『破戒と男色の仏教史』

  • author: hourei
  • 2008/11/26 12:24

僧侶が結婚するのは日本では当たり前のようになっているが、世界的に見れば日本と韓国のごく一部にすぎない。そんな日本で仏教ブームといっても、教義的なものが主流で戒律が省みられることは少なかった。しかし持戒は釈尊以来の仏教の伝統。本書は、インドから近現代日本に至るまで通史的に戒律の歴史を追う。新書とは思えぬ内容が詰まっている。

鎌倉時代のある僧侶の誓文から、当時、僧侶の間で男色が一般的であったことが分かる。その僧侶は、36歳にして過去に95人の男性と交わったことを告白し、100人で止めることや浮気をしないことなどを誓っている。相手は童子や稚児と呼ばれる垂れ髪の男性で、貴族出身で10歳から寺に入り、給仕など僧侶の身の回りの世話をする者たちである(牛若丸のようなイメージ)。絵巻にもそのような姿の童子が、僧侶と同衾している図が残っている。「男色をしなければ、欲望が溜まって悟りを開くことができない」などと正当化されることもあった。

日本仏教史ではあまり触れられないが、鎌倉時代に起こった叡尊による戒律復興運動(新義律宗)や親鸞による無戒宣言は、こうした男色の広まりを背景にして起こったものだと筆者は見る。確かに10代から坊主にカマを掘られたり、掘るのを見聞していればこのままでいいのか?と思わないほうが不思議だ。

この流れで、中国から招聘された鑑真による東大寺・筑前観世音寺・下野薬師寺の国立戒壇、それを否定して最澄が作った延暦寺の大乗戒壇、さらに叡尊らによる自誓受戒(仏・菩薩から直接受戒する方式)、それに刺激を受けた延暦寺の興円・恵鎮、戦国時代末の西大寺系の明忍、江戸末期に道徳と持戒を説いた慈雲といった戒律復興運動が説明されている。復興しても復興してもすぐに廃れてしまうのは、戒律を守る難しさを物語るものであろう。

筆者はあとがきで、現代の日本仏教にも戒律復興が必要ではないかと述べている。「さまざまな欲望を断って(断とうとして)、利他行に邁進する僧の生きざまは、新たな生きるモデルを生むのではないでしょうか。」「己を捨て、私財や時間すべてをなげうって活動できるのは、独り身のしがらみがない方々ではないでしょうか。」

本当のことである。結婚している僧侶はみな離婚し、これからは僧侶たる以上結婚してはいけない、とまでするのはもうほとんど不可能だろうが、少なくとも「日本の僧侶は牧師だ」とか「大乗仏教が最もソフィスティケートされた姿」などと下手な正当化をせず、破戒していることにただ恥じ入るべきだろう。飲酒や蓄財も同じ。そうでなければ、戒名など与える資格はない。

『仏教の正しい先祖供養―功徳はなぜ廻向できるの?』

  • author: hourei
  • 2008/11/22 15:17

仏教は葬儀や法事に関わらないで、生きている人の救済に努めるべきであるという主張がある。先祖供養は中国以来の伝統で儒教によるものであり、インドで生まれたものではないとも言われる。しかしこの本では、インド初期仏教の経典で説かれる先祖供養の意義を明らかにし、そうした主張にアンチテーゼを唱える。

『盂蘭盆経』は偽経(中国撰述)であることが知られているが、その元になるお経がインドにあった。『撰集百縁経(avadaanashataka)』と、『餓鬼事(petavattu)』である。前者では目連が通りがかりに500人の餓鬼と会い、後者では舎利弗が4つ前世での母だったという餓鬼と会う。そして救うための供養は、王舎城の縁者やビンビサーラ王によって行われている。『盂蘭盆経』では目連が母のために自ら供養するという話が、出家者として辻褄が合わなかったが、これなら納得がいく。中国撰述とはいえ、全く根拠のないものではなかったのである。

さらに驚くべきことに、釈尊は先祖が餓鬼道に落ちたときのみ、供養が有効であることを述べている。『増支部』ジャーヌッソーニ章で、天人・人間・畜生・地獄にはそれぞれの食べ物があり、布施の功徳はためにならない、餓鬼も餓鬼の食べ物があるが、友人知人・親族縁者が人間界から「かれらのために」と布施することによっても生き長らえるので、布施の功徳が役に立つと説かれる。

著者はこれを解説して、地獄では人間界とのコンタクトが取れないので、回向に気づいてもらえないとする。回向とは、功徳のやり取りをするのではなくて、善行為に対して心(喜び)が共鳴することだと考えるためである。この功徳回向=心の共鳴という観点から、お盆・お彼岸・葬儀・法事などでの先祖供養も釈尊の教えに適うものであるとしている。

心の共鳴については論証が十分とは言えず、著者の独断だけでなくもっと幅広い観点からの検証が必要だが、釈尊が先祖供養を餓鬼道に限定していたという指摘は特筆すべきである。近年、曹洞宗では施餓鬼を施食と言い換える運動があるが、餓鬼以外に施すことができないのであれば、施餓鬼は施餓鬼でしかないことになる(それを承知の上で、施食と呼んでもよいのかもしれないが)。

もっとも釈尊の教説も、取りようによっては先祖が苦しんでいると脅して布施を強要していると見られなくもない。誤解のないように伝えるのは難しい面もあるが、法事やお盆の意義を再考する貴重な機会となった。

『納棺夫日記』

  • author: hourei
  • 2008/11/22 12:32

映画『おくりびと』の元になったという本。富山県入善で、経営していた飲食店がつぶれ、夫婦喧嘩で妻が投げつけた新聞の求人欄から、葬儀社に勤めることになる。やがて納棺夫と呼ばれるようになり、死者と向き合う日々を綴る。

