梅花流保存会

  • author: hourei
  • 2007/05/31 11:05

土日は法事とお寺の会議。月曜に工務店と契約してからはせっせと引越しの準備。その合間に筍を掘る。ゆうに100本くらいは掘ったと思う。

昨日と一昨日は御詠歌の役員会議があって、その後つくばにやっと帰ってきた。かれこれ1週間の不在で、子どもは元気だったが妻はちょっと痩せていた(ような気がする)。

御詠歌の役員会議では、新人にどうやって始めてもらうかがひとつの焦点になった。一昔前ならば寺族さんにとって御詠歌はほとんど必修課目。練習も厳しいものだったそうだが、今はほとんど趣味の世界。寺族さんがお寺に帰って教えるべき講員さんもどんどん少なくなっているのも、モチベーションを下げている。

仕事と関係のない趣味となると、新人を誘うのは容易なことではない。上手に宣伝し、気を遣いながら少しずつ興味をもってもらい、ほめたりおだてたりしながら何とか続けてもらう……並の気力では無理だ。

私の趣味のボードゲームで、近場でメンバーを集めきれず遠くから同好の士をお招きすることになるのもそのためだ。母もママさんスキーで同じような思いをしているという。無理に誘って嫌がられるよりも、遠くからでもやりたい人が集まってくるほうがずっとよい。

さらに若い寺族さんは、お寺を留守にして会社勤めしている方も多い。それに子育ても加わったらほとんど休みなし。平日は勤めて土日はお寺の手伝い、さらに子育て。寺族さんってほんと過酷なお仕事なんだなあ……これでは定期的な練習に顔を出す時間も気力もないのは致し方あるまい。

ひとまず若い寺族さんには練習日や時間のアンケートをとってみることなどが提案された。設立55周年を迎える梅花流も、そろそろ保存会みたいなものになってきた感じだ。御詠歌は楽しいけれど、自分の今やっていることがせいぜい何年かの延命に過ぎないとしたら少しさびしい。

唱衣念誦

  • author: hourei
  • 2007/05/29 22:38

米沢であった研修会から気力で帰ってきた翌日はお医者さんへ。喉の痛みと咳痰で風邪ということだった。病弱だなぁ。

今流行っているはしかだが、私が罹ったことがあるか定かでないのでついでに検査してもらったらと母。お医者さんに申し出ると、検査キットもワクチンも全国的に売り切れており、秋まで品薄が続くという。「はしかは、すれ違っただけでもうつります。人の集まる場所、大学とか、駅とか、新幹線なんかが危ないです」……って全部行ってるところばかり!

夜は寺院会。声が出ないので隅のほうでウーロン茶を飲んで大人しくしていた。

水曜の住職研修会で面白いトピックを見つけた。その名も「唱衣念誦(しょうえねんじゅ)」。古い清規(禅宗のマニュアル)に出てくるもので、葬儀の最後に位置する法要だ。剃髪、授戒、入棺、挙棺、引導、荼毘と来て最後に行うものは、遺品の競り。これで葬式代を出すのだという。念誦なので十仏名を唱えるはずだから、こんな感じか?

さあさ取り出したるは、正絹の衣だよー!(清浄法身毘盧遮那仏、カーン)
肌ざわり抜群、新品同様!(円満報身盧遮那仏、カーン)
さあ買った買った、1銭からだぁ!(千百億化身釈迦牟尼仏、カーン)
2銭いないか2銭、おっと5銭出たよー!(当来下生弥勒尊仏、カーン)
……なんてことをするんだろうか(想像)。

もちろん今はやってない。念誦でどんなことを唱えていたのか、ちょっと調べてみたい。

僧侶の酒とセックス

  • author: hourei
  • 2007/05/26 23:12

水曜日から山形に来ているがまた風邪を引いてしまってバテていた。今日くらいからやっと調子を取り戻す。

水曜日の夜は住職の研修会「回向文の歴史と解釈」。絶不調の中、気力で米沢まで車を運転して参加してきた。休憩中のたばこの煙にはウンザリしたが、そこまでして行く価値のある講義だったと思う。

授戒作法のメインである十重禁戒の時代的変遷が面白い。十重禁戒とは仏弟子になるにあたってやってはいけないことを10にまとめたもので、中国で成立したとされる。中国の清規(マニュアル本)では、以下のように記述されていた(出家の場合)。

