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   <title>寺日誌</title>
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   <title>『タイムスリップ釈迦如来』</title>
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   <published>2008-04-21T06:29:41Z</published>
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   <summary>ダイビングスクールの教師である主人公と、不良生徒としてやってきた女子高生が事故で...</summary>
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      <![CDATA[ダイビングスクールの教師である主人公と、不良生徒としてやってきた女子高生が事故で紀元前のインドにタイムスリップしてしまう。そこにはブッダを名乗るオカマ坊主がいた。話を聞いているうちに彼こそが本物のブッダであることがわかる。「あんた、アタシの弟子にならない？」現代に帰るには仏教を史実どおり世界宗教にしなくてはならない。実に頼りないブッダを支えながら十大弟子を集め、中国の老子とギリシャのソクラテスを弟子にすることはできるのだろうか。 

主人公が「ダイバーだった」と言ったことから「ダイバダッタ」と呼ばれるようになったり、釈迦の妃ヤショーダラ姫を銀座のママに喩えたり、コロッセウムでソクラテスチームによるB'zとブッダチームによるSMAPの替え歌合戦が始まったりするなど、荒唐無稽なお話だが笑えるだけではない。シャーリプトラとソクラテスの議論はものすごい迫力で内容も唸らせられた。原始仏教の謎解きにもなっており、一風代わった仏教ガイドになっているとも言えるだろう。
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   <title>『遺品整理屋は見た!』</title>
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   <published>2008-04-18T01:10:00Z</published>
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   <summary>孤独死した部屋の清掃・消毒、遺品の形見分けや供養と処分を引き受けている会社の社長...</summary>
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      <![CDATA[孤独死した部屋の清掃・消毒、遺品の形見分けや供養と処分を引き受けている会社の社長さんのブログを本にしたもの。「天国へのお引越しのお手伝い」である。 

孤独死というと老人と思いきや、病死や自殺をした若い人も少なからずある。親が子どもの遺品整理を依頼してくる話は読んでいて切ない。 

死後10日も過ぎれば遺体の腐敗はすさまじい。散らかったゴミだらけの部屋にウジ虫、ネズミ、ゴキブリ……そんな中に踏み込んで清掃するのは遺族はもちろん、誰でもつらいことだと思う。その描写が生々しい。 

ただそれだけの猟奇趣味ではなく、背景にある家族や社会の問題、はては人間とは何かという哲学にまで著者は踏み込んでおり、非常に考えさせられることが多い。 

―自分のことは自分でやりなさい。 
子供の頃から私たちは親や学校の先生からこう言われ続けてきました。ところが、人はいったん死んでしまうとまったくそれができなくなってしまいます。着替えはおろか楊枝一本使うことすらままなりません。後のことは、この世に残って生きている人たちに任せるしかないのです。（あとがきより） 

本書は46話から構成されている。老親を見捨てる子、家出した娘が焼死、大量のアダルトビデオやフィギュア、実は妻を殺した犯人だった依頼者、ホームレスの遺品整理、自殺したストーカー、母が大事にしまっていた息子のおもちゃ、遺産相続で性格が変わる家族、皆引っ越してしまった大家、ウジ虫との格闘中に停電、息子を亡くした痴呆の母、集団自殺、溶けた遺体で転んだ作業員、自殺で血の海の部屋、じゅうたんに残った人型、遺品整理の生前予約、シャッター通りでの自殺、形見の猫29匹、8年間ゴミを貯めた豪邸、壁一面のゴキブリ、遺体が溶けてワンタンスープ、遠縁の依頼者、ひきこもり息子の自殺、残った百万円以上の借金、飛び降り現場の後始末、夏の公園で排ガス自殺、自殺予告、自殺したホテル部屋の極秘清掃、血の海の殺人現場……一口に遺品整理といっても死ぬ人も死に方もさまざまであるが、いずれもすさまじい。 

