日本人がいっぱい

2月の下旬からやたら日本人学生づいている。プネーはもしかしたら、インドで1番日本人学生の出入りが多い街ではなかろうか。今プネーには哲学、仏教学、文学、美術学、人類学などさまざまな分野で8人の学生がいる。プネーの外で研究している人や、一時帰国している人もいるので一同に顔を合わせる機会はなかなか持てないが、何人かで集まれば酒を飲みながらだらだら語るのがいつものパターンだ。
2月23日は、IT企業に勤める日本語超うまいインド人、パラーグ氏の招待で6名。龍谷大学から石窟寺院見学で来たNさんとUさんは、専門家のFさんが案内して毎日あちこちを回っている。石窟寺院が多いマハーラシュトラ州は、プネーを拠点に日帰りや1泊で少しずつ見ていくのが疲れず効率がいいようだ。
2月27日には、以前プネーで生物学を学んでいた筑波大学のHさんがちょこっと来訪。一緒にプネー大学で生物情報学を学ぶ予定で来たNさん、そしてI氏とおしゃべり&食事。プネーに来るのは何もインド学だけとは限らない。お金をかけずに英語をマスターし、しかも理系の学問まで学べる大学は、世界を探してもそう多くない。実験器具などに最新型を求めることはできないだろうが、コンピュータは充実しているそうだ。
3月1日は名古屋大学の和田先生がインド論理学についてご講義。お供で以前プネーに留学されていたHさんとこれから留学する予定(?)のOさん、そしてたまたま同じホテルに泊まってサンスクリット語を学んでいるという愛知学院大学のMさん。サンスクリット学でプネーはインドの中心であるばかりでなく、名古屋大学の交換留学制度によって、日本人が学びやすい土地になっている。
3月2日は大学の後輩3名が来訪。その中のA君がパーリ文献を読むためここに留学する予定でいる。一緒に来たH君とIさんは他のところに留学を希望しているが、図書館で本や写本を見たりした。インドは概して本などの保存状態が悪く、日本で手に入らないものはまず手に入らないのだが、プネーはいくつかの図書館が頑張って管理しているので、ときどき珍しい本に出会うことができる。
3月3日は和田先生を囲む会。プネーにいるインド関係の留学生も含めて、総勢10名という大所帯になった。日本の各大学での研究状況とか、インド人の先生に個人授業をしてもらうとき謝礼の相場はいくらぐらいなのかとか、以前インドに留学していた人の消息とか、娯楽はいつの時代も映画しかなかったとか、具体的な話で盛り上がった。
プネーは高崎直道先生(鶴見大学長)、北川秀則先生(元名古屋大学教授、故人)から始まって、数々の日本人学者が留学してきた。プネー大学で博士号を取得された和田先生や、私の指導教官である丸井先生もそうだし、島岩先生(金沢大学)、宮元啓一先生(國學院大学)、阿部慈園先生(明治大学、故人)もいっしゃる。先輩が開拓した道を後輩が引き継ぎ、その連続の末端に今日の我々がいる。インドでは若い学者がなかなか育たず教育環境は前と比べて悪くなったかもしれないが、それでも年配の実力者は健在。今後も続々と留学生が来ればいいなと思う。
ここまで10日間で会った日本人の学者、学生は総勢16名。ほとんどは短期滞在だが、日本人と話をするのは非日常的で、とても刺激になる。飲み会のセッティングをすることが多いので、日本の後輩から「小野さんは宴会部長だそうで」と言われている。3月5日は大学の後輩とI氏でゲーム、飲み、ゲームをしてそのまま空きベッドに泊り込んだ。

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