エークハザール?!
- author: hourei
- 2008/02/29 12:03
昨日の昼は妻と昼食。最近見つけたエキスポ大通り沿いのインド料理店「グレートタージマハル」である。店に入った瞬間、朝のプージャーで使う線香のにおい。こりゃ本物だ!
店内ではインド映画の名場面が放映されている。アミターブ・バッチャンの若い頃のから、私が留学していた頃のものまで、やたら懐かしい。もう3回目くらいになるがこれまで店員にヒンディー語で話しかけたことがなかった。妻が言うのでちょっと喋ってみる。
「アージカーカリーキャーヘー?」(今日の日替わりは何ですか?)
「キーマオールマトン」(キーマとマトンです)
あまりにスムーズに返事が返ってきたのでびっくり。そしてどこで、なぜヒンディー語を勉強したのかという質問が返ってきた。インドでよく聞かれたのを思い出して懐かしくなる。妻は日替わり、私は「バッタルチキン(バターチキン)」を頼んだ。
全般に味は辛さ控えめだが、ショウガが利いていて美味い。マトンはよそでなかなか食べられないこともあってお薦め。
食後にチャイを運んでくるとまた話しかけてくる。
「カーナーケーサーラガー?」(食事はどうでしたか?)
「アッチャー」(よかったです)
レジの会計もヒンディー語。
「エークハザールアートソー」(1800円)
一瞬耳を疑ったがここは日本だということを思い出す。インドだったら超高級レストランか、単なるぼったくりのお店だ。インド留学中に1000ルピー札を見たのはほんの1度か2度である。
気を取り直して支払いを済ませると、ニコニコ顔で店員さんが言う。
「アープセーミルカルバホットクシーフイー」(あなたとお会いできてたいへん嬉しいです)
昼のランチはカレーしかないが、夜にはチョーメン(インド風中華焼きそば)、ビリアニ(炊き込みご飯)、ドーサ(スナック)など懐かしいメニューがあるようだ。また来よう。
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十把ひとからげ
- author: hourei
- 2007/05/13 00:21
インドの国勢調査
調査官「この村は何人?」
村長「300人ぐらいじゃな」
調査官「じゃあ300人……と」
国勢調査の年令分布
5才、10才、15才、20才……皆おおざっぱ答えるので5才おきに人口が妙に高くなる
なんていう噂をインド留学中に見聞したが、真偽のほどは分からない。でもこんなニュースを聞くと噂も本当かも。
電子投票機を山奥の村にゾウで運んだり、投票した人はツメにしるしをつけられたりと、進んでるんだか進んでないんだかわからない。
それが私にとってはインドの魅力に映るのだが、中国との石油開発協力とか、EUからの原子力発電支援とか、シリアスなところもこんな調子だったら大丈夫なんだろうか?
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大蔵経データベース
- author: hourei
- 2007/05/09 07:31
「大正大蔵経」データベース化…7月完成、9月無料公開
http://www.yomiuri.co.jp/net/news/20070508nt0d.htm?from=os1
ついにやりました。
かつて、平川彰先生だったかの追悼文で、「この語句はこの経典にあるというのを言うのは易しいが、先生はこの経典にないといえる先生だった」というような話があったが、今は検索で引っかからなければないということがすぐ分かるようになった。仏教学も新たな進展を見せるだろう。
その一方で、語句の意味をひとつひとつ吟味するという作業が疎かになるのではないかという心配もある。仏典は文字面だけではない。「研究する書物をパソコンに入力して、それで研究したつもりになっていたら大間違いだ」という高橋孝信先生の言葉を思い出した。
とはいえ、私もほんの少しの間だがアルバイトで入力作業をやっていたので、このプロジェクトの完成は素直に嬉しい。あまりに性能の悪いOCRにがっくりし、JIS規格にない難字が出てくると頭を抱えたものだ。
いつも法要でパラパラめくっている『大般若経』。いったい「無」と「空」はいくつ出てくるかとか、調べてみたい。
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あるインド哲学者の死
- author: hourei
- 2007/02/27 14:00
大学の先輩で,信州大学人文学部の谷澤淳三教授が20日にお亡くなりになったらしい.過労ということだが,まだ50歳前後だと思う.ここ1週間ほど,そのことでいろいろ考えている.
谷澤先生の専門はサンスクリット文法学.バルトリハリという5世紀ぐらいの学者が書いた『ヴァーキヤ・パディーヤ』という書物の解読から始まり,インド哲学一般に広範で刺激的な研究を続けられてきた.論文に「インド哲学で説かれたうそつきパラドックスの議論」「パーニニ文法学派の固有名論と〈フレーゲのパズル〉」など.「ゴジラは存在しないから存在する?」というタイトルでの講演もあった.
授業でサンスクリット文法学の基礎を教わったのは3年ほど前だったろうか.そのとき先生は黒板に「インド哲学」と板書し,「哲」のところにバツ印をつけて,今のインド哲学者に哲学をしていない人の何と多いことかと嘆いてみせた.「西洋哲学をやらなきゃインド哲学はわからない」とも.
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インド哲学の研究者が,もし「哲学」というものを志しているのならば,当然インド哲学における諸説を批判的に見るということが必要になると思うのですが,どうも現状を見ると,細かな文献学(もちろんそれはそれで非常に価値あることですが)にのみ精を出したり,かと思うと「ディグナーガ・ダルマキールティ教」の信者(と呼びたくなるよう)になってしまったり,せっかくの哲学的思索の宝庫であるインド哲学が宝の持ち腐れになってしまいかねません。(信州大学ホームページより)
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権威なんてクソくらえ!といった威勢のいい授業で,学会でも女子学生を引き連れて若々しい姿でいつも見ていたので,亡くなったというのがまだ信じられない.お得意の冗談なのでは?といまだ思っているくらい.
今回のショックは,インド文学の上村勝彦教授が『マハーバーラタ』全訳に取り組んでいる最中に癌でお亡くなりになったときの衝撃よりも,中観思想の江島惠教教授が駅で吐血して亡くなられたときの衝撃に近い.
上村先生はすでに多数の研究や翻訳を出版されているが,谷澤先生や江島先生は,その力量からすればもう1つや2つ,優れた研究を大部の書物にまとめることができただろう.そう思うとインド哲学という虚学に人生を捧げるその目的や幸せがいった何なのか分からなくなる.
少年老い易く,学成り難し.思うところあってしばらく手をつけていなかった博士論文に,重い腰を上げた.
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帰国
- author: hourei
- 2005/07/19 00:00
15日の朝に帰ってきました。帰国直前は部屋の引き払いやカシミール旅行、そして帰国直後は早速のお寺仕事で今日になってやっとウェブサイトに触れられます。
明日から娘を連れて山形へ。どうなることやら。
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終幕
- author: hourei
- 2005/07/15 00:00
2年間にわたる留学が終わる。正確には2003年9月〜2005年7月までで、その上1年に3ヶ月日本に帰っていたので実質上1年半に満たないが、想像していたよりも多くの成果を得ることができた。学業はもとより、日本では得がたい深い人のつながりができたのが大きい。
帰国直前は暇を持て余すだろうと思っていた。シュクラ先生の授業は7月1日に終わったが、10日に行われる先生の息子の結婚式までプネーに留まらなければならなかったからである。小旅行でもしようかと考えたが連日の雨で遠出する気が起きない。本を読んだり、昼寝をしたり、映画を見たりとだらだら…のはずだったのだが。
まずI氏が1つ仕事をもってきた。バンダルカル東洋研究所のバテー先生が今度中国で開かれる学会で発表しなければならなくなって、漢文の資料を集めているという。中世の中国人がサンスクリット語をどのように捉えていたかというのが課題。宋代に編集された梵漢辞典『翻訳名義集』をI氏とちょっと読んでみた。お経はいつも読んでいるものの、漢文を精読するのは久しぶりだなあ。
…I氏宅にて酒を飲みながら、だらだらと翻訳してみた。その結果わかったことは、中国人のサンスクリット語理解はアビダルマ仏教に依拠しているということだった。日本人だけでなく中国人にとってもサンスクリット語は馴染みのある言葉ではない。お経の翻訳に携わった訳経僧を除いてはその実は知られず、天竺の雅語というだけで過大に美化されたようだ。バテー先生が知りたがっていたサンスクリット文法も、アビダルマの体系を意味も分からないまま受け入れていた……という先生にとっては期待はずれ、我々にとっては予想通りの話。そしてミッション終了。
シュクラ先生の息子スシャントの結婚式に出席し、翌日からカシミールに5日ほど行って帰国した。翌日から早速お寺の仕事が待っていた。
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映画(31)テロ
- author: hourei
- 2005/07/10 00:00
Dus(10)
〈あらすじ〉
率いるテロ対策班は近いうちに大規模なテロが行われるという情報を入手した。テロリストの一味との攻防で次第に明らかになっていくテロ計画。それは5月10日、カナダで行われるサッカーの親善試合に集まった首脳を観衆もろとも爆弾で吹き飛ばすというものだった。刻々と迫る予定時刻。テロを防ぐことはできるのだろうか。
〈感想〉
最後にアビシェークが捨て身で爆弾が乗った飛行機を脱出させるシーン。親子の愛が心を打ち、涙ながらに見られない……はずだったのが、一瞬移った飛行機がプラモデルのジオラマまるわかりのちゃちいもので、そこで一気に萎えた。インド滞在中に見た映画は31本目だったが、30本で止めておいた方がよかったかもしれない。
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Munnabhai M.B.B.S.(ドクター・ムンナ兄貴)
- author: hourei
- 2005/07/07 00:00
2003年。誘拐して金を巻き上げるムンバイのギャング、ムンナ兄貴(サンジャイ・ダット)の一味に村から親が訪ねてくる。医者にさせたかった親を捨てて家出したムンナ兄貴は、子分を使い病院をこしらえて医者の真似をしていたが、ヤクザであることがばれてしまう。「オレ、医者になる。」そう決心したムンナ兄貴は医大にもぐりこんだ。
医大でははじめみんなから嫌われていたが、患者に親しみをもって接し奇跡を起こす彼を見てみんなが好きになっていった。物として扱われていた患者に笑顔が見られるようになり、病院が明るくなった。ムンナ兄貴は、病院に勤める女医スマーン(グレーシー・シン)を好きになる。
しかし彼とて万能ではない。胃癌の青年ザヒールが母が来る前夜にムンナ兄貴を頼りながら死んでしまう。翌日は彼の退学を求める学長の口頭試問だったが、「オレは人の命を救えない」と言って自ら去る。さあ、ムンナ兄貴の恋は終わってしまうのか。そして病院はどうなる?
