは、僧侶の「姿や言葉」に対して払うものだからである。金額を、お布施をされる側が決めるのはおかしいことなのだ。

お釈迦様の遺言に「自灯明、法灯明」と2つあるのは、どちらか一方ではいけないからだと著者は考える。前者だけでは独りよがりになり、後者だけでは盲信になってしまう。「一見修行しているが、実際はパターン化した儀礼を繰り返すだけ」というのは鋭い指摘である。

ほかにも輪廻、自殺、科学、悟り、言葉など興味深い問題が続々。どの章を取っても、自分に当てはめてあれこれ考えたくなってしまう。折に触れて思い返し、考えていきたいことばかりである。

朝の日課

  • author: hourei
  • 2010/03/09 08:41

長女が小学校に入って早いもので1年。ようやく朝のスケジュールが固まりつつある。

6:20 起床 長女を起こす・着替え・洗面
6:30 テレビ体操 お湯を沸かす・PCでメールとmixiのチェック
6:45 朝食を作る 長女は朝読み・髪とかし・テレビ
7:10 朝食を出す 仏様に食事と水・お茶をあげて朝のお勤め
7:30 長女登校 朝食を食べる・新聞を読む
8:00 次女・長男起床 朝食を出す・洗濯もの干し
8:50 長男登園 バス乗り場まで送り

子供の起床時間や機嫌はイレギュラーなところもあるが、ルーティンワークになるとあまり忙しさは感じない。近所の勤め人は8時始業だから、それと比べるとだいぶ余裕がある。

妻と母はそれぞれ次女・祖母の世話のため夜が遅く、だいたい7:10頃から登場。子供と一緒にご飯を食べてもらったり、次女にご飯を食べさせたりするほか、洗濯もの干しや長男の送り、日によって弁当作りをする。

9:00から16:00は仕事がなければだいたい自分の時間(次女の世話は妻任せ)。勉強にしろ、ブログ更新にしろ、翻訳にしろ、ほとんどPCの前にいる。運動不足になるわけだ(朝のテレビ体操をしているのは長女だけで、私はメールのチェックをしながら部分的にやるだけ)。

来月からは妻がいなくなり、次女が保育園に通い始める。もう少しタイトなスケジュールになりそうだ。

法事札

  • author: hourei
  • 2010/03/08 23:39

お正月に、お寺では今年法事が当たっている方の法事札を張り出す。いつから始まったのか分からないが、近隣の寺院はどこでもやっていることであり、珍しいものではない。

どこのお寺もそうだが、法事札には戒名、俗名、享年、地区、現在の当主、続柄、回忌年数などが記されている。お正月に年始にいらした檀家さんは、これを見て今年自分の家で法事がないかを確かめる。法事が終われば住職がその分をはがし、1年かけて少しずつ札がなくなるという仕組みだ。

この法事札、個人情報保護の観点から問題があるのではないかということが数年前にあった。でもそのときは、全員に承諾を得る必要はなく、掲示拒否の申し出がなければ掲載してかまわないという通知が出された。

しかし、去年になって、掲示拒否の申し出がなくとも、法事札の掲示は望ましくないという見解を本庁で聞いてきたという方がいた。理由は相変わらず個人情報保護だったが、どうも法事をしない人の急増が背景にあるのではないかと思っている。

お坊さんを呼ばないでお墓参りだけとか、そもそも法事をしないとか、そんなかたちが増えているらしい。いわゆる寺離れである。確かに、意味の分からないお経を読んで、檀家さんとゆっくり話をせずにすぐ帰っていくお坊さんには、ありがたいと思う暇もないし、お布施のし甲斐もない。

今はお葬式もお坊さんを呼ばないで行う人が増えているのに、まして法事で呼ぶはずもない。お坊さんが法事に呼ばれなくなれば、お寺に法事札を貼っておいても仕方がない。

田舎ではまだましである。法事をしないと、法事札はずっとお寺に貼られたままになる。これが田舎では無言の圧力になることが多い。残された法事札を見た本家や親戚が、早くしろよと忠告するからである。

お寺としてはそういって促してもらえるのはありがたいが、一歩間違えると、世間体のために法事をするというような話になりかねない。そんな法事は早晩形骸化する。無言の強制力で、施主家の自主性を失わせ、法事を形骸化させる恐れが、法事札の掲示にはあるかもしれない。

お寺がお葬式や法事ではもう成り立たない時代が近づいている。しかし今一度、法事は何のために行うのか(もちろん、亡くなった人の祟りを恐れてなどでは決してない)を説明するとともに、やってよかったと思われる法事にしたいと思う。

パーリ文法学

  • author: hourei
  • 2010/03/05 13:10

インド留学中にサンスクリット文法学を教わっていたマヘーシュ・デオカール先生が来日し、東大で講演会を開かれるというので聴きに行ってきた。副貫首の選挙の仕事が終わってすぐ長井線に飛び乗り、夕方には東大へ。

