それって差別発言?

今日はお寺で研修会。近隣の寺族さん(お寺の奥様方)が集まるというので、いつにも増して気合のこもった準備をした。私は前日の夕方にノコノコと参上したが、母は毎日のように草むしりや掃除でヘトヘトになっている。
大分からいらっしゃった布教師さんの法話を聞くのがメインだが、暑くもなく寒くもなく、天気も晴れていて快適な会になったと思う。新しい庫裡の和室も控え室としてうまく機能した。
休憩中、布教師さんに差別発言の注意点を伺う。全国を巡回している布教師さんたちが今一番気をつけているのがこの問題。無意識に言ったその一言で、聞く人を傷つけてしまってクレームがついたら(事情聴取はあるが)一発でクビなのである。
「箸は右手で、お椀は左手で」これはアウト。左利きの人に配慮していないという。正解は「箸は片方の手で、お椀はもう片方の手で」。「インドでは左手は不浄手といって衛生上の理由があるのではないですか?」「不浄手という考え自体がもうアウトです。」「合掌は両手の指をぴったりくっつけて」「お年寄りや指のない人などでそうできない人のことを考えている?」正解は「合掌はこのようにすることをお勧めしますが、できない方は心の中でそういうかたちにして下さい。」
そのほか経典などに出てくる文言にも気をつけなければならない。「眼横鼻直」は顔立ちがそうでない人に配慮していない。「上下」なども注意。『修証義』で説かれる三時業(今の行為の報いは、現世、来世、その次の来世に返ってくる)は、悪しき業論(現世の差別の原因を、前世に転嫁して現状肯定してしまう間違った説教)になる恐れが非常に高いので、「完璧に説明できない限り説かない」ということになっているそうだ。そんなことを言ったらさまざまな喩えが展開される『法華経』など、喩えの中には危ないのもあるので意味を分からないで読むしかない。
近年は単なるNGワードの列挙や言葉狩りというレベルを超えて、ひとつひとつの言葉の背景を深く考えるという研修を行っているそうだが、それでも聴衆が「何か差別発言をしないかな。言ったら即通報してやろう」と手ぐすね引いているような状況で法話をしなければいけないのはしんどい。そんな心境で法話の真髄である安心(あんじん)を説くことなどできるものか。そのうち布教師の資格を取るつもりだが、御詠歌の師範のほうが性に合っていると思った。

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