実はインドに来たばかりの頃上映していたのに見過ごしてしまっていたもの。サンジャイ・ダットが見たくなってDVDを買った。笑いあり涙ありのコメディだが、笑いも涙もありきたりでオチが途中から見えきってしまい、心を動かすほどのものではなかった。だが、病院でほかの入院患者がいるのに真夜中にダンスを始めてしまったり、キャロムを遊んだりの破天荒さはありえないと思いつつも、現代の医療に欠けているものを思い起こさせる。健康な人でも病院に行くと気分が沈んでしまうのはよくない。
医は仁術なりと。
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Phir Bhi Dil Hai Hindustani(それでも心はインド人)
- author: hourei
- 2005/07/04 00:00
2000年。アジャイ・バクシ(シャールク・カーン)は「Kテレビ」超有名テレビリポーター。彼の活躍で視聴率を逆転されたライバル会社「チャンネル・ギャラクシー」は新しい美人ジャーナリスト、リア・バネルジー(ジュヒー・チャーウラ)を雇う。アジャイは彼女を一目で好きになるが、2人はライバルとして特ダネを出し抜こうとしていた。
そんなさ中、大衆に支持され、政治を動かす実力者が演説会で射殺される。殺した男モハン・ジョシはすぐ逮捕されたが、選挙を前にして争う姿勢を見せていた州首相と対立陣営はこれを選挙材料にしようと目論み、暴動を起こさせたり、お互いに相手が送り込んだ刺客に仕立てようとした。しかしモハン・ジョシは刺客でもテロリストでもなく、その実力者にひそかに娘を殺された一般市民だった。警察も政府も動いてくれなかったため、自分自身で報復を果たしたのである。
この事実をもみけしてモハン・ジョシをテロリストとして処刑しようとする政治家に、アジャイとリアは手を組んで立ち上がる。政治家は2人に警察権力で捕らえようとする。2人は警察の追っ手を逃れてモハン・ジョシを助けることができるか?
国を乱すテロリストとして公開処刑されることが決まると市民は政治家を支持し、アジャイが「みんなと同じインド人が今殺されようとしている」と訴えるとデモを始めるインド人の愛国心がこの映画のテーマになっている。インド国旗を振りながら行進するアジャイに、銃をおろした警察官が「3色の旗は撃てない!」というくだり、日の丸ではありえないすごさを感じる。
愛国心というとすぐに戦争反対の立場から否定的になるのが日本人だが、インドでは故郷を愛するということであり、隣人を愛するということであり、家族を愛するということである。つまりそれは戦争反対の立場と両立するどころか、異なるものですらない。日本人がすでに失ったもの、そしてインド人も経済発展の波で失いつつあるもの。日の丸と君が代には何か歴史的な物悲しさを感じてしまうが、それとは関係なしに私も自分の国を好きでいたい。(そんなことを思うようになったのは、インドに来てからである)
シャルク・カーンはひょうきんなキャラクターで板についていた。ヒロインのジュヒー・チョウラは初めて見たが、カージョールとアイシュワリヤ・ライのいいところを集めてきたようななかなか素敵な女優だと思う。モハン・ジョシにはパレーシュ・ラワル。コメディアンだと思っていたが、シリアスな役もすばらしいことが分かった。あまり役に立たないマフィアのお坊ちゃん、ドンにジョニー・リーヴァル。インド映画はコメディアンの層も厚い。
序盤で笑わせ、中盤で泣かせ、終盤で爽快にさせるお得感満載のいい映画だった。音楽はDDLJ、KKHH、Mohabbatein、K3Gのジャティン・ラリットで最高。KKHHの曲をそのまま使っていたところもある。
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ヘルメット
- author: hourei
- 2005/07/04 00:00
7月1日からプネーでバイクのヘルメット着用が義務付けられた。正確に言えば数年前に法律はできていたのだが、警察の取締りが始まり罰金100ルピー(250円)が課されたのである。初日は100人以上捕まったらしい。道端には湧いて出たかのようにヘルメット屋が現れ、雨の中50メートルおきにヘルメットだけを売っている。
日本なら自分の命を守るのに当然のことで、人口300万に対し130万のバイク運転手がいるプネーで取締りを始めたのはむしろ遅すぎたのではないかと思っていた。ところが連日の新聞を見ると、反対している人がかなりいる。昨日は市長が「わが市民にはヘルメットをかぶらせない!」と先立ちとなってデモ行進まで行ったという。
反対派の理由は以下のようなものがあった。
- 高くて買えない
- ヘルメットの重さで首を痛め、病院にいかなくてはならなくなる
- ヘルメットをかぶるとクラクションが聞こえなくなって危険(インドは車線を無視して追い越し放題なので日本より確かに危険ではある)
- 道は狭いし混んでいるので、ヘルメットをかぶらなければならないほどのスピードはもとより出せない
……どれもたいした理由には思われない。警察では啓発パンフレットを配布して普及に努めるという。
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映画(30)任侠
- author: hourei
- 2005/07/03 00:00
サルカール(政府)
〈あらすじ〉
みすぼらしい身なりをした初老の男がサルカール(アミターブ・バッチャン・写真左)を訪れ、涙ながらに娘のことを訴える。娘はある若い男にレイプされたが、その男は無罪放免となり、娘は自殺してしまったという。無言で話を聞いていたサルカールは、法の網を逃れたその男に、手下を使って私刑を加える。
サルカールの本名はスバーシュ・ナガレ。マフィアの親玉だが、警察も政府も役に立たないインドでこのように庶民の声を聞き、絶大な支持を集めていた。皆から「サルカール(政府)」と呼ばれるのはそのためである。
サルカールには2人の息子がいた。長男のヴィシュヌは映画制作の仕事をしており、妻も子供もいるがヒロインに恋をしていた。次男のシャンカル(アビシェーク・バッチャン・写真右)はアメリカ留学を終えて帰国したばかりだったが、アメリカで知り合った恋人は彼の一家のことを知って恐れをなす。どちらも葛藤を抱えており、一家は決して一枚岩ではなかった。しかしシャンカルはやがて恋人よりも一家を取ることを決意し、サルカールの右腕となる。
ある日、ドバイから腕利きのヤクザ、ラシードがやってきた。彼はサルカールと手を組んで力をつけようとしていたが、あっさり断られる。そこでラシードは、かつてサルカールの支持者で影で力をつけていたヴィシュラムの一味になり、サルカールの排除を試みる。長男のヴィシュヌに、ヒロインが俳優と付き合っている映像を送り、怒ったヴィシュヌは白昼堂々とその俳優を撃ち殺してしまう。サルカールはヒロインを支持し、ヴィシュヌは勘当されて、ヴィシュラムにかくまわれた。
それから州首相が「サルカールをのさばらせない」と言ったのを機にヴィシュラムは額を打ち抜いて暗殺し、その罪をサルカールになすりつけた。ヴィシュラムはその後に州首相となるが、一方サルカールは庶民の支持を失い、逮捕されることになってしまう。留置所にはサルカールの命を狙うヴィシュラムの手下。次男のシャンカルはそのことを警察にかけあったが取り合ってもらえず、ヴィシュラムのところに行って殺されそうになったところを何とか逃げ出して、サルカールの命を救った。サルカールは撃たれるが急所を外して九死に一生を得た。殺し屋を留置所に入れた警察には世間の非難が集中し、サルカールは保釈金を払って自宅に戻る。
もうサルカールを排除する手段はないのか。すっかり困ったヴィシュラムに、参謀役のサードゥ(修行僧)がかくまっていたヴィシュヌを送り込むことを提案する。ヴィシュヌは一家に復縁を申し出、そして夜にサルカールの命を狙う。しかし間一髪でシャンカルが入り、兄であるヴィシュヌを叩きのめす。そしてヴィシュラム一味に「サルカールは殺した」と報告させた後、その実の兄を殺してしまう。「オレは、兄さんを殺した…!」と涙ながらに家族に言うシャンカル。
そしてシャンカルの復讐が始まる。油断したヴィシュラム一味を1人ずつ殺していくのである。ラシードはドバイに渡る船で鎖でコンクリートにつながれて、生きたまま海に沈められた。最後にヴィシュラムのところに行き、「ラシードは死んだ。お前のこれまでの悪事を全て白状して逮捕されろ。もし娑婆に出てきたら殺す。」こうしてヴィシュラムは失脚、サルカールは再び庶民に手を振って元気な姿を見せた。しかし息子を失った妻は「どうして家族で殺しあわなければならなかったの」と悲嘆にくれている。遠くをみつめるシャンカル。
〈感想〉
ラーム・ゴーパール・ヴァルマ監督は、インド映画界でも異色の存在だ。マフィアものが得意で、シリアスなストーリー展開のため歌も踊りも一切なし。パーカッションだけの強烈なBGMと目だけ口だけの超接写で、登場人物の迫力や事件の壮絶さを描写する。圧倒された。
映画の最初に、この映画をコッポラ監督の『ゴッドファーザー』に捧げるという監督の言葉が出てくる。確かにインド版ゴッドファーザーだった。サルカールのアミターブ・バッチャンがマフィアの親玉で、仁義なき戦いを繰り広げる。でもテーマは抗争よりも、サルカール一家の葛藤と衝突に焦点が当てられていたと思う。暴力シーンは好きではないが、さんざん暴力シーンが出てきたにもかかわらずあまり嫌気がささなかったのは、必ず悪い奴だけが報復され、無差別の暴力がなく、そして家族の絆が事件のたびに問われていたためであろう。
後半は勘当された長男のヴィシュヌが刺客となってサルカールの命を狙う。一方次男のシャンカルは必死にサルカールの命を守り、やがて兄を殺すことになる。さらにサルカールの妻、ヴィシュヌの妻と子ども、そしてシャンカルに思いを寄せる幼なじみの女性がいて、危険にあうサルカールを案じる。忠実な手下もたくさん護衛しているが血は水よりも濃い。家族以上の絆をもっているようには描かれていない。日本でも韓国のように血よりも濃い兄弟仁義みたいな話にならないのがインドらしい。
バッチャン親子が共演するのは『バンティ・オール・バブリー』に続いて2作目だが、今回は本当に親子の役を演じている。寡黙だが目で語る父、感情を出さずに淡々と行動する子、2人とも演技を抑えていたのがよかったと思う。アミターブが大げさな演技をすると品がなくて興醒めだし、アビシェークに感情の細やかな表現をさせると大根なので、どちらもちょっと謎の人物感が漂うくらいがちょうどいい。
映画館で見るべき映画。
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土産
- author: hourei
- 2005/07/03 00:00
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このところ下の階のジャーダウ家と急速に親しくなっている。というのも帰国に際していらなくなった家財道具を一切合財(といっても冷蔵庫・椅子・携帯電話ぐらいだが)引き取ってもらうことにしたためである。これまでにも子どもたちの誕生日に招かれたりしていたが、以前に増して親切になった。
そのジャーダウ家で赤ちゃんを連れて里帰りしている妹が、日本にいる娘にお土産を買ったか尋ねる。「いや、特に……」インドには、子どもが喜ぶようなお土産がほとんどない。食べ物は超甘いか超辛いかだし、おもちゃはプラスチック製の2,3日で捨てたくなるようなものばかりだし、服も日本では着られないようなド派手なものばかりだ。でもその妹が「ジャイプーリードレスなんかいいわよ」と言い、結局繁華街まで買いに行くことになった。案内役にプラタメーシュとお父さん。4時半のバスで出発。
終点の市役所前で降りて、ラクシュミーロードまで15分ほど歩く。私は傘をさしているが2人はカッパで、頭にはいくら雨があたっても平気らしい。あちこち迷ったが、お父さんが薦める子どもドレス専門店「マードゥリー」というお店にたどりついた。妹は200ルピーぐらいでいいのがあるというが、ここは高級店。お姫様みたいなキンキンキラキラなドレスが並んでいる。結局、紫色のドレスを490ルピー(1225円)で購入した。愛子さまだったらまだしも、社交パーティーなんか行かない娘は1回着れるかどうかというような代物だ。ピンクのほうがよかったかなと後で悩んだが、この際どっちもどっちだ。
お父さんはせっかく繁華街まで来たのだからと、子どもの新しいサンダルやセーター・下着を買い込んでいた。プラタメーシュもすっかり舞い上がり、おもちゃやアイスクリームをねだる。感心したのはお父さんの値切り術。露店が多いこともあるが言い値ではまず買わない。言い値の半額ぐらいを提示して、相手が渋ったらすかさず立ち去るふりをする。相手が呼び止めてきたらしめたもの。見事半額にさせたところもあった。もっとも、この技は「マードゥリー」のようなきちんとしたお店では通用しない。店の入口に「定価(Fixed
Price)」という看板が掲げてあった。
2時間ほどの買い物が終わると再び市役所まで歩く。次のバスは30分後。別のバスでもバス停から歩けば帰れるが、今は雨季で道路が水浸しになっている。私とプラタメーシュはサンダルだからいいが、お父さんは靴に靴下。バスが遅れてきたので結局45分も待って帰宅した。9時半。プラタメーシュもすっかりお疲れだ。夕食をご馳走になり、ジャーダウ家の女性陣に買ってきたドレスを見せた。そのキンピカぶりに皆驚き、口々に「すばらしい」と言う。私自身も、こんなありえないものを買ってしまった自分にあらためて驚いてしまった。
すると妹は今度、日本にいる奥さんにお土産を買ったか、お母さんにお土産を買ったか聞いてくる。「パンジャービードレスなんかいいわよ……」
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Dil Chahta Hai(心が望んでいる)
- author: hourei
- 2005/07/01 00:00
男3人の友情と恋愛を描いた2001年の映画。
アーカーシュとサミールとシドは学生時代からの友人で、いつも行動を共にしていた。だが3人の恋愛観はそれぞれ違った。2週間ももてば十分というアーカーシュ、会う人会う人みんな好きになってしまうサミール、そして自分の思いを内奥にしまって決して出さないシド。シドが近所に住んでいるバツイチの女性を好きになったとき、アーカーシュがそれをおちょくったのがもとで絶交してしまう。
しかしアーカーシュにもシャーリニーという好きな人ができた。彼女には婚約者がいたが、アーカーシュのことを愛するようになる。しかし2人ともお互いに思いを打ち明けないまま結婚が近づいていく。ふさぎこむ毎日の中で、アーカーシュはシドの気持ちを理解し始める。さあ3人の恋愛は成就するのか、そして友情は再び戻るのか?
