マイブームの変遷
私の生活に深く浸透したもの、コンプリート欲求を追及してしまったものを、記憶のため思いつくまま列挙しておきたい。
- ピンポンパン(保育園時代)[テレビ番組]
幼児テレビ番組。あまり覚えていないが、最後に木の中からおもちゃをもらえるのがうらやましくてよく見ていたような記憶がある。一方で同じぐらいの時間帯にあった「ひらけポンキッキ」は見ていない。ムックが赤くて目も怖かったせいかもしれない。
- ブロック(保育園〜小学低学年時代)[玩具]
何というか忘れたが、レゴブロックではないブロック。お城や車を作ったり、何だか訳のわからないものを作ったりして創作意欲旺盛だった。友達ともよく一緒に遊んだ覚えがある。今考えてみれば、当時からインドア派だった。
- プリン(小学校時代〜現在)[食べ物]
小さい頃、母がせっかく作ったのに私が「プッチンプリン」の方がよいと言ってガッカリさせたという。プッチンプリンの味はさておき、底にあるバーを折ってプリンが皿の上に落ちるのが楽しかった。コンビニに行くと全種類チェックする癖がついている。
理想のプリンとは、本体が上の方まで均質に軟らかくみずみずしいもの、味はバニラエッセンスのほどよい香りと卵の味がすること。カラメルは香ばしくてすこしだけとろみがあることとほんのりとした苦み。量は小さすぎず大きすぎず。
一方ダメプリンは本体の上の方が乾燥などで固まってしまっているものは最悪。 カスタードやクリームなどとのブレンド自体はよいが、そっちの方が味が強くてはいけない。カラメルは色はあるけど味はなく、ゼラチンで固めたようなのはよくない。
- マシンロボ(小学低〜中学年時代)[玩具]
乗り物をはじめとする機械がロボットに変形するというおもちゃ。600円くらいでシリーズになっていた。好きだったのは「ポルシェロボ」で、アイデア募集に応募してゴールデンポルシェロボをもらったのが嬉しかった。
- ロボダッチ(小学中から高学年時代)[玩具]
小さいロボットの世界を広げるプラモデル。「大島」「小島」など、地形とロボットがセットになっていて、ガンダムのプラモデルよりも想像力をかきたてられた。箱庭指向か。
- キンケシ(小学中から高学年時代)[玩具]
キン肉マン消しゴムのこと。ゆでたまごのマンガ『キン肉マン』のキャラクターのゴム製人形。100円のガチャガチャで3体。1000円のセットもあった。なぜか肌色がいちばんとされており、特に「キン肉マンB(ファイティングスタイル)」が貴重とされていた。机の上で落とされたら負けというおはじき遊びではサンシャインが強かったのを思い出す。見るからに強そうだった。。
- 九十九一(つくもはじめ)(小学高学年時代)[芸人]
漫才ブームの火付け役となったお笑い勝ち抜き番組で登場したピン芸人。淡々とした話しぶりなのに、内容はぶっとんでいた。真似をしてテープに録音してみたりするほど。
- 週刊少年ジャンプ(小学高学年〜高校時代)[マンガ]
「北斗の拳」「キン肉マン」「魁!男塾」「ドラゴンボール」の黄金時代あたりから、主に近所の床屋さんで毎月まとめて読んでいた。「ジャンプ放送局」「ついでにとんちんかん」「燃える!お兄さん」などが好きで、単行本を揃えた。高校ぐらいになってやっと、敵を求めて無限に世界が広がっていく虚しさと、ギャグセンスのジェネレーションギャップに気付いて撤退。
- ビックリマンチョコ(小学中学年〜中学時代)[お菓子]
ウエハースチョコのおまけのシール。はじめは世界の景勝地にイラストを入れたシリーズだったが、まじゃりんこシリーズ、天使・お守り・悪魔シリーズになってからはまる。ホログラムのシール「天空ゼウス」が貴重。
- マルキンチョコ(小学高学年〜中学時代)[お菓子]
50円玉の形をしたチョコのおまけで漢字を図案化してシールにしたもの。デザインもさることながら、番号がついているため全部集めたくなってしまう。当たりか補助券3枚で1000円もらえるという特典がついていて、かなり回収した気がする。
- 少林寺(小学中学年〜中学時代)[習い事]
