? 『ブッダの優しい論理学―縁起で学ぶ上手なコミュニケーション法』 | main | 般若心経の私訳 ?

次女1歳

  • author: hourei
  • 2010/02/17 19:02

2月15日、お釈迦様の命日とされる日が次女の誕生日である。早朝の4時35分。前日の夜に呼び出されたときはワクワクしながら凍結した348号線を走ったのを思い出す。

誕生日の5日前から長女がカウントダウンカレンダーを作っていて、その最後の1ページが、家族6人が拍手している絵だ。当日のスケジュールも長女が希望して、カラオケに行くことになった。

前日はお寺の新年会で帰宅は午前様。お酒は飲まなかったが、タバコの煙を吸いすぎてぜんそくが悪化し、わき腹が痛くてろくに眠れない。「明けない夜はない」なんてウソだ。夜中に死んでしまったら明けないぞと、このごろよく思う。

その上当日は朝から写経教室で講演、午後から会議があり、夕方には車の運転もできないほど疲労困憊した。それなのにカラオケに行ったのは、子供たちを喜ばせたい一心だったからに違いない。

カラオケは長女の「ハッピーバースデー」でスタート。でもその後には「嘆きのボイン」(月亭可朝)、「うぐいすだにミュージックホール」(笑福亭鶴光)、「哀愁のジンマシン」(コント赤信号)などが続く……子供の前で歌う歌じゃないな(子供たちはシンケンジャーや仮面ライダーの歌を歌っていた)。歌い終わって燃え尽き、妻に運転してもらって帰る。

帰宅途中に母が予約していたホールケーキを購入。部屋を暗くしてロウソクを消したはいいが、次女はもちろん食べられないし、長女はスポンジケーキが嫌いで、長男は少食。ホールケーキはもう一生分食べた(「もう一生分○○した」はこの頃よく使う台詞)。

妻のアドバイスで風呂に長く浸かり、わき腹に湿布を貼って寝た。ぐっすり眠れたのは言うまでもない。

妻と次女は今日から1週間、埼玉の実家と九州方面にお出かけ。母と妹がいない長女と長男は、まだ父を「ママ」と呼んでしまう。

この記事へのトラックバック

この記事のトラックバックURL :

この記事へのコメント

この記事にコメントする

(いままで、ここでコメントしたことがないときは、コメントを表示する前にこのブログのオーナーの承認が必要になることがあります。承認されるまではコメントは表示されません。そのときはしばらく待ってください。)