インド映画界の3カーンと言われるアーミル・カーンが出演。シャールク・カーン、サルマン・カーンに比肩する絶大な人気をもちながら、出演映画が非常に少ないので気になっていた人である。コミカルからシリアスまで、確かにいい演技するなあ。それと映画中3人も別の女の子を好きになってしまうサミール役にサイフ・アリ・カーン。『カル・ホー・ナ・ホー』のようなプレイボーイではなくて純粋なお坊ちゃんという役回りだったけれども、この人も憎めない。
ヒロインのシャーリニー役にプリーティ・ズィンター。『チョリチョリ・チョプケチョプケ』と同じ年の公開なのに、相当やせているし、垢抜けてもいる。ただ怒って早口になっているか得意のえくぼを見せて微笑んでいるか顔が固まって泣いているかの3パターンぐらいしかないような気が。どうしてもラーニー・ムカルジーに軍配が上がるなあ。
3人の恋愛が同時進行するのでちょっと整理のつかない、忙しい映画のような気がした。3時間。
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映画歌手
- author: hourei
- 2005/06/30 00:00
今インドで最も有名な歌手ソヌ・ニガム(Sonu Nigam)のコンサートを聴きにいく。
ソヌ・ニガムは映画の挿入歌を歌う映画歌手だ。インド映画において挿入歌はBGMではない。俳優が口パクで歌を歌ったり、ダンスをしたりするのが映画の成否を分けるシーンになる。映画が封切られる前からCDが発売され、好きな人は聴き込んで予習してから映画に臨む。そして映画は毎週毎週新しいのが出てくるから、CDもどんどんリリースされる。こうしてインド音楽で今一番メジャーなのは映画音楽になっている。
話題になった映画のCDを聴いていると、映画監督やプロダクションを問わず歌手はいつも同じ顔ぶれであることが分かる。若い頃からずっと歌い続けてきた75才の「ナイチンゲール」ラター・マンゲーシュカルをはじめ、ウディト・ナーラーヤン、アルカー・ヨーグニク、そしてソヌ・ニガム。特にソヌ・ニガムは最近の活躍がめざましい。『カル・ホー・ナ・ホー』の主題歌から、、現在公開されている『バンティ・オール・バブリー』『パリニータ』『パヘリ』でも歌っている。出すぎ。甘くて繊細な声質、広い音域、インド歌謡独特の節回しのうまさ、悲しみや怒りの表現力、さすがキング・オブ・ボリウッドのシャールク・カーンがファンになっているだけある。勢いで歌う歌手が多い中、憂いを帯びたアンニュイな歌を歌わせたら彼の右に出る者はいない。
ソヌ・ニガムという名前を認識したのは最近のことである。マラーティー語のコメディ映画『ナウラ・マザー・ナワサーツァー』に出演していて、みんなに「歌ってよー、歌ってよー」と請われて歌うシーンがある。彼が最初スクリーンに出てきたとき、後ろに座っていた女の子が「ハーッ!」と息を呑んだ。家に帰ってCDを見てみると彼の歌があるわあるわ、驚いた。本屋でこのコンサートのポスターを見たときは、即チケットを購入。S席5000ルピー(12500円)から、E席100ルピー(250円)まで、私が買ったのはC席500ルピー(1250円)。2000人ほどを収容する特設屋外ステージは、確かに真ん中ぐらいだった。当日は満席。
さて今回のコンサートはチャリティコンサートになっている。歌手のラター・マンゲーシュカルはプネーに病院をもっているが、その敷地内に映画俳優のアミターブ・バッチャンらが癌センターを寄贈して、開業祝にこのコンサートが開催されたという訳である。国にお金がないインドで、映画界の社会福祉への貢献はかくも大きい。チケットには午後6時からと記されていたが、はじめに開業式が行われ、アミターブ・バッチャンやバイク会社バジャジの社長らがスピーチをした。アミターブがステージに出ると会場は騒然となる。190センチの身長、白いあごひげは遠くからでも彼だとわかった。スピーチではマイクの高さが低くての調節してもらっていたのはお約束か。明日から封切られる主演映画「サルカール」のキャンペーンがあるため、30分ぐらいですぐ帰ってしまったが、生のアミターブを見られたのは感激。
こうしてコンサートが始まったのは7時40分。激混みの特設売店でサモサを2つ買い、空腹をしのいで待つ。ステージにはサンスクリット語で「死神に甘露をやるな(mrtyoh maa amrtam gamaya)」と書かれている。死神をのさばらせるな、生かす努力をせよということだろう。癌センターのオープンに相応しい標語だと思われた。前座のトークと歌があって、やっとソヌ・ニガムの登場である。『カル・ホー・ナ・ホー』の1フレーズを歌いながら、男女8人のダンサーを従えて出てきたときは、会場が歓声と口笛の渦となった。
ソヌ・ニガムには映画以外の歌もあるので予めCDを買って予習していったが、歌ったのは全部映画ものだった。『サティヤー』『カビ・クシー・カビ・ガム』『メーン・フーン・ナ』『ハム・トゥム』『カル・ホー・ナ・ホー』など。ライブらしく、テンポをどんどん早くして盛り上げたり、全休止を長く取って次を期待させたり、2つの曲を混ぜて笑いを取ったり、マイクを観客に向けて一節を歌わせたり(私も歌った)、リズムに合わせて拍手をさせたりと、歌手と聴衆の一体感を高める趣向が続く。歌はいたるところに装飾を入れており、楽譜どおりのCDではわからない歌唱力の高さを存分に味わえる。すごい。
休憩が9時過ぎに入ったときには何時までやるつもりかと心配になったが、休憩後は30分だけで賞味2時間、10時ちょうどに終わった。大満足。終わる前に席を立って帰り始めるのはインド人らしい。日本だったら、歌手がステージから出るまでは、たとえつまらないコンサートでも拍手して見送るだろうが、インドでは終わる気配があるともう我先に帰り始める。映画でもスタッフロールを座って見ていると、インド人は皆さっさと帰ってしまい掃除係が掃除を始めていることもある。
心配は帰りの足。終バスはもう終わっているし、リキシャーも遠いと乗車拒否する。はじめはリキシャーを乗り継ぐつもりだったが、ひとまず大勢の歩く方向に付いていくとバス停があり、駅まで6ルピー(15円)で行くことができた。そこで遅めの夕食を食べ、駅前のリキシャー乗り場に行くとあっさり家まで行ってくれるリキシャーが見つかった。しかし石油値上がりのためにまた値上げしたそうで、1キロ7ルピー(17.5円)、しかも深夜料金1.5倍。駅から家までは8キロだから、80ルピー(200円)にもなった。もっとも、それはよいコンサートを聴いた代償だと思えばあまり苦しくない。
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食事
- author: hourei
- 2005/06/28 00:00
名残惜しさのためであろうか、もうすぐインド生活が終わるというときになってインドの料理が美味しく感じられてきた。ほぼ毎日食べているのがターリーと呼ばれる定食だ。ご飯がつくので「ライスプレート」ともいうが、インド製英語らしい。ヒンディー語ならカーナー(食事)。
標準的な内容はチャパティ(発酵させないナン)3枚、チャーワル(ご飯)、サブジー(野菜のカレー味煮込)、カリー(日本でカレーと呼ばれるもの)、ダール(豆を煮崩したカレー)、パパッド(せんべい)、アチャール(マンゴーのレモン唐辛子漬け)、生タマネギ、レモン。このほかにラッサム(トマトスープ)、ダヒ(ヨーグルト)、デザートがつくお店もある。たいていはベジタリアン料理だが、その量・辛さ・油っこさでどんなにお腹が空いていても必ず満腹になれる。
食べる順序はインド人を観察したり、試行錯誤したりしてやっと完成した。チャパティーは焼き立てで出てくるので、最初はさわれないほど熱い。そこでせんべいを食べながら少し冷ます。せいべいは結構塩辛いので全部食べないで、後に取っておく。チャパティーが熱くなくなったら手でちぎって、野菜煮込とカリーの具を交互にはさみながら食べていく。液体の豆カレーはチャパティーではさめないのでパス。チャパティーを食べ終わったところで漬物やレモン汁をかけたタマネギをつまんでいったん休憩。気がきくお店なら、このタイミングでご飯を持ってくる。
ご飯に残った野菜煮込とカリー、豆カレーとヨーグルトをかけてかき混ぜる。ここで先に残しておいたせんべいも砕いて入れると美味しい。このごちゃ混ぜが深みのある味わいとなるのだ。カリーやトマトスープは激辛なことが多いが、ヨーグルトと混ぜることで辛さも和らぐ。ご飯は手で食べる方が美味しいが、終わってからしっかり手を洗えないので、たいていスプーンで食べている。
そして最後に残ったタマネギを食べてごちそうさま。ちょっといい店なら店員がレモンを入れたお湯を持ってくる。これは手を洗うためのもので、お湯の中でレモンをつぶし、右手を洗う。ついでに口の周りも洗うと気持ちいい。小さい店でお湯が出てこなければ、コップから飲み水を皿に流しながら手を洗う。
口の中が辛さでひりひりするようなら、チャイを頼むのもよい。でもたいていは満腹で、何も入らない状態である。最後に出てくるミントは、インド人がいうには消化にいいらしいが、本当かどうかはともかく口の中の食べ残しが取れて歯によさそうだ。