映画『少林寺』を見て主役のリー・リン・チェイ(ジェット・リー)にあこがれ、少林寺拳法を5年くらい習った。他の武術と違い、ダンマパダを唱えたり、昇級試験で仏教の教えについて筆記も課される。今考えてみれば、これが仏教を勉強するという最初の経験だった。今でも余裕があればまたやりたいと思う。
- ドラクエ(小学高学年〜大学時代)[玩具]
爆発的にヒットしたファミコンゲーム『ドラゴンクエスト』。自分の名前を付けた主人公が成長していく楽しみは中毒性があった。ファイナルファンタジーは1でやめてしまったが、ドラクエは6まで続け、プレステになる7で諦めた。
- トロンボーン(小学高学年〜大学時代)[習い事]
小学6年のときに鼓笛隊で始め、中学・高校と吹奏楽少年だった。大学ではオーケストラに入部、毎日数時間練習していた。今の楽器はコルトワ。上野の東京文化会館で行われた大学最後の演奏会は、大学院入試の当日だった。今は練習する時間がほとんど取れないでいたらすっかりダメになってしまったが、時間ができたらまたゆっくり練習したいと思っている。
- トイレ(中学時代〜現在)[生活]
少年期にありがちな恐いもの見たさ、中学生くらいの時期にありがちな清潔にしたい欲求、人がやらないことをやる喜びなどがあいまって、トイレ掃除をやるようになり、その延長でトイレや排泄について本を読んだりするようになった。フロイトの言う肛門期から卒業できていない証拠かもしれない。
- 妖怪人間ベム(中学〜大学時代)[テレビ番組]
早く人間になりたい心やさしい妖怪人間ベム・ベラ・ベロのアニメ。再放送で見たが、ヒューマンとホラーを兼ね備えた独特の雰囲気が好きで、ビデオを借りて全部見た。オープニング「それは、いつ生まれたのか誰も知らない」がお気に入り。
- 必殺仕事人(中学時代〜現在)[テレビ番組]
お金をもらって恨みを晴らすべく暗殺する時代劇。因果な商売の暗さを背負って生きている仕事人たちの葛藤は他の勧善懲悪的な時代劇に見られない。中村主水(もんど)も好きだったが、一番は三味線屋の勇次(中条きよし)。いつもウェイトトレーニングを欠かさない政(村上弘明)などの脇役も名優ぞろい。サントラをそろえ、ビデオを借りまくった。『主水死す』で一区切り。
- 1/35ミリタリーシリーズ(高校時代)[玩具]
田宮模型のミニチュアプラモデル。ナチスのことをあまり知らなかった私は、純粋にフォルムの面から「キングタイガー」などのドイツ戦車やドイツ兵が大好きだった。それに比べると日本やアメリカの戦車は丸みを帯びていてかっこ悪い。
- ドビュッシー(高校〜大学時代)[作曲家]
印象派と呼ばれるフランス不世出の天才作曲家。高校の時にかなりはまった。『海』と『夜想曲』の幽玄な雰囲気が好きで、さまざまなオーケストラで聴き比べたりもした。カラヤンの『海』にはくしゃみ(らしきもの)が入っている。大学に入ってからはだんだん小編成を好むようになり、結局『ベルガマスク組曲』『弦楽四重奏曲』などに落ち着く。
- 週刊スピリッツ(高校〜大学時代)[マンガ]
伝染るんです。に惹かれて少年ジャンプから進級。お金がないので主にコンビニで立ち読みだったが、吉田戦車、中川いさみ、中崎タツヤの三本柱に圧倒されていました。東京大学物語がエロ宗教漫画に走ってきたあたりからあまり読まなくなりましたが。
- 吉田戦車(大学時代)[マンガ家]
マンガ界に新しい旋風を巻き込んだ4コママンガ『伝染るんです』をはじめ、全てのキャラクターが常識を完全に外れた論理で動き出し、その外れ方にめまいすら覚えつつ楽しむと共に、外れる前のひながたである常識を深く考えさせられもする作品が目白押し。
- 中川いさみ(大学時代)[マンガ家]
4(6)コママンガ「大人袋」をはじめ、常識とされているものが、その実あいまいで虚構も多い点に注目。そこから独特のエスプリで笑いを引き出している。
- 伊丹映画(大学時代)[映画]
絶妙のキャスティングとストーリーのドロドロしたところが好きで、シリーズは欠かさず見ていた。『たんぽぽ』でリストの交響詩『レ・プレリュード』でラーメンが出てくるところが一番好き。監督が自殺したときはかなりショックを受けた。
- スネークマンショー(大学時代)[ラジオ番組]