自分のことを気にかけてくれている人は、自分が思っている以上にたくさんいるものだ。それは家族とは限らない。ふだんからほかの人と連絡を取る習慣をつけておくこと、コレクションやペットはいい加減にしておくこと。年令に関係なく誰でも考えなければならないことだろう。
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   <title>東京キャラクターストリート</title>
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   <published>2008-04-14T03:58:00Z</published>
   <updated>2008-04-18T01:24:32Z</updated>
   
   <summary>昨日は山形からつくばに帰る途中、3月8日にオープンした東京駅地下の「東京キャラク...</summary>
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      <![CDATA[昨日は山形からつくばに帰る途中、3月8日にオープンした東京駅地下の「東京キャラクターストリート」に長女と寄ってきた。 
<a href="http://www.tokyoeki-1bangai.co.jp/feature/characterSt/">http://www.tokyoeki-1bangai.co.jp/feature/characterSt/</a> 

親子してテレビを見ないのでどのお店も素通り。わずか10分で帰ってきたが途中にカフェがあったり、壁にのぞき穴があったりと面白そう。 

一番気になったのはトミカショップ。組立工場とジオラマがあって、実際に手にとって遊べるようにもなっている。今度は長男を連れていきたい。きっと目を丸くして飛びつくはずだ。 
<a href="http://www.takaratomy.co.jp/products/tomicashop/tokyo/index_sp.htm ">http://www.takaratomy.co.jp/products/tomicashop/tokyo/index_sp.htm </a>

道中はすやすや眠る私のそばで、長女はずっと起きていた。目が覚めるとJRのカタログを切り抜いていて、「近郊の駅」というNゲージの鉄道模型がほしいという。お値段は136,500円。買えないといったら「どうしてうちは貧乏なの？」 
ちなみにこれ↓ 
<a href="http://www.eki-net.biz/trainshop/disp/CSfLastGenGoodsPage_001.jsp?GOODS_NO=49645">http://www.eki-net.biz/trainshop/disp/CSfLastGenGoodsPage_001.jsp?GOODS_NO=49645</a>]]>
      
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   <title>奉詠大会</title>
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   <published>2008-04-12T12:28:00Z</published>
   <updated>2008-04-18T01:22:15Z</updated>
   
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      昨日は地元の御詠歌の大会が高畠町で開かれた。今回はお釈迦様の生涯というテーマでナレーションとスライド・DVD上映をしながらその途中途中に花祭から涅槃までの御詠歌を入れていくという趣向。はじめにこの企画を聞いたときは実現可能性を疑うほどだったが、最後までうまくいった。 

私の今回の役目は開会式と閉会式の独詠（ソロ）、それから4人の修行僧役（シーツをまといステージ上でお釈迦様を罵る）、あとは会場設営などの人足。こちらは指示通りに動いていればいいので安泰だが、指示を出す宗務所の方々はたいへんそう。講員さんがひとり倒れるというハプニングもあり、うまくいったときは本人たちが信じられないような顔をしていた。 

御詠歌は毎年のことながら花粉症の喘息との闘い。気合で咳を止めて一曲通すのは精神がすりへる。終わると物陰にいってゲホゲホ。 

今回思ったのは、才能というのは私の知らないところにたくさん隠れているということ。御詠歌の才能、パソコンの才能、演技の才能、そして人を動かす才能。イベントになると本領を発揮するというのがお坊さんの特性かもしれないが、自分にはこれだけのことをする才能はないと思うことが多かった。その仲間としてやっていることが誇りだ。 

心配なのは参加者の減少である。昨年と比べて80人も減ったそうで、講員の高齢化が浮き彫りとなった。このままいくと10年後はホールでなくどこかのお寺で開催してもいいくらいの規模になる。今回の試みはその打開策でもあったが、普段から新しく始める方を増やす方策を進めておかなければならない。 

今回もうひとつの懸案は長女の保育園と祖母のデイサービス。朝は登園・通所前にこちらが出発しなければならなかったので知り合いにお願いして送ってもらった。年度初めで午前保育なのでお昼に母がいったん迎えに行きホールまで連れてきた。祖母が帰ってくる前に急いで帰宅。こちらもぎりぎりのスケジュールだったがうまくいったのでよかった。長女に独詠を聴かせることもできたし。
      
