展覧会の絵

水曜日は葬儀が出て山形に戻っていたために、ピアノリサイタルを聴くことができた。長井高校OB会主催で奏者は木曽真奈美さん(http://www.haginojibika.com/piano/index.htmlなぜ耳鼻科のドメイン?)。
数年前、長井高校で捨てられようとしていたボロボロのピアノが実はスタインウェイ社のものであることが分かる。しかも1920年代に制作された年代もので、今の値段だと1億円以上はしたものだったという。一体誰が購入し、当時の長井女学校に設置されたのかは不明。
そんなに歴史と価値のあるものならばと、長井高校のOB会が立ち上がりピアノを修復しただけでなく、何年かに1度コンサートを開くことになった。そんなストーリーも素敵だが、リサイタル自体もすばらしいものだった。
前半はチャイコフスキーとラフマニノフの小品。休憩前に後半演奏される『展覧会の絵』の解説。奏者の木曽さん自身がプロの司会者かと思うくらいの明瞭な言葉で、しかも感情をこめてお話された。
木曽さんによると、『展覧会の絵』の作者ムソルグスキーはバルト三国近くの村のおぼっちゃんに育った。日本からモスクワに行くより、モスクワからその村に行くほうが時間がかかるというほど辺鄙な、何もない村。大志をもって都会に出たムソルグスキーであったが、自信作のオペラは酷評され、母親が死んで、身の回りのものを売っては安い居酒屋に通う毎日。最後はアルコール中毒で死んだという。
そんな中、彼のほとんど唯一の友人だった画家ガルトマンが若くして死去。その遺作展で彼が見た絵が、『展覧会の絵』のモチーフとなっている。
ガルトマンの絵は、デッサンであったりラフスケッチであったりして、あの音楽からは想像もつかないほど簡素であった。ムソルグスキーは何を表現しようとしたのか。
それは、ただの絵の印象ではなく、自身の絶望的な境遇であり、ガルトマンとの別れの悲しみであり、冥福の祈りではなかったかと。
そうして聴いてみると、第4曲ブイドロは葬送行進曲に、第10曲キエフの大門の序奏は賛美歌と教会の鐘に聞えてくる。キエフの大門の絵は、街のコンテストにガルトマンが応募した作品で、好評を博したにもかかわらず、街の都合で建築が中止されてしまう。ムソルグスキーは、永遠の音楽の中で、キエフの大門を建立したのである。
そうして聴くと『展覧会の絵』の印象はまるで違う。木曽さんは実際にムソルグスキーの生地を訪れ、またサンクトペテルブルクにあるお墓にお参りして、この曲想を得たという。古いピアノの柔らかい音色とあいまって、物悲しく、胸を打たれる演奏だった。
しばらくプロムナードがリフレイン。私の大好きな作品のひとつだが、またさらに好きになった。ラヴェル版もいいけど、ピアノ版はまた一味違った味わいだ。
「展覧会の絵」の絵
http://www.geocities.jp/tatsuyabanno/Bilderausstellung/Bilderausstellung.html

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