お布施の金額

昨年、市内の仏教会で各葬儀社に、葬儀の伴僧の人数やお布施の金額については不用意に助言せず、聞かれたら各寺院に問い合わせるように促すというお願いをした。お布施の金額は、寺院によって、家によって、人によって異なり、一律ではないからという理由である。
一口に寺院といっても、檀家数はさまざまである。一般に住職の生活が成り立つには300〜400軒の檀家さんが必要だと言われており、それより少なければ檀家さんの負担はどうしても大きくなるし、それより多ければ少なくて済む。また、護持会費(寺費、檀家さんの年会費)を多めにして経常費を捻出し、その分お布施を下げる寺院もあれば、逆に護持会費を下げてお布施の中から経常費を出す寺院もある。
次に家であるが、近年では平等になってきたとはいえ、何百年来の付き合いなので、家によってお布施の金額が異なることが多い。一般に総代と呼ばれる家、院号を受けたことのある家ほど、信仰の厚さをお布施の金額に反映することが多い。寺院として、家柄で差別するようなことは決してあってはならないが、先祖代々受け継がれてきた思いも受け止める必要がある。
しかし、いくら先祖代々信仰が厚くても経済状態が悪くて出せないこともあるし、お寺の怠慢で信仰を失わせてしまうことだってないとはいえない。反対に家に関係なく個人として帰依の心を深める信者さんもいる。
さらにその土地柄というのも実際ある。東北地方は全体的に高いとか、都市部にいくほどいわゆる相場は上がりやすいということがあるようだ。
そういうわけでお布施の金額は千差万別なので、寺院やその家の先祖のことをよく知らない葬儀社が助言できる話ではないのである。
このようなお願いをしておいて後から気づいたことだが、お布施の金額を寺院が答えなければいけないのは、なかなかきついことである。
というのもまずお布施は喜捨であって、料金でもサービスへの対価でもない。つまり寺院から請求するものではないのである。近年、国会で宗教法人など公益法人への課税が取り沙汰されているが、それはお布施が料金や対価のようになってしまっている現状を鑑みてのことだろう。
金額を寺院からはっきり申し上げるのは、親切からなのかもしれないが、料金と受け止められる可能性は高い。それでは見返りを求める気持ちが起こり、折角の功徳を失うことになってしまう。寺院がお経を読むとき、お布施をもらえるからなどという気持ちで読んでいては功徳がないのと同様である。お布施を頂くかどうかに関係なく、檀家さんのためにお経を読むし、檀家さんはお経を読んでもらえるかどうかに関係なくお布施をするというのが望ましい。
憎まれようがお構いなく、お布施を要求して否応なく功徳を積ませるのが住職の務めだという考えもあるだろうが、お医者さんだって教師だって威張っていられない今の世相からみて、納得できないことをやらせるのは難しい。
というわけで私は依然として金額提示を行っていない。でも葬儀社にお願いしておいて自分は知らんぷりというわけにもいかないので、葬儀の場合は寺の役員さんに聞くようにお願いし、法事・祈祷・供養の場合はここ10年に実際いただいている金額のデータを教えるという方法をとっている。
寺の役員さんにお伝えしている金額は、私が近隣の寺院から伺って調べた地域の相場である。しかし、その金額はあくまでも目安であって、変動してもかまわないことを必ず付け加えてもらう。役員さんは親切に「なんぼ多くてもかまわないから」と言って下さっているそうだ。住職に直接言われるよりも、寺の役員さんから聞いたほうが、その金額を守らなくてはいけないプレッシャーが少なく、料金であると取られる可能性も減り、また住職の独断や私利私欲からではなくお寺全体で情報共有されていることを分かってもらえる。データで提示するのも同じ効果がある。
別に住職を信用していないというわけではなくても、お布施の金額に客観性と情報公開度が担保されると、檀家さんは安心するようだ。
もちろん、結果的に誰からいくら頂いたかは公開しないし、金額にもこだわらない。あるお寺さんは、金額を帳簿につけるのは奥さんに任せて、自分はわざと知らないようにしているという。知ってしまえば、金額によって檀家さんを差別する気持ちが抑えきれないからだという。
それでは冒頭に書いた寺院・家・人によって異なるというのはどうかというと、うちのお寺の場合、お布施が変わりうるのは最後の人による部分だけで、あとはあえて考慮しないことにしている。隣のお寺と異なり過ぎるのは問題だし(どこのお寺のお布施が高いという話は、田舎なので親戚づてにすぐ伝わる)、家や戒名によってお布施は変えないというのが私の方針だからである(護持会費は家によってまだ差が残っているが、徐々に縮めたいと考えている)。戒名料も、それに相当するお布施も頂かない。
なので、当主は寺の役員さんから目安を聞いた上で、現在の経済状況と、お寺や住職への自身の信仰度を加味して最終的な金額を自由に決めることになる。最終的な決定に関して、こちらからは何も言わない(言ってしまうと、目安を下回ったときにケチだとか信仰が足りないとかいう話になってしまう)。
お葬式に行って戒名が院号だと「さぞたくさんお布施をされたんだろうな」と思う方もいるかもしれないが、その推理は必ずしも正しくない。戒名によってお布施が変わるという仕組みにしていないし、そもそも金額を提示せず後払いであれば多いか少ないかも分からないからである。

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