上野から東大構内行きのバスに乗り、第二食堂前で降りる。生協書籍部に立ち寄り、哲学と宗教学のコーナーで立ち読み。そして法文二号館まで歩く―いつものコースだが、久しぶりで懐かしい。

マヘーシュさんは、全盲の天才文法学者である。パーニニという紀元前の文法学者が作った4000近いサンスクリット文法の規則を暗記しており、しかも専門はパーリ文法学。現在、プネー大学のパーリ学部長を務めており、サンスクリット学部を上回る100人以上の学生を受け持っている。実は私より3つしか年上でないことを今回知った。

私がインドに留学した折、先に留学していたIさんの紹介で授業に出席した。カーラカという、サンスクリット語に七つある格の使い分け方についての講読だった。大学はすぐ休みになるので、日本人3人で自宅に押しかけたり、逆にお招きしたりして講読を続け、ずいぶんお世話になったものである。私が最初に師事した先生が多忙でかまってもらえなかった時期は、図書館でも文法学ばかり勉強していた。

さて演習室に着くと、マヘーシュさんの子供たちがマラーティー語で騒ぎながらホワイトボードに落書きしている。私が帰国してから生まれたサンバル君はもう4歳。うちの長男と同じ年である。プロジェクターの明かりに照らされて、得意げに演説を始めたが、お母さんに抱えられ悲鳴を上げながら出て行った。長女のサユリちゃんはもう10歳で、英語もよく話す。講義を聴きに来たのは先生を含めてたったの8人。いくらマイナーな分野とはいえ勿体なさ過ぎる。

講義の内容は、非パーニニ系統のサンスクリット文法学やパーリ文法学の概要と、文法学の目的について。テクニカルで複雑なパーニニのシステムに対し、後世になって分かりやすい文法学が生まれた。カータントラ派とチャンドラ派である。術語を用いず、例外的な規定を削って規則を減らし、各章で完結し、ヴェーダ語を収録しないことで、一時はパーニニよりも人気を博した。仏典と共にミャンマーやチベットまで伝播したという。

同じ時代、パーリ文法学も生まれた。カーッチャーヤナ、サッダニーティ、モッガラーナの3系統があり、後代になるに従って改良が加えられ、サンスクリット文法学の影響も見られる。

サンスクリット文法学のもともとの目的は、バラモン教の柱であるヴェーダ聖典の理解と正しい読誦のためである。ヴェーダには祭式の次第や由来、そこで唱えるマントラが記されている。祭式を聖典通りに行い、マントラを正しく発音できなければ、バラモン教の司祭としては失格である。そのために文法学を勉強する必要があった。さらには、サンスクリット語を理解するバラモン階級の社会的アイデンティティにもなる。

しかし主流派のサンスクリット文法学はやがて、自己目的化していった。文法学を学ぶこと自体が真実を知るということであり、解脱の道であるという人が現れたのである。そこから言語自体が究極の真理であるとか、言語なしには思考もないという言語哲学も生まれる。日本の言霊信仰や、ヴィトゲンシュタインの言語哲学のようなもので、ヴェーダの文言を究極の真理とする一派と共に、インド哲学特有の思想を形成している。

これに対しパーリ文法学は、あくまで仏陀の言葉を正しく理解するための手段と位置づけられた。大事なのは言葉ではなく仏陀の意図であり、経典に説かれた内容を理解することで涅槃を目指す。非主流派のサンスクリット文法学も事情は同じである。中世からは多くの仏教書がサンスクリット語で著作されており、マスターしやすい文法書が求められたのだろう。今の日本でいうと、辻直四郎では難しすぎるので、ホンダ(ゴンダ)が使われるようなものか。

質問では、サンスクリット語がバラモンのアイデンティティになったように、パーリ語が仏教徒のアイデンティティになったということはないかを尋ねた。インド留学中、仏教を信奉する被差別部落を訪れ(仏教が一端絶滅し、東南アジアから逆輸入されたインドでは、ヒンドゥー教の階級社会からはみ出した被差別階級が仏教を信奉しているという事情がある)、仏教徒なのになぜパーリ語ではなくサンスクリット語を勉強するのかと詰め寄られたことがある。しかし中世には仏教はサンスクリット語で研究されており、サンスクリット語=バラモン教、パーリ語=仏教という単純な二分法ではないようだ。もっとも、現代ではサンスクリット語=大乗(北伝)仏教、パーリ語=上座部(南伝)仏教という相克があるのかもしれない。

講義が終わるともう20時。戻ってきたマヘーシュさんの家族と一緒にそのまま演習室でテイクアウトのインド料理を食べた。上野泊。今日は6時18分発の朝一番の新幹線で帰り、10時から写経教室である。

三峯山洞松寺