『日本人の死者の書―往生要集の〈あの世〉と〈この世〉』

人生の節目が希薄になり、死生観が貧困化している今、源信の『往生要集』をひもといて古来日本人がもってきたあの世の感覚とこの世の生き方をもう一度みつめなおそうという本。
比叡山僧だった源信の生涯や藤原全盛だった当時の社会情勢から始まり、『往生要集』の10章を1つずつ平易な言葉で解説。さらにこの後に広まった地蔵信仰と賽の河原の話、さらに宮沢賢治と「千の風になって」まで、古今の死生観を見事に描写している。
かつては地獄・餓鬼・畜生・修羅の世界が克明に語られ、日本人の倫理観に影響を与えていたが、それもひとつの物語と化し、まともに信じている人は少なくなったような気がする。しかし地獄の残酷な記述を改めて読み直してみるとものすごいインパクト。こういう恫喝がたとえ方便としてであってもよいのかどうか分からないが、謙虚になろうと思わせるのに十分である。
しかし著者はとかく強調されがちな「厭離穢土」の章が『往生要集』の眼目ではないとする。何かの幸運でこの人の世に生まれたわずかな間に浄土=解脱を志さなくてはならない。
「当に知るべし、苦海を離れて浄土に往生すべきはただ今生にあることを。」
浄土思想というと現世否定かと思っていたが、今を自覚的に生きることが大切だという教えに感心した。
あとがきのダライラマの講演会の質疑応答で、「わたしに光を放ってください。会場のみなさんも法王のオーラを浴びましょう」といった人に、ダライラマが「そんな光は放てません。わたしは普通の人間です」と答えたという。迷信やカルトを離れつつ、来世を信じるというのは強靭な精神と厚い信仰の両方が要求されるのだ。そのための、よき道しるべを頂いたと思う。

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