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   <title>最終の新幹線</title>
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   <published>2008-04-01T12:49:00Z</published>
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      今日は夜にお寺関係の会合があって、明日は朝から保育所の入所式があるので最終の新幹線で移動。23:30東京着で25:00ごろつくばに帰宅予定。 

ヘヴィーなので今日は昼寝しておきました。只今は福島近辺。眠くないので本でも読みながら行きます。
      
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   <title>『インドの正体―好調な発展に潜む危険』</title>
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   <published>2008-03-30T13:26:00Z</published>
   <updated>2008-04-18T01:26:54Z</updated>
   
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      <![CDATA[2005年秋から8ヶ月ほどにわたって行われた産経新聞の連載「巨象が動いた」をまとめたもの。IT景気で急速に注目度を集めるインドの影の部分に光を当てる。 

いまだ根強く残るカースト制度、売春の横行や花嫁持参金の高額化、ヒンドゥーとイスラムの対立、カシミール問題、大津波被災、HIVの急速な広がり、農村の貧困と自殺。IT景気で中間層が大幅に拡大し先進国並みの生活水準が目立つようになったインドでも、まだこれだけの心配事がある。 

ヒンドゥー系の学校でのインタビュー（p.47）がばればれの嘘をつくインド人らしくて面白い。校長室にガンジー（イスラム教徒への融和政策を唱えたガンジーを、ヒンドゥー至上主義者は批判している）の肖像画が掛かっていないことを指摘されると「いえいえ、違う部屋に……」、翌日行くとちゃんと掛けられていたという。 

一方RSS（民族義勇団）ではカーストに反対し、姓（姓からカーストが想像できる場合が多い）を呼ばない試みを行っているという。メンバー間のつながりを強くするためであるが、ヒンドゥー至上主義も伝統を取捨しているところが面白い。 

カースト差別は大津波被害でも問題になった。カーストが低い被災者たちの支援が後回しにされたり、上位カーストが同じ避難所で侵食を共にするのを拒絶したりした。「大津波もカーストの壁だけは壊すことができなかった」という（p.70）。 

カースト判断の大きな目印になるのが肌の色である。アーユルヴェーダ系の化粧品で一財産を築いたシャナーズ・フセインは言う。「肌の黒い男性が白い肌の奥さんをもらいたがるのは、生まれてくるに期待するからよ。少しでも肌の白い子どもができれば、その家にとって慶事だわ」（p.82）。 

サブタイトルの割にネガティブな記事ばかりではない。JICAが技術指導して大きく品質を向上させた養蚕業、2014年までにインド全国で3500教室を意気込む公文学習塾、コルカタとムンバイのジムが張り合っている女性ボクシング、ヒンドゥー教徒がガンジス川が汚れているということを認めたがらない中で効果を上げにくいODAの水質改善事業。著者も書いている通りインドをいろいろな角度から切った断面のごく一部でしかないが、知らなかったインドのさまざまな姿に触れられて楽しかった。
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   <title>挨拶は必要か</title>
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   <published>2008-03-30T12:42:00Z</published>
   <updated>2008-04-18T01:18:07Z</updated>
   
   <summary>先日、お寺の近くにお坊さんが庵をかまえて住んでいるというので訪ねてきた。恩師のお...</summary>
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      先日、お寺の近くにお坊さんが庵をかまえて住んでいるというので訪ねてきた。恩師のお兄さんでもともと知らない方ではなかったが、まさかこんな近くに住んでいるとは知らず驚く。普段はなかなか話せない仏教のこと（皮肉なことに住職同士では仏教の話をほとんどしない）をじっくり話せて満足した。 

でも近隣のご寺院さんたちはそういう方がこんな近くに住んでいるというのを知らないようなのである。そこで何人かに「こういう方がいる」とお話してみた。お檀家さんを取るようなつもりはないと伺っていたし、よくよく言葉を選んで紹介したのだが好意的な反応がない。無関心かネガティブな感想ばかりだった。田舎は余所者に厳しい。 

