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   <title>寺日誌</title>
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   <title>石巻に楽器届ける</title>
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   <published>2012-01-27T04:25:45Z</published>
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   <summary>今月の5日に行われたチャリティーコンサートの収益金で購入した楽器を昨日、石巻の小...</summary>
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      <![CDATA[今月の5日に行われたチャリティーコンサートの収益金で購入した楽器を昨日、石巻の小学校に届けてきた。 

もともとこのアイデアは、コンサートにも出演された東京芸術大学の杉木教授によるもので、ほかにも各地で演奏会を行い、その出演料分で楽器を届けているという。お金を直接届けるのは難しいが、楽器なら、それをひとつの象徴として、精神的な支えや復興の原動力にしてもらうことができる。 

出演料分といっても、演奏会を黒字にするのは容易なことではない。休憩時間中の募金箱や、実行委員からの寄附で何とかトランペット2本とフルート1本を贈呈できることになった。 

送り先の小学校の選定にあたっては、かつて長井の病院に勤務し、長井生まれの奥様と結婚されて、現在石巻に開業している久門先生というお医者さんにお願いした。これも杉木教授のアドバイスだが、その先生の出身校であり、かつ副校医を務めている学校ということで、スムーズに話をすすめることができた。 

実行委員3人で道中あれこれ話をしながら、石巻まで車で3時間。山形の曇天とはうってかわって陽気な青空である。久門医院に到着すると、お寿司をご馳走して頂いた。ようやく石巻港も復活したそうで、新鮮な魚介類に舌鼓をうつ。 

久門医院も30cmほど浸水して、半月以上停電が続いたという。その間も水をかき分けていらっしゃる患者さんにできる範囲で診療を続け、津波で泥だらけになった薬局から使えそうな薬を出して対応していた。川辺のお医者さんはお亡くなりになったというから、医療難民も多かったのだろう。まるで野戦病院だったと奥さん。 

それから久門先生とともに渡波小学校の仮設校舎へ。校長先生と教頭先生に迎えて頂き、早速楽器を贈呈した。石巻三陸新聞の記者さんも来ていてばっちり写真に写る。それからしばらくお茶を飲んで談話。 

前の校舎は1階が津波で泥だらけとなり、山1つ超えた隣の学校のグランドに仮設校舎を作っている。音楽室にあった楽器はいくつか泥の中から掘り出したが錆びているものも多く、トランペット鼓隊への参加を希望する子供たちにまだ行き渡っていない。宮城の吹奏楽連盟から中古楽器の寄附は受けたが、新品は初めてとのこと。 

先日、福島からの避難民とお話しした際も思ったが、何も手につかないほど悲惨な目にあってこられたはずなのに、表情は穏やかで明るい。被災者が「元気をもらう」ということをよく聞くが、元気をもらうのは支援者のほうかもしれない。 

その後、奥様に被災地を案内して頂いた。高台にある日和が丘公園からほとんど何もなくなった南浜町・門脇町を見下ろす。きれいに積まれている車や平らにならされた瓦礫に、被災した人々の数えきれない思い出がつまっていると思うとせつない。あの車がうちの車だったら、あの柱がうちの柱だったら。 
<a href="http://g.co/maps/5vqa3">http://g.co/maps/5vqa3</a> 

石巻に行くのは初めてだったが、歴史のある風光明媚な街だった。復興の足跡を確かめに、今度は子供たちを連れて訪れたい。]]>
      
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   <title>避難者支援センター訪問</title>
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   <published>2012-01-18T11:38:04Z</published>
   <updated>2012-01-18T11:39:25Z</updated>
   
   <summary>今日は米沢の避難者支援センター「おいで」と、山形の避難者交流支援センターを訪問し...</summary>
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      <name>おの</name>
      
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   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.tgiw.info/weblog/">
      <![CDATA[今日は米沢の<a href="http://yonezawanet.jp/oide/">避難者支援センター「おいで」</a>と、山形の<a href="http://www.city.yamagata-yamagata.lg.jp/oshirase/kurashi/3d683kouryusiencenter.html">避難者交流支援センター</a>を訪問してきた。大震災は、まだまだ終わってはいないことを実感した。 

発端は昨年の暮れ、大学の後輩からの電話。お祖母さんが河北町に住んでいて、時々会いに行くので、山形で避難者の支援をしたいと考えているという。寺院の協力も仰ぎたいそうなので、震災ボランティアで活躍している和尚さんを紹介した。 

具体的にどんな支援活動をするのか、はっきりした計画を後輩はまだもっていなかったので、その和尚さんと話をしても結論が出なかった。私もあれこれ思案していたが、大学関係者と寺院が協力してできることいっても思いつかない。そこでまずは支援センターで生の声を聴くことになったのである。 

米沢の避難者支援センターは、福島から米沢に入ってすぐのところ、万世町というところにある。ここには取り壊される予定だった雇用促進住宅があって、たくさんの避難者を受け入れることができたという。現在は、避難者自信が支援員となってスムーズな運営をしていた。 

避難者といっても、部屋を一応借りておいてほとんどは福島で暮らす人から、こちらにほぼ定住している人までさまざまな生活があった。ほとんど住んでいない人と、ずっと住んでいる人とでは意識も自ずと異なる。そのため自治会を立ち上げるのがたいへんだったという。津波ですぐ避難した人がしばらくして故郷に帰ったとき、避難しなかった（できなかった）人とぎくしゃくしてしまうという話を思い出す。 

ちょうど毎週行われているお茶会があったので参加させてもらう。浪江町から避難されているお父さんとあれこれ話した。震災から1年近く経つが、帰る見込みも立たず、保障も一向に進まない。自分が生きられるのはせいぜい10年。何も進展しないまま寿命が終わってしまうかと思うと、やるせない思いに駆られるという。この言葉には胸をつぶされる思いがした。 

その一方でこうも考えた。今まで生きてきた価値を失ってしまった人に、仏教が別の価値を提案できるかもしれない。やり場のない怒りや諦め、そして一時しのぎの気晴らしではなく、心の底から救われ、安らかに毎日を送る道を、お釈迦様は示していたのではなかったか。そうだとすれば、寺院にも出る幕はある。 

傾聴ボランティアというように、忠告や助言を言いたくなる気持ち抑えて聞き役に徹するのが基本だと思う。しかし法話は、忠告や助言とは少し異なり、そこで得たヒントをもとに、自分の問題を解決することを目指す。お釈迦様は自身を医者に喩え、薬を渡すけれどもそれを服用するか否かは患者次第であると仰った。 