高校時代の友達のすすめで聞き始めたラジオ番組。小林克也と伊武雅人がつくりだす狂気に近い独特の世界に大喜び。しかしその頃にはもう番組は終了していたらしく、収録したCDでのみ知ることができた。
- 嘉門達夫(大学時代)[芸人]
大学の友達が好きで、その影響を受けて聞き始める。「NIPPONのサザエさん」が最高傑作。コンサートに行ったりするほどの熱中ぶりだったが、「傑作集」とか行って前のネタをやったことから急速に冷めた。しかし、カラオケでは場が盛り上がるのでよく歌う。
- プーランク(高校〜大学時代)[作曲家]
オーケストラに入団すると、クラシックを「どのパートがおいしい(=目立つ出番がたくさんある)」といった聴き方しかできなくなり、その結果交響曲と管弦楽曲はほとんど聴かなくなる。そこで急激にはまっていったのがパリのモーツァルトと言われるプーランク。フルートソナタから聴き始め、ピアノ曲へ。フルートソナタを聴きにパユやロジェのリサイタルに行ったりした。
- ウルトラセブン(大学〜大学院時代)[テレビ番組]
実際にテレビで放映されたいたのは『ザ・ウルトラマン(なぜかアニメ)』で、再放送で『レオ』を見る程度だったが、大学の後輩に薦められてビデオで見たことから始まり、その深いテーマと哲学に心を動かされた。大学の卒業式の当日、モロボシダンが出ているというので『ゼアス』の映画を見る。
- ボードゲーム(大学〜現在時代)[玩具]
もともとは大学時代に夜ヒマだったので始めたものが、いろいろ買い集めていくうちに九段にあるゲームショップ・メビウスに出会い、それ以来ほとんどハズレのないドイツ製のゲームにのめりこむ。特にシュテファン・ドーラというデザイナーの作品は独特の雰囲気を醸し出していて、絶版ものも含めてほぼコンプリート。ルールやレビューを読んだりするためにドイツ語もかなり上達した。
- 小林製薬(大学〜大学院時代)[生活]
アイデア・ネーミング・清潔感どれをとってもステキな製品を次から次へと生み出しつづける大阪の会社。あるときドラッグストアを歩いていて面白い名前の製品はかなりの確率で小林製薬だったことに気づいたのが始まり。本社と工場の見学も果たした(外から)。
- ホームページ(大学院〜現在時代)[ネット]
大学でアカウントをもらって、後輩に作り方を教えてもらってから発信することの魅力にひきつけられる。何でもかんでもネタにしてきたが、今は日記とボードゲーム関連が主体で、1日中更新や閲覧をしていても飽きない。
- ブリーフ&トランクス(大学院時代)[芸人]
ラジオでたまたま聴いた「青のり」で注目。視点の細かい歌詞と軽快で絶妙なハーモニーが抜群の2人組。アルバムを全曲揃えてみた。「さなだ虫」「遠足」「石焼イモ」がお気に入り。カラオケでも歌う。
- 週刊モーニング(大学院時代)[マンガ]
スピリッツを卒業したので、手ごろな雑誌を探していたところ、須賀原洋行の作品に偶然出会い、それがもとでモーニングに傾倒。基本的には立ち読みだが、帰省のときなどいい時間つぶしになるので買ってしまうこともあった。
- 養命酒(大学院時代)[薬]
もともとは「必殺人」で中村主水を演じていた藤田まことが宣伝していたので気になる。その宣伝の中で「冷え性に」という文句があって、夏になると冷房病に悩まされていた寒がりやの私は、「おやじくさい」という壁を乗り越えて試す決心をしたのだった。これがなかなか美味しくて、月に2〜3回体調のおかしいときに飲む。
- 御詠歌(大学院時代〜現在)[歌]
曹洞宗梅花流詠讃歌。知らない人には「仏教の賛美歌のようなもの」と説明している。住職になった直後に近くのご寺院さんから声をかけられ、何となく師範養成所に入ったのが始まりで、お経とは違う歌の楽しさや法要における劇的な効果を覚えてしまう。機嫌が悪いときに出てくる鼻歌の7割は御詠歌。
- 増田こうすけ(大学院時代)[マンガ家]
きっかけは朝日新聞の書評だっただろうか、しばらくギャグマンガからご無沙汰していた私は、新しいタイプの笑いを発見することになった。妻も好き。
- シャー・ルク・カーン(インド留学中)[映画]
