最終講義の季節

学科の先生が今年度で定年を迎えられ、その最終講義が先日あった。東大が65歳までの定年延長を決めた今、適用される前に60で辞める心境は如何かわからなかったが、先生はいつも通り終始にこやかであった。
最終講義なので、ある程度専門を離れた自由な感慨を述べることが許されるし、みんなもそう期待している。この講義のためだけに長い研究人生を送ってくるのも悪くないかもしれない。
テーマは「三界唯心」。「この世界は全て自分の心の中に描かれた心象風景である」というお経のフレーズを背景に、「ものは考えよう」の如き思想が生まれていく。インドから日本に至る「三界唯心」の解釈の流れから、最後は身体、生命、社会に関わる問題点の指摘に及んだ。
これら問題点の解決法を考えるとき、つくづく仏教は実践の教えだということを思う。机上の空論を避け、常に何を行っているかが重視され、「雄言不実行」は嫌われるのだ。
しかしそうであるならば「仏教学者」に未来はあるのだろうか?
仏教は真実は実践の中にあると説く(savyaapaaravaadin)。はたして「知ること」(または「知らせること」)は実践にあたるだろうか?慈悲心のうすい私には、容易にわかりそうにない。

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