大叔父が亡くなる

祖母の弟で都内に住んでいた大叔父が亡くなったとの報せを受ける。葬儀の日はあいにくお寺の仕事があるので今日、お見舞いに行ってきた。
田舎では友引でもはさまない限り、亡くなった翌々日に火葬と葬儀が行われる。しかし首都圏は火葬場や会場の予約がとりにくく4、5日かかるのが通例だ。また、昨今の住宅事情では棺を安置できる部屋も少なく、葬儀社や斎場で遺体を預かるという話をよく聞く。
大叔父も葬儀社の安置室に置かれていた。受付で面会を申し出ると、用意をするまでちょっと待ってから安置室へ。遺体用の冷蔵庫が2列×2階で4基あり、その中から棺を引き出してある。蓋は少しずらされ、顔に触れることもできた。
係の人はお参りが済んだら内線電話で連絡してくださいと去っていったのでゆっくりお参りする。お経を読んで、回向して、御詠歌をお唱えして、顔をなでてきた。
大叔父は私が大学に入学したときに保証人になってくれて、ときどき遊びに行くと寿司をおごってくれたりした。また寮から引越ししたときは車に乗って手伝ってくれた。「タクちゃん、また遊びに来てね」ずいぶん可愛がってもらったものだ。
アルバイトを探していたときは、近くに住んでいるお孫さんを紹介してくれて、そのときは必ず夕食がついていた。バイト代もさることながら、一人暮らしで栄養が偏っていたころには本当に助かったものだ。
晩年は経済面・健康面で苦しい生活となったが、妻と長女を連れて行ったときは「ボクはサンデー毎日(毎日が日曜)だよ」と明るい冗談で出迎え、お店をやっている頃に首に巻いていたというバンダナをくれた。「これを巻くと、一日頑張ろうって元気が出るんだよね」と。
そんな思い出に浸りながら、冷たい額に触れて観世音菩薩を念ずる。願わくば、仏天が冥護を垂れたまいますように。
お経を読む前に見た顔は険しい感じがしたが、お経を読んでからよく見たら、大叔父は気のせいか微笑んでいた。「おじさん、またどこかで会いましょうね。おばあちゃんには、よく伝えておきますから」と声をかけて退出。
帰り道、微笑んでいる大叔父の顔を思い出し、こんな若輩者のお経でも喜んでくれたのかなと思うと急に涙がこみ上げてきた。あれだけ世話になりながら、私からお返しできたことはなかったのが残念である。
死は易く、生は難し。

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