そこで近隣のご寺院さんたちと顔見知りになっておいたほうがよいのではないかと思い、そのお坊さんに、要職に就いている方2,3名に挨拶に伺うよう提案。私が案内するということで一度は乗り気になったのだったが……。 

そのお坊さんがまず電話をしたところ、もう予定が入っているとかで断られたらしい。私には「日を改めてということになった」という連絡がきたが、いつになったか分からない。そこで今日電話してみた。 

そのお坊さんはなぜか態度がずいぶん硬化していて、自分から挨拶にいく理由はないと仰る。反対に、挨拶が必要だという考えは江戸時代の一村一カ寺の発想だから、そんな古いことに拘るべきでないとも。 

いつもなら「はいそうですか」と引き下がるところだが、相手はこういう議論をしても気を悪くなさらない方だろうと思ったので反論を試みる。これは江戸時代の発想ではなく、釈尊の時代から受け継がれてきた僧伽（僧侶の教団）の考え方なのだと。すなわち僧侶は集団としてひとつなのであり、集団である以上は組織がある。僧侶であるということは、組織の一員ということであり、同志と仲良くやっていくために挨拶は必要であると。 

いつもだったら私自身が先輩から言われそうな台詞を、よく年配の方に偉そうに言ったものだ。「あなたに言われることではない」と拒まれたのは当然だろう。だがそのうち、そのお坊さんは孤高を貫こうとしている自分の態度が小乗的と言われれば分かると仰った。私の言おうとしていることは伝わったようだ。 

議論はさらに続く。そもそも仏教は普遍宗教だから挨拶したほうがよいというのは視野が狭いと言うので、仏教は教理だけではなくて、地域に根ざした文化という側面も見なくてはならないと返す。文化である以上は様式があり、儀礼も形式だからといって無視できない。ましてや曹洞宗では「威儀即仏法、作法是宗旨」といって形を非常に重んじる。 

後から振り返ればこれもあまりよい理由ではない。「文化」という指示範囲の非常に広いマジックワードを提出している時点でやや詭弁の匂いがする。対機説法が仏教の基本だが、仏教の教理に大きな価値を見出している方には、仏教の言葉で説得するべきだった。 

そういうわけで結局伝わらず、挨拶に行くという説得は失敗。反対に「あなたは東大印哲出てて、奈良先生とか竹村先生の後輩なんだから、そんな小さいことに拘ってはいけないよ」と言われる。「一山の住職ですと、マクロな視点とミクロな視点の両方をもちあわせていなければならないんですよ」と、一応立場は理解していただいた。また遊びに行きます、こちらにも来てくださいと言って電話を切る。 

20分ほどだったが、これだけまともに相手に反論しあったのにさわやかな気持ちで電話を切ることができたのは親子ほどの歳の差があったからかもしれない。自分の意見を否定されることと、自分の人格を否定されることの区別がつかない人が非常に多い。私もそうだったが、どんなに無茶苦茶でもダメ元で言ってみる人が多いインドでずいぶん&quot;良い加減&quot;になった。 

理論と実践は、どちらが欠けていてもダメだと思う。経論を読んで教理への理解を深めつつ、ご寺院さんやお檀家さんと俗っぽいお付き合いもする。問題なのは、気がつかないうちにどちらかに偏ってしまっていることだ。今日の議論で、君子の礼儀がいつの間にか小人の媚びへつらいになってしまっているのではないかと反省したところである。 

「仲間の中におれば、休むにも、立つにも、行くにも旅するにも、常に人に呼びかけられる。他人に従属しない独立自由を目指して、犀の角のようにただ一人歩め。（『スッタニパータ』）」
      
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   <title>一番の新幹線に乗り遅れる</title>
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   <published>2008-03-26T23:16:00Z</published>
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   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.tgiw.info/weblog/">
      月曜の早朝に山形入りし、火曜日に葬儀が終わって深夜帰宅。週末までつくばにいるつもりだったが、昨日の夜にまた訃報が入り、本日の早朝また山形入りすることになったところである。 

