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今日の勉強
- author: hourei
- 2010/03/03 19:29
勉強することが珍しくなくなるまで、しばらくこのタイトルで。
ムンバイ版との照合作業は7/60。夕方から始めたのであまり進まず。
8日に送る日本印度学仏教学会発表の発表要旨をささっと作成。ゲーム的にものを見る癖がついているなと実感した。まあ、古代・中世インドのディベートにもルールがあるわけで。
今日はあと『ボードゲーム・ジャンクション』の書評と『哲学としての仏教』のレビューを書いたり、ドイツ人の原稿を翻訳したりと、ずっとPCの前。
明日は午後から上京して夕方の講演会に出る。『今回の講演会では、日本ではなじみの薄い非パーニニ系の文法学諸派の特徴と、パーニニ系及び非パーニニ系諸派における「文法学の目的」に関する哲学的議論についてお話いただく予定です。』という案内だったが、どこまでマイナーな話になるか楽しみである。
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学会発表要旨
六主張論議(SaTkoTika/SaTpakSin)は、仏教徒とニヤーヤ学派が取り上げる議論の形式で、『廻諍論』、『方便心論』、『ニヤーヤスートラ』(2〜3世紀)に収められている。立論者と反論者が、対立する主張と反論を交互に3回ずつ提示するもので、『ニヤーヤスートラ』では両者ともに敗北し、『廻諍論』と『方便心論』は反論者の勝利と判定している。
ニヤーヤ学派で両者ともに敗北と判定されるのは、他説追認(matAnujJA)と繰り返し(punarukta)という2つの敗北の場合に該当するからだが、ウダヤナ(1050-1100A.D.)は著書『ニヤーヤ・パリシシュタ』において新たに詳細な解説を加えた。その中で、三主張論議・四主張論議・五主張論議もありうることを述べ、数が増減する理由を、立論者と反論者のほかに、討論の主審と、通常は発言権のない会衆の出番に求めた。敗北の場合に該当することを指摘するべき人が指摘しなかった場合、論議は延長され、次に指摘するべき人の出番になる。
さらに、勝敗ではなく真実を追究する議論では、主審がいなくなり、立論者が自ら訂正する場合が想定される。勝敗を競う議論で自論を訂正したら、その時点で別の主張(pratijJAntara)という敗北になってしまう。
このように、古い伝承を、実際の議論の場面に当てはめて解釈しなおしたウダヤナの独創性を提示するとともに、当時の議論のあり方を討論会の次第や役職と合わせて見直す。
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