『ことわざで学ぶ仏教』

ことわざを通してお釈迦様、諸天や諸菩薩、高僧、地獄と極楽、先祖の教えと民俗を紹介する。前書きで筆者が書いている通り、仏教ことわざから仏教のもろもろを少しずつ学んでいくという構成で、庶民の視点から見た仏教概論となっているのは面白い。
知らないことわざがたくさんあって勉強になった。
「悟ろうと思うも迷い」仏道実践に励もうという思いの中に、すでに迷いと執着がひそんでいること。功徳を期待してはいけない。「信心過ぎて極楽を通り越す」とも。
「内閻魔の外恵比寿」外面ばかりよいのはよくない。
「後ろ弁天、前般若」後ろ姿はすばらしいが、前から見た顔は・・・。
「地獄の釜の蓋が開く」死ぬ人が増えるという話ではなく、獄卒が仕事を休み、餓鬼が帰ってくる待ち遠しいお休みということ。
「地獄極楽は心にあり」極楽や地獄は死後にいく世界ではない。心の持ち方、日々の暮らし方一つで、この世の中が変わる。
「阿弥陀の光も銭次第」金銭の大いなる威力をひやかした言い回し。
「乞食しても褄外れ」貧しくとも身だしなみ正しく、立ち居振る舞いがしっかりしている様子。
「衣ばかりで和尚はできぬ」うわべや見せかけだけでなく内実を伴わなければならないこと。耳に痛い。
「坊主の朝寝」「似合わぬ僧の腕立て」不似合いなことのたとえだが、皮肉かも。
「布施ない経には袈裟落とす」報酬が少ないと仕事に熱が入らないなどというのは、僧侶としてあってはならないこと。
「医者、坊主物識りで物識らず」学問があるばかりに常識に欠ける人が多い。
「隠居釣り鐘近本寺長大門に先住の弟子」住職にとってやっかいなもの。毎日のように訪ねてくるご隠居さん、朝晩つかなければならない釣り鐘、うるさい本寺、手入れが大変な参道、目の上の瘤になる先代の弟子。笑う。
「一富士二鷹三茄子四葬式五雪隠」四と五は知らなかった。

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