映画の元にどういう事実があったのかを知るのがまず面白い。映画で仕事を知った妻から「汚らわしい!」と言われたり、友人から「まともな職につけ」と言われるのは腑に落ちないものがあったが、原作では前にも浮気をしていて同じ台詞を言われたことがあったこと、友人ではなく家柄にこだわる叔父が元だったことを読んで納得できた。

それよりも興味深いのは、死者と真正面に向き合う中からつむぎ出される言葉である。死から目をそらして仕事をしている葬儀屋や僧侶、美しい死に際を邪魔する現代医学、生死の現場から離れた観念だけの宗教への痛烈な批判は耳が痛い。

その最大の要因は、『悟り』を説きながら悟りに至る努力もしない聖道門の僧職者たちや『信』を説きながら真に阿弥陀を信じようともしない浄土門の僧侶たちが、教条的に『信をとれ』といったりしているところに起因する。信もないのに、信をとれというのは、愛もないのに『愛しなさい』と言うに等しい。(p.202)

著者によれば、人は誰でも死ぬまでには〈ひかり〉に包まれ、涅槃(成仏成就)に入るという。ただ死ぬどれくらい前にそういう状態になるかは、釈尊のように45年になることもあれば、現代医学で「頑張れ頑張れ」と言われて直前までそうならないこともある。だがいずれにせよ最後には例外なく涅槃に入ることを、著者は多くの安らかな死に顔を見てきた経験から確信している。

まず生への執着がなくなり、死への恐怖もなくなり、安らかな清らかな気持ちになり、すべてを許す心になり、あらゆるものへの感謝の気持ちがあふれ出る状態となる。この光に出合うと、おのずからそうなるのである。(p.102)

生とは何か、死とは何かについて、今までにない見方を与えられて、読後もいろいろ考えさせられる。

長男と山形

  • author: hourei
  • 2008/11/20 18:57

1週間ほど山形に滞在しなければならなくなったので、子育てのワークシェアリングで長男を連れて行くことになった。水曜日といえば秋葉原も捨てがたい。というわけでちょっとだけ顔を出すことに。

まずはスーパー「マスダ」の休憩コーナーで昼食。つくばに限らないことだろうが、平日の昼間に子供を連れてぶらぶらしている男の人は少ない。しかもバンダナをしていたりと正体不明すぎてすれ違う奥様方の視線を釘付け。何者なんだろう?って、私でも思いますもん。

バスに乗ってつくばセンターに行けば秋葉原まで45分だ。だがその前に、前から気になっていた研究学園駅前の巨大ショッピングセンター「イイアスつくば」に立ち寄る。日本最初のトイザらスである荒川沖店が8月に閉店になったのは、ここに開店するためである。というわけで脇目も振らずトイザらスへ。トイザらスでは脇目も振らずボードゲームコーナーへ。

特に変わったものがあるわけではなかったが、見て満足というところである。長男にはウルトラマンのフィギュアを選ばせたところ、エースとゼットンを購入。そして駅まで引き返して秋葉原に向かう。

秋葉原で知り合いと会ってから、予約していた新幹線で山形へ。新幹線の中もエースとゼットンで間がもった。私がかまわずゆっくり本まで読めるようになるとは、長男も成長したものだと思う。

山形はずいぶん雪が降っていて驚いた。夜にドドン怪獣※で何度か起きたが、お昼寝をほとんどしていなかったので親子とも朝までぐっすり。今朝はさらに降り積っており、30cmほどになっただろうか。まだ葉っぱが落ちていない木々は、突然の雪の重みでずいぶん折れてしまっていた。

※ドドン怪獣 屋根に積もった雪がまとめて下の屋根に落ちるときにする音を、私が幼少の頃からドドン怪獣が来たといって怖がっていたもの。

パズルのような日々

  • author: hourei
  • 2008/11/19 10:52

先週は何をしていたか、妻と話していたがどうも思い出せない。記憶力が減退したかと思ったが……

9日 つくばでのんびり。結局11月で何もない週末はここだけ。
10日 妻が1泊で仙台出張に出発。子供たちと夜を過ごす。就寝直前に訃報が入り、あれこれ予定変更。
11日 車で草加にある妻の実家へ。子供たちを預けてから大学に出講。終わって山形に直行。通夜のお経を読む。妻は仙台から草加に帰り、子供たちを連れてつくばへ。
12日 火葬と葬儀を終えて夜につくばに帰る。予定していたゲーム会は中止。
13日 保育所で個人面談。終わって電車で妻の実家へ。子供たちを預けてから秋葉原に行き、ボードゲーム雑誌のインタビュー。終わって草加に帰る途中、つくばから電車で来た妻とたまたま同じ車両になる。ちょっとときめいた。
14日 同じ新幹線で妻は仙台、私は子供たち2人と山形へ。妻は仙台からバスを乗り継いで山形へ。夜に長男と迎えに行く。
15日 午前中法事、午後伴僧、夜に同級会の反省会で久しぶりに飲む。
16日 午前中法事、お昼はご供養で家族みんなでお餅を頂く。午後も法事。
17日 午前中にご詠歌の講習会、午後からつくばに帰る。

どうも行事が多すぎ&不規則すぎて覚えきれないほどだったようだ。今日はこれから長男だけ連れて秋葉原経由で山形へ。明日から3日間、ご詠歌の講習がある。妻は長女を連れて土曜日に山形に来て、来週の月曜日に子供たちを連れてつくばに帰る。私は月曜日に役員研修で小野川温泉に一泊し、大学に直行。パズルのような日々は月末まで続く。