坐禅

「太初において、これは有のみであった。唯一の存在で第二のものは存在しなかった」「変容は、言葉による把捉であり、名づけである」(『チャーンドゥーギヤ・ウパニシャッド』)」に始まるインド哲学の存在論を系統立てて概説。「世界は一つのものから始まったのになぜ多様なのか」という問題について、増殖説、創作説、転変説、仮現説、多元説に分類して考察する。

インド哲学の概説書は多数あるが、いろいろな思想を辞書のように並べるものが多く、一本の芯を通したことで、六師外道、サーンキヤ学派の二元論、シャンカラの不二一元論といった難解な思想も非常にクリアになっている。特に筆者が専門としてきた文法学者バルトリハリ(5世紀)の言葉=宇宙原理説もオカルトなものではなく、言葉による世界の分節・構築であるということも理解できる。

あとがきで筆者は、倫理学・認識論・論理学については論じることができなかったと書いてあるが、存在論の思想史抜きにしては語れないものであり、存在論の応用問題であるといってもよいのではないだろうか。事実、世界を動かす原理としての業と神のせめぎあいは詳しく論じられており、それは倫理の問題に直結するし、シャンカラの思想の紹介では認識論に、神の存在論証では論理学に踏み込んでいる。

以前、インド哲学と西洋哲学の対論のシンポジウムがあり、そこで因果論の蓋然性について疑問が提起されたことがあった。そのときは最終的に聖典が根拠だから100%しかないというような答えだったと思うが、本書の最終章でニヤーヤ学派の見解として紹介されているように、業のはたらきと、神の助けの二本立てならば「この世の中で懸命に努力している人が、必ずしも懸命な努力の結果を受け取るわけではない」といった事態も説明ができる。机上の空論ではなく、生き方の問題にも関わってくるのだ。

『沙石集』の「神力も業力に勝たず」という言葉や、『正法眼蔵』の「仏性がないからこそ仏になる」という逆説的な説き方に触れられているところも、インドだけでなく日本にも通底する普遍的な問題であることが分かる。

舎利礼文

コメント(0)

得体が知れなくてなかなか手を出せなかったお経『舎利礼文』を読解。注意深く読んでいくと、三身説のようなものや、修証義の発願利生に通じる教え、そして般若心経の呪願文も含まれていることが分かります。


最上の敬意をもって礼拝いたします。ありとあらゆる優れた徳を具えたお釈迦様を。

現実に姿を現しているお釈迦様のご真骨と、その本体である永遠の真理のお姿と、その真理を象徴する仏塔(ストゥーパ)の三つを我々が礼敬するとき、お釈迦様は我々のためにその真理のお姿を現し、我々の中に入ると同時に、我々もお釈迦様の中に入るという、お釈迦様と我々の出会いが成就します。

こうしてお釈迦様が我々の信心に応えて護って下さるので、我々は必ず悟りを完成します。すなわち諸仏諸菩薩や神々と同じ勝れた力によって、生きとし生けるものを助け、悟りを求める心を起こし、布施・持戒・忍辱・精進・禅定という菩薩の修行を行い、我々も生きとし生けるものも皆共に同じく平安の涅槃に至るのです。お釈迦様にも我々にも等しく流れる偉大なる悟りの智慧「般若波羅蜜」よ、我々は今まさに最上の敬意をもって礼拝します。

学位記

コメント(0)

昨日、指導教官だった丸井浩教授の最終講義と祝賀会があり、文学博士の学位記を頂いて参りました。長女・長男の卒業と同じ時期になったのは偶然でしょうか。3枚の証書は仏壇に供えられています。

gakuiki.jpg

先月『六方礼経』の「飲酒六失」を読んでいたせいか、体がお酒を受け付けなくなりました(もしかして「法体」?)。

今月のはじめ、公民館で軽く飲んだ(梅酒1杯/スーパードライ1杯)だけなのにその日の夜から次の日まで体調が最悪。そこで長女と長男の卒業祝賀会も三次会までノンアルコールで通し、その前後にあった懇親会も全てお酒を入れませんでした。

その結果分かったこと。現代版の禁酒六徳になりそうです。

・ノンアルコールのカクテルはアルコール入りより美味い
・何次会まででも元気でいられる
・車を運転して帰ってこられる
・不用意な発言をしないですむ
・耳寄りな情報を覚えていられる
・その後のバレーボールの練習に参加できる

次の日の体調も良好で良いことづくめ。これからも続けようと思っているところです(美味いビールがある場合はその限りにあらず)。

昨年県知事位表彰を受けた男女共同参画のインタビュー記事が公開されました。家事育児、ジェンダー授業、婚活サポート、ボードゲームと、最近の活動について詳しく紹介して頂いております。

チャレンジ応援やまがた:チャレンジ事例 小野卓也さん

「理念で言えば、大乗仏教というものがあります。大乗というのは大きな乗り物です。『あまねく困っている人をみんな救う』というのが、日本の仏教の根本、どの宗派も関係なく持っている理念なのです。困っている人にすぐ手を差し伸べられる体制を作っておき、しかも手を差し伸べるだけではなく、その手を掴んでもらえるような信頼がないといけません。そのためには普段から関わっておかないといけない。上から目線ではなく常に同じ目線で、困ったことがあったらどうぞ、と門戸を開いておく必要がある。そのためには地域と関わるというのが不可欠でして、現在の私にとって地域との関わり方というのは、たまたま子育てや、さまざまな活動が軸になっているということなのです」

自分で喋ったことながら、後で文字にして読んでみるとなるほどと思わせられます。

よぐござった 四季おりおり 洞松寺史 檀信徒の手引き リンク 森居山龍泉寺

アイテム

  • gakuiki.jpg
  • hakaseronbun.jpg
  • wristband.jpg
  • yakuinkai180131.jpg
  • yamashin20180109.jpg
  • teranoicho.jpg
  • danjochallenge.jpg
  • hakuron.jpg
  • akitataikai.jpg
  • obonnokiji.jpg

アーカイブ

リンク用バナー