キング・オブ・ボリウッドと呼ばれるインド映画界随一の俳優。お笑い上がりで一見それほどかっこよくはないのだが、映画を見れば見るほどかっこよく見えてくるのが不思議だ。出演した映画はできる限りチェック。インドに留学して一番はまったものかもしれない。
1992年上京して2年間住んでいたのがこの三鷹寮だ。
三鷹寮は南寮と北寮に分かれていた。1部屋は3?6人で構成されており、サークルの名前がついていた。私が入った部屋は「スポ研」。1部屋といっても談話室、寝室、学習室の3つがセットになっていて、生活時間帯がまるで違っていても困らない。誰かが寝る頃に、誰かが起きる。
昔は馬場だったという敷地はものすごく広く、外でトランペットの練習をしている人がいるほど。建物の周りは森になっていて、誰も足を踏み入れることはなかった。ちょっと歩き回っったことがあったが、あまりの茂みで退散した。
テニスコートの裏にある浴場。渡り廊下があるので雨の日でもあまり濡れなかったが、冬は寒い。冬場は2日に1回で、よく近くの銭湯にいった。銭湯は早い時間に閉店するが、寮の風呂は午前になっても入れた。
遅くまで入れるということになると、ついウダウダしてしまう。同じ部屋や近くの部屋の仲間と連れ立って入りに行く。当時は疲れを知らない年だったが、おしゃべりしながら風呂につかるのはリラックスできる至福の時間だ。
夏の風呂上りは、隣りのホールで延々とビリヤードや卓球をしてから帰る。とにかく広い上に、だだっ広い建物がいくつもあり、夜の3時や4時まで遊んでいても何も言われない。金管楽器の練習でさえもすることもできた。
寮の食事は朝はサンドイッチと牛乳、夜は黒板に発表されたメニューをおばちゃんが作る。1カ月分の寮食費を払って、あとは自分の都合で2、3日前までに止食の手続き(黒板の前の帳簿に×をつける)ができた。止食分は翌月に還元される仕組み。こうした手続きも寮委員会の仕事だ。
「十時軍制度」は、朝も夜も十時を過ぎて残っていた寮食は誰でも食べていいという決まりである。9時50分くらいになると何人か集まってきてハイエナのように待っている。そして10時になると始まるじゃんけん。「ジャンケンポン!」かなり気合が入っていた。
各階にあるラウンジは、洗濯、物干し、電話置き場、冷蔵庫置き場、ゴミ置き場になっており、人の休む場所はない。掃除しようとしてもすぐに諦めざるを得ないような何十年分の汚れの蓄積で、通路だけ確保しておくのがやっと。スペース無駄遣いもいいところである。
昔はさぞたくさんの寮生が住んで、さまざまな寮内行事があったのだろう。ホールが2つもあった。1つはビリヤード兼卓球場になっていたが、もう1つはバイク置き場に。昔は何に使っていたのか分からない。廃墟寸前である。
ホールだけでなく、建物の中にも謎の部屋があった。ここはトレーニングルーム兼自転車修理場といったところ。昔は何に使われていたのだろうか。
トイレだけはおじちゃんが定期的に掃除していたので概して汚くはない。しかし、使用中止の貼り紙がずっと貼ってあったり、扉がなかったり、ナイスな落書があったりとその強烈さは印象的だった。
三鷹寮の広大な敷地にはたくさんの木があふれ、とくに銀杏の木は四季の移り変わりを色濃く映し出していた。木漏れ日が気持ちいい夏、そして黄金色に染まる秋、日差しが横向く冬。
自称「平成のムッソリーニ」とか、司法試験X浪でちょっとおかしくなっている人とか、いることはいたが政治活動の拠点になっているわけでもなく、寮委員会も酒癖は悪かったが中立だった。
しかし今になって振り返ると、友達と夜な夜な麻雀をしたり酒を飲んで語ったり、一緒に風呂掃除をしたり電話番をしたり、マンガ雑誌の回し読みをしたり、その結果午前中の授業はほぼ出られず、勉強はきまってテストの1週間前になってしまったが、そういう生活も、悪くはなかったような気がする。無駄だらけのスペースも、今そんな場所が果たしてあるだろうか。
チェコ共和国の弦楽四重奏団「コチアン・カルテット」の演奏会を地元で開くことになり,主催者兼司会として仕事をした.もともとは吹奏楽団の活動費を捻出するための方策だったが,世の中はそんなに甘くなく,会計の話ではおそらく赤字になったようだということである.それでも私自身の満足度,お客さんの喜んだ顔からすれば全く後悔のない演奏会となった.