5:07つくば発のTX始電に乗るには、バスがまだ走っていないのでタクシーで行かなければならない。月曜と同じく4:45に予約したが渾身の寝坊。午後4時に目覚ましをかけるという基本的なミスであった。新聞配達のバイクの音で目が覚めたのが5:10。飛び起きて5分で出発した。幸いタクシーは待っていてくれたが30分も待たせて申し訳ないことをした。 

この寝坊のため一番の新幹線に乗り遅れ、次の新幹線が2時間後。というわけで大宮まで来てネットカフェに入っている今である。モバイルSuica特急券は受け取り後も変更ができることがわかったのが成果か。 

今度のつくば帰りは来週の火曜日。
      
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   <title>モバイルSuica特急券</title>
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   <published>2008-03-24T05:08:00Z</published>
   <updated>2008-04-18T01:15:46Z</updated>
   
   <summary>今月15日から始まったモバイルSuica特急券を初めて使った。携帯電話で新幹線の...</summary>
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      今月15日から始まったモバイルSuica特急券を初めて使った。携帯電話で新幹線の指定席を予約し、チケットレスで新幹線に乗れるという便利な代物である。 

これまではインターネット予約しても駅の発券機で受け取る必要があった。みどりの窓口と比べれば混んではいないが、発券機に行くのに遠回りしなければいけない駅もあるし、機械が処理するまで結構時間がかかる。荒川沖駅で発券することもあるが、発券中に後ろから刺される可能性だってあるわけだし。 

モバイルSuica特急券では専用のアプリを起動して暗証番号を入れ、乗る列車を選ぶ。「受け取り」を選択すると確定。あとはそのまま新幹線の改札で携帯をかざすだけ。赤湯駅のような田舎の駅にもちゃんと専用の改札機が設けられ、また携帯をかざすと降りたことになる。 

発券の手間いらずというメリットに加えて、指定席なのに自由席より安いというメリットが大きい。上野〜赤湯は9600円。普通に買うと自由席が9640円、指定席10,850円だから、1割引以上である。これまでもえきねっと割引（発券機割引）400円があったが、割引率大幅アップで嬉しい。 

問題は携帯を忘れたり落としたりしたらどうしようもないことと、座席番号や発着時間をちゃんと控えておかないとまたアプリを起動させてネットにつながないといけなくなること、あと1人分しか予約できないので家族と行くときは使えないことぐらいか。今日は思わず駅員さんに操作方法を聞いてしまった（が、駅員さんもよく分からなかった）。 

ほぼ毎週乗っている新幹線。安く乗る情報にはいつも耳をそばだてている。値下がりしているJR東日本株を買って株主優待でもと思ったが1株80万円で2割引が1回のみ。回数券は赤湯からのものがなく割引が少ない。定期券を買うほどには乗っていないし……そんなときにモバイルSuica特急券。これから活用させてもらうつもりだ。 

今朝は4時起きでタクシーに乗り、5:07発のつくばエクスプレス、6:18分上野発の新幹線、長井線、母の迎えで9:30寺到着。ややねむい。
      
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   <title>『ある記者の出家物語』</title>
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   <published>2008-03-22T04:59:28Z</published>
   <updated>2008-03-22T05:05:23Z</updated>
   
