『その言い方が人を怒らせる―ことばの危機管理術』

巧言令色少なし仁とはいうものの、表現なしに言いたいことは伝えられないし、ちょっとした表現に相手に知られたくない本音が出てしまうこともある。どういう言い方がディスコミュニケーションを生むのか、言語学的・語用論的な側面から分析した著。
日本人・日本語には、長ければ長いほど丁寧、文を閉じたくない、言葉よりも心が大事、聞き手の気持ちを汲み取る、状態・動作に釣り合う資格・身分であるかどうかに敏感、これから話すことを端的に表す談話標識の発達、上から目線に思われないように工夫した表現を選ぶ、情報を間接的に手に入れたことの明示などの特徴がある。これらを意識して、かつそれが過度にならないように注意しなければならない。
「お疲れさま」は目上の人に使ってもよいが、「ご苦労さま」は使ってはいけないのはなぜか。日本語では、他人の気持ちを勝手に断定してはいけないからであるという。疲労は物理的・肉体的なものなのでよいが、苦労は主観的な判断なので、勝手に断定するのは越権行為になる。だから「コーヒーが飲みたいですか」と気持ちを聞くのではなく「コーヒーでもお飲みになりませんか」と意向を聞く。この原則は、目上の人とのコミュニケーションで知っておいて損はない。
「私ってハーブ大好き人間じゃないですか。」というのが不愉快に感じるのは、こちらが知るはずもない情報なので否定も肯定もできないところに、肯定することを強要されるからだと分析する。人間には、自分を尊重してほしいという「おもての願望」と、逆に干渉されたくないという「うらの願望」がある。要求に対して断る自由を与えるなど、うらの願望を満たすものが配慮ある丁寧な表現と言うことになる。私は「うらの願望」のほうが強めだが、世の中全てがそうではない。この2つの相反する願望もバランスを取るようにしたい。
ときには世間の常識とずれていること、空気とずれていることを言わなければいけないことがある。そのときのポイントとして著者が挙げるのは、はっきりロジック(精密な推論)を示して妥当性を理解してもらうこと、空気を読んでいることのアピール(受け入れにくいことは分かっていますよ)、時間がかかることをあらかじめ理解しておくこと(急かさず環境を整える)の3つである。つい思い付きで言ってしまいがちだが、それなりに受け入れてもらうには周到な用意が必要なのだ。
帯に書かれている直したい用例は次の通り。本書を読むと、なぜ直したいのかが説明できるようになる。
この件につきましては、誠に申し訳ありませんでした。(意図せぬ限定)
おかげ様で志望校に合格しました。(自信過剰)
そういう場合は事前に連絡をするものです。(常識の押し付け)
この仕事、君にでもやってもらおうと思っているんだけど。(悪い例え)
「このホッチキス借りてもいいですか」「まあ、いいよ」(悪い断言回避)
割と当たり前のことをわざわざ難しい言葉で理論化していると思しき箇所もあるが、これも言語学者が正確を期した書き方か。察する文化に慣れきってしまうと言いたいことも言えなくなりがちだが、言うべきときにこういった性向を押さえた上で言えば、摩擦は最小限になるし、目上の人とも、気後れせずに話ができそうだと、自信が付けられた。

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