宗教と世俗

禅寺で名前あげ張り紙「信仰心逆手に脅迫」
http://mytown.asahi.com/yamagata/news02.asp?kiji=5190
既成宗教の俗化は日本に限らない現象のようだが、社会と齟齬をきたした場合、結局裁判所だのみになるのは情けない。その宗派の中での自浄作用というものは期待できないのだろうか。
仏教の組織には基本的に強い年功序列がある。これは教団の中で余計な権力争いがないようにするため必要なものであるが、ある程度年を取った人(特に「長」がつくような人)が何かの弾みで暴走するようなことがあると、なかなかそれを止めることができない。その人よりも年上の僧侶がいないからである。
曹洞宗の場合、トラブル解決のためのさまざまな機関がある。地裁から最高裁のように、解決しにくい問題は上位機関に上げられていくことになっている。今回の事件が曹洞宗であれば(記事には禅寺としか書かれていない)どこまでそれらの機関が動くのか、注目される。
こういった事件に、私のように離れている者も無関係ではいられない。ひとりの僧侶の悪評判はたちまち広い範囲の僧侶に波及する。僧侶は一蓮托生の集団、我が身のこととして考えておきたい。

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