生より死にうつると心うるは、これあやまり也

枕経でときどき『正法眼蔵』から「生死(しょうじ)」を読んでいる。枕経では一般的に『遺教経』が読まれるが、これを道元禅師が解説した『正法眼蔵』の「八大人覚」のほうが聴いていて分かりやすいと聞き、読み始めた。その本には「道心」と「生死」も収録されており、亡くなった方の年齢などに応じて読み分けている。

「生死」には、次のような一節が現れ、頭を悩ませる(現代語訳)。

生から死にうつると心得るのは、誤りである。生は一時の位であって、すでに前があり、後がある。こういうわけであるから、仏法の中では、生はとりもなおさず不生と言う。滅も一時の位であって、また前があり、後がある。これによって、滅はとりもなおさず不滅と言う。生と言う時には、生よりほかにものがなく、滅と言う時には、滅のほかにものがない。こういうわけで、生が来ればただこれ生、滅が来れば滅に向って仕えなさい。(滅を)厭がってはならない、(生を)願ってはならない。(『道元禅師全集7』)

常識的には、私たちはこの世を何十年か生きて、それから死ぬ。しかし、このような考え方は誤りであると、道元禅師は仰るのである。生きているときは生しかなく、死ぬときには死しかないから、今を一生懸命生きるべきであると。

しかし一生懸命生きた後で、悔いを残さず死ぬということであれば、「生から死にうつる」という考え方になるのではないか。生と死の間には絶対的な断絶があるということだろうか、生も死も空であり、真実は言葉にできないということだろうか、あるいは全ては刹那滅で、真実は映画の1コマ1コマのようにばらばらであるということだろうか。

中村宗一師は次のように翻訳する。「生を授かる」「お迎えがくる」という言葉通り、生死は外来のものであり、「自己の意志ではどうしても左右し得ない」。しかし今の状態になりきることで、生きる死ぬを超越することができる。

生が死に移ると考えることは誤りである。生と死との間の時の隔りはあるが、生には生になりきっている時の状態、死は死になりきっている時の状態なのである。だから仏法では「生は即ち不生」……生を超越した生というのである。また滅(死)も滅になりきっている一時の状態なのである。故に生が来れば生になりきり、死が来れば死になりきることである。だから仏法では滅を不滅というのである。滅を超越した滅というのである。
生という時には生の外に何もない、滅という時には滅の外に何もない。この道理から、生が来ればただ生に向かい、滅が来れば滅に向かうばかりである。生死は自己の意志ではどうしても左右し得ない。また願ってもどうにもならぬことである。(『全訳正法眼蔵4』)

『正法眼蔵啓廸』には、次のように解説されている(現代仮名遣いに改めた)。ここでも生死は「我事にはあずからぬ」外来のものであることが説かれる。またミクロに見れば、私たちには絶えず生と死が入り乱れており(「一時一時の位」)、それについてはどうすることもできないから、心配してもしょうがない。生死とは別の次元の、複雑な原因と結果(「因縁所生法」)によって自分が成り立っていると捉える。

生が死に移るではない。生は生の位じゃ、死は死の位じゃ、一方一位じゃ、ところが生れるという方だけは、みんな済んでいるから何とも思わぬが、死ぬるというもその通り、決して我事にはあずからぬ、生也全機で現在は生の一時の位なるごとく、死もまた一時の位じゃ、もし生死を心配するようなら一息一息をも心配せにゃならぬ、ところが頭が赤くヤカンになったといって葬式をしたこともない、歯が欠けたといって親類を寄せたということもない、それ見よ本去来はない、ただ因縁所生法で、年をとるから頭が赤くなる、一時一時の位で、一時一時の法じゃ、生が死になるわけではない、故に「ひとときの位」という。(『正法眼蔵啓廸下』)

両方の解説を併せると、まず生きる死ぬは現象であってコントロールできず(自死や延命治療も、命を100%コントロールできるものではない)、それについて心配しても仕方がない。そして生と死は自己にランダムに幾度となく起こるので、「生の連続→死」という常識的な図式が成り立たない(そもそも生が連続していない)。一時一時に生や死が起こるあり方を見極めれば、「今生きている」とか「そのうち死ぬ」とかいうことは意味がなくなり、不生不滅である真実の自己(そのときには「自己」も無意味となるが)に目覚めることができる。それに気付いたら、世間的な意味での「死」を迎える段になっても、日常の延長線上で受け入れることができるだろう。

生と死の定義の問題ともいえるが、生も死も起こりうる今の一瞬が、私たちの生きている世界である。過去や未来にとらわれず、現在にベストを尽くすことが、道元禅師の示される「生きる」ということになるのだろう。参究していきたい。

「昨日?そんな昔の事は忘れた。明日?そんな先の事は分らない」(『カサブランカ』)

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