『どう生き どう死ぬか―現場から考える死生学』

東北大学で発足した臨床死生学の研究会「タナトロジー研究会」の成果をまとめた本。医者、ソーシャルワーカー、哲学者、社会学者、心理学者、民俗学者と多彩な執筆陣が、生と死の問題をさまざまな観点から掘り下げる。
あとがきで、この研究会の狙いが書かれている。そしてこの狙いは、本書を通読するとよく達成されているように思われた。
「医療者は死の現場を多く持つ。しかし死の宗教的、哲学的、社会学的な考察には到達できていない。かたや宗教学者、哲学者、社会学者などの文科系研究者は現場との接点を持たず、死の詳細な観察なしに文献的考察に終始している。お互いにそれぞれ必要なものを欠いている。ただ同時に、両者は補い合えるようにも思われた。」
生と死は別物ではなく、ずっと連続している。自宅でのホスピス・ケアを行ってきたのに臨終に立ち会えなかったソーシャルワーカーは言う。「なにも「死の瞬間」だけが看取りなのではなく、それまで一緒に過ごした長い時間、「生の過程」全体が看取りだと思うからである。」(第2章「看取りを支える、生を支える」)
しかし人は一般に、生にばかり執着して死を見ようとしない。これは延命治療と安楽死の両方にある問題である。「安楽死の推進者たちは、自分で気づいている以上に、無意味な医療テクノロジーを使いたがる人びとと共通点を持っている。両方とも、死を受け容れることができないのである。私たちのコントロールの及び得ない生の事実として、死を認めることができない。」(第5章「死すべきものとして生きる)
かつては日本にも、死ねば終わりと考える人もいた。儒学的無神論は、極楽にいけるからとか地獄に落ちるとかいう理由ではなく、善は善であるがゆえに行うべきであり、悪は悪であるがゆえに行ってはならないという。「幽霊がいるのなら裸体であるはずで、もし服を着ているのであれば、その服もまた幽霊でなければならないはずだ」(第8章「”あの世”はどこへ行ったか」)
吉田松陰は、人生を四季のようなひとつの円環と考えていた。これによって死の後に(後を継ぐ同志の)生がつながり、死は終わりではなくなる。「穀物が必ず一年間の四季を経るようなものとは違い、十歳で死ぬものは、十年のなかに四季があり、二十歳なら二十年の四季が、三十歳なら三十年の四季がある。五十歳、百歳は五十年、百年の四季がある。」(第9章「日本人の死生と自然」)
死が終わりでないためには、この世に何かを遺し、それを受け取る人が必要になる。イギリスではオックスフォード大学とNPO法人が共同で、患者の語りのデータベース「ディペックス」(www.dipex.org)があり、日本でも「闘病記ライブラリー」(toubyouki.info)が公開されている。ネットで公開され、見ず知らずの人に受け継がれていくのが興味深い。
ほかにも教育現場での死の教え方、事前指示書(死ぬ前の遺言状)の書き方、大切な人を亡くした悲嘆への対処法など、興味深いテーマがたくさんで読み応えがあった。日野原重明が帯に「”いのちと死の真の姿”を描いた感動的な本だと思う。」とコメントの寄せているが、感動的というよりも、知的な興味を満たす本である。

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