ヴァラナシ(4)ガンジス河

チョウカンバ出版に行った後、ネットカフェでメールを読み書きしていたらすっかり日が暮れてしまった。だがI氏との待ち合わせがあったのでガンジス河に向かう。「夜にガンジス河付近を歩くのはやめましょう。何ヶ月かに1回、外国人が行方不明になっています」とガイドブックに書いてあったのを思い出したのは、ガート(河辺の沐浴場)についてからだった。
ヴァラナシで最も大きく、また代表的なダシャシュワメード・ガートは、チョウクから大通りをまっすぐ行くと到着する。ちょうど何かのお祭が行われており、男たちが河辺に並んで鈴を鳴らしながら手旗信号のようなポーズをとっていた。すでにガートに着く前から次から次へと客引きが寄ってきていたが、ガートでは行く手を遮る客引きの多さ。立ち止まるとそれがさらに増え、囲まれてしまうので、ゆっくり踊りを見ている暇もない。まるでハエか蚊のようだ。
踊りを見るのもそこそこに、I氏との待ち合わせ場所を目指して河沿いに歩く。ダシャシュワメード・ガートは人だかりだったのに、それ以外は人がほとんどいない。ときどき犬がうろついているか、2人組の男とすれ違うくらいだ。電灯もほとんどない真っ暗闇。これぐらいなら、客引きに囲まれている方がましだなあ……と思い始めた頃、火を焚いているのが見えた。火葬場のあるマニカルニカ・ガートである。
「写真撮影は禁止だぞ」と注意されながら火葬場の中に入っていくと、日も暮れているのにあちこちで火が上がっており、さらに次々と担架に乗せられた死人がやってくる。火葬が終わって灰を片付けているところ、船から薪を運んで積み上げているところ、死体を乗せているところ、火をつけて煙が上がっているところ、炎が燃え盛っているところ……全行程が分かるほどたくさんの火葬が行われていた。
すぐさま1人の男が寄ってきて、火葬の様子を眺めている私に説明を始めた。「ガイドは要らない!」と言っても言っても、話をやめようとしない。死体の上にかけられた布の色で性別や年がわかること、身分によって焼き場が3つに分かれていること、すぐ裏にはマザーテレサが作ったホスピスがあって、回復する見込みのない病人が最期のときを待っていること、彼らのための薪代がなくて困っていること、だからあなたの寄付が必要なこと、私を信用できなければホスピスに直接行って寄付してもいいこと……予想されたことだが、結局お金の話だった。あっさり断ると、「私は説明する前に、後から議論しないと約束しました。つべこべ言わないで寄付してください。(英語)」私もこの言葉にカチンと来た。「ガイドは要らないって最初に言っただろう!(ヒンディー語)」
議論を始めた我々に遺族が面白い顔をするはずがない。「これ以上見るんなら、あっちの建物に行ってくれ」火葬場の隣にあるホスピスは、火葬を見学できるようにもなっているのだ。しかしホスピスに行けばあちらの思う壺。「帰る!」といって火葬場を後にした。ところがところが、ガイドは「帰るってさ!」といってもう1人呼ぶと、2人がかりで私に付いてきた。ガイドブックでは火葬場から待ち合わせ場のガンガーフジまですぐのようだったが、道が狭くて枝分かれしている上に、かなり遠い。ガイドたちと口論しながら、ときどき「ガンガーフジはどっちだ?」と言って案内させる私。ガイドたちはしまいに「警察を呼ぶぞ」などといって脅し始めたが、「それはこっちの台詞だ!」と突っ込みつつ、早足で逃げ切る。自称警察とか、ぐるになった警察がやってきたらひとたまりもない。
口論と早足と興奮で、心臓をどきどきさせながらたどり着いたガンガーフジ・レストラン。ヴァラナシで日本食が食べられる数少ないレストランだ。待ち合わせしていたI氏はわずか10分ほどの間に次々と麻薬の売人に声をかけられたという。最悪な街だなあここは、と思いながら入ったガンガーフジの中華丼も最悪だった。具がまずいのはまだ我慢できるとして、ご飯が土の味なのだ。私は味覚音痴で何でもうまいと思ってしまう性質だが、お腹ペコペコなのにまずくて食べられないという経験はいつ以来だろう。7時30分からの店内コンサートの準備も始まっていたが、早々に店を出た。ここに日本人女性の2人組が食べに来ていたが、何を食べたのだろう。
ガンジス河近くの道は狭い上に混んでいて、サイクルリキシャーの渋滞ができている。次々と日本語で話しかけてくるインド人を無視しつつ、そこでひたすら歩いて大通りまで戻り、リキシャーを探すが今度は暴利料金。駐車禁止のところで客引きをしていて、警官に棒で殴られたばかりのリキシャーに隙を突いて乗り込み、やっと通常料金で帰ることができた。ふう。
ラームナガル城塞翌日はI氏と4キロほど離れたラームナガル城塞へ。古代の王国カーシーのお城で、ガンジス河を対岸の高い位置から見ることができる数少ない場所だ。今もマハラジャが住んでおり、一部が博物館として開放されている。直線距離はないが大橋を渡っていくのでかなり遠回りな上に、道が悪いので時間がかかる(船で渡ってきた方が早そうなくらい)。中の展示物はどれも薄汚れていた上に、見張りのおじさんがガイド料やら写真撮影料やら要求してくるので感興がわかなかったが、ガンジス河を前景にしたヴァラナシの街の広がりは確かによい眺めだった。ここでも日本人カップルに遭遇。いろんなところにいるなあ。
戻ってきてから再びガートへ。サンダルを脱いで足だけガンジス河に入り、「贖罪完了」。昼間だとそれほど客引きもうるさくない。子どもが寄ってきて「ちんこ!カモン」とか言って売春の斡旋をしてきた。おそらく日本人がふざけて教えたのだろう。罪深いことである。ここにはこんがり日焼けした日本人のおじさんと目が合って、なぜかばつが悪そうな顔をしていた。
夕方にガンジス河近くでもう1件の日本食レストラン、モナリザを訪れる。ここも道が入り組んでいてヴァラナシ経験のあるI氏でも迷いそうになっていた。私は後を付いていっただけでどの方角に歩いたかさえも定かではない。ご飯恐怖症になっていた私はじゃがいもクッパ、I氏はバナナケーキを食べた。隣りでは日本人のお姉さんがインターネットをしている。どこに行っても日本人、こんな環境に好きで来ること、そして何気なく生きていることに驚く。日本人って、案外たくましいのかも。
この街で過ごした数日間で、日本語で話しかけてくるインド人に警戒心と嫌悪感を抱くようになってしまった。旅の情緒をぶち壊し、得意顔でお金をせしめようとする奴らは、とびきり貧しそうな子どもたちを狙い、大金を渡して写真を撮っている西洋人の次に嫌いである。

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