例えば、避難所近くのお寺を借りて、法話を聞く会を催すという方法が考えられる。法話をする人は和尚さんでも、大学で仏教を教えている先生でもよい。母子世帯が多いことを考えて、託児を頼んでおく（意外にも、若い女性で仏教に興味のある方は多い）。終わったら「僧職男子」とお茶会。これが今日考えたアイデア。 

後輩は、避難者の子供たちの教育を心配していた。親に生活の余裕がなくて子供に教育の機会が与えられていないのではないか。これに対し山形の支援センターでは、避難者対象の塾があったら需要はあるが、責任をもって無償で長期間続けるのは難しいだろうという。かつては寺子屋として教育を担っていた寺院も、現在では協力しにくくなっているが、実現すれば素晴らしいことだと思う。 

後輩はこれからしばらく県内に滞在。山形大学の先生や震災ボランティアの和尚さんと話をして、アイデアを練ることにしている。これまで県内でのボランティア活動することを全く考えていなかったが、私もこの機会に考えてみたい。とりあえず米沢の支援センターは、本当に居心地がよかったのでまた行くつもりだ。]]>
      
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   <title>新ナイジェリア詐欺</title>
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   <published>2012-01-16T10:42:58Z</published>
   <updated>2012-01-18T11:45:24Z</updated>
   
   <summary>キャンペーンでドコモから頂いたネットブックを、使わないので未開封のままヤフオクに...</summary>
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      <name>おの</name>
      
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   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.tgiw.info/weblog/">
      <![CDATA[キャンペーンでドコモから頂いたネットブックを、使わないので未開封のままヤフオクに出品した。価格コムでは20000円くらいの品物である。 

その質問欄に、海外から英語で次のような質問があった。 
・カナダに住む女性が、ナイジェリアにいる姉妹にこPCを送りたい。 
・ペイパルで送料込み2000ドルを支払う。 
・メールで直接やりとりしたい。 

この時点で相当怪しかったが、私自身アメリカのeBayなどで親切にしてもらっているので無視しないで返事をした。とにかくヤフオクで最高額をビッドしてくれと。 

これに対する返事は、とにかく急いでいるのですぐ取引したい、送料込みで2000ドル支払うと一点張りで、ナイジェリアの住所まで記してあった。2000ドルっていくらかと思ったら15万円。ナイジェリアにEMSで送っても8500円しかかからない。さらに怪しくなったが、コンピュータの価値を知らないだけとも考えられる。 

そこで相手の出方を伺うため、2000ドルは高すぎること、現在の入札金額に送料を足しても400ドルくらいだと伝えたところ、それなら500ドルでという。案外まともな反応なのでOKの返事をしたら、早速ペイパルから振込の知らせが来たのでオークションを取り消した。 

今日急いで発送するつもりでいたが、ペイパル（用心のためメールに記載されたURLではなく、Googleで検索したURLから）にログインして履歴を見ても、入金されていない。ペイパルからの振込の知らせがよく読むと、発送したEMSの番号をメールで受け取ってから入金されるという。そんなことってあるのだろうか？　そこで今日は発送を一旦やめて、ペイパルに問い合わせ、指示に従い、振込の知らせを転送した。 

そして先ほど、ペイパルから返事がきた。 
----- 
お調べいたしましたところ、お問い合わせいただきましたメールはPayPalから送られたものではありません。無視していただくようお願いいたします。このメールにリンクされているウェブサイトはPayPalが承認または使用するものではありません。 

このメールにリンクされているウェブサイトの無効化に向け、弊社の不正防止チームが取り組んでいます。また、このウェブサイトには個人情報などを入力しないでください。お客様の個人情報また財務情報を保護するため、また金銭の損害を防ぐために、PayPalアカウントにログインしてパスワードとセキュリティに関する質問と答えを変更していただくことと、銀行やクレジットカード会社にすぐに連絡することをお勧め致します。 
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メールにリンクされているペイパルのホームページは本物。ニセページに誘導されて個人情報を入力させられたり、お金を請求されて支払手続をしたりはしなかったのでフィッシング詐欺ではなく、パソコンをただで搾取しようという詐欺のようだ。支払履歴はペイパルにもクレジットカードにもついていなかったが、念のためパスワードを変えておいた。 

一段落したので再出品。実質被害額は、出品取り消し料の525円で済んだ。こういうことがあるとオークションの取引後評価数が重要だということを認識する。 

検索したら同じメッセージがほかの出品者にも来ていたようだ。「ナイジェリア詐欺」という言葉を初めて知ったが、お金ではなくパソコンを搾取しようとしているので新手ということか。今回はたまたま引っかからなかっただけだが、なかなか怖い。 

<a href="http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1479273504">http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1479273504</a>]]>
      
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   <title>ニューイヤースペシャルコンサート</title>
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   <published>2011-12-27T14:43:28Z</published>
   <updated>2011-12-27T14:45:14Z</updated>
   
   <summary>2012年1月5日（木）、山形県飯豊町の小ホールにて、クラシックのニューイヤース...</summary>
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      <name>おの</name>
      
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      2012年1月5日（木）、山形県飯豊町の小ホールにて、クラシックのニューイヤースペシャルコンサートが行われる。大阪フィル首席コンマスの長原幸太さん、東京芸大教授の杉木峯夫さん、地元出身のソプラノ歌手文屋小百合さんらを迎え、金管アンサンブル、歌、弦楽合奏が聴ける。お近くの人はぜひお越しください。 

地元で年に1回くらいこのような演奏会があり、私は広告集めと、プログラム作成と、当日の裏方（ステージマネージャーか司会）が回ってくる。去年はトウキョウ・ブラス・シンフォニーという都内オーケストラの首席クラスの金管奏者による演奏会だった。 

今回は東日本大震災チャリティーということで、奏者の方の演奏料分が石巻の被災した学校で楽器を購入する資金として寄付されることになっているほか、近隣に避難している方々を公開リハーサルに招待する。 

明日がプログラム現行の〆切というので、今急いでウィキ先生に教えてもらって作っているところだ。1部が10曲、2部が12楽章で2時間超えは確実な感じだ。何とお得感のある演奏会だろうか。百聞は一聴に如かず。今から楽しみだ。

----- 
プログラム 
◆喜歌劇『こうもり』序曲　J.シュトラウス2世／ナミ・ガンシュ 編曲 
Johann Strauss II: Die Fledermaus Ouverture 