お正月から近年まれに見る大雪が降り、除雪作業の毎日が続いた。何でも夏にカメムシが大量発生すると大雪になるらしい。カマキリの卵が高いところに作られると大雪になるという話もある。今年のカマキリの卵の位置の高低は諸説あったが、確かにカメムシは大量発生してあの強烈なニオイに何度も悩まされたことを思い出す。
予算会というのは研究室の卒業生・修了生の送別会のことで予餞会ともいう(予算会というのは単なる会場の間違い)。
いつもは西門から入るが,北門から入ってみる.後で地図で見たが完全に遠回り.20分くらいかかった.でも大学内にある郵便局が思いのほか近い.日本宛に葉書を出した.
そのような訳でやっと着くことができたK君と奥さんはまず大学近くのホテル・ピチョーラというところに泊まって家探しを始めた.家探しといえばこの人,ドゥルゲーシュの登場である.K君が来る前から連絡を取り,よいフラットがあるという情報を得た.私も住んでいるアウンドという街は大学から近い上に空気があまり汚れておらず,お店も揃っている.ここをテリトリーにしているドゥルゲーシュなら,私の場合と同じようにすぐにいい物件を見つけてきてくれるだろうと思われた.ドゥルゲーシュは大張り切り.いつにも増してテンションが高くなっていた.
ヨーガのクラスは,毎日同じことをするのかと思っていたが日によってメニューが変わる.あやしいものも少々.
昨日の夜ぐらいから家の裏でやたらメエメエいうと思ったら,ヒツジの大群が家の裏にたくさん駐留していた.どこからやってきたのだろう.
クロスワード
インターナショナル・ブック・サービス
サンスクリット・サーヒティヤ・ラトナーカラ
入ってみてその狭さにびっくり.床は人が一人寝れるぐらいしかなく(本当に店長が昼寝していた),三方を本棚に囲まれている.本棚には本が横に積み重ねられており,しかも奥にもある.はしごで登っていくロフトにも本が積み重ねられていた.
すると店長が倉庫に連れて行ってくれた.店から歩いて5分.ここも本がうずたかく積み上げられている.しかもぜんぶ包まれているので見づらい.店長があれはどうかこれはどうかと,いくつかの本を出してくれたが,ここでの購入はなし.K君は何冊か買っていた.
日本はだいぶ寒いそうだがこちらは日中は30度ちょっと,夜も20度前後という暖かさだ.肌寒いこともあるが蚊はいまだにいる.油断して蚊取りリキッドをつけないでおくと襲われる.それでも刺された後の腫れが小さいのは蚊の力が弱まっているせいだろう.
インドに来てから一番きちんと習っていると思うのは,サンスクリット会話だ.先生は修士課程のヴィナヤク.多いときは週に4,5日習っていた.彼は日本語を習っており,日本語の練習も兼ねている.さらにインドの見慣れない慣習も説明してくれるので,とても貴重な存在になっている.
