教育か介護か

カレンダーを見ると6月最終週以来、週末はずっと法事がある。平日もたまにお葬式があるので、7月と8月のつくば:山形の滞在率は2:3である。たまにしか家にいない父に娘がなつかないのもむべなるかな。
帰宅後せっせと塔婆を書いて、夜から地元吹奏楽団の後援会長宅へ。今後のことを4時間も話し合う。
今後の方向性には2つの選択がある。すなわち地元の若者を集めてアマチュアらしく演奏活動をやっていく方向が1つ、それから一流の奏者を招き聴く専門でコンサートを興行する方向が1つ。どちらも立派な文化活動だと思うが、主役を青少年にするか老壮年にするかの違いは大きい。
青少年を主役にするのは、将来性があるが骨が折れる。仕事が忙しく、休みは独りで過ごしたい人たちにとって、同じ時間に集まることさえ難しい。そもそも若者がそんなにいない。そんな中で統率を取って、定期的に何かやっていくには相当のエネルギーが要求される。
一方老壮年を主役にするのは、比較的易しいが奉仕的である。時間もお金もある人たちにパトロンになってもらえばエネルギーは節約できるが、自分たちが楽しむより人を楽しませることが先にたつのは避けられない。そうなると、何のためにやっているのかだんだん分からなくなる。
少子高齢化と過疎化で寂れていく地方にとって、この2つの選択は音楽に限らない。教育問題と介護問題がそうだ。教育する側かつ介護する側に立つ世代にとって、どちらかでさえ一筋縄ではいかないものが両方同時に迫ってくるのは恐ろしい。
そんなことを考えたが、結局どちらかといえば後者(老壮年)を取ることになりそうだ。でもそれは住職という立場だからなのかもしれない。介護はその人が亡くなったら終わるが、供養は亡くなってから始まるものだから(現金な話)。
青少年のほうは、音楽よりボードゲームをうまく活用できないか考えている。

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