御詠歌の研修会

昨日から今日にかけて、天童温泉にて福島・宮城・山形の三県合同梅花流講習会が開かれ、参加してきた。今回は講師が6人もおり、きめ細やかな指導にたいへん満足した。
最初の全体講習は、梅花流の手本となった密厳流による法具の説明。禅宗には密教的な要素が多分にあるが、陀羅尼にしろ印相にしろ解説されることはまずない。密教だからわざと解説しないのか、それとも解説できるだけの知識を持ち合わせていないのか分からないが、基本的なところは押さえておきたい。
袱紗や鉦敷で梅花紋の周囲に書かれた華は「宝相華」だそうである。ササン朝ペルシア伝来の花文様を基礎に、中国の唐代に神仙の世界や仏教の極楽浄土などの空想の楽園に咲く花という概念により、さまざまな花の美しい部分を組合せて、作り出された空想の花だという(ソース)。「空華(khapuSpa)」は、インドの哲学文献において「実在しないけれども、言葉で言い表されるもの」の例としてよく出てくる。関係あるのかな。
ほかにも釈迦紋の「バク」の意味とか、御詠歌のもとは声明であり、声明のもとは仏典の韻文(シュローカ)にあるとか、三宝御和讃のもとになった曲には実は四番があったとか。
 教えのもとはいづくぞと
 仏の道をたずぬるに
 いつも変わらぬものはただ
 まことひとつの心なり
終わって班別講習。私のクラスは、受講者が3人だけだったので、1時間の講習だと1人20分も取ってもらえる。先日密厳流のCDを聞いて、お経のような力強い発声に惹かれ試してみたところ、やはり強弱をもっと付けるようにと指導された。
密厳流だけでなく、梅花流も当初はお経のような発声だったのである。そのことはカセットやレコード時代の録音を聞くとよく分かる。そして個性的だった。上向き音でもアタリを入れたり、1拍のツヤで5回当たったりする。声質もシャープで誰が唱えているか、一発で分かる。
それが50年以上経って、いつの間にか梅花流は画一的で柔らかいお唱えになっている。西洋音楽の発声法や楽理を取り入れたからだろうと先生は仰ったが、指導が行き渡っているということでもあろう。特派の巡回先で、梅花流が西洋音楽になってしまったことを残念がる方もいらっしゃったという。
西洋音楽風の御詠歌は確かに聴き心地がよい。でも門風というものを時々見直してみるのは大事なことだと思う。今回は、一緒に受講した年配の和尚さんのお唱えがまさに門風を感じさせる素晴らしいものだった。
宴会の日本舞踊もうまくいって、二次会はカラオケボックスで『ラーメン大好き小池さんの歌』などを絶唱。久々に発散した感じがする。今日も午前中は講習があり、お昼には河北町の一寸亭というお店で肉そばを食べて帰ってきた。
次回となる再来年は、私の管内が当番となる。人手不足の中、やりおおせることはできるだろうか心配だったが、今回参加して大事なのはスタッフの人数ではなく、志気だということに気づかされた。

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