アーナンダ・アーシュラマ Ananda Ashrama
K氏が街で見つけたポスターから、急遽コンサートに行くことになる。主演はザキール・フセインというタブラ(太鼓)奏者。入場料はS席700ルピー、A席500ルピー、B席300ルピーという高さだったが、客がたくさんつめかけていたので、有名な奏者なのだろう。会場は土曜宮殿(シャニワール・ワダ)という18世紀の史跡。宮殿は焼失し、現在残っている城壁の前に屋外ステージが設けられていた。我々はB席でステージから離れた芝生に腰を下ろす。
ストーリー:
こうして私は学会に参加することができたのである。またその間には主催者の一員となったジャー先生からの情報を聞いたり、ちょうど帰国する日程だったので飛行機を旅行会社のニシャドにアレンジしてもらったりもした。私が参加できたのは少なくとも松尾さん、石田君、広島大の本田さん、小林さん、フロリーナ、ジャー先生、旅行会社のニシャドのお陰である。
タージマハルは昔の王様シャー・ジャハン帝が亡き王妃のために建てた巨大なお墓である。総大理石で出来ており、白い大理石が黒ずんでしまわないように500メートル圏内は車が入れない。公園の入り口で車から降りて、歩いていくことになる。ここが絶好のぼったくりポイントなのだ。
大理石の建物の両脇には全く対称に同じ建物があり、左側はモスクでお祈りが行われていた。右側では大気汚染測定が行われており、電光掲示板で基準値を上回る数値が示されていた。車の往来から500メートル離したところで、この煙もうもうのインドでは完全に免れることができない。
第16回西インド地区日本語弁論大会に質問係として参加する。
プネー周辺の寺院めぐり。寺院といっても仏教ではなく、小島さんがこれまでに調査した土着の神様たちが祀られた寺院である。
ロード・オブ・ザ・リング(ネタバレなし)
昨年一時帰国する直前に自転車が盗まれてしまった。2つ鍵をしていたのだが、もうひとつがチェーンが緩かったらしく、見事に縄抜けされていた。アパートの駐車場には警備員がいることにはいるが、夜は家に帰ってしまうのでどうしようもない。となりのお姉さんはスクーターを盗まれたことがあるという。
近所のゴーパールさんというお宅を日本人から紹介してもらい、今週から夕食は弁当になった。
インドに戻って1ヶ月になるが、メインの教授であるジャー先生からは1度も教えてもらえなかった。
今日はホーリーという春祭りの日だった。太陰暦で期日が決まるので、毎年一定ではない。こんなに暑くなって春というのもなんだが、インドの春とはこんなものかもしれない。色のついた粉をかけあって騒ぐ。北インドの都市と比べるとプネーはおとなしいもので、しかも郊外ではあまり騒がしい感じはしない。それでも2,3日前から店頭で粉と水鉄砲(粉を水で溶いた色水をかける)が売られており、K君も子供に見事やられたというので家で大人しくしていることにした。
私が窓から覗いているとき、ちょうど下の階の窓からお姉さんの頭に水風船が直撃! 上を見上げたお姉さんと目が合ってしまう。「ナイーナイー!」自分がするのではないことを説明するのに一苦労。でも皆ゲラゲラ笑っている。不思議な光景だ。
プネー近郊のワイという街へ写本調査に行く。
しかしこのまま引き下がるのも情けない。カタログを見せてもらって何があるかチェックし、続いてどういう手続きをするか聞いた。先生の紹介状を送ると、許可証が発行されるとのこと。書類のやり取りは郵送で行うことにし、あと1回だけ来ればよさそうな話になったので納得。いずれにしてももう1回来なければならないような予感はしていたので、諦めもついた。サプレ氏は結局連絡していなかったそうな。あのオヤジめ。
Love in Nepal(ネパールの恋)
インドには年度末がない。大学の授業は2月ごろから始まったかと思ったら1ヶ月半で終わり、今はどこも試験期間中。4月に試験が終わると、あとは8月まで長い夏休みになる。
昨日行った「ラージュワダ(王宮)」で文法学のマヘーシュ先生たちと会食。今度は屋外の広い庭でインド料理を食べた。
先月に行ったワイの写本図書館を再訪。K氏が大学の先生に紹介状を書いてもらってそれを送り、毎日のように電話をかけたのに許可証が送られてくるまで2週間もかかった。
インドのトイレには紙がない。
先月に壊れたパソコンの修理が、今日終わった。東芝国際サポートが送ったハードディスクは日本からシンガポール、デリーを経てプネーへ。なんと修理係が自宅まで持ってきたところまではよかったが、新しい型でハードディスクが奥の方に入っていたため、その場の修理を諦めて本社に戻ることになった。
LDインド学研究所は11時の開所で、その前にゲストハウスの小林氏を訪ねる。レンガ造りの2階建に住んでいて、1階には誰もいない。それどころか、LD研究所に在籍している学生は彼しかいないというから孤独だ。あまり珍しいのでこれまで何回か新聞に載ったという。私だったらこの暑さの中の孤独に耐えられるだろうか。