詠讃するということ

曹洞宗で梅花流詠讃歌が始まって来年で60年、その教学的な位置づけは今なお曖昧なところがある。御詠歌嫌いを公言して憚らない和尚さんや、おばあちゃん方のお茶飲みの口実ぐらいだと思っている檀家さんもいる(あながち間違っていないが)。ずっと前になるが、大学の先輩から「歌舞観聴」に当たるのではないかと指摘され、口をつぐんでしまったのはずっと記憶に残っている。
そんなところに先月、港区の宗務庁で行われた梅花流指導者講習会で、佐藤俊晃師(秋田県龍泉寺)の「詠讃するということ」という講義録を頂戴した。特派師範協議会で講義されたものを、伝道部詠道課で印刷製本したものということ。これが非常に腑に落ちたのでここに要約しておきたい。
講義録といっても、学術論文といってもいいくらい綿密な研究である。第一章で道元禅師の和歌の成立経緯とそこに込められた仏教的な意味を探り、第二章で「転読」のもともとの意味を手がかりに声明と御詠歌を結びつける。そして第三章では『傘松道詠』の序文から、詠讃が伝統的に推奨されることを論証している。
川端康成が言及したことで有名になった道元禅師の和歌「春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえて 冷しかりけり」は、父親である源通親の「春は花 夏はうつせみ 秋は露 あはれはかなき 冬の雪かな」を元にしていると考えられる。しかし川端がいうように四季の美や日本の真髄を伝えたものではなく、花は「一華開五葉」や「拈華微笑」(『正法眼蔵』梅花)、ほととぎすは天童如浄の「杜鵑啼く、山竹裂く」(『正法眼蔵』諸法実相)、月は「心なる一切法」(『正法眼蔵』都機)、そして雪は「慧可断臂」の雪(『正法眼蔵』行持)と、全て仏法に対する厳しい志を詠んだものと解する。道元禅師の和歌は、深遠な仏法を僅かな言葉でまとめた経典(スートラ)なのである。
中国では、お経の読み方に略読、速読、真読、転読があったらしい。転読は今では、大般若会で御経本をパラパラめくりながら読む方法だが、面山瑞方禅師によれば、もともとは中国で一句一句節を付けて(声を転じて)ゆっくり読むこと(声明)だったという。インドで、韻文のお経を「歌詠讃歎」していることは中国でも知られていた。中国にも、そのような「梵唄」の名人がいたことが伝えられている。ひとたび一節を唱え始めると、行き交う象や馬まども立ち止まったという。この系譜に、経典である道元禅師の和歌の詠讃が加えられても不自然ではない。
そして道元禅師の和歌54首は、没後200年以上経ってから『建撕記』にまとめられた。ここから和歌だけを抽出した『傘松道詠』序文(1750)で、面山瑞方禅師は「もし人ありてわずかに一首のを唄詠し以て道味を諳ずれば、すなわち八萬法蔵の起尽、またあに此の外ならんや」と寄せている。この「唄詠」(写本から異読の可能性も言及しているのは非常に信頼できる)こそ、詠讃を推奨するものであると結ぶ。
御詠歌は声明であり、声明は偈文であるということは前から伺っていたが、それが中国・日本の出典をもって跡づけられたのはたいへん喜ばしい。釈尊の教えを心を込めて唱え奉り、多くの人に伝え、そして後の世に伝えていきたいという思いを強くした。

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