(1)不殺生(殺さない)
(2)不偸盗(盗まない)
(3)不淫欲(セックスしない)
(4)不妄語(嘘をつかない)
(5)不飲酒(酒を飲まない)
(6)不説四衆過罪(人を責めない)
(7)不自讃毀他(自慢しない)
(8)不慳貪(ものを惜しまない)
(9)不瞋恚(怒らない)
(10)不謗三宝(仏様に不敬の念を起こさない)

これが日本に入り、道元の『正法眼蔵』では以下の3つが変わる。

(5)不飲酒→不酉古酒
(6)不説四衆過罪→不説在家出家菩薩罪過
(8)不慳貪→不慳法財

このうち(6)と(8)は同義語による言い換えだが、(5)が大きく違う。「酒を飲まない」から「買ってまで酒を飲まない」へ。つまり信者さんがご馳走してくれたお酒を頂いても戒律違反にならないのである。ゆる!

さらに現在、得度(僧侶になる儀式)や葬儀で唱えるものは道元のものから2つが変わっている。

(3)不淫欲→不貪淫
(6)不説在家出家菩薩罪過→不説過戒

(6)は単なる省略なので意味は同じ。問題は(3)である。「セックスしない」から「性欲におぼれない」へ。つまり、配偶者との間で子どもを作るためのセックスが戒律違反でなくなった。

道元の時代はもちろんお坊さんは結婚できないから、酒は飲めてもセックスはタブー。これが明治時代に入って「肉食妻帯蓄髪の勝手たるべきこと」の勅令が出されて以来、解禁されることになる。さらに現代では実子が後を継がなければそのまま空き寺になってしまうところが多いから、解禁というよりも奨励とさえ言えるだろう。

ほかにも不殺生は狩猟やと殺を生業にしている人に配慮して「命を大切にする」と解釈されるようにもなっている。「動植物はともかく人は自分も含めて絶対殺さない」と解釈すればいいんじゃ?

酒とセックスで解釈がぶれるのは、ほかの戒律が教団の維持に必要な道徳であるのに対し、この2つはインド独自の文脈を抱えているからであろう。酒はインドの全宗教でタブーだし(精神がねじまがるとか)、セックスをしないことは行者がタパスという力を蓄える前提条件である。

一方中国や日本の儒教文化圏では、酒はそれほどタブー視されていないし、子孫繁栄が最重要課題だったからセックスは必要であった。その圧力に負けて戒律は徐々に俗化していったのではないか。

十重禁戒の変遷を見るといろんな歴史が垣間見える。それは、他者救済を目指した大乗仏教によって推進された僧侶の俗化と、儒教などの土着文化が共同でもたらした歴史なのである。

ちなみにモーゼの十戒の中では、殺人、姦淫、盗み、偽証、財産をせびることの5つが禁止事項。こっちのほうがずっと守りやすいし解釈がブレにくいな。

結論:お坊さんは、法事で酒が出たら飲んでもかまいません。不倫はいけませんが、子だくさんな家庭を築くのはOKです。

お金を借りる

  • author: hourei
  • 2007/05/16 06:38

昨日やっと庫裏(自宅)の建築資金を借りる算段がついた。

前の日記(http://www.tgiw.info/weblog/2007/03/post_331.html)で書いたように、庫裏の建築費用の9割を小野家で、残り1割を檀家さんで負担することにしている。

自己資金(といっても妻の貯蓄)を除くと不足額が約3500万円。住宅ローンで30年くらいというのが当初案である。2つの地方銀行に行って、条件のいいほうにするつもりだった。

申し込んでから2週間後、両行とも返事は「住宅ローンは不可」。ガビーン。曰く、住宅ローンは建物と敷地を担保にするのだが、今回の場合は自宅とはいえ境内地に建っている建物なので、敷地はもちろんのこと建物も担保が取れないとのこと。

銀行の人は「そんなところを抵当に入れたらバチがあたります」と言っていたが、実際本堂とつながった建物が抵当に入っても買い手がつかないだろう。「じゃあ、お寺の前の土地を買って、そこに建物を建てたら住宅ローンが組めるんですか?」「はい、組めます」……でもそれは無理だなぁ。