   <summary>朝日新聞の記者として「こころ」欄を担当していた著者が、仏教に惹かれ早期退社して得...</summary>
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      <![CDATA[朝日新聞の記者として「こころ」欄を担当していた著者が、仏教に惹かれ早期退社して得度、曹洞宗の僧侶となった。参禅会から始まって僧侶として生きるまでの一大顛末記。
東京国際仏教塾に入り短期修行、家の近くのお寺や金沢大乗寺での参禅、ついに発心して出家得度する。そして金沢大乗寺に1年間の安居。送行してからは得度したお寺の徒弟として法要や葬儀に参加しつつ、東京国際仏教塾の事務局長に就任した。
伊豆の小さいお寺に住まうも金沢大乗寺の堂長であった板橋禅師から本山に呼ばれる。僧侶になるのは僧侶の子どもがほとんどという現代日本で、本当の在家から僧侶になるには志と縁の両方がなければならないことがよく分かる。
筆者を支えたのは仏教の教え。特に「一切衆生悉有仏性」である。無我と自灯明の相克も、存在するものが互いに許し合っているということも、いただきますやごちそうさまの心も、この教えが源になる。理性をもって仏教に正面から向かい合い、悩み、自分なりの答えを出していく姿に心打たれる。

今生きている生が意に沿わないからといって目を閉じて、しょせん迷いの世界のことだと敬遠して別の生や涅槃の世界を思い描いたりしてもなんにもならない。「仏あれば」という条件が、「仏あり」という確定に変わるまで修行を続ける以外になすべきことはない、と。（p.178）

本書は仏教塾で行ったインド仏跡巡拝の旅、退社から参禅まで、得度から送行まで、現在と説法、その後の所在と5つの内容からなる。団塊世代で今の生活に何かもやもやしたものを持っていたら、この本が光明になるかもしれない。

著者は実は小学時代の恩師のお兄様。現在はうちのお寺の比較的近くに庵住まいしている。著者献本に感謝。
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   <title>不偸盗戒</title>
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   <published>2008-03-18T04:09:00Z</published>
   <updated>2008-03-22T05:15:25Z</updated>
   
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      <![CDATA[「学道の人は先づすべからく貧なるべし。財多ければ必ずその志を失う（道元）」と戒められる僧侶も、一市民でもある現代においては無所有というわけにはいかない。ただ、都会の大寺院を除きほとんどの場合は収入は普通に就職するよりずっと少ない。 

それなのに年間の経費が最低これくらいというのがあるので、やりくりに頭を悩ませなければならない。経費分は非課税だが、その分寄付のお願いがやたらと来る。先日地震で崩れた能登のお寺の復興では、15億円の寄付を集めるという。 

そんなわけで1つのお寺で住職と副住職（多くの場合息子）が2人でやっていくのはかなり厳しい。1人いないと困るが、2人いてもまた困るというわけだ。そこで副住職は住職が元気なうちは一般職に就職していることが多い。私にはその経験がないが、なかなか難しい立場だと思う。 

ほんとうは若い僧侶が活躍でき、かつ経済的にも安定できる立場がお寺の中にあればいいのだが。昔ならば訳経所、養護施設、保育園などがあったが、すでにお寺はそういう機能を担う力がない。檀家さんの将来を危ぶむ前に、将来を担う若い僧侶の志がきちんと育まれていくのかを考える必要がありそうだ。 

<a href="http://www.nikkansports.com/general/news/f-gn-tp0-20080317-336706.html"><strong>法要先で腕時計盗んだ副住職を逮捕</strong></a>]]>
      
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   <title>変態親子</title>
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   <published>2008-03-12T14:44:00Z</published>
   <updated>2008-03-22T05:13:12Z</updated>
   
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      先週の土曜からずっと山形。長女は保育所に通い、私はまだ引越し作業をやっている。一番重い本が本棚20架分。いつ終わることやら。 

入浴のとき、長女が父の○○をつまむイタズラを覚えた。小さいおっぱいでは飽き足らなくなったらしい。どっかのマンガかバウで覚えたのだろう、今日は「このロリコン野郎！」なんて言いながらつまんでくる。つい「逆だろ！」と言ってしまったが、余計なことを教えてしまったなぁ……。 

今はメールの対応に追われる父のひざでスヤスヤ眠ってます。

      
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   <title>ジェネリック薬品</title>
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   <published>2008-03-09T13:25:00Z</published>
   <updated>2008-03-22T05:11:54Z</updated>
   
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      「近頃の若い者は」という枕詞でよく出てくるのが花粉症である。おとなしく聞いているがその私も中学生からの花粉症。

