伝統

引越しでは格闘していたが、7月は勉強がとても捗った1ヶ月だった。家でインターネットができなかったことも大きいが、それ以上に引越しの理由となった先生の存在が大きい。
バリラーム・シュクラ先生。私が専門とするニヤーヤ・ヴァイシェーシカ(論理学・分析的形而上学)の伝統的パンディット(学者)である。インドには古くから学者の家系というのがあって、代々教えを受け継いできた。近年では権威が落ちてきているが、ブラーミン階級の最高峰として、まるで神のように敬われてきたのである。
先生の一家はヴァラナシ・マハーラシュトリアンという系統に属する。ヒンドゥー教の聖地ヴァラナシに、プネーを中心とするマハーラシュトラトラ州から移住し、ヒンディー語の中でマラーティー語を話す社会を形成してきた。11世紀ごろまで遡るというから、すでに1000年近くなる計算だ。文法学で名高いナーゲーシャ・バッタなどのバッタ家もこの社会から輩出された。
先生の一家シュクラ家も代々サンスクリットの広範な学問を伝えてきたが、ニヤーヤに専門化したのは先生の父親からだという。先生はヴァラナシで生まれ、5才でこの道に入門。それからすでに60年近く、この伝統の中で学び、そして教えてきた。
20才頃にデリーのサンスクリット研究所から招聘され、教授として赴任。そして40才頃にプネー大学の哲学科から招聘されて主任教授に就任。一般大学でパンディットを受け入れるのは珍しく、ポストを作るがたいへんだったそうだが、それが実現したのはパンディットを大切にするプネーの地域性があったからだろう。
先生の一家は多くが教授職に就いている。ヴァラナシのサンプールナ・アーナンダ・サンスクリット大学の主任教授をしている従兄弟のラージラーム・シュクラ氏はじめ、デリーとウダイプールにもいる。実の姉もナグプールでサンスクリット学科の教授をしていたという。奥さんもナグプール出身。
先生の授業ははじめ英語だったが、私がサンスクリット語を解することが分かるとほとんどがサンスクリット語になった。英語はちょっとたどたどしいが、サンスクリット語となるとさすが流暢だ。分かるまで繰り返し繰り返し、どんどんレベルを下げて説明してくれる。そのうち暗雲がたちこめていた難解なテキストに光が差し込んできて、ビジョンがいきなり開けてくる。「そういうことだったのか!」この感動を、毎回味わうことができるのは非常に幸せ。その余韻は家に帰っても続くので、勉強が捗るというわけだ。
私が選んだウダヤナという11世紀の学者のテキストは先生にも難解らしく、私が来る前に2時間、予習しているという。先生のお宅に上がると、先生の座っているベッドの上にはいつも何冊か本が広げられており、予習の跡をうかがわせる。1回1時間500ルピー(1200円)という、インドではこれ以上ないだろうという謝礼額(物価が10分の1なので、日本での10,000円ぐらいに相当する)だが、それに十分見合った授業であるといつも思う。
あえて欠点を挙げるならば蚊がたくさんいることと、先生でもときどき間違うこと。私も「その解釈は理解できない」としつこいので、一度深みにはまると1つの単語について1時間も議論してしまい、ちっとも進まない。もっとも、白熱すると授業時間は2時間近くまで延びるのでむしろ歓迎したいほどだ。
大学では今月、ジャー先生が膝が痛いといって授業をしてもらえないうちに、何と昨年の9月から今までジャー先生から習った約8ヶ月分を、この7月だけでシュクラ先生から習ってしまった。ジャー先生の下ではもう諦めざるを得ないが、この調子でいけばあと1年で今のテキストは十分読み終わるだろう。

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