最近見つけた近くの小さなレストラン「グル・クリパー」は定食(写真)が20ルピー(50円)に、チャイが2ルピー(5円)という安さ。しかもかなり味がいいので結構通っている。
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Chori Chori Chupke Chupke(内緒の内緒、秘密の秘密)
- author: hourei
- 2005/06/27 00:00
2001年のヒンディー映画。サルマン・カーン、ラーニ・ムカルジー、プリーティ・ズィンターという、今にして思えば豪華キャストである。ジャケットがものすごく軽そうな感じだったので気軽に見始めたが、テーマは重くて、しかもエキサイティングな映画だった。
大富豪の息子ラージは一目で好きになったプリヤと結婚。やがてプリヤは妊娠するが、あるとき転倒して流産、しかも子宮摘出で子どもが産めない体になってしまう。だがひ孫を夢見て生きている祖父のため、ラージとプリヤは彼らに内緒で酒場の踊り子マドゥバラを1年間100万ルピーでおさえ、代理母(!)とすることにした。
3人は仕事を名目にスイスに渡り、かかりつけの医者も口裏を合わせて……最後まで秘密がばれないかハラハラドキドキ。やがて妊娠したマドゥバラは次第にラージに好意を寄せ始め……3人の関係は一体どうなるのか最後まで気が抜けない展開。代理母というテーマ自体が珍しく、最後まで引き込まれた。音楽もいい。
プリーティ・ズィンターは1998年デビューだから4年目だが、今と比べるとかなり太い。一方4才年下のラーニ・ムカルジーは今と比べると細い。あとサルマン・カーンの生え際がすでに後退し始めており、そのあたりの違いも見どころだった(何見てんだか)。
それにしてもラーニ・ムカルジーの役どころはすごいのばかり。Kuch Kuch Hota Haiではいきなり死んでるし、Saathiyaでは車にはねられ重体、Yuvaでも流産し、Hum Tumでは夫に先立たれ、Kabhi Kushi Kabhie Ghamではシャールク・カーンにふられ、Chalte Chalteでやっと結婚できたかと思えば別居。Paheliでも新婚翌日に離れ離れで、めでたしめでたしといえばBunty aur Bablyぐらいか。きっとあのハスキーボイスと抜群の演技力のため、他の女優ができないところが回ってくるのだろう。注目。
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映画(29)不思議
- author: hourei
- 2005/06/24 00:00
パヘリ(パズル)
【ストーリー】
昔々、ラジャスタンのお話。年頃を迎えた娘ラッチーは嫁入りの途中、幽霊から見初められてしまう。幽霊はカラスや鳥になってラッチーを追いかけたが、ラッチーは恐れをなして逃げ出した。
さて結婚の相手はキショーン。お金にしか目がない男で、結婚式の間も頭の中は仕事のことばかり。そして初夜に部屋に入ってきたラッチーに向かって「明日から5年間、外国に出張に出る」と言い、泣き出したラッチーに「もう寝ろ」と言って仕事を続けるのだった。
キショーンが旅立ったその日、幽霊はキショーンに変身して家にやって来る。父親には不吉な予言があったので引き返したと言い訳し、家族は幽霊だとは知らず温かく迎える。一番喜んだのはラッチーだった。
その夜、幽霊はラッチーに自分が幽霊であることを告白し、別れを告げようとする。ラッチーははじめびっくりして怖がっていたが、幽霊の一途な愛に心を動かされて引き止め、一緒に暮らし始めた。幽霊はとても明るく楽しい性格で、しかも神通力で不思議なことを起こしたため、本物のキショーン以上に家族みんなから愛された。やがてラッチーは妊娠、幽霊は「女の子が生まれたら、ウッジュイにしよう」と提案する。
そして出産のときになって、本物のキショーンが妻のことを思い出して急遽帰ってきた。キショーンが2人?
さあ本物はどっち? 大混乱する村人たち。家族は幽霊の方がキショーンだと思っていたが、結局羊飼いの男に判定を頼みに行く。あれこれ試される2人に、本物のキショーンは恐れおののくばかり。最後の判定でラッチーを愛しているならば正体を明かすよう求められた幽霊は、妻から「神通力はもう決して使わないで」と言われていた禁を破って正体を明かし、皮袋の中に閉じ込められた。砂に埋まっていく皮袋。
そして普段の生活が戻る。幽霊の言った通り女の子が生まれたが、ラッチーは幸せな気持ちではなかった。キショーンに「これからどうしてあなたを愛せるというの?」と泣きながら顔を背ける。するとキショーンは「名前はウッジュイだよね」。「どうしてそれをあなたそれを…?」と驚くラッチー。そう、皮袋に閉じ込められたと思っていた幽霊はキショーンに乗り移ってその体を支配していたのである。
【感想】
実体はないけれども真剣に愛してくれる幽霊と、実体はあるけれども愛してくれない夫、妻はどっちを取るか?
帰ってきたらもう1人の自分がいた夫、どうやって自分を認めてもらうか? 判定にかけられた幽霊、人間としてい続けるか、妻への愛を貫くか? 幽霊のおかげで家の中がすっかり明るくなった家族、実の息子を取るか幽霊を取るか? 2人の同一人物が現れた村人たち、そのまま2人を認めるか、どちらか一方を幽霊として片付けるか? それが「パズル」である。キショーンと幽霊はシャールク・カーンが1人2役で出演、同時に出る場面は、どうやって合成しているのか全くわからないほど精巧な撮影だった。
何しろ主人公が幽霊なので感情移入しづらい。『居酒屋ゆうれい』のように死んだ配偶者が幽霊になって出てくるならまだその情念が分かるが、「ブート」とはそういった個人の人格がない、どちらかというと妖怪に近い存在だ。それが人間の女性を好きになってしまい、その女性も愛に応え、子供までできる……不思議だ。最後に幽霊は本物を乗っ取ってしまうが、それがハッピーエンドになるのもすごい。本物の方も、旅先で妻のことを思い出して急遽引き返してきたのに、こんな目にあわなければならないとはお気の毒。
おそらくこの映画の見方としては主人公に自分を重ね合わせるのではなくて、登場人物がおりなす奇想天外な出来事の方に重点を置いて楽しむべきなのだろう。本物と幽霊を見事に演じ分けたシャールク・カーンじゃなかったら、B級映画もいいところだったのではなかろうか。ヒロインにラーニー・ムカルジー、父親役にアヌパン・ケール、羊飼いにアミターブ・バッチャンといった大物が出ているが、いずれもあくまで幽霊の引き立たせ役といった感じで、見せ場は少なかったように思われた。キショーンが出した手紙を届けに来たら受け取ったのもキショーンだったという旅人役の喜劇俳優(名前失念・カルホーナホーで「グル」役の人)が光った。「出すのもお前、受け取るのもお前、あっちにいってもお前、こっちにいってもお前、お前はどこにでもいるんかいな!」
ここ数週間で公開され人気を博している3つの大物映画。コメディの『バンティー・オール・バブリー』、古典純愛の『パリニータ』と比べると、どうも最後まですっきりしない不思議さのために『パヘリ』はコメディとしても純愛ものとしてもやや後塵を拝することになりそうだ。音楽も不思議系でイマイチ。
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Hum Hain Lajawab
- author: hourei
- 2005/06/22 00:00
ディズニーのヒーローアニメ『Mr.インクレディブル』のヒンディー語吹き替え版『ハム・ヘーン・ラージャワーブ(俺がラージャワーブだ)』を見る。ヒーローものと言いながら家族愛をテーマにした心温まる話で、JAL機内で一度見てかなり気に入っていた。
インドで販売されているDVDは韓国語字幕までなぜか着いているのだが、日本語はなし。それで699ルピー(1750円)は高い。日本では2,264円で売られているのだから、たいした差はない。
そう思って買うのをためらっていたところに、ヒンディー語吹き替えVCDが199ルピー(500円)で売られているのを発見した。英語オリジナルのVCDが299ルピー(750円)で、それよりもずっと安い庶民価格。でも値段だけならまだ手が出ないのだが、何と主人公の声がシャールク・カーンなのだった。「うっおー!」と喜んで購入。そして今日見た。
……いいなあ、シャールク・カーン。ハハハ…という空笑い、ダメージを受けてあえいでいる声、そして妻への愛の言葉。どんな窮地に陥っても余裕のへっちゃらな感じがよく出ている。ヒンディー語自体はヒンディー映画で見るのと比べて格段に理解できなかったが(実はディテールが細かい映画なのです)、雰囲気をたっぷり楽しむことができた。超お買い得。
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焼肉大会
- author: hourei
- 2005/06/19 00:00
前回の「手巻き寿司大会」で提案されていた焼肉大会がK氏宅で開催される。食にこだわるプネー日本人学生の意地をここでも見せつけた。
K氏の家にはテラスがあって、停電中に外で風に吹かれているときにこの企画を思いついたという。手に入れにくい炭はカドキから、豚肉はI氏が韓国人の知り合いから情報を集めてバラ肉を入手、牛肉はシヴァージーマーケットから入手したものをたれで漬け込んである。豚は1キロ70ルピー(175円)、牛は1キロ50ルピー(125円)で、牛の方が安い。鶏肉もタンドーリと醤油味噌づけ。あとは野菜としてナス、ピーマン、オクラ、ジャガイモ、肉を巻くレタス、ニンニクなど。酒はビールとバカルディに、ウィスキー。
最大の心配は雨。ちょうど今日モンスーンがプネーに到着したらしい。小雨がぱらつくことがあったが、土砂降りはなく、むしろ適度に曇ったおかげで快適だった。ときどき日が差すと火よりも熱い。コンクリートですら、素足で歩けないほどになる。半日外にいて、肌を露出していた部分は真っ赤に日焼けしてしまった。
焼肉の楽しみは食べるだけでなく焼くところにもある。5、6枚の肉を並べ、肉汁が浮いてきたものから裏返す。できあがったら側へ。火が足りなくなったら炭を追加。そんな作業がとても楽しい。
一通り食べ終わったところで、ゲームでもと「タングラム・プラス」を順番にプレイ。板を交互に入れていって、はみ出してしまった方が負けという単純なゲームだが、どの種類の板をどのタイミングでどこに入れればよいかちょっとした戦略性がある。「ここにこの形を入れたら、次に相手がこちらにあの形を入れるから……」などと先の先を読むことも可能だ。3戦3勝。
続いては紙と鉛筆をまわして「フラッシュ」。お題から連想される言葉を制限時間内に書いて、同じ言葉を書いている人がいたら得点になるというこれまた単純だが奥の深いコミュニケーションゲームだ。常識人が有利なのは言うまでもないが、トップ目の人と重ならないように答えを読むという局面もあり、なかなか面白い。お題はインド、インドの遺跡、バーベキュー、ハリウッド、麻薬、最近のヒット曲など。最近のヒット曲はインドに長いこといる人たちにとってかなりつらいものがあった。最多回答は「世界にひとつだけの花」である。
あとはI氏がキャンプファイヤーの歌大会や好きな人告白大会を始めようとしておかしかった。
結局食べ続け、飲み続けで10時間。普段食いつけないものを食べてお腹は大丈夫かと思ったが、この頃菜食が多い毎日だったのでよい栄養を取ることができた。
話をきけば結構体調を崩している人が多い。3月からの暑さで体力が弱くなっているところに雨季で湿度が上がり、雑菌が繁殖しやすくなっている。今日も来る予定が体調不良で来られなかった人が2人いた。特にMさんは頭痛と嘔吐で脱水症状になり、入院までしてしまったという。何とも人間の無力さを感じ、神仏に祈りたくもなってくる。インド人の信仰深さの源泉をここに見る思いがした。(写真提供:円実氏)
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雨季
- author: hourei
- 2005/06/18 00:00
夕立が降ると、急に涼しくなる。雨季がまもなくやってくる前兆だ。モンスーンと呼ばれる湿った季節風が南西からインド亜大陸に上陸し、だんだん北上してくるのを、連日40度以上の暑さに苛まされる人々は待ち望んでいる。
しかし涼しさと引き換えに、2つの困ったものを引き受けることになる。1つが停電、もう1つが蚊の大群だ。停電は1年中あるが、雨季になると雷が鳴るたびに頻繁に停電する。復旧するのは30分後かもしれないし、3時間後かもしれない。特に夜は真っ暗な部屋で寝るか瞑想でもしているしかない。
そして蚊も1年中いるが、夏は暑すぎてそれほど多くない。ところが雨季になると西部警察のテーマをBGMにして、そこら中の水たまりからどんどんやってくる。1年で一番元気がいい時期で、蚊取りグッズもあまり効き目がない。手足は刺され跡だらけ。さすがに毎日コンスタントに刺されているとあまり腫れなくなるものだが、刺されてから10分ぐらいかゆいのは変わらない。こうして夜の安眠は蚊の羽音とかゆさで妨げられ、昼寝を余儀なくされることになる。
暑さを取るか、停電+蚊を取るか。日本に早く帰りたくなるのはそんなときである。
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日本に荷物を送る(3)
- author: hourei
- 2005/06/18 00:00
いよいよ最後の大荷物、冬物のコートとインドで買ったボードゲームを送る。ペンキ屋の箱では小さくて、電気屋からクーラーの箱を買ってきた。30ルピー(75円)。日本だったら、どこでもただで手に入るダンボール箱を入手するのがまず一苦労だ。
ボードゲームはたいてい上げ底なので、内箱を捨てて中にカードゲームやCDを詰め込む。「エッセン旅行のためのバックパッカーガイド」をヒントに思いついたものだが、散乱や破損防止になってよい。ダンボール箱に服、ゲーム、服の順で入れてクッションとした。また、船便は20キロまでと定められているので予め近くのお店に運び、20キロ以下であることを確認しておいた。もし20キロを超えているならば、新たにダンボールを購入して荷物を分割しなければならない。
中央郵便局からの発送も3回目となれば手際もよい。荷造り屋とはお互いに顔を知り合っているので気楽だ。リキシャーを降りてすぐ、荷造り屋に一切を任せる。今日は、前回、前々回とチャンスを逸したラッジューの奥さんが登場。3度目の正直というが、この奥さんが一番丁寧で、手際がよくて、安くて、しかも親切だ。もっともこれは雨季が近づいて荷物を出す人が少ないからかもしれない。繁忙期となれば1人1人にそんなに手厚くはできないだろう。
まずは荷物検査と重量測定がある。このために封はしていない。今回は新人の職員ということで、ボードゲームの箱まで1つ1つ開けて中を確認していた。「アップル
トゥ アップル」のカードを取って、「これは何だ?」たまたま取り上げたカードが恥ずかしいカードでなくてよかった。近くに座っている上司に「CDはいいですか?」「このボードゲームを見てください!」などといちいち報告する。「俺も日本に行きたいな」というので「行くか、この荷物の中に入って」と答えたら上司が笑っていた。ラッジューの奥さんは「あの新人は馬鹿よ。全部見ないと気がすまないの」と言っていた。
モーネおじいさんは笑顔でまたやってきた。プラディープとはまだ会っていないという。ラッジューの奥さんに聞いた話によると、モーネおじいさんは荷造り屋ではなくて道端で自転車の修理をしている人(サイクル・ワラ)で、仕事がないので郵便局の中であちこち手伝いをしているのだという。「俺は好きだな、あのおじいさん」というと、ラッジューの奥さんは鼻で笑った。帰りにモーネおじいさんがお金を請求してきたとき、ラッジューの奥さんがプラディープとモーネおじいさんが友達だと証言してくれたおかげでうまく切り抜けることができた。
ラッジューの奥さんが連れている1歳半の娘ソニアは、お母さんが人ごみの中にいるときはドアの陰に隠れてじっとしており、また荷造りしているときは半径15メートル以内をあちこち歩き回っている。着ている服はお世辞にもいいものとは言えなかったが、笑顔をかければ笑顔を返してくるのがかわいい。約1時間で発送をすべて完了した。荷造り代150ルピー(325円)、送料2555ルピー(6388円)。
以上、郵便局から日本に荷物を送るときの注意点をまとめる。
- 荷造り屋がいる中央郵便局に行くこと。小さい郵便局では荷造りできないので拒否されることが多い。
- もって行くもの:ガムテープ、はさみ、油性マジックペン、ボールペン、お金多め。
- 荷物検査があるので、箱の封はしないでもっていくこと。見られて説明に困るようなものは送らないこと。
- 船便は書籍小包が5kgまで、それ以外が20kgまで。荷造りは必ず布で巻き、書籍小包は一面を開ける。
- 荷造り屋は梱包だけでなく発送や郵便局員との交渉まで手伝ってくれるので頼むのが吉。
- プネーの場合荷造り屋は3人ぐらいおり、値段が違うので全員にあたって安いものを選ぶのがよい。
- 荷造り代は書籍小包が1つ40〜80ルピー、20キロ程度の荷物なら1つ150〜200ルピー。頼めば自宅まで荷造りに来てくれるが、追加料金あり。交渉すること。
- 書籍小包は一般窓口(プネーの場合3〜5番)から、それ以外の大きな小包は小包窓口(7番)から。
- 送料:書籍小包は1kgあたり約30ルピー、その他の船便は1kgあたり約140ルピー、航空便は1kgあたり約250ルピー。街中の民間業者に頼むと1kgあたり550ルピーだというので格段に違う。
- 頼みもしないのに手伝ってくれた人には気持ちでチップを。断るなら最初に。
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映画(28)ノスタルジー
- author: hourei
- 2005/06/18 00:00
パリニータ(結婚できる?)
【ストーリー】
1962年コルカタ。実業家の息子シェーカルは結婚式を前に落ち着かない気持ちでいた。隣りの家に行って幼なじみのロリタに会う。ロリタは「どうして触ってくれないの?
私は既婚者だから何をしてもいいのよ」とシェーカルに歩み寄ったのに怒って突き飛ばす。泣き崩れるロリタ。シェーカルは再び自宅に帰って一心不乱にピアノを弾き始めた。そして回想シーンが始まる。
2人は小さい頃から仲が良く、ロリタは毎日のように遊びに来て、シェーカルがピアノを練習するのを聴いていた。信頼の深さはシェーカルは棚の鍵を預け、自分の小遣いをロリタが使えるようにしていたほどである。2人は子どもから青年へ、青年から大人へ。シェーカルは作曲家に、ロリタはシェーカルの父の会社の秘書になるが、夜になるといつも通り遊びに来て、シェーカルの新曲にコメントするなどしていた。シェーカルは父親のすすめで見合いをするが、全く乗り気ではない。
ところでロリタの家は裕福ではなく、古い邸宅を担保にシェーカルの父から借金をしていた。ある日ロリタは会社で、シェーカルの父がその邸宅をホテルにする計画を知ってしまう。早く借金を返さなければ自宅が奪われる。シェーカルに訴えても冗談に取られ、親に訴えてもそんな金はないという。そこに助け舟が現れた。近所にやってきたイギリス帰りの実業家ギリーシュである。ギリーシュはロリタを一目で好きになり、ロリタが困っているのをみて15万ルピーをすぐに調達する。
こうして借金は無事に返され、邸宅は守られたのだったが、事態は悪い方向に進んでいく。ホテルの計画を頓挫させられたシェーカルの父が怒って、ロリタがギリーシュに体を売ったんだろうと言いがかりをつけ、会社をやめさせてしまったのである。シェーカルもロリタがギリーシュと懇意にしているのを見て嫉妬し、ロリタをなじる。しかしロリタはシェーカルの家で真実を訴え、2人はお互いに愛し合っていることを知る。結婚式の真似をしてネックレスを交換し、肉体関係をもった。
それからシェーカルが幸せいっぱいの気持ちでダージリンに言っている間、怒りの収まらない父は両家の間にレンガの壁を作らせる。それを見てすっかり驚いたロリタの叔父は心臓発作を起こしてしまう。帰ってきたシェーカルに知らされたのは、叔父の手術のためロリタ一家がギリーシュと共にロンドンに渡るということだった。ロリタ一家を見送ることもできなかったシェーカルは、後にロリタの叔父が亡くなったこと、そしてロリタがギリーシュと結婚したことを知る。意気消沈したシェーカルは夜になるとギリーシュに抱かれるロリタの姿を想像し、ピアノを弾いて気を紛らわせるのだった。そして音楽の仕事を止め、父の仕事に打ち込み、お見合いの相手との結婚も承諾する。
回想シーンが終わってシェーカルの結婚式の当日となった。自宅で悶々としているシェーカルに、ギリーシュが現れる。彼はロリタ家の邸宅の権利書を渡し、涙ながらに驚愕の事実を告げる。彼はロリタに求婚したが、「私は既婚者だから」と言って断られ、誰と結婚しているのかを決して明かさなかったと言う。その結果ギリーシュはロリタの従姉妹と結婚していた。そこでシェーカルは気づく。ロリタの夫は自分だったということを。
権利書を手に入れて大喜びの父に絶縁を申しつけ、シェーカルは狂ったように外に飛び出す。そして父が作った壁を一心不乱に壊し始めた。「やめろ!」父が言うが手を休めない。やがてシェーカルの音楽の仲間、父の放逸を我慢していたシェーカルの母、挙句に父の部下までもがシェーカルを応援し始める。「やれ!やるんだシェーカル!」
レンガが崩れるとそこには、ギリーシュに引かれたロリタが待っていた。シェーカルは壁を通り抜けてロリタをしっかり抱きしめた。
【感想】
困難を乗り越えて2人が愛を成就させる。その最大の困難が強権的な父親だというのは現代に生きる日本人からすれば現実感がないが(同じことは「カビークシーカビーガム」でも思った)、困難の原因は何であれ、愛した人のために人生をかける姿は心を打つ。古典文学作品を映画化したものだというが、このところ純愛ものが少なかっただけにとても心にしみた。でも至るところに笑いもちりばめられており、お涙頂戴というふうでもないので純愛ものだからといって重苦しくはない。満席が続いており、人気の高さをうかがわせる。
シェーカル役にサイフ・アリ・カーン。「カルホーナホー」「ハムトゥム」では軽い伊達男のキャラクターだっただけに、この映画で根が真面目なお坊ちゃんの役をやりおおせたのが驚く。気が狂ったようにピアノを弾いて気を紛らわすシーンは圧巻だった。
ヒロインのロリタ役にヴィディヤー・バランという新人。美人だし演技力も素晴らしかったが、声が低く、ちょっと老けてみえるので地味な感じが否めない。演技派女優といった感じか。ダンスシーンはほとんどなかったが、踊りはどうなんだろうか。
あとは60年代のレトロな雰囲気が映画全体に出ていたのが面白かった。色調もおそらく意図的にセピア色にしていてノスタルジーを喚起させる。ロンドンに向かう空港にいたスチュワーデスの服装がいい感じだ。昔の婦警さんのような帽子をかぶり、どでかいトランシーバーを肩からさげていた。
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日本に荷物を送る(2)
- author: hourei
- 2005/06/14 00:00
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荷造り屋のプラディープは約束どおり翌日家までやってきて、書籍小包9個とキャロムボード1枚を荷造りした。所要時間3時間。800ルピー(2000円)を提示したが、郵便局から発送するときに手伝うからということで、900ルピー(2250円)になった。「11時ごろ来ると、混んでなくていいよ」「じゃあ来週の火曜日、その頃に行くからよろしくな」
そして火曜日。今度は手抜かりなく自転車でリキシャーを連れてきて荷物を載せ、中央郵便局に直行した。9キロちょっとで60ルピー(150円)がメーターの値段だが、荷物代だといって10ルピー(25円)余計に取られる。すんなり払ってもよかったのだが、景気付けにちょっと渋ってみせて交渉する。「これくらいの荷物、2人乗ってるのと同じだろ。2人だったら特別料金じゃない。だから60ルピーだ」「いや、この料金表に荷物は10ルピーと書いてあって」「どこに書いてある? 見せてみろ。ほーらどこにも書いてないじゃないか」「いや70ルピー」「60ルピー!」「70ルピー!」……結局運転手は頑として聞かず70ルピーを払ったが、その代わり荷物を下ろすのを手伝ってくれた。インドでは、「ダメもとで言ってみること」が非常に大事だ。
さすが2回目だけあって勝手はわかっている。荷物はカウンターのそばに積み重ね、列に並んで順番をまつ。案の定プラディープはいなかったが、彼と一緒に仕事をしたモーネというおじいさんがやってきて、世話を焼きたがる。優先的に受付してもらおうと交渉したり、キャロムボードを送る方法を問い合わせたり。どうせお金目当てだろう、あまり世話にならないようにしようと思っていたが、視覚障害者が手紙を出しに来たのを手を引いて案内したり、割り込む若者に注意したりと案外いい奴だった。9つの書籍小包のうち1つが100グラムオーバーしていて、また並び直さなければならないかと思ったとき、本を2冊抜いて手持ちの針と糸で手早く梱包し、ぎりぎりで間に合ったのはお手柄。
さて書籍小包を無事出し終わり、今度はキャロムボードだ。一辺1メートル以上の大荷物のため、プラディープによれば駅の郵便局から出さなければならないという。駅の郵便局は大型荷物を扱い、列車でムンバイまで運んでそこから船に積む。確認のため聞いてみた小包窓口のおじさんも「ここでは受け付けられない。駅に行け」というので覚悟していたとき、見知らぬおじさんが英語で「その荷物はここから送れるよ」と声をかけてきた。見るからに怪しげで、裏ルートを知っているような素振り。「でも小包窓口で断られたんだけど」「大丈夫、こっちにきて」と郵便局の中にずんずん入っていく。
「No Admission」という扉を開くと、各カウンターの内側で、さっき書籍小包を受け付けたおばさんがひっきりなしの客に応対している。おじさんはキャロムボードをはかりの上に乗せ、「1700ルピー(4250円)だ」という。何の権限があってそんなことを……と思ったが、ここまできて詐欺もあるまい。財布にそんな大金はなかったので、銀行のATMに下ろしに行った。ちなみにモーネおじいさんはお金をおろすのもずっとつきっきり。リキシャーで駅まで行って急いでお金をおろして戻ってくると、あのおじさんはあろうことか、窓口業務をしていた。郵便局員だったのである。
あのたらい回しが得意な郵便局員が、わざわざカウンターの外までやってきて声をかけてくれたということが信じられなかった。おじさんは客の受付をいったんやめて、キャロムボードを送る手続きをする。4250円という金額はスピードポストという航空便の送料で、大事なキャロムボードを船で届けることを考えれば安いくらいだ(値段は1100円)。隣りの窓口のおばさんに「何それ?」と聞かれて「キャロムボードさ」と微笑むおじさん。もしかしたら、キャロムプレイヤーなのかもしれない。それなら合点が行かないこともない。「Thanks a lot!」「Welcome!」
2回目は意外にあっさりと片が付いた。が、残った問題はモーネにいくらお礼するかである。プラディープは発送の手伝い賃として100ルピーを余計に請求した。ならば、モーネはその中からもらうべきではないか。「お金はプラディープからもらってくれ」というと、モーネおじいさんの顔が曇る。「プラディープはここ2,3日来ていない」「でも友達なんだろ」「いや、友達じゃない!」そこに、先日荷造りをもっと安くすると言ってきたラッジューの奥さんと赤ちゃんが現れ、また「もっと安く荷造りするよ」「いや、もう荷造りは終わったんだよ」……話がややこしい。
結局、手帳の紙片に「モーネはプラディープに替わって発送の手伝いをしたので50ルピー以上渡すこと」と書き付けてモーネおじいさんに渡した。納得できなさそうな顔をしていたのが気の毒だったので、「それじゃあ、今度会うときまでプラディープと会えなかったら、私が払うから」というと、口だけニコリとして握手して別れた。
これであと日本に送るべき荷物は冬物の服と、インドで買ったボードゲーム。終わりが見えてきた。
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近郊バス旅行
- author: hourei
- 2005/06/11 00:00
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先月、同じアパートに住むジャーダウ家からお誘いがあって近郊の寺院にお参りに行くことになった。寺院自体はそれほど期待していなかったが、インド人の家族旅行は、車を借り切ってさっと行って帰って来る日本人的な旅行の仕方とどう違うものかお手並み拝見といったところである。
10時出発というので5分前に伺うと、お父さんが腰にタオルを巻いて現れた。お母さんもいつもの寝巻き姿だ。どう見ても準備が終わったような様子ではない。5才になる長男のプラタメーシュ、2才の次男リシケーシュが相撲しているのを見ながら、出されたチャイを飲んで待つ。
出発したのは11時近くだった。家族全員で行くのかと思ったら、おばあさん、おじさん、プラタメーシュと私の4人だけだった。おじさんがガスのボンベを買いに行ってきたので遅れたという。リシケーシュは一緒について行きたがって泣いた。
バスはまず「シュバムナガル発市役所前行き」で駅前まで乗り、そこから「チンチュワド発ハラプサル行き」で終点まで。さらに「スワルゲート発サースワド行き」で終点まで。終点から相乗りタクシーでやっとお寺に着いた。ここまで3時間。
最初に見たお寺はバラジ寺院といい、チェンナイにある寺院のコピーである。「ヴェーンキー」ブランドの冷凍鶏肉輸出業で一財を築いた大富豪バラジ氏が、同じ名前の神様に帰依しており、工場の近くに3年前、この寺院を建てた。「ヴェーンキー」はバラジ神の異名「ヴェーンカテーシュ」に由来する。キャノンの社長が観音菩薩から会社の名前を取ったという話を思い出した。
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そんなインスタントな寺院なのだが、その豪華さはもしかしたらチェンナイを凌ぐかもしれない。高い壁で覆われた広い境内、カラフルに彩られた内装、金々ピカピカの神像、1枚1枚手書きの天井タイル。参拝客に祝福を与えるバラモン、やたらたくさん配置された清掃員と監視人、ずらりと並んで参拝を待つ何百人もの人々。となりには巡礼者用にロッジまである。寺院内が混乱しないよう、男女別々に並び、交互に50人ぐらいずつ入っていく(中で待ち合わせてもよい)。
30分ほど並んでやっと中に入り、バラモンから聖水をもらって頭に銀の器をかぶせてもらう。帰りにはチェンナイと同じサイズだというどでかいプラサード(お菓子の別当)をもらった。厳重に管理された寺院なので、胡散臭いバラモンや物乞いがバクシーシを要求することもない。つまりどう見ても参拝客はお金を落としていないので、寺院の運営はひとえにバラジ氏の財布で賄われているのだ。これだけの寺院を、現代に独力で建立する富豪の財力と信仰心に驚かされる。そして参拝客の多いこと多いこと。チェンナイなど気軽に参拝に行けないからここに来るのだろうが、富豪も庶民も問わないこの国の信仰心のすごさを大いに見せつける。
見終わって再びサースワドへ。もう3時過ぎなのに昼食を食べていないし、トイレ休憩すらなかった。しかしその辺のレストランに寄るような時間もお金ももったいないのだろう。道端でチックーという果物を買うと、すぐにバスに乗り込んだ。さらに遠郊のジェズリーという街へ。ここにはマラータ王国の四大伝説に数えられるカーンドーバ寺院がある。
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カーンドーバ寺院は、シヴァ神が妃のパールヴァティーを抱いて、馬に乗っている神像のある寺院。ふもとから山を登って上へ上へ行くと頂上に建物がある。おばあちゃんは足が悪いのでひいひいつらそうに階段を上っていたが、おじさんとプラタメーシュはどんどん先に行ってしまう。階段のそばにはお供え物やカセットテープを売る物売り、行者、道案内、物乞いが並び、お供え物を食べる羊などがずらりと並んでいて賑やかだ。参拝客も多い。
いくつも門を抜けて最後にお寺に着くと、黄色い粉が当たり一面に撒き散らされていてなかなかの光景だ。壁や柱に歴史が感じられ、さきほどのバラジ寺院とは違った深い趣がある。何よりもガードマンによって厳重に警戒されていたバラジ寺院と違い、人々の生活感が感じられるのがよい。子どもたちが捧げられたお供え物や黄色い粉を袋に集め、それらを売っている親のところにもっていく。たくましいものだ。いつも腕白なプラタメーシュが、そんな子どもたちを前にすると都会から来たお坊ちゃんにしか見えなくなる。
予定ではもう1つぐらい見るつもりだったらしいが、ここでもう6時になっていた。またジャンボールという渋甘いブドウのような果物と、アンジール(いちじく)を買うだけで一行は帰路に着く。嫌な予感がして朝食はたっぷり食べてきたが、まさか昼抜きになるとは思わなかった。5才のプラタメーシュも、おばあちゃんも何一つ文句を言わずついてくる。みやげも、その果物の残り。カーンドーバの神像がほしくて買った私は、おもちゃも買ってもらえなかったプラタメーシュより子どもだった。
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帰りもバスを何本か乗り継いで帰宅。さすが50キロ以上離れているところだけあって、帰宅は9時過ぎていた。夕食のナスのカレーをご馳走になる。ナスのカレーはマハーラシュトラ名物だが、これがまた空腹にしみてうまい。いつもは真剣におかわりを断る私だったが、今日はなくなるまで盛り付けてもらった。10時間以上、小さな果物しか口にしていなければ当然といえるだろう。
なお家ではリシケーシュが熱を出したとかで、お父さんとお母さんは1日つきっきり。もしこんなタフな旅行に着いてきていたらもっとたいへんだったかもしれない。
と、なかなかお腹の減る旅行だったが、バス7本、乗り合いタクシー3本に合計6時間以上乗って交通費は87ルピー(221円)。おじさんがプネー市内1日乗車券30ルピー(75円)を教えてくれたが、計算してみると20ルピー(50円)ぐらい得しただけである。しかしいつも態度のでかいバスの車掌が、このパスを見せるとすごすごと通り過ぎていくのが気持ちよくて、お得感は500円分ぐらいあった。
バスの中でははじめ最近上映中の「バンティとバブリー」の歌がずっとリフレインしていたが、そのうち何も考えず景色を眺めながらぼーっとしてきて、帰りには勉強のことを考えていた。旅行の醍醐味とは、行き先ではなくて道すがらにあるのかもしれない。
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抵当
- author: hourei
- 2005/06/10 00:00
昨日、出かけるときにドアを見たら
THIS PROPERTY IS MORTGAGED(この物件は抵当に入っています)
おいおい、モノポリーじゃないんだから……なんて言ってる場合じゃない。大家が債務超過のため住宅金融会社が差し押さえてしまったのだ。大家の携帯に電話をするもずっとスイッチが切られたまま。夜逃げか?とまで思った。
結局、夜に連絡が付き、大家が金融会社に連絡するので心配しなくていいと言われたが、自分の住んでいるところが抵当に入るっていうのは、非常に惨めな気持ちになるのだなあと感じた1日であった。
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日本に荷物を送る
- author: hourei
- 2005/06/09 00:00
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完全帰国まであと1ヶ月近くとなり、そろそろ荷物を日本に送ってみることにした。今まで手紙しか送ったことがなかったので、ぎりぎりになって慌てることがないよう、やり方を覚えておこうというわけだ。まずは近所の電気屋とペンキ屋から段ボール箱を仕入れてきた。大きいもので30ルピー(75円)、小さいもので10ルピー(25円)。ガムテープ(75円)で念入りに補強して、小さい方の箱2つに本をつめこんだ。小さい箱とはいえ、相当の重さである。郵便局では送る前に中を見せなければならないので封はしない。
以前、中央郵便局で相談したらイェルワダの郵便局でも取り扱っているという。荷物が重いのでバスで行くことができず、リキシャーを家の前まで呼んで来て運ぶことにした。家の近くはリキシャーが走っておらず、近くまで歩いていったがたまに来るリキシャーはことごとくオバちゃんたちに先を越されて、大通りまで自転車で呼びに行こうかと思い引き返したところで、下の階に住む奥さんがバイクで呼んで来てくれた。村のご近所さんはありがたい。
イェルワダの郵便局までは5キロ。中央郵便局と比べるとさほど並んでいない。これで済むんだったらどんなによかったことだろう。箱の中身を見た局員は、「ここでは扱えない。中央郵便局に行け。」その理由は、船便は布で包まなければならないことが1つ、もう1つは書籍郵便(Bookpost)という制度があり、格安で送ることができる代わりに扱っているのは市内でただひとつ、中央郵便局になるからだった。
中央郵便局まで再び5キロ。ダンボール箱を見ると、リキシャーを降りる前から男が駆け寄ってきた。これは郵便局の前で仕事をしている荷造り屋である。布で包む仕事のほか、たらい回しにしたがる郵便局員との交渉もやってくれる。民間の仕事であるため、値段はまちまちでだいたい外国人はインド人価格の2倍ぐらいふっかけられていることが多い。
荷造り屋はすぐに荷物を局内に運び、重さを量った。書籍郵便は荷物1つが5キロまでと定められており、私の荷物は5キロずつ、全部で6つになった。外に再び運び出して、必要な布を外に買いに行ってから2人で荷造りを始める。書籍郵便の場合は1面を外から見えるようにしておかなければならず、そこは糸で網の目にする。そんな仕事を素人が自力でするのは無理だ。荷造り屋はどうしても必要なのである。
たいていトラブルになるのか、荷造り屋は仕事を始める前に値段を言ってきた。1つ80ルピー(200円)。6つで480ルピー(1200円)だが、450ルピー(1125円)にまけさせた。これでもかなりふっかけられていたことが分かったのは後の話である。仕事の最中にお互いの家族の話など。荷造り屋の向かいで赤ん坊にビスケットを食べさせているのが、彼の奥さんだった。赤ん坊は5ヶ月、名前はシャーム・サイといい、その上にプリヤンカとメーガという2人の娘がいる。外国人から相当ぼったくれる仕事だと思ったが、かなり貧しそうだ。
「俺は息子より娘の方がいい。家に帰ったら、娘は水をコップに入れてもってきてくれるだろう。でも息子は絶対そんなことしない。」日本では、父親が仕事から帰ったときお茶を出してくれる娘なんてもういないかもしれない。
さて荷造りが終わると、窓口に並んで発送の手続き。荷造り屋は2手に分かれて別々のカウンターに並ばせる。私が並んだ方のカウンターはおじさんが1人でさんざん粘った挙句、昼食のため私の前で閉鎖となった。2手に分かれて並んでおいたため、また並び直すことはなかったが、このあたりの手際のよさもさすが荷造り屋だ。これを全部ひとりでやらなければならないことを考えれば、多少高いお金を払っても荷造り屋に任せる方がいいと感じた。
6つの荷物のうち1つは手違いで5キロを超え、荷造りをし直してまた並ぶというハプニングもあったが無事発送完了。日本に送るのに1つ147ルピー(370円)と、確かに格安だ。以前、空輸でどれぐらいかかるか調べたところ1キロ550ルピー(1375円)だと言われたから、18分の1にあたる。荷造り代を入れても、まだ12分の1。
全部終わった頃には、家を出てから3時間半が経過していた。まる1日仕事である。ほっとして郵便局を出ると、別の荷造り屋が近づいてきた。「いくらだった?
80ルピー?! 俺だったら40か50ルピーでやるよ。」後の祭りである。「今回はもう終わったんだから、次回頼むよ」というと、「まだ他に荷物があるだろう。俺にやらせてくれ。あいつら、またぼったくるぞ」としつこい。
実は荷造り屋がバイクで家まで来てくれるというので、明日頼んだところだった。そのことを別の荷造り屋がなぜか知っている。「ワドガオンシェリだろ、俺が行くからあいつらは断れ。俺なら40か50ルピーで……」これまた小さな赤ちゃんをだっこして、涙目で訴えている。「それももう決まったことだから。でもまた来たときに頼むよ。」
郵便局の外の道までついてきたその男を何とかふりはらって1人になったとき、疲れがどっと出た。中央郵便局は手紙ひとつ出すだけでもいつも疲れる。途中ビールを飲んで、家に帰って寝た。今日はそれだけ。家には、この2倍以上の本が残っている。
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水
- author: hourei
- 2005/06/06 00:00
水槽から出る水がとても飲めるようなものではないので、20リットルの飲料水を頼んでいるのだが、これが毎回煩わしくてたまらない。たいてい4,5回電話してやっと届けに来る。
今日もそうだ。朝一番に電話したら「1時間後に行きます」……そして夕方、来ないのでまた電話したら「1時間後に行きます」「朝来るって言ったじゃないか」「住所が聞き取れなくて」聞き取れなかったらそう言えよ!と思いながら再び住所と電話番号を言う。そして夜、やっぱり来ないのでまた電話。「明日」「今日来るって言ったじゃないか、1時間後って」「明日、明日」「今日っていったのはお前だろ!」その瞬間、ぶっつりと切られた。さすがに頭にきたのでまたかける。すると受話器を持ち上げてすぐ下ろすという荒技。またかける。これで5回目。あちらも声を荒げて「明日!」「じゃあ何時だ」「9時!」……信用できない。
20リットルの水は175円だが、5回の電話が45円。そして精神的消耗がもっとたくさん。これが約10日に1度繰り返されるのだ。毎度毎度、水を届けに来るたびに150円ぐらいにまけさせたくなる。
……はあ、早く日本に帰りたい。
※翌日追記:昼までに来なかったので電話したら「1時間後に。」よくもぬけぬけと……そして2時間たっても来なかったので、私は外出してしまったのでした。また明日だ。
※翌々日追記:昨日留守中に届けに来たらしい。お隣さんから聞いた。そこで朝電話したら「1時間後に。」これってマニュアルなんだろうか?「毎日1時間後1時間後って! 今度こそ約束だぞ、や・く・そ・く!」そしてようやく3時間後やってきた。「昨日届けたんですがいなくて」「1時間って言ったのに2時間以上待ったぞ」「…すみません」ここまで7回電話して、すみませんを聞いたのはこれが初めてだった。
ちなみにやりとりは全部ヒンディー語です。村に越してきてから、ほとんどそう。
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青唐辛子
- author: hourei
- 2005/06/05 00:00
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夏は食欲が落ちるせいか、たいていの家庭で料理を辛くするそうだ。レストランも同じく、辛くしてくれる。いつもでもぎりぎりの辛さなのに、限界を超えることも少なくない。
今日は3月にオープンしたレストランで中華料理「鳥の肉団子ガーリックソース」を食べた。真っ赤な料理が出てきたときに嫌な予感がしたが、それが的中した。今までの経験をはるかに上回る辛さ。立ち上がって口を開けたまま走り回りたくなるような欲求を抑えて、店員に「辛すぎるよ!」
よく見ると、ソースの中に1ミリぐらいに刻んだ青唐辛子がたくさん入っている。この青唐辛子、そのひとかけらをかじっただけでも水三杯は必要になるのに、5つや6つどころでなく入っているのだ。
店員は私がもだえている様子を見て申し訳なさそうに「取り替えますか? 問題はこれがチリソースだからなんですが。」と言う。チリじゃなくてガーリックソースだろ?と思いながら、もう口をつけてしまったものなので最後まで食べることにした。「いいよ、次回から唐辛子を抜いてくれ」
ご飯の上にかけられたソースから唐辛子を1つずつ取り除きながら食べる。ネギも入っているので分別が難しい。皮が薄いのがネギ、厚いのが唐辛子。30分ぐらいかかって、除いては食べ、食べては除きを繰り返し完食。大事を成し遂げたような達成感がある。最後に取り除いた唐辛子を数えると80かけらもあった。取り除いたところで十分辛く、水も結局7,8杯飲んだ。
食べている途中、高校の部活の一発芸大会でタバスコ1本分を一気飲みし、翌日から3日間学校を休んだ梅津君や、ヒンディー映画『ハム・ディル・デー・チュケ・サナム』で青唐辛子を何本もヤケ食いするサルマン・カーンとアイシュワリヤ・ラーイのことを思い出した。
昼は青唐辛子を揚げて塩をまぶしたものをかじりながらパンを食べる。そんな癖がついているから日本でも漬物の唐辛子をかじってしまう。インドで自信がつけたのは、日本ならばどんなに量が多くても、どんなに辛くてもたいていは食べきれるということだ。体によくないだろうとは思うけれども。
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映画
- author: hourei
- 2005/06/04 00:00
ふとしたことで『バンティとバブリー』を2回見ることになる。1回目と違って挿入曲をラジオで何度も聞き、またウェブのレビューで粗筋を抑えているともっと面白くなった。特に会話に注意を払うことができるようになり、1回目は表層的な映画だと思っていたのがぐっと胸の詰まる部分もあったのが収穫。
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自炊
- author: hourei
- 2005/06/04 00:00
朝はパンなどで済ませるとして、1日2回の外食はきついので昼はたいてい麺類にする。そもそも昼は暑くて外に出る気がしない。
- お湯を沸かしてスパゲッティかヌードルをゆでる
- その間にオクラ(5?6本)、タマネギ(小2コ)、ニンニク(3?4片)を切る
- ゆで終わったらお湯を捨て、麺を別の器に移す
- 同じ鍋に油を入れ、野菜を炒める
- 麺を加えて和え、味付けをしてできあがり
味付けは日本から持ってきたダシ醤油で和風にしたり、ヌードルに入っている粉を入れてカレー味にしたり。外で食べるのと違って量もほどほどだし、辛くもないからお腹にもやさしい。これぐらいの量だと、夜になる頃にはほどよくお腹が空いて、外食に行く気が起きる。それに、野菜は1食あたり10円、麺は20円だからほとんどお金がかかっていないのもメリットだ。外食なら50円はする。
インドでの野菜は作付面積あたり収量がとても少ないせいか、日本のものと比べると甘くて美味しい。だからこんな野菜だけの麺を日本で作ってもあまりうまくないかもしれない。
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インド哲学の危機
- author: hourei
- 2005/06/03 00:00
前の本が終わって新しく授業で読んでもらっているテキストは、このところずっと仏教説批判が続いている。世親(ヴァスバンドゥ)という仏教徒が「議論(ディベート)」の定義をしたのだが、それをウディヨータカラというバラモンが一句一句、これでもかこれでもかというほど叩きのめす。その方法はまず一句ずつ取り上げ、それは一体どういう意味かと問う。そして可能性を3つぐらい挙げ、1つ1つつぶしていく。こうして全部の語の意味をつぶしてから、今度はそれぞれの語の関係がいかなるあり方でも成り立たないことを示す。さらに、仏教徒が他のところで述べている文言を引き合いに出して、その矛盾をつく。ひとつひとつの批判を見ると論理的には不十分だったり、詭弁だったりもするのだが、仏教徒を完全にやっつけようという執念が恐ろしいほど伝わってくる。
しかしこのような批判をされたことで、この後には仏教徒が自説を強化して対抗する。そしてバラモン教説を叩く。バラモン教も負けじと新説を生み出して……この応酬がインド哲学を発展させてきたのである。
ところでこの仏教を批判する書物はサンスクリット語で残っているわけだが、批判対象になっている仏教の書物は漢訳を除いてもう残っていない。これはどういう事情だろうか。
仏教徒とバラモン教徒の議論は1000年以上も続いたが、イスラム王朝だったムガル帝国期(12世紀ごろ)に終焉を迎えることになる。ムガル王朝は仏教徒もバラモン教徒も殺し、たくさんの本を焼いた。バラモン教は何とか生き延びたが、仏教徒はムガル帝国の影響が及ばなかった地域を除いて全滅してしまう。哲学の議論どころではない。そのため仏教の書物はインドにはほとんど現存せず、中国とチベットにもたらされたものが翻訳として残るのみである。
バラモン教の書物も多くが焼かれたが、代々伝わるパンディット(伝統的教学者)の家で伝承されていたものは難を逃れた。パンディットは一子相伝でバラモン教学を伝えてきたため、子弟の教育のために家に本がある。さすがのムガル帝国もパンディットの家を一軒一軒回ってしらみ潰しに本を焼いていくことはできず、学校などに集められていたものを焼くにとどまる(それでも被害は甚大だったが)。しかし仏教徒は出家者であるため、書物はナーランダなどの大学に保管されていた。これが災いして壊滅的な被害を受ける。三蔵法師がナーランダを訪れたとき900万冊の写本があったというから、それが全部焼けてなくなったことを考えると打撃の大きさが分かる。
しかし何とか生き残ったバラモン教学に、ムガル帝国以来の第二の波が襲ってきている。それは西洋文明の急激な浸透である。
かつてパンディットの家系に生まれた子どもはヴェーダに則って入門し、幼少時から暗記を中心とする徹底的な教育を施された。シュクラ先生も5才のときから教育を受け、以来ずっとこの道だけを歩んでいる。ところが現代においてそんな生き方はできない。学校に入れば国社数理英、西洋化された教育が待っており、コンピュータの知識を身につける必要もあるだろう。シュクラ先生の息子は27才でシステムエンジニアをしているが、バラモン教の知識は0に等しい。
このような事態がシュクラ家だけでなく、バラモン教学を支えてきたパンディットの家で普通に起こっている。家に代々伝わってきた貴重な書物は使われないまま虫食いとなり、誰も読める人がいなくなってゴミとなる。シュクラ先生がヴァラナシにいたとき、そうやって写本がガンジス川に捨てられるのを何度も見たという。強制的に焼かれるのではなく自発的に捨てているのだから、もう末期的だ。この事態に危機感を抱いて各家から写本を集めて保管している図書館もあるが、維持するための資金が続かず管理状態の悪いところが増えている。
近代インド仏教学の貢献は素晴らしく、わずかに残っているサンスクリット写本を見つけ出し、漢訳・チベット訳と相互参照することで壮大な仏教の体系が明らかになりつつある。一方、インドに仏教がなくなってからも発展を続けたバラモン教はこのありさま。インドからなくなった仏教学が世界宗教としての支えで生き残り、一方インドに残ったバラモン教学がヒンドゥー教の支えもなく死にかけているのは誠に皮肉なことだ。もしインドでインド哲学を学びたいという人がいたら、1日でも早く来ておかないと、もう後がないような気がする。
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手巻き寿司大会
- author: hourei
- 2005/05/29 00:00
昨日頼んだ電気屋は約束通り8時30分に来て、2人で手際よく、かつ入念に掃除していった。金属の薄い板で頑固な苔をはがし、酸性洗剤をかけて仕上げ。新品を買わせようとしていた前の電気屋とは比べ物にならないよい仕事だった。満足したので掃除代750円を言い値で払う(前回は交渉してまけさせた)。
昼からはFさん宅で手巻き寿司大会。料理上手で日本の食材を各種取り揃えているFさん宅では先月、Aさんの誕生日記念でそうめん大会が行われ、昆布だしのめんつゆ、みょうがの酢漬け、シャーベットが振る舞われた。日頃脂っこいカレーと焼きそばばかり食べている身に美味しさがしみこんだものだ。今回はさらにチャレンジング。この日のために一時帰国中のI氏が大葉を手に入れてきた。
寿司の具はエビ・カニ・シーチキン・卵焼きの4点。ちゃんと寿司飯になっていて、海苔もふんだんにある。そのほかに五目ちらしとトンカツ(肉はイェルワダの肉屋から調達)、ナスの煮物に京風味噌汁が用意された。デザートにはマンゴーシャーベット。さらに、円実さんが大量のビールとワインをもってきて、ここはもうパラダイス。幸せ幸せ。参加者は7人で、あっという間に平らげた。Fさんご馳走様でした。
食後はもってきたカードゲームで遊ぶ。まずはコミュニケーションゲームの『アップルトゥアップル』。日本語に滅多に接しない海外で遊ぶとひときわ楽しい。Aさんが3連続でカードを取って勝利条件を満たしたが、協議で2周遊ぶことにした。勝敗よりも、1人1人の審判が面白い。今回の傑作は「ピュアな」「セクハラ」。悪気があってやったんじゃないんですーといったところか。
次にはイタリア・ミラノ発のブラフゲーム『ファブ・フィブ』。カードの引き運による一発逆転の要素と、ウソの演技が楽しい。顔はニコニコ、心臓はバクバクだ。しかも勝ち残り戦なので、HPが残り少なくなってくると否応なく真剣勝負になる。最後はFさんと私の一騎打ちになったが、噛んだふりをしてFさんにブラフと言わせた私の勝利。ニコニコ顔でウソがつけない振りをして、しっかりウソをついていた円実さんのプレイが光った。
それからはI氏が男の子が生まれたK氏のために日本から買ってきた『魁!男塾』の単行本を見ながら昔のジャンプの話をしたり、大阪から来て円実さんの家に住んでいるNさんとインド映画の話をしたり、光GENJIのレパートリーは何だったかとか、お笑いマンガ道場は何分番組だったかとか、髪の薄さと結婚適齢期の関連とか、ぺちゃくちゃおしゃべりに花を咲かせる。椅子がいっぱいあって居心地がよく、気がついたら夜の10時を過ぎていた。このところFさん宅の集まりは10時間以上経つのが