◆セレナータII　立原勇 
Isamu Tachihara: Serenata II for Brass Quintet 

◆喜歌劇『メリーウィドウ』より　F.レハール／水口透 編曲 
Franz Lehar: Die lustige Witwe 

◆ウィーン、わが夢の街　R.ジーツィンスキー 作詞・作曲 
Rudolf Sieczynski: Wien, du Stadt meiner Traume 

◆初恋　石川啄木 作詞／越谷達之助 作曲 
Takuboku Ishikawa: First Love 

◆オペラ『蝶々夫人』より「ある晴れた日に」　G.プッチーニ 
Giacomo Puccini: Madama Butterfly (Un bel di vedremo) 

◆アヴェ・マリア　F.シューベルト 
Franz Schubert: Ellens dritter Gesang &quot;Ave Maria&quot; 

◆？？？　R.アンダーソン 
Leroy Anderson: Some pieces 

休憩　20分 

◆四季　A.ヴィバルディ 
Antonio Vivaldi: Le quattro stagioni 

曲解説 
喜歌劇『こうもり』序曲　J.シュトラウス 
ウィーン・フィルのニューイヤーコンサートでもよく演奏される曲です。シュトラウス2世（1825-1899）によるウィンナ・オペレッタの最高峰とされる作品で、大みそかの出来事をもとにしていることから、ドイツでは大みそかに多く上演されます。「こうもり」とは仮面舞踏会での扮装のことで、最後のどんでん返しの鍵にもなっています。 

セレナータII　立原勇 
作曲の立原勇（1962-）は東京芸術大学作曲家を卒業後、ヨーロッパ・中東および東南アジアを歴訪し、宗教音楽を研究してきました。『祭司エリエゼル等のラッパ』『2つの祈り―オーケストラのための』など、宗教的な作品を手がけています。この曲はトランペット、バストロンボーン、ピアノのために作曲され、後に本日出演する杉木峯夫氏のためにソロ曲としてアレンジされました。 

メリーウィドウ　F.レハール 
ハンガリー生まれでウィーンで活躍したレハール（1870-1948）の代表作となるオペレッタは、年老いた大富豪と結婚後わずか8日で「陽気な未亡人」となったハンナが主人公です。身分の違いから結婚できなかったダニロと結婚するまでの恋の駆け引きを描き、連続500回公演を超える大ヒットとなりました。その中から珠玉のメロディーを集めました。 

ウィーン、わが夢の街　R.ジーツィンスキー 
ウィーンに生まれウィーンに没したジーツィンスキー（1879-1952）の代表作です。ドイツ語で書かれた歌詞は、心のふるさとを歌いあげます。 

初恋　石川啄木／越谷達之助 
27歳で世を去った盛岡出身の歌人、石川啄木（1886-1912）の歌集『一握の砂』の一首です。砂山に横になり、叶わなかった初恋の痛みを遠く思い出します。 

オペラ『蝶々夫人』より「ある晴れた日に」　G.プッチーニ 
長崎を舞台に、日本人の蝶々さんとアメリカ海軍士官のピンカートンとの恋愛の悲劇を描くアメリカ小説を、イタリアの作曲家プッチーニ（1858-1924）がオペラに仕立てました。ピンカートンの船を待つ蝶々さんの嬉しくも切ない歌です。 

アヴェ・マリア　F.シューベルト 
シューベルト（1797-1828）が死の3年前に作曲した曲ですが、宗教音楽ではなく、『湖上の美人』という叙事詩をもとにした文学作品です。窮地に陥った主人公のエレンが聖母マリアに助けを求めて歌います。 

？？？　R.アンダーソン 
数々の愉快な楽曲によって「アメリカ軽管弦楽の巨匠」（J.ウィリアムズ）と言われるアンダーソン（1908-1975）の作品をお届けします。何が出てくるかは、当日のお楽しみです。 

四季　A.ヴィバルディ 
バロック時代のイタリア作曲家ヴィヴァルディ（1678-1741）が作曲したヴァイオリン協奏曲集『和声と創意への試み』の第1集には、「春」「夏」「秋」「冬」というタイトルが付けられていました。それぞれ3楽章からなり、全部で12曲あります。全てに短い詩（ソネット）が付けられており、うららかな春、暑い夏、収穫の秋、寒さの冬を聴く者に想起させます。 
      
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   <title>漢検</title>
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   <published>2011-12-21T23:09:44Z</published>
   <updated>2011-12-21T23:11:29Z</updated>
   
   <summary>長女が書店で漢字能力検定に興味を持ちはじめて、問題集を買ったのがもとで、私も受検...</summary>
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      <name>おの</name>
      
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      <![CDATA[長女が書店で漢字能力検定に興味を持ちはじめて、問題集を買ったのがもとで、私も受検することになった。 

お寺で朝、般若心経などを読んでいるせいか我が家は漢字に親しみがある。祖父は「漢字文化」という月刊誌を読んでいたし、私は小学生の頃から漢字テストが得意だった。長女も同じ影響を受けたのかもしれない。 

長女は学年的には8級なのだが、「ちょっと頑張ってみたら」と7級を勧めてみた。毎晩のように解いて7級の問題集を終え、今度は6級（小学5年レベル）。そのとき妻が「問題集を説いているだけじゃなくて受検してみたら」というので調べてみると、山形市内で来月あることが分かった。早速申し込むことに。 

私は当初送迎だけするつもりだったが、同じ時間帯に行われる準1級が目に留まる。ただ待っているだけではつまらないから、受けてみようかと思った。 

それから本屋で準1級の問題集を買ってみて早速解いてみると、200点満点で1回目は132点、2回目は96点という惨敗。知らない言葉が出てきて、まぐれで当たったものも少なくない。合格には160点が必要なので、無理かなと諦めかけていた。 

例えばこんな問題 
読み―綾子、お呪い、論う 
書き―セッケン、オダてる、マトまる 
<a href="http://www.kanken.or.jp/mondai/pdf/j1m.pdf">http://www.kanken.or.jp/mondai/pdf/j1m.pdf</a> 

そのことを先輩の和尚さんに話したら、「2人で受けたらいいんじゃないの」という。2人とも合格すればいうことはないが、私が落ちて長女が合格しても（これが一番ありそう）長女は「お父さんに勝った」と嬉しいし、逆に私が合格して長女が落ちれば「お父さんすごい」ということになる。2人とも落ちれば残念会。どの結果でも悪いことはない。なんという論理的思考。 

ということで今日、準1級も申し込んだ。受検料の4000円をドブに捨てないようにしたい。時折問題集を開いているが、早速檀家さんに手紙を書くとき役立ったりして、無駄にならない勉強だと思う。 

