祖母の逝去(1)

5月22日、祖母が92歳で亡くなった。まだ実感がわかないところもあるが、葬儀が終わったので顛末を記す。

風邪をこじらせての肺炎で、亡くなったのは救急車で入院して5日目だった。4日目に子供たちと見舞いに行ったときは酸素マスクをして息苦しそうにしていたが、呼べば応えるくらいの意識はあった。お腹のあたりに手を当てて、痛いかと聞くと頷くので、看護師さんを呼んで痛み止めの点滴をしてもらう。そのとき声を絞り出すようにいったのが「お尻の、穴」。祖母には申し訳ないが、子供たちはその言葉に大笑い。私は「汝等悲悩を抱くことなかれ」というお釈迦様の最後の言葉を思い出した。

翌朝に電話が来て、意識がなく、呼吸も途切れ始めているという。病院についたときは眉をしかめて苦しそうに息をしていたが、親戚が集まって見守っているとやがて安らかな息となり、その息が途切れ途切れになっていって、しまいに息を引き取った。心臓からの電気信号がなくなったところでお医者さんがきて死亡宣告。母が大きな声で名前を呼ぶと、じわりと涙がにじんだ。

しかしその後の手際の良さは仕事柄か、我ながら驚いた。清拭の間、以前に見積もりをとっておいた葬儀社に連絡し、遺体の搬送をお願いする。近隣のご寺院さんにお知らせし、導師をどなたに頼むか相談(住職だが喪主でもあるので導師をすることはできない)。隣組長と総代長に連絡し、お手伝いの打ち合わせを依頼。その間に母はつくばにいる妻と、スイスにいる叔母、親戚縁者に電話をかけ、一足先に帰ってお迎えの準備をした。

清拭が終わった遺体は、お医者さんに見送られ、病院の裏口から出された。家に帰ると、祖母は和室に寝かされた。病院でもエンゼルメイクをしてもらっていたが、母が念入りに化粧をした。そのうちに話を聞きつけた方々が次々とお悔やみにいらっしゃる。

葬儀社の方と本堂を片付けていると、和室から号泣する声が聞こえてきた。長女が学校から帰ってきたのである。ゆうに20分ほど泣き続けていただろうか。そのわきで長男は淡々と宿題をしていた。夕方には妻と次女が帰宅し、家族全員が揃う。夜遅くまで絶えない弔問客に、祖母の顔の広さを思い知った。

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