このところ花粉予報が「非常に多い」の関東地方。花粉症の薬がなくなったので金曜の午後に耳鼻科に行く。ところがさすがこの季節、駐車場がもう満車で入れなかった。 

ここで待っていても軽く1時間を超えそうだと思い、一計を思いついていきつけの内科へ。最近開業したばかりで、いつ行ってもほとんど待ち時間のないところだ。この日も果たして誰もいなかった。受付を済ませたらすぐ診察室へ。先生から「お久しぶりです」と挨拶されて戸惑う（「おかげさまで」が正解だったと後で思ったが）。 

そこで咳の薬と一緒に、今飲んでいる薬の処方箋も書いてもらえないか恐る恐る聞いてみるとOK。ただジェネリック薬品だったため、近くの薬局に聞いてみると置いていないという。オリジナル薬品と薬価を調べてもらうと、2倍以上の開きがあった。同じ薬が、そんなにも違うものだと驚く。 

前にその薬をもらった薬局に行くことにしてジェネリック薬品を処方してもらい、無事4週間分を入手できたのであった。長期間飲むので、保険が効いても1000円以上安い。 

どこかの製薬会社の宣伝で「お医者さんにジェネリック薬品をお願いしてみましょう」というのがあったが、同じ薬品にそんな種類があるとは知らないし、お医者さんも忙しそうなので言われた通りにするのが普通だろう。今回はいい勉強になった。
      
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   <title>お寺の若奥さん</title>
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   <published>2008-03-08T23:57:00Z</published>
   <updated>2008-03-22T05:09:37Z</updated>
   
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      昨日は近隣のお寺さんの結婚披露宴に招かれてきた。6年前の自分の結婚式をあれこれ思い出して懐かしくなる。 

私の結婚式では、パンフレットにダンマパダの以下の言葉を印刷した。「家庭を築く」ということに自分の中でいくばくかの違和感があったからである。空々しかったというべきか。 

piyehi appiyehi kudacanan maa samaaganchi piyaanam adassanam appiyaanam dassanam ca dukkham. tasmaa piyam na kayiraatha, hi piyaapaayo paapako yesam piyaappiyam natthi tesam ganthaa na vijjanti.(210-211) 
（愛する人と会うな。愛する人に会わないのは苦しい。また愛しない人に会うのも苦しい。それ故に愛する人をつくるな。愛する人を失うのはわざわいである。愛する人も憎む人もいない人々には、わずらいの絆が存在しない。） 

しかしその後、もうひとつのダンマパダの言葉を知った。出家して独り歩むのがいいことは揺るがないが、パートナーをもつこともときに悪いことではないという。そして実際に私がいま感じていることでもある。妻に感謝。 

nipakam saddhim caram saadhuvihaarim dhiiram sahaayam sace labhetha, sabbaani parissayaani abhidhuyya tena attamano satiimaa careyya.(328) 
（もしも思慮深く聡明でまじめな生活をしている人を伴侶として共に歩むことができるならば、あらゆる危険困難に打ち克って、こころ喜び、念いをおちつけて、ともに歩め。） 

さて昨日の披露宴だが、式師さんの「愛妻、良妻、&quot;共&quot;妻（最初「悪妻」といい間違えそうになったが、それもまたよしではないか）」という話、新婦の恩師である商学部教授が「失敗をたくさんすること、自分のことをよく説明すること」という話、新婦の手紙の中の「お寺の若奥さんになる」という話が心に残った。 

結婚が極めてプライベートな話になっている現代において、僧侶と結婚するというのは特別なことなんだなと実感。就職や入信も伴ってしまうのである。遠くに住んで仕事をもっている私の妻の場合はちょっと違うが、私が住職である以上彼女もお寺とは全く関係ありませんというわけにはいかない。 

そんなことを考えると何だか気が重くなってしまったが、前途多難なほうが取り組み甲斐もあるというものだろう。短い人生のわずかなひと時を一緒に歩んでいく若き二人に幸多かれと応援していきたい。
      