長女は漢検では物足りないのか、英検や歴検まで問題集を買ってきて自主勉強しており、検定オタクになりそう。]]>
      
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   <title>人権啓発講演会</title>
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   <published>2011-12-14T04:10:32Z</published>
   <updated>2011-12-20T04:13:37Z</updated>
   
   <summary>11日（日）、米沢市伝国の杜にて、人権啓発講演会が行われた。講師はTBSテレビ報...</summary>
   <author>
      <name>おの</name>
      
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      <category term="Diary" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.tgiw.info/weblog/">
      11日（日）、米沢市伝国の杜にて、人権啓発講演会が行われた。講師はTBSテレビ報道局解説室長の杉尾秀哉氏。「みのもんたの朝ズバッ！」の月・火曜日に、コメンテーターとして出演しているので顔を見れば「ああ！」と思うだろう。今回は「家族のつながり、今大切なこと〜報道の現場から〜」という演題で90分の講演である。500人収容の会場はほぼ満席となった。 

話題は震災の教訓から現代日本の抱える問題、男女共同参画が進まない背景、人権問題の原因と解決方法と多岐にわたる。いずれも難しいテーマばかりだったが、さすが長年テレビで活躍されているだけに、実体験を踏まえた明快な解説を聞くことができた。 

「みのもんたさんが毎日3時間しか寝ていないのは本当だが、番組中に考えるふりをして寝てしまうことがある」とか、「『朝ズバッ！』は台本がないので杉尾さんは朝3時に起きて新聞を読み込んでいく」とか、「テレビ司会者のギャラは、島田紳助さんクラスだと1時間○○万…これはツイッターに流さないでくださいよ（笑）」などとテレビ番組の裏側の話で聴衆の興味を喚起する。みのもんたが、同期の久米宏をずっとライバル視して、ハングリー精神で頑張ってきた話が心に残った。「世界一忙しい司会者」としてギネスブックに登録された今でも「仕事が頼まれるうちが花」と仕事の依頼は断らないそう。人権擁護委員にしても、頼られる存在であることをありがたく思わないといけないなと感じた。 

震災の取材を通して杉尾さんが思ったことは、「平凡に暮らすことの幸せ」だったという。生死の境は紙一重で、明日何が起こるか分からない世の中であることを、この震災で多くの人が意識した。そのとき、普段はうっとうしいと思われがちな近所や地域社会が大切な絆になる。取材すると「私よりももっとひどい目にあった人がいます」という被災者の「利他心」が、外国メディアも驚く日本人の底力なのだと杉尾さんは指摘した。仏教が説く諸行無常や、慈悲の話にも通じる話しである。 

日本の閉塞感に関して、「日本ポルトガルタウン説」というのがあるそうだ。かつてポルトガルは小国ながら大航海時代の旗頭として世界をリードしたが、後発のスペインやイギリスに追い抜かれ、震災と津波に首都リスボンが襲われた（1755年）。昨年GDP2位の座を中国に明け渡した日本も、津波に遭ってポルトガルと同じ道をたどっているのではないかという。環境問題、国の大借金、人口減少が、これまでのような経済成長を難しくする。年金の仕組みが、かつては胴上げ型（多人数で1人を支える）だったのが、今は騎馬戦型（3〜4人で1人を支える）になり、やがて肩車型（1人で1人を支える）になっていると喩えていた。 

このような閉塞感を打ち破るべく、日本では女性の社会進出が重要だと杉尾さんはいう。日本の女性の社会進出が進んでいない状況を、GEM（ジェンダー・エンパワーメント指数）や、GGI（ジェンダー・ギャップ指数）など女性の地位国際比較で明らかにした。その背景には「夫は外、妻は内」に見られる固定的な家族観や、「お前誰に養ってもらってんだ！」（最近は、妻が夫に言ってそうだが）というような男性優位の意識が根強いことを挙げた。そしてこれは女性だけでなく、過度の重責によって労災やうつに見舞われ、自殺に追い込まれる男性にとっても不幸なことだという。仕事一辺倒ではなく、家庭や地域や趣味で「複線的な生き方」をしていれば、仕事が行き詰まっても前向きに生きていけるのではないかと提案していた。 

最後に、障害者・外国人差別や子供の虐待、いじめに触れ、「くさいものにふた」「知らなければいい話」ではなく、知って向き合って克服する努力が必要だと力説。これらの差別意識はまだまだ根強いと感じる。そして現に差別で苦しんでいる人がいることを念頭に、次の五原則を提示。この五原則は、報道の現場でも活用されているという。私は特に5番目が、「行うは難し」なだけに大切なことだと思った。 

人権を尊重するための五原則 
1. 人の多様性を認める 
2. 相手の立場になって考える 
3. 人を先入観で捉えない 
4. 主体的に判断する 
5. 間違ったら直接謝る 
      
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   <title>『もしリアルパンクロッカーが仏門に入ったら』</title>
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   <published>2011-12-08T06:37:26Z</published>
   <updated>2011-12-08T06:39:06Z</updated>
   
   <summary>新宿の町裏ライブハウスで飲んだくれているパンクロッカーのマナブ。酒とドラッグとケ...</summary>
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      <name>おの</name>
      
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      <![CDATA[新宿の町裏ライブハウスで飲んだくれているパンクロッカーのマナブ。酒とドラッグとケンカとゲロしか知らず、「ファッキン」を連呼する彼が、究極のパンクロックを求めて釈尊や祖師方を遍歴するという物語。 

登場するのは釈尊、龍樹、玄奘三蔵、最澄、法然と日蓮、栄西と道元。これでインドから日本に至る仏教史、初期仏教から禅に至る仏教思想が網羅されているだけでなく、パンクロック調にぶっちゃけた解説が面白い。 

釈尊の教えを「無常だからどうでもいい」、悟りを「全体ドカーン」、龍樹の説を「どうでもいいと思うことさえどうでもいい」と説き、説明の難しい唯識、一念義、悪人正機をさらりと説いてみせる腕前は見事。 

「ミラクルパワー頼み」の大乗仏教が、ヒンドゥー化によってインドで仏教が滅亡した一因とになったり、呪術で日本での辛気臭いイメージにつながったりしているという指摘や、法然・日蓮の信仰第一主義が、当時は仏教を庶民のものとすることに成功したものの、現代においてはリアリティを失い、かえって庶民から遠いものになっているという見解は鋭い。 

