『ブッダはなぜ女嫌いになったのか』

まずブッダは女嫌いだったのかというところから。
尼僧の入門にあたって8つの条件(八敬法)をつけたとされる。
1.出家後百年経ていようと、比丘には誰であれ礼拝しなければならない。
2.比丘を罵ったり謗ったりしてはならない。
3.比丘の罪・過失をみても、それを指摘したり告発したりしてはならない。
4.式叉摩那として二年間過ごせば、具足戒を受けても良い。
5.僧残罪を犯した場合、比丘比丘尼の両僧伽で懺悔しなければならない。
6.半月毎に比丘のもとにて、教誡を受けなければならない。
7.比丘のいない場所で、安居してはならない。
8.安居が終われば、比丘のもとで自恣を行わなければならない。
真言宗泉涌寺派大本山法楽寺:仏教徒とはなにか(比丘尼)
さらに許可したのちも、アーナンダに「これで仏法は五百年しか持たないだろう」「女性が多く男子の少ない家は盗人や強盗に荒らされやすいように、女性が出家したなら、その法と律での清浄行が永く続くことはないだろう」「稲田や甘蔗の田に疫病が起こるとその田が永く続かないように、女性の加わっている教団は永く続かない」「ひとが大きな湖水に堤防を築いて水の氾濫を防ぐように、私は尼僧のためにあらかじめ八種の重法を設けて終生犯すべからずとしたのである」などと発言している。
どうやら本当のようだ。その上で、どうしてブッダがここまで女嫌いになったのかを、仏陀を産んで7日目に亡くなった母マーヤー、その妹で養母となったマハーパジャーパティー、そして第一王妃のヤショーダラーを軸に考察するのがこの本である。初期仏典を丁寧に読み込み、繊細な読み方でその秘密に迫る。筆者は「強引な推測・憶測を交えながら」と書いているが、論の展開が丁寧なので読んでいて腑に落ちる。
ポイントは、養母マハーパジャーパティーである。末の妹だったこと、弟王子ナンダを産むまで15年以上かかっていることから、マハージパジャーパティーは童女として正妃に迎えられ、シッダールタとは5,6歳しか違わなかったのではないかと推定する。物心つく前に母をなくしたシッダールタは、幻の母をマハーパジャーパティーに映す。やがて成長した2人は相思相愛の仲になっても、それは許されざる恋である。
ダンマパダの「愛するものから憂いが生じ、愛するものから恐れが生ずる」という言葉も、マハーパジャーパティーへの愛がもとになっているのではないかと筆者。シッダールタが出家すると、マハーパジャーパティーは身を大地になげうち、傷だらけに壊れ、狂ったように号泣、悲嘆したという。そして夫であるスッドーダナ王がなくなると、ただちに出家を申し出、断られても裸足で追いかける。このときのブッダの気持ち、マハーパジャーパティーの気持ちを推察するに余りある。
一方、悪妻として徹底的に描かれるヤショーダラーはシッダールタの従兄弟で、教団をのっとろうとしたデーヴァダッタの姉とされる。ほかにも妃はいたらしい。シッダールタがマハーパジャーパティーを慕っていたため夫婦仲は悪く、浮気して息子を産んだのではないかと、筆者は推測している。ラーフラ(束縛)と名づけ、その後すぐに出家したのはシッダールタにとっては実子でなかったこととも関係しているだろう。出家を知った妻の逆上ぶり、後からブッダとなって帰ってきたときに遺産を迫る強欲ぶりが醜く描かれている。
シッダールタは出家ではなく家出や出奔であると言うべきだというのも、このような状況ならむべなるかなである。仏教徒としてはシッダールタはこれほど凡夫だったのかと思うと落胆するが、煩悩は菩提への出発点であり、だからこそシッダールタは世を救うブッダになったのであろう。
神格化された伝承が多い中で、あえて人間味溢れる人間模様を描き出したことで、仏教の始まりの始まりに親近感をもたせてくれた。

1件のコメント

  1. 宗教といえど、男の作った物の根底には必ず差別が潜んでいる。
    仏教然り。
    「妻の在る身で養母を慕っていた為に夫婦仲が悪い」
    これで「妻が悪い」「女が悪いのだ!」と言う。
    世界の宗教でも、男が気を散らすから女の入信を制限する、
    若しくは女のみ隔離した場所で礼拝させる宗教がありますが、
    それは気を散らす男の方が馬鹿なのであって
    どう考えても女性の咎ではないでしょう。
    男が、我が身のやましさや醜さを女性に擦り付けている。
    自分にはそうとしか思えませんが。

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