犯罪者

「いつも自分が被害者という意識をもっていた」
「身勝手なわりには仲間とのつながりを失いたくもなかった」
先日大阪の児童殺傷事件で逮捕された容疑者のこれまでが新聞に掲載されていた。例によって子供時代からの知人が登場しコメントをしている。
コメントには「そういうことをするような人だとは思わなかった」というものと、「そういうことをしそうな人だった」の2種類があるが、今回は後者。コメントを総合して上のような2つの結論になっている。
しかし、この2つが全く該当しないという人がどれだけいることだろう?少なくとも私はドキリとするくらいこの2つが当てはまる。この性格だからこそ事件を起こしたのであり、この性格の人間はこれから一般社会から隔離しなければならないと結論されるならば、私も収容所に入らなければなるまい。いや、収容所に入らない人間の数を数えた方が早いかもしれない。そうなったら、健全な人間たちの住む区域の方が収容所と呼ばれることになるだろう。
事件が起こる度に犯人をステレオタイプで切り取り、健全な社会を装ってある種の人間を差別する。こういう論調には閉口してしまう。
犯人が悪いのはその生い立ちでも、育ってきた環境でもない。ある瞬間に犯した犯罪行為そのものである。それまでの人生との因果関係を、誰が特定できようか。
司法方としては仕方ないとしても、自分自身を顧みることなく、正義を振りかざす危険を感じた。

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