仏教は、どんな態度で臨んでも面白く深いというのは私もその通りだと思う。高尚ぶってマジックワードを並べるだけでは、悩める人の心に届かない。ぶっちゃけられないというのは、実は自分自身がきちんと理解していないのである。そんなことを考えさせられる書だった。（ぶっちゃけた法話をするのも、なかなか勇気がいるものだが。）
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   <title>ドイツ大使講演会</title>
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   <published>2011-11-30T05:45:57Z</published>
   <updated>2011-12-08T07:09:19Z</updated>
   
   <summary>地元で在日ドイツ大使V.シュタンツェル博士の講演会があったので聴きに行ってきた。...</summary>
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      <name>おの</name>
      
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   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.tgiw.info/weblog/">
      <![CDATA[地元で在日ドイツ大使V.シュタンツェル博士の講演会があったので聴きに行ってきた。大学で日本学を学び、京都大学にも留学していたということで、日本語で話す。 

なぜドイツ大使が山形の片田舎に来るのかというと、地元の長井市が、ドイツ南部のバートゼッキンゲン市と30年移譲前から姉妹都市を結んでいたからである。今年のはじめに、協会の会長と市長がドイツ大使館でお願いして実現に至ったという。→<a href="http://www.djg-nagai-saeckingen.de/">長井・バートゼッキンゲン友好協会</a> 
 
講演は「市民交流〜未来への懸け橋」というテーマで、日独交流150周年を迎え、ドイツと日本は政府よりも市民レベルで交流してきたという歴史を振り返った。沖縄の宮古島にドイツ村がある理由とか、福沢諭吉がドイツ（プロイセン）に通訳として行った話とか、興味深い。 

講演は30分ほどで終わり、その後45分も質問コーナー。脱原発、領土問題、ユーロ危機、経済連携など話題は多岐に及んだが、大使はひとりひとり丁寧に答える。私は教育について、希望やしっかりとした価値観を示せない中、どのような理念をもって子供に接するべきか尋ねたところ、子供ひとりひとりの性格を見て、それに合わせた教育があるべきであり、社会としては広い選択ができるようにしておくのが望ましいというような答えだった。 

感心したのは論理的な明快さ。「というのも」といって意見には必ず理由を添えるし、「3つあります」とはじめに言って説得力をもたせる。理由を既に述べている意見についてのみ、「やはり」を用いる。こういう教育なんだろうと思った。 

第二部はレセプション。友好協会の会員や商工会議所関係者など100人以上が集まっていて、日本の親独ぶりを垣間見る。山形交響楽団による独日国歌演奏、地元出身のソプラノ歌手によるオペラ「ゼッキンゲンのトランペット吹き」の演奏、獅子舞など豪華に盛り上げた。 

協会の会員に気軽に記念撮影に応じる大使を捕まえて、ドイツ語で自己紹介。ほかにもドイツ人が何人か来ており、そのうちハイデルベルクの方と知り合いになる。ハイデルベルクは熊本と姉妹都市になっているそうだが、ドイツイベントということで来ていたようだ。その方は日本人と結婚していて、子供がジャニーズに入ったので、奥さんと子供だけ日本に住んでいるのだという。「今度はドイツで会いましょう！」といって別れた。 

<a href="http://dj150.jp/">日独交流150周年</a>には、当初150のイベントを行う予定だったのが、180にもなってしまったとのこと。いずれも若者をターゲットにしたものだったそうだ。大使はブログをもっているというので見に行ったら、<a href="http://ambassador.blogs.young-germany.jp/2011/11/blog-post_29.html">この日の記事</a>が翌日にはもう作られていた。忙しいだろうに、すばらしい。 ]]>
      
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   <title>『葬儀と日本人: 位牌の比較宗教史』</title>
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   <published>2011-11-09T13:05:55Z</published>
   <updated>2011-11-09T13:08:28Z</updated>
   
   <summary>位牌には神道の霊代を起源とする説と、儒教の神主を起源とする説がある。本書では、択...</summary>
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      <name>おの</name>
      
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   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.tgiw.info/weblog/">
      <![CDATA[位牌には神道の霊代を起源とする説と、儒教の神主を起源とする説がある。本書では、択一ではなく習合したものと捉え、儒教、道教、仏教の葬儀を丁寧に分析し、根底に潜む中国人と日本人の死生観を比較しながら、現代に通じる要素を抽出している。

日本で広く行われている葬儀の形式は、禅宗の葬儀によるところが大きく、禅宗の葬儀は、インド仏教よりも儒教と道教の影響を色濃く受けていることが分かる。その骨格は、すでに儒教で五経に数えられる『儀礼（礼経）』（前3世紀）でできあがっていた。位牌の起源以上に、葬儀の起源が面白い。

現在、三十五日を小練忌、四十九日を大練忌というが、練はもともと斂であり、遺体に葬衣を着せる儀式だった。亡くなって2日目が小斂、3日目が大斂。現在百ヶ日である卒哭は、神霊をやすらかにする祭の後に行われるもので、ここから凶礼が吉礼に転じる。泣くのは随時ではなく朝夕のみになるという。

授戒は、道教の上章（冥界の役人に救いを求める請願）、引導は道教の打城（死者の霊魂を助けるために地獄の城を打ち破る）に通じる。お盆のもとになった中元は、地官に懺悔して謝罪してもらう儀式だった。換骨奪胎ともいうべき類似性があった。日本人にも根強く残っている「親の因果が子に報い」や「先祖の祟り」、「葬式をちゃんと出さないと成仏できない」という発想は、道教に由来するもののようだ。

インド仏教で葬儀のときに読まれた『無常経』に加えられた「臨終方訣」（在家者が臨終時に仏の名を唱え懺悔して受戒させる）、亡くなってからの受戒を説く『梵網経』、亡くなった人の霊魂が墓にいるのかいないのかという問答を収録する『灌頂経』は、全て中国で編纂された「疑経」である。仏式の葬儀の基本構造は、儒教や道教由来のものだと認めざるを得ない。

孝とは、亡くなった先祖への祭祀であり、生きている父母は現世の先祖であるという中国の発想は、日本人が逆である。何百年も前から、日常祀られるのはせいぜい三代先までだった。血筋にもさほどこだわらない。位牌もお墓も永続的なものではなく、日本に伝わって、再びインド仏教に回帰した感がある。「どこからか見守ってくれている。そしていつかは忘れ去られていく。」

日本仏教のひな形は一足飛びでインド（初期仏教）に目を向けることが多いため、中国での儀礼と思想と詳細に比較してみるのは新鮮だった。
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   <title>彼岸明けの念仏講</title>
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   <published>2011-10-03T06:16:57Z</published>
   <updated>2011-10-03T06:45:37Z</updated>
   
   <summary>毎年、彼岸明けに本堂で行われている念仏講を、今年初めて見学させていただく。 念仏...</summary>
   <author>
      <name>おの</name>
      
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      毎年、彼岸明けに本堂で行われている念仏講を、今年初めて見学させていただく。

念仏は、葬儀の後に近所の人が集まって行うものだが、私は葬儀が終わると帰ってしまうため、どのようなものか今まで知らないでいた。しかし近年、ホール葬の増加と、後継者不足により念仏が省略されるケースが多くなっており、市の仏教会で調査・保存に乗り出すことになった。その手始めとして、まずは地元からというわけである。

地元の念仏講は現在47軒が加入し、年会費300円と、葬儀のときに100円の見舞金を出している。おとなりの念仏講は、年会費のみでまかなっているという。本日集まったのは47軒中、6名だけ。毎年のことだが、新旧の当番とあとちょっとしか来ない。昔はもっと多かったのに、残念なことである。

「ナカゴシ」と呼ばれる先達が中心に坐り、念仏箱からろうそく立てと鉦と数珠を出す。箱の裏には回数を数えるスライド式の札がついている。長い数珠を周囲に張り巡らせて、それを参加者がもつ。

ナカゴシは「願わくはこの功徳をもって…」「我昔所造諸悪業…」「三世十方の諸仏…」など唱えながら、鉦で合図を取って念仏を行う。南無阿弥陀仏（ナンマイダンブ）20回、南無地蔵大菩薩20回、南無釈迦牟尼仏（ナムシャカムニンブ）20回、そしてテンポを上げて南無阿弥陀仏40回。1回唱えるごとに「千遍」と書かれた札をずらすので、100回で十万遍唱えたことになるという。

念仏は民間信仰で、お寺の出る幕はないものと思っていたが、間に修証義の一節が唱えられるなど、住職が指導したような形跡も見られる。地域によっては、僧侶を招いて念仏を行うところもある。地域によってやり方が様々だからといって、お寺が知らないふりをできるものではない。地域の歴史などを読んで勉強してみたい。

終わってからは総会と懇親会。念仏講に限らず、お寺にもっと足を運んでもらう方法から、地域のニュース、仏事の豆知識などいろいろ話した。有益な時間であった。
      
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   <title>詠讃するということ</title>
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   <published>2011-09-14T10:01:49Z</published>
   <updated>2011-09-14T10:02:48Z</updated>
   
   <summary>曹洞宗で梅花流詠讃歌が始まって来年で60年、その教学的な位置づけは今なお曖昧なと...</summary>
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      <name>おの</name>
      
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      <category term="梅花流" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.tgiw.info/weblog/">
      曹洞宗で梅花流詠讃歌が始まって来年で60年、その教学的な位置づけは今なお曖昧なところがある。御詠歌嫌いを公言して憚らない和尚さんや、おばあちゃん方のお茶飲みの口実ぐらいだと思っている檀家さんもいる（あながち間違っていないが）。ずっと前になるが、大学の先輩から「歌舞観聴」に当たるのではないかと指摘され、口をつぐんでしまったのはずっと記憶に残っている。 

そんなところに先月、港区の宗務庁で行われた梅花流指導者講習会で、佐藤俊晃師（秋田県龍泉寺）の「詠讃するということ」という講義録を頂戴した。特派師範協議会で講義されたものを、伝道部詠道課で印刷製本したものということ。これが非常に腑に落ちたのでここに要約しておきたい。 

講義録といっても、学術論文といってもいいくらい綿密な研究である。第一章で道元禅師の和歌の成立経緯とそこに込められた仏教的な意味を探り、第二章で「転読」のもともとの意味を手がかりに声明と御詠歌を結びつける。そして第三章では『傘松道詠』の序文から、詠讃が伝統的に推奨されることを論証している。 

川端康成が言及したことで有名になった道元禅師の和歌「春は花　夏ほととぎす　秋は月　冬雪さえて　冷しかりけり」は、父親である源通親の「春は花　夏はうつせみ　秋は露　あはれはかなき　冬の雪かな」を元にしていると考えられる。しかし川端がいうように四季の美や日本の真髄を伝えたものではなく、花は「一華開五葉」や「拈華微笑」（『正法眼蔵』梅花）、ほととぎすは天童如浄の「杜鵑啼く、山竹裂く」（『正法眼蔵』諸法実相）、月は「心なる一切法」（『正法眼蔵』都機）、そして雪は「慧可断臂」の雪（『正法眼蔵』行持）と、全て仏法に対する厳しい志を詠んだものと解する。道元禅師の和歌は、深遠な仏法を僅かな言葉でまとめた経典（スートラ）なのである。 

中国では、お経の読み方に略読、速読、真読、転読があったらしい。転読は今では、大般若会で御経本をパラパラめくりながら読む方法だが、面山瑞方禅師によれば、もともとは中国で一句一句節を付けて（声を転じて）ゆっくり読むこと（声明）だったという。インドで、韻文のお経を「歌詠讃歎」していることは中国でも知られていた。中国にも、そのような「梵唄」の名人がいたことが伝えられている。ひとたび一節を唱え始めると、行き交う象や馬まども立ち止まったという。この系譜に、経典である道元禅師の和歌の詠讃が加えられても不自然ではない。 

そして道元禅師の和歌54首は、没後200年以上経ってから『建撕記』にまとめられた。ここから和歌だけを抽出した『傘松道詠』序文（1750）で、面山瑞方禅師は「もし人ありてわずかに一首のを唄詠し以て道味を諳ずれば、すなわち八萬法蔵の起尽、またあに此の外ならんや」と寄せている。この「唄詠」（写本から異読の可能性も言及しているのは非常に信頼できる）こそ、詠讃を推奨するものであると結ぶ。 

御詠歌は声明であり、声明は偈文であるということは前から伺っていたが、それが中国・日本の出典をもって跡づけられたのはたいへん喜ばしい。釈尊の教えを心を込めて唱え奉り、多くの人に伝え、そして後の世に伝えていきたいという思いを強くした。
      
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   <title>洞松寺オリジナル経本</title>
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   <published>2011-09-11T14:24:49Z</published>
   <updated>2011-09-11T14:53:43Z</updated>
   
   <summary>先代から使っていた経本がだいぶ古くなったので、この度経本を作り直した。法要などで...</summary>
   <author>
      <name>おの</name>
      
   </author>
   
      <category term="Buddhism" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.tgiw.info/weblog/">
      <![CDATA[<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="修証義の新経本" src="http://www.tgiw.info/weblog/tera/jpg/shushogi.jpg" width="200" height="321" class="mt-image-right" style="float: right; margin: 0 0 20px 20px;" /></span>先代から使っていた経本がだいぶ古くなったので、この度経本を作り直した。法要などで使いやすいよう、テキストを打ち込んだファイルを近所の印刷所に持ち込み、以前の経本と同じサイズ・デザインで作ってもらった。

もくじ
・修証義　総序
・般若心経
・修証義　行持報恩
・慈経
・慈悲の瞑想
・般若心経（現代語訳）
・修証義　総序（現代語訳）
・修証義　行持報恩（現代語訳）
・追弔御和讃
・新亡精霊供養御和讃
・追善供養御和讃
・報恩供養御和讃

修証義はお葬式で一緒に読んでいただくもののみ抜粋。順序もお葬式で読む順に、般若心経を間に入れた。そしてこの頃法事でよく読んでいる慈経と慈悲の瞑想は、パーリ仏教から。さらに修証義と般若心経は、できるだけ短く分かりやすいことを心がけた拙訳を掲載。これも法事で一緒に読んで頂くつもりである。最後に、法事でよくお唱えする供養編の御和讃の歌詞を載せた。

一方、檀家さんと一緒に読むことのない観音経と舎利礼文、修証義の第2〜4章は割愛した。

修証義の総序だけを読むと、罪悪感を抱かせるだけなので続けて第二章を読むというご寺院さんもいらっしゃるが、その前に、一般の方は意味も分からず読んでいるみたいである。修証義は明治時代に編纂されたものだが、正法眼蔵の抜粋なので中身は鎌倉時代の言葉。それでも漢文をそのまま読むのと比べればだいぶ理解できるが、論理展開まではついていくのはたいへん。今回、現代語訳にして読んでみて、自分でもいろいろ腑に落ちるところが多かった。

お葬式用の経本入れに130冊セットし、法事用かばんにも25冊ほど入れてある。これで秋からの法事は進めやすくなりそうだ。多めに刷ったのでお正月には全檀家さんに配りたい。

洞松寺オリジナル経本はB6サイズ54ページ。ご希望の方には実費（1冊250円＋送料）で頒布します。お申し込みはhourei@e.jan.ne.jpまで。]]>
      
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   <title>『アニメンティーヌ・プラス-ボッサ・ドゥ・アニメ-』</title>
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   <published>2011-09-10T03:07:01Z</published>
   <updated>2011-09-10T03:15:19Z</updated>
   
   <summary>学生時代、ドビュッシーやプーランクのフランス音楽にどっぷりとはまっていた。ベート...</summary>
   <author>
      <name>おの</name>
      
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      <category term="Book" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.tgiw.info/weblog/">
      <![CDATA[学生時代、ドビュッシーやプーランクのフランス音楽にどっぷりとはまっていた。ベートーヴェンやブラームスなど、ドイツ音楽の重厚さには付いていけず、軽やかなメロディと淡いハーモニーが心地よかったのである。 

「これでーいいのだー♪」という歌がサントリーのCMやラジオでときどき流れて、すごく気になっていたが、テレビで来日したニュースをもとに歌手が分かって購入。ちょうどフランス語を勉強しているのでリスニングもかねて。ボーナストラックがある盤とない盤があるので注意が必要だ。 

うる星やつら、キャッツアイ、タッチ、サザエさん、ドラえもん、ちびまる子ちゃんなどおなじみの曲ばかりだが、歌詞がフランス語（一部英語）になってパーカッションがボサノバになっただけでまるで違う音楽に聞こえる。カーオーディオで流して田園の中を走れば、まるで南仏をドライブしているかのよう。 

特に気に入っているのはアンニュイなサクソフォンの間奏が流れる「とんちんかんちん一休さん」と、「ゲ」の2つ目が下がるゲゲゲの鬼太郎で、よく聴いている。「元祖天才バカボンの春」はオリジナルからしてずいぶん物悲しい曲だと思っていたが、さらにしみじみとしていて、もののあはれを感じさせる。
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   <title>異安心</title>
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   <published>2011-09-10T02:45:13Z</published>
   <updated>2011-09-10T02:50:38Z</updated>
   
   <summary>『超訳 ブッダの言葉』や『偽善入門』などを著し、このごろメディア露出度が高い僧侶...</summary>
   <author>
      <name>おの</name>
      
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      <category term="Diary" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.tgiw.info/weblog/">
      <![CDATA[『超訳 ブッダの言葉』や『偽善入門』などを著し、このごろメディア露出度が高い僧侶、小池龍之介師が、浄土真宗から破門されていた。仏教教団で最も思い罰である波羅夷（教団追放）である。 

破門の経緯は、小池師のお寺のホームページに<a href="http://iede.cc/s/keii.html">記載されている</a>。浄土真宗と異なる教義を流布したことが原因で住職申請が認められず、お寺を宗派から離脱・単立化させたため、他宗派の寺院を設立して活動してはならないという規定に基づき、破門されたということのようだ。 

浄土真宗と事なる教義を流布したことについて、小池師は「仏教とは釈迦の教えを根幹にしたものであり、浄土真宗も仏教である以上は、釈迦の教えに学ぶのも修行をするのも決しておかしなことではありません。釈迦の教えと浄土真宗の教えが相反するというのであれば、浄土真宗は仏教ではなくなってしまうということにならないでしょうか」と反論している。 

小池氏は東大教養学部（ドイツ地域文化研究）卒で、理論派僧侶として「解決！紳助の駆け込み寺」にも出演していた。瞑想をよく説くので、破門よりも真宗の僧侶だったことに驚いたくらいだ。 

私もその傾向があるが、理論派というのは原理主義に走りやすく、初期仏教（テーラワーダ仏教）に惹かれていく。初期仏教は、これまで「小乗仏教」と揶揄してきた南伝仏教に多く伝わっており、仏教学の成果もあって近年ようやくその内容が日本に知られ始めている。 

ところが日本の伝統仏教は、中国経由で長い年月を経て伝えられてきたものだから、初期仏教とは様相が異なる部分が多い。初期仏教も伝統仏教も重んじて、両者のギャップをどう解決するかが、現代の日本僧侶の課題となっている。小池師も当然この意識はあるのだろうが、反論からは主従関係（浄土真宗が従）が垣間見れる。これでは異安心と取られてしまうだろう。 

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異安心（いあんじん） 
正統説とは異なった見解・解釈。ことに親鸞が説いた真宗の安心とは異なった異端説をいう。親鸞当時すでに一念他念の諍いがあったが、蓮如のころに至って最も多くこの異端が現れた。十劫秘事・一益法門・施物だのみなどがそれで、その後、地獄秘事・御倉法門などの秘事が現れた。事件としては宝暦十三年（1763）に起こった三業惑乱が最も著名。（仏教語大辞典） 
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曹洞宗ではあまりこういったことをいわないが、外道であるバラモン教、特に仏教徒とひたすら対立し続けたウダヤナの研究などして、インドのバラモンに師事したりもしているので、他人事ではない気がする。 

ただ、宗派は純粋に教義だけで動いているのではない。教団である以上、政治というものがあり、原則から外れることがあっても、トップに立つ人の鶴の一声や多数決で決まっていくこともある。小池師の破門でもうひとつ思うのは、故郷山口県のお寺の周囲に応援してくれるご寺院さんがいなかったのだろうかということである。 

東京で活躍しても、故郷を蔑ろにすれば、しっぺ返しはありうる。宗門系の大学を出ていればまだ知り合いも地元にいて応援してくれるだろうが、東大では孤立無援になりやすい。宗門は僧伽（僧侶の集団）で成り立つ義理と人情の世界なのである。これまた、地元でよく不義理をはたらいている私には、他人事とは思えないところである。 

教義のギャップと、人のギャップ。私は初期仏教も道元禅もどちらも同じ価値のあるものだと思うし、近隣のご寺院さんの力添えなしでは何もできない。なので単立化して破門されるなんてことは全く望まないが、フリーの僧侶となった小池師はかえって活動しやすくなったのかもしれない。今後の活躍を祈るところである。]]>
      
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   <title>松本インド哲学合宿</title>
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   <published>2011-08-26T01:57:56Z</published>
   <updated>2011-08-26T02:23:54Z</updated>
   
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      修士以来の指導教官が、日本学術振興会の科学研究費助成事業を取得して、「インド哲学諸派における＜存在＞をめぐる議論」プロジェクトを立ち上げた。その研究会で、長野県松本の信州大学へ。 

松本に行くのは初めてで、路線検索の通りに羽前成田―赤湯―大宮―長野―松本というルートで行くことにした。直線で行くことはできず、N字型のルートで6〜7時間。さらに松本駅からバスで15分。意外に時間がかかる。新宿周りのほうが乗り換えがよかったかもしれないが、篠ノ井線の姨捨駅から見た盆地の眺めが最高だったのでよしとする。 

道中は本を読んだり、ボードゲームの翻訳をしたり、寝たり。長野駅で1時間ほど待ち合わせの間に、ネットカフェに行ったら信州大学シミュレーションゲーム会の部室を教えてもらったので。大学に着いてすぐ訪問したが、夏休みのせいか誰もいなかった（カギは空いていたが）。

まずはひと通り自己紹介。インド哲学の若手研究者が約30名が勢ぞろいするのは見ものである。外国留学からわざわざ一時帰国して参加した人もいた。そして今回のプロジェクトの趣旨が説明された後、研究発表が始まった。私は発表がないので気楽なものである。 

基調講演は桂紹隆・龍谷大教授で、アビダルマから二諦説・三性説に至る存在の分類と、ヴァイシェーシカ学派とサーンキヤ学派のカテゴリー分類を概観した。次に丸井浩・東大教授は、長尾雅人氏の空の存在論と、W.ハルプファス氏のインド古典存在論から、基本的な論点を抽出した。藤永伸・都城高専教授は、ジャイナ教の存在カテゴリー分類を年代順に整理してまとめ、加藤隆宏・ハレ大研究員はヴェーダーンタ学派のバースカラについて、シャンカラとの対比から宇宙原理と個我の異同を説明した。桂教授は、初期仏教を含めたインド哲学全体のコンセンサスを提案したが、学派による隔たりは非常に大きく、一口に「インド哲学では」というのは難しいことが浮き彫りになる。 

和気あいあいとバスで宿に行って、温泉に入ってから夕食会と二次会。熱い哲学議論には加わらず、お寺や地震の話でのんびり。毎年4月に行われている新入生歓迎の研究室旅行のようで懐かしい。10年以上も前の話だが、あの頃私は何を考えて研究に没頭していたのだろう。40歳も近づいたせいか、どこか冷めている自分がいた。 

翌日は広島大のイジェヒョン氏によるバルトリハリの「二次的存在性」について。奇しくも4年前にお亡くなりになった谷澤淳三・信州大教授の最初の論文テーマだったという。過去と未来の言語表現を可能にするため、文法学派ののバルトリハリは仮の存在性を想定した。そこには時間の実在も背景にあって面白い。次にウィーン大学に留学中の江崎公児氏は、ウダヤナの刹那滅論批判にみられる滅や無の実在性についてである。「無は存在する」という後期ヴァイシェーシカ学派の枠組みは、インド哲学の特異点と言えるだろう。そして最後は鈴木孝典・愛知文教大講師によるヴァイシェーシカ学派の目的論。ヴァイシェーシカ学派は自然科学といわれることが多いが、解脱論を説いている箇所もあり、その目指すところは簡単に判別できない。そこがはっきりしていなくて中立的であるがゆえに、ほかの学派が利用しやすかったのではないかと思われた。 

全体討論では、存在論は言語哲学と切り離せないという提起が多くなされていた。インド哲学では、主にヴェーダの解釈学から始まった経緯から、語句と語句の対象の関係が深く考察されている。言葉の対象の実在を認めるバラモン教系諸派と、全ては心の中での出来事に過ぎないという仏教唯識系諸派で大きな論争が繰り広げられた。また、神の存在論証や、解脱の方法論とも密接に関わっている。これをどこまで広げ、どこまでまとめられるかが今回のプロジェクトの勝負となりそうだ。 

このプロジェクトは今年から4年にわたって行われ、最終的に専門外の研究者や一般読者にも分かりやすい書籍にまとめることをめざしている。私はどこまでコミットできるか分からないが、年に1回くらいの研究会に顔を出しながら、昔研究した「ものとものの共通性」の特質をまとめなおしてみようかと思っている。そのほかに、丸井先生から早く博士論文をまとめるよう（会うたび言われているが）言われたり、桂先生から議論に関する術語集をまとめるように提案されたりと、身に余る激励を受けた。昨年、学会発表するきっかけになった後輩の結婚式もそうだったが、年に1度くらいはこうした場に出て刺激を受けることが必要だと思う。 

しかし帰り道もやはりボードゲームの翻訳。メールとチェックすると、新たな翻訳依頼が来ている。こうして秋は毎年、翻訳三昧になっているが、はたして勉強できるのか、乞うご期待。
      
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