『入門 哲学としての仏教』

存在・言語・心・自然・絶対者・関係・時間という7つのテーマについて、仏教哲学の考え方を提示し、近代合理主義やポストモダニズムなどの西洋主導の哲学に対して新しい見地を見出そうとする書。
説一切有、唯識、禅、如来蔵、華厳、多仏、縁起、中観などの仏教哲学の粋を集め、その現代思想的な意義を模索する。
例えば五感の世界には物はなく事しかないのに、言葉が適用され、それが潜在意識に蓄積されて、世界を構造化するという唯識思想をもとに、言語で固定化された世界を解体する。これがいわゆる「不立文字」「教外別伝」であり、その上で坐禅や禅問答によって、高次元な問答や詩的言語に移行し、真実を語ろうとする。そう考えれば、禅と密教は遠いものではない。
また善意でさえも自我への執着から生まれているのに、善を実行し続けるのは、自覚的な選択によって、我執にとらわれた自我を変えていく。これが修行である。
天台における「草木国土、悉皆成仏」の論理は面白かった。釈尊と我々が住むこの世界は別物ではないから、釈尊が成仏した以上、この世界も成仏したといわなければならない(「依正不二」)。そこから自己の身心と自然の同一を見る。ほかの理由は本覚思想が色濃いが、釈尊によって成仏させられた世界に私たちが生きているという世界観は示唆に富んでいる。
道元の而今という時間論も分かりやすい。永遠の今以外に時間はなく、そこに立てば、老いることも死ぬことさえもない。生きている限りは、死なないし、死んだらもう死なないからである。やや詭弁がかった言い回しにも聞こえるが、坐禅の中で体得される覚悟というものだろう。
入門と題しながら難解な専門用語ばかりなのと、仔細な比較なしに、西洋哲学と比べてやたら「モダンではないか」というのは鼻につくが、その西洋哲学者を紹介していて知識が増えた。哲学だけで現代社会にはたらきかけるのは難しいだろうが、少なくとも仏教が現代を分析するひとつの道具になりうることを、本書は確かに示している。

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