というわけで住宅ローンの線は明らめて、次は設備資金ということで申し込むことにする。設備資金とは、企業が新たな事業をするにあたって借りるというパターン。担保はないが、お寺はつぶれないという信用取引でかけあった。申込先も、少し資金力のある銀行に。

予め工務店さんが話をしてくれて感触がよいということで期待していたが、2週間待って結果はまた不可。ドガーン。曰く、担保なしにそれだけ長い返済期間を設定するのは前例がないとのこと。

多くのお寺では檀家さんが大部分を負担するため、3〜5年ほどで返済する。しかしそれは檀家さん一戸当たり20万円くらいの負担を意味することになる。今の時代、そんなことをしたら確実にお寺離れを助長するだろう。

行き詰まったかに見えたとき、不思議と光明がさしてくるのがお寺だ。総代さんと、となりの和尚さんが信用金庫に当たってみることを勧めてくれた。そこで返済期間は20年に短縮。月20万円ほどの返済は布施収入から捻出し、不足する住職と家族の生活費は外で働く妻が出すということで申し込んだ。

わずか4日で返事が来て、総代と妻が連帯保証人になることを条件にOKが出た。ヤッター!

三度目の正直、勝因は何だったのか。ひとつはまず妻の収入だろう。いくら東北ではまだお寺の権威が残っているからといって、田舎の小さいお寺の収入でこれほど借りるのは無理だ。

もうひとつは信用金庫の性格。地方の中小企業を専門に取引している信用金庫に、地方の小寺院であるうちがマッチしたようだ。初めて知ったことだが、信用金庫には総代と呼ばれる地区役員がおり、その中にはよく知った和尚さんの名前もあった。

しかし何よりも大きかったのはコネだと思う。総代さんととなりの和尚さんは、信用金庫の支店長とずいぶん昔からのお付き合いらしい。お二人が電話してくれておいたお陰で、最初から支店長と直にお話しすることができた。コネというとネガティブに聞こえるが、要するに信用である。

昨日は信用金庫から連絡を受けてすぐ、嬉しくてお礼の電話を総代さんと和尚さんへ。そしてこの間辛抱強く付き合ってくれた工務店さんにも。出会う人に恵まれる幸せをかみしめた。

そんなわけで予定の工期から遅れること2ヶ月。ようやく始める目途がついた。あとは雪が降る前に完成してくれることと、これから20年間みんな健康で無事完済できることを祈るばかりだ。

ベロ屋/口坐禅

  • author: hourei
  • 2007/05/14 11:43

先日、先輩の和尚さんから面白いジョークを聞いた。

極楽にいるお釈迦様、竿にたくさんの舌を吊り下げて干しているという。この舌は何かといえば、亡くなったお坊さんたちのもの。生前、ありがた〜い話ばかりしていたので、舌は極楽に行くことができたが、それ以外の部分は……

こういう寒い話が好き。いったい出典はどこなんだろうか?

お坊さんの間でも、布教師を「ベロ屋」(舌で稼ぐ商売)と揶揄してみたり、立派な話をした後に「私なんて口坐禅(口だけで坐禅をしている)ですが」などと卑下したりするのを聞く。要するに雄言不実行ということだろう。

しかし、論理的には言っている内容と、それを言った人の行動は関係ない。タバコを吸っている人がタバコの害を説いたって全く構わないのである。それを「そう言うあんたがタバコを吸ってるじゃないか」と責めるのは、的外れな人格攻撃に過ぎない。反対したいなら、タバコに害がないことを主張するのが筋だ。

ただし、修辞学的には人格攻撃は十分ありえる。アリストテレスは『弁論術』でエートス(信頼に足る性格)、パトス(感情の喚起)、ロゴス(証明)という3つの説得手段を立てる。このうちエートスが傷つけられると、ほかの2つを満たしていても説得力を失うことは実際とても多い。

「先祖や親に感謝しましょう」と言いながら自分の親にはつらく当たったり、「お金に執着してはいけません」と言いつつお布施の額をがっちり言い渡したりするのでは、たとえ論理的には別問題だとしても、まともに聞いてくれる人もいるまい。