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   <title>『〈問い〉の問答―同時代禅僧対談』</title>
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   <published>2008-03-08T22:58:00Z</published>
   <updated>2008-03-09T13:52:23Z</updated>
   
   <summary>現代の仏教について自分の言葉で刺激的な発信を続ける2人の禅僧がついに出会うべくし...</summary>
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      <![CDATA[現代の仏教について自分の言葉で刺激的な発信を続ける2人の禅僧がついに出会うべくして出会った。生と死、言葉と世界、自己と他者、修行と菩提……こうした一件対立しそうなものの境界線上にあるものをじっくり語り合う。 

僧侶の法話というと、悟ったようなふうの話が多いものだが、この2人は安易な答えを出さずにひたすら問い続ける。それは、答えがひとつに決まらないことが「無常」ということだからであり、絶えず変わっていく自分をしっかりと見つめ続けることだからである。死とは何か、言葉で言い表されないものとは何か、僧侶であるとはどういうことか、人間は慈悲ができるのか、宗教が今できることは何か、正法とは何か？ 

僕はですね、徹底的に相対化を止めない、裏切り続ける―つまり、「無常である」という言説を教えとして実現するには、一定の立場を常に自分で破壊していくことがぜったいに必要なんだろうと思うのです。（p.95） 

偉い僧侶が「仏の慈悲、菩薩の慈悲はありがたい」などと言いますが、そんなことはどうでもいい。「そういうあんんたの慈悲は何なのか」を聞きたいわけです。（p.167） 

方便や願生は一般に「ほかにも道があるけれどもそれを選ぶもの」と捉えられているが、これを「それ以外に選択肢がないことを引き受ける」という南さんの考えは心に残った。これが他者と強く結びつく大乗仏教の根本に関わるところである。 

そのとき僕が思うのは、方便というものの厳しさです。「嘘も方便」みたいな言い方があるから、適当にやっていいのかと思うと大間違いでありまして、方便と〈全責任を自分に置いてやる〉という、一種の賭けなんですよ。（p.131） 

「願生する」ということも、それは「好きにしていいんだよ」というようなものではなく、そこにしか行くところがないという状況で「わかりました」と引き受けて娑婆に生まれた、ということだと思います。（p.202） 

現代の諸問題についても積極的な発言が見られるのもこの2人ならでは。釈尊、中論、法華経、般若心経、道元、親鸞、良寛をどう捉えるかという教義的な問題についても考えを深めるつつ、ある場面ではその博識を投げ捨てて一人の人間として同じ時代を生きる人々と共に歩み、共に考えようとしている。 

〈個性〉というのは、やはり褒められる部分しか意味しないわけですよ。そうなると、子供は自分のなかの褒められる部分だけしか表に出せないから、分裂していく、それはとうぜんです。（p.236） 

けれど、これは理屈ではない。なぜ自殺しちゃいけないのか。かくかくしかじかなんてことは、ぜんぶわかったうえで自殺するんですから。自殺する人間は、自殺しちゃいけない理由も、生きなきゃ理由も全部わかっている。（p.246） 

この2人の対談自体がそうだが、ひとりで悩むよりも多くの人と出会うことが新しい局面を開いていく。本当に自分と問題意識を共有する人にめぐり合うことができたならば、自分の言葉はまっすぐその人の心の中に届くはずである。 

お坊さんで、すぐお金の話をする人と、質問をいやがる人、「自分の寺は立派だ」みたいなことを言う人とは、長い付き合いはしないほうがいいと言います。だけど、そうでなかったら、とにかく誰でもいいから、お坊さんとお友達になりなさいよ、ということは言います。（p.312） 

グサグサと心に刺さる言葉ばかりで、普段あいまいに思っている自分の中の〈問い〉を新たにすることができた。宗派問わず僧侶の方に一読をお勧めしたい。僧侶以外にも、生きること一般に苦しみを感じている方にはぜひ。癒しは得られないかもしれないが、自分の苦しみを読みながら聞いてもらっているような感覚になるはずだ。
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