祖母の米寿祝

一昨日は祖母の米寿祝で、親戚がたくさん集まった。前泊、前々泊もあり、新しい家の広さを改めて実感。家のいろんな部屋に分散しておしゃべりしているというのは楽しい光景だ。
特にドイツに住んでいる叔母が家族みんなで来ているのが楽しい。ドイツ人の叔父さんとハーフの従兄弟とは、英語やらドイツ語やらで毎晩盛り上がっている。来月のエッセン行きにも弾みがつくというもの。
宴会の食事は、親戚の仕出し屋さんが用意した気合の入ったお膳。旅館で働いている料理長に頼んで、コラボで作ったものだという。鯛の塩焼き、鮎の塩焼き、飯豊牛の燻製ステーキ……子供たちもぱくぱく。ただ、食べ切れなくて余ることを予想して、お膳を1人分減らしていたのは正解だった。いくら美味しくても、胃袋には容量がある。
宴会が始まる前に、祖母が挨拶で11年前に亡くなった祖父が遺言として、自分は先に逝くが、お前は迎えがあるまで来るな、その間にいっぱい見聞してこいと言っていたことを披露した。確かに、この10年で家族が増え、家も新しくなって、祖父に伝えるべきことはたくさんあると思う。
日本人は割と、亡くなれば先に亡くなった人とあの世で会えるという信仰をもっているようだ。葬儀でも孫の手紙で「天国でおじいちゃんと会って、仲良く暮らしてください」というようなことを言う人が多い。私も夫婦の戒名の音を同じくして「あの世で会うときの目印に」などと言うこともある。
であれば、殺人犯の家族が犯人を死刑にしてほしいというのは、殺された家族と殺人犯をあの世で早く引き合わせることになってしまうので、そうならないよう、できるだけ長くこの世に留まれる無期懲役を希望するべきではないのかと思うが、それは別の話なのだろうか。 死ぬ苦しみを味わってもらうといっても、ほんのわずかの期間だ。そういう理由で死刑反対を唱えている人はいるのだろうか。
それはさておき、宴会が終わった後、今度はリビングルームに移ってケーキでティータイム。楽しい歓談は夕方遅くまで続いた。気の置けない人ばかりで、子供たちが多少騒いでも全く気疲れなし。
仕事柄、誰がいつ亡くなってもおかしくないこと、そのときのためにできる準備はしておいたほうがよいことは重々承知しているが、祖母には長生きしてもらいたいものである。本人もあと3年くらい、長男が小学校に入るまではと言っている。

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