お葬式のときに亡くなった人に言い渡す十重禁戒(殺さない、盗まない、セックスしない、嘘をつかない、酒を飲まない、人を責めない、自慢しない、ものを惜しまない、怒らない、仏様に不敬の念を起こさない)。このうちいったいいくつ守れているんだろうかと、お葬式のたびに自分にも問いかけている。

十把ひとからげ

  • author: hourei
  • 2007/05/13 00:21

インド州議会選:「あなたは死んでいる」と投票拒否

インドの国勢調査
調査官「この村は何人?」
村長「300人ぐらいじゃな」
調査官「じゃあ300人……と」

国勢調査の年令分布
5才、10才、15才、20才……皆おおざっぱ答えるので5才おきに人口が妙に高くなる

なんていう噂をインド留学中に見聞したが、真偽のほどは分からない。でもこんなニュースを聞くと噂も本当かも。

電子投票機を山奥の村にゾウで運んだり、投票した人はツメにしるしをつけられたりと、進んでるんだか進んでないんだかわからない。

それが私にとってはインドの魅力に映るのだが、中国との石油開発協力とか、EUからの原子力発電支援とか、シリアスなところもこんな調子だったら大丈夫なんだろうか?

御詠歌ポッドキャスト実験3『追善供養御詠歌(妙鐘)』

  • author: hourei
  • 2007/05/11 15:29

追善供養御詠歌(妙鐘)
うちならす鐘のひびきはそのままに
 三世の仏のみ声なるらん

住職の葬儀

  • author: hourei
  • 2007/05/10 23:24

今日は隣町のお寺で昨年お亡くなりになった住職の本葬に詠讃師として参列。

詠讃師は3名で、『無常御和讃』、『追弔御和讃』、『聖号』を奉詠。あとそれぞれ1曲ずつ独詠があった。私は1番バッターで『妙鐘』。この曲は感情が高ぶりやすいので、いかに感情を抑えつつ奥ゆかしくお唱えできるかが難しい。やはり今日も抑えられず。

住職の葬儀は準備に時間がかかるため、いったん密葬と火葬をしておいて数ヵ月後に本葬を営むことが多いが、今回はさらに年をまたいで9ヵ月後の本葬となったため、一周忌と併修するに至った。全部の法要が終わるまで3時間。一般会葬者はもちろん、いつも座りなれているご寺院様方も途中で足を崩さなければならないほどである。

とはいえ、葬儀の構成は一般の葬儀とあまり変わらない。そもそも一般の葬儀自体が亡僧の葬儀法のコピーなのである。授戒はないが、棺の釘打ち、棺の持ち上げ、葬列の行進、蜜湯のお供え、お茶のお供え、松明による点火と全て省略せずに行うので時間がかかるだけだ。

もっとも大きな違いは、引導の有無である。僧侶は生前に成仏しているとみなすので引導は渡さない。注意深く聞いていたら、松明の儀式で導師が引導の目印である一字関(「喝!」とか)を言っていなかった。

僧侶が亡くなることを「遷化(せんげ)」と言い、来世でも僧侶として生まれ変わり、衆生と苦しみ悲しみを分かち合いながら悟りの世界へ導くとされる。成仏した以上は生死の別を離れているから「死んだ」とは言わない。その命はもはや永遠なのである(というと、ミイラになってるのにまだ死んでないとか言ってた新興宗教を思い出すのだが)。

引導を渡して成仏させる必要がないのに、どうして葬儀を行うのかといえば、「遺された人たちがそうしないと気がすまないから」なのだと思う。遷化された住職への感謝を、最大限の礼節を尽くして表す。そして現世での別れを胸に刻んで、新しい人生を歩んでいく。今日は、3時間にわたる法要が終わると、達成感とともに次への気力が湧いてくるような気がした。

しかし私なんかも「遷化」できるのだろうか? 現世でろくに衆生を導かず、欲のままに精進もせず生きている私がもう成仏しているって……?

本日の遺偈
迂拙一期 八十二年
無得無失 大道現前

私も遷化された和尚様に少しでも近づけるよう精進したい。

大蔵経データベース

  • author: hourei
  • 2007/05/09 07:31

「大正大蔵経」データベース化…7月完成、9月無料公開
http://www.yomiuri.co.jp/net/news/20070508nt0d.htm?from=os1

ついにやりました。

かつて、平川彰先生だったかの追悼文で、「この語句はこの経典にあるというのを言うのは易しいが、先生はこの経典にないといえる先生だった」というような話があったが、今は検索で引っかからなければないということがすぐ分かるようになった。仏教学も新たな進展を見せるだろう。

その一方で、語句の意味をひとつひとつ吟味するという作業が疎かになるのではないかという心配もある。仏典は文字面だけではない。「研究する書物をパソコンに入力して、それで研究したつもりになっていたら大間違いだ」という高橋孝信先生の言葉を思い出した。

とはいえ、私もほんの少しの間だがアルバイトで入力作業をやっていたので、このプロジェクトの完成は素直に嬉しい。あまりに性能の悪いOCRにがっくりし、JIS規格にない難字が出てくると頭を抱えたものだ。

いつも法要でパラパラめくっている『大般若経』。いったい「無」と「空」はいくつ出てくるかとか、調べてみたい。

続きを読む "大蔵経データベース"

法事Q&A

  • author: hourei
  • 2007/05/07 12:00

連休中の法事の後にお話ししたことなど。

法事の時期に関して

Q:法事は命日より前にするべきだと言いますが、できない事情があるときはどうしたらよいでしょうか?
A:命日に予め家族でお参りしておけば後になってもよいでしょう。命日は故人の仏としての誕生日で、法事はその誕生祝ですから、命日近くに行うのが理想ですが、供養する人あっての法事なので、気持ちよくお参りしていただくためにも季節のよい時期を選ぶのはよいことです。

Q:祝事より先に仏事を済ませるべきだと言いますが、急に結婚が決まったときなどはどうすればよいでしょうか?
A:慌てていい加減に済ませるよりも、結婚の後で、お嫁さんや新しい親族と共に供養して頂く方がずっとよいことです。これがうちの先祖ですよと、紹介してあげましょう。

Q:法事が毎年のように続くので、次の年の法事を1年繰り上げて行うことはできますか?
A:2年連続でたくさんのお客様を呼ぶのが難しい場合など、「予修供養」を行うことはできます。ただしその場合は、次の年に家族だけででも供養をして下さい。その先祖にとっては、あくまで当該の年が本当の法事の年です。

Q:悪いことが続いて先祖の祟りだと言われたので、法事の年でないのですが先祖供養をしてもよいでしょうか?
A:法事の年でなくても供養したいときになさって下さい。ただし先祖が祟るというのは、少なくとも仏教の考え方ではありません。お亡くなりになった先祖は全て成仏していると考えます。供養は常に感謝の気持ちをもって行うべきで、悪いことが続いたからといって先祖のせいにしてはいけません。どんなに苦しいときも悲しいときも、ひっそりと守っていてくださるのが御先祖様です。そのようなことを言ってくる人は相手にしないのがよいでしょう。

法事の場所に関して

Q:お寺で法要をするのと、自宅で法要をするのとではどちらが望ましいでしょうか?
A:自宅が遠隔地にある場合はお寺でもかまいませんが、特別の事情がない限り、できるだけ自宅で行うのが望ましいです。故人の思い出が残る自宅で、いつも手を合わせているご本尊様の前で行うことが意義深いでしょう。

法事のメンバーに関して

Q:家族だけで行いたいのですが、親戚や縁者も呼ばなければいけないでしょうか。
A:故人にゆかりのある方ならば、できるだけ多くの方に供養していただいたほうが功徳がありますが、どこまでお招きするかは普段のつきあいにもよるでしょう。家族水入らずで供養するのもひとつの考え方ですが、その場合でも、家族全員が揃ってできるようにして下さい。

その他

Q:法事のお布施はいくらぐらいお包みすればよいでしょう?
A:お布施は料金ではありませんから決まりはありませんし、お寺から申し上げることではありません。自分で納得できる額を決めるべきですが、心もとなければ親戚や近所の方などから聞いて参考になさるのもひとつの手です。なおお寺ではお布施の金額は一切公表しませんし、後から少ないとか多いとか申し上げることもありません。

Q:法事は何回忌まで行うのでしょうか?
A:修行し続けることが悟りだというのが曹洞宗の教えですから、供養する人がいる限り、何回忌まででも行います。例えば道元禅師は750回忌が先年行われました。ただし、33回忌を過ぎれば以降は50回忌、100回忌と間は広がっていきます。たまたま50年に1度、100年に1度そのご先祖様にめぐり合えたという喜びの気持ちで勤めるようにしましょう。

……こんな話をしながら、つくづく日本仏教は先祖教だと思う。御先祖様を敬い、その加護を願いつつ、家族の絆を深め合うという信仰は、「愛する人も憎む人々もいない人々には、わずらいの絆が存在しない(ダンマパダ)」と仰ったお釈迦様の出家主義と相容れないところがある。血は水よりも濃いってことか。

御詠歌ポッドキャスト実験2『まごころに生きる』

  • author: hourei
  • 2007/05/03 08:14

まごころに生きる
作詞作曲 南こうせつ

(一) そよ吹く風に小鳥啼き 川の流れもささやくよ
    季節の花はうつりゆき 愛しい人は今いずこ
    ほほえみひとつ涙ひとつ 出逢いも別れも抱きしめて
    生きてる今を愛して行こう

(ニ) 広がる海ははてしなく 全ての命はぐくむよ
    人の心もおおらかに  互いを敬い信じ合おう
    ほほえみひとつ涙ひとつ 出逢いも別れも抱きしめて
    生きてる今を愛して行こう

(三) 幼い頃にいだかれた  温もり今も忘れない
    この世でうけた幸せを  そっとあなたにささげましょう
    ほほえみひとつ涙ひとつ 出逢いも別れも抱きしめて
    生きてる今を愛して行こう

御詠歌ポッドキャスト実験『聖号』

  • author: hourei
  • 2007/05/02 20:58

聖号
 南無本師釈迦如来
 南無大悲観世音
 南無地蔵大菩薩

RSSフィードをポッドキャスト(iTunesなど)に登録しておけば、配信される……らしいです。これでiPodにでも移して聴いてみて下さい。

山形→仙台→埼玉→山形

  • author: hourei
  • 2007/05/01 16:29

29日は法事日和で5件。

手違いで同じ時間にダブルブッキングをしていたことが前日に分かって冷や汗をかいたが、法要が終わったらお茶を頂かずに次のお宅、終わったらその次というようにして何とか辻褄だけは合わせたが、慌しい思いをさせて施主家には申し訳ないことをした。

法事の予約はもうずっと前に行われているものだから記憶が曖昧だし、そもそも誰に責任があるのか突き止めたところで意味がない。事後の対処しか手はないわけだが、できるだけ再発しないよう、いい手はないものだろうか?

30日は仙台の檀家さん宅で法事と納骨。地元から行く親類の車に同乗した。私のブログを読んでくださっているとのことで、それがもとで車中はざっくばらんな仏教談義に花を咲かせる。死んだ人はどこにいくのか、いつ成仏するのか、お盆に帰ってくるのはどうしてか……。

お墓は七ヶ浜町という海辺にあり、住んでみたくなるような素晴らしいところだった。天気も快晴。故人もさぞ安心なさっているだろう。

食事の後、仙台駅まで送って頂いて上京。上りが意外に混んでいたので、ネットカフェで時間をつぶす。大宮から妻の実家に行き、義父母と3人きりで静かな一晩を送った(ちなみに妻子は山形)。9時間も眠ってしまう。

そして今日は大学の講義。連休の合間なので学生さんは少ないかと思ったが、ほとんど欠席なし。先週に「この授業は出席点の比率が大きい」と言っておいたのが功を奏したか。でもお疲れで序盤から眠っている学生もちらほら。

そこで気分転換に「問答ゲーム」をしてみた。決められた形式で自分の意見と根拠を述べるというだけのものでゲームというほどではないが、根拠を述べるということに意識的になってもらえばよい。楽しんでもらえたようだ。

今は秋津駅前。これから大宮に戻り新幹線で山形に戻る。明日は家族で何かできたらいいなぁ。明後日はゲーム会。連休後半は、また法事三昧だ。

ちょっとやってみたい↓
「住職がヒーロー戦隊「ミョウレンジャー」発足−西陣活性化に一役」
http://karasuma.keizai.biz/headline/136/