死者の思い

昨日は所用で秋葉原に行って来た。会場は事件現場の交差点のすぐそばなので、報道ですぐ場所が分かった。衣姿で行って大悲心陀羅尼をあげてこようかと思ったが、頼まれていた荷物が多いのでいつもの娑婆服で。
通り魔事件からわずか3日後ということで、交差点には献花台が置かれ、警察や地元の商店会の方が立っていた。花だけでなくふたの開いたペットボトルがたくさん並んでおり、手をあわせる人も後を絶たない。商店会のジャンパーを着たおじいさんがお供えをしていった人に「ありがとうございます」と言っている。
新聞によると前日に地元の僧侶がお経をあげていったそうなので、私は黙祷をすることにした。現場で目を閉じると、冥福を祈るつもりだったのに亡くなった方の気持ちを想像してしまって恐怖の念が湧いてくる。何の理由もなく突然に命を奪われるということ。これまでの人生を振り返る間もなく、遺される人々のことを考える間もなく、ふたつの眼がたちまち暗くなる。
そこから先のことは想像がつかないが、息絶えるまでに少しでも何か思う時間が残されているならば「こんなところで死にたくない」と思うことだろう。もしその思いが死後も何らかのかたちで継続するとしたら、献花台にいくら花があがったとしても少しも慰めにはなるまい。もちろん、献花する人だって意識的であれ無意識であれそこまで分かっていて、でもほかに死者と向かい合う術がないからそうするわけだが。
死者の思いは死後も継続するのか。それとも身体の消滅と共に消え失せ、あとは遺された人の記憶や想念にすり替わるのか。前者ならばそれはどこに存在し、私たちがどうやって知るのか。そんなことを考えながらの帰り道だった。

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