戒名差別?生前戒名!

高畠町で開かれた住職の研修会に参加。
曹洞宗では、55歳未満の僧侶は毎年研修を受講する義務が課されている。これを3年間怠ると資格を剥奪される、という訳ではないけれども、本庁の教学部長に報告されることになっている。お寺への信頼が低下しつつある昨今、僧侶も意識改革と資質向上が求められている。
15:00〜20:00まで行われた研修は、前半が人権学習、後半がお経(『遺教経』)の勉強という構成だった。
曹洞宗の人権学習は、1979年に世界宗教者会議に参加した宗務総長(当時)が「日本に部落差別はない」と発言し、糾弾されたことから反省の意味で始められたものだが、25年経った今では慈悲・同事などの仏教的根拠も整い、さまざまな社会差別の解消に向けて自発的に活動するに至っている。
今回の研修は、自分の中にある差別の根(偏見・迷信・固定観念)を常にチェックし、思考停止せずにたえず自ら考え行動していこうというもの。被差別部落は関西だけでなく、山形にもある。また山形には旧庄屋の家が旧小作人の家を見下したりする家柄差別や、標準語しかしゃべれないといじめられるという標準語差別も残る。どこか遠くで起こっている事件として眺めるのではなくて常のこと、自分のこととして考え、全ての人の幸せを願う僧侶として生きていこうというわけだ。
質疑応答では、戒名に種類があるのは差別なのか尋ねてみた。「差別戒名(被差別部落の人に、焼印になるようなひどい戒名を付けたこと)」は解消に向けて全国的な取り組みがなされているが、戒名の種類はそのままになっている。
A家は院号、B家は居士号、C家は信士号というように違う種類の戒名を付けることはたいていの寺院でなされている。これが家柄や経済力を示す指標とみなされ、一種のランク付けとして世間が考えていることに私はいつも違和感を感じていた。同じ仏弟子なのに、どうして等しくできないんだろうかと。
戒名料、もしくはそういう性格のお布施を、うちのお寺では頂いていないので戒名によってお布施の額が変わることはない。原則としてその家の先祖に合わせた種類の戒名を授与している。
しかしそれでも、年会費として頂いている「護持会費」や大工事の寄付金についてはうちの寺でもだいぶ差がある。中には、由緒ある家で院号をもっているが老夫婦しかおらず、そういった負担が苦しいという声も聞き、不公平だなあと思っていた。
これに対する回答は、戒名の種類は家柄ということではなく、その家その家の代々の信心の積み上げによって作られている以上、そういった伝統の堆積を軽々しく崩すことはできないだろうということだった。
言われてみればお布施の額というのは他の家と比べて多い少ないという相対的なものではなく、各家に伝わる家の教えを当主が受け止め、できれば継承しようとするところから出てくる絶対的なものだ。各家の長い長い貢献の蓄積に対して寺院側が恩に報いる手段としては、それ相応の戒名で誠心誠意弔うということになるだろう。
実は同じことが、先日総代と話をしていたときに出ていた。彼らにとってほかの家と比べてどうかというのは、あまり問題ではない。自分の親たちである先祖にならってお寺を支えているだけだと。
僧侶にとっても、信者にとっても、戒名やお布施は自他を比べるところから差別は始まるのだから、比べようとしなければ違いは違いとして共存できるのではないか。まだまだ微妙な問題は残っているが、ひとまずそのように考えを改めた。
これと平行して生前戒名で信頼回復をはかってはどうかという提案が講師からなされたが、それはとても気に入った。帰依式・入信式を行い、在家得度として参加者に4文字の戒名を与える。世間では戒名の立派さを文字数でカウントしているらしいから、ひとまず全員4文字とすれば余計な悩みをもつ心配もない。
生前戒名を頂いた檀家さんは、その戒名を胸に仏の教えを日常生活に生かし、お寺でさらに学ぶ。信士だの居士だの院号だのは、その方が亡くなってから送り名として与えればよい。これはぜひ実現したいアイデアだと思った。今度の役員会でそれとなく言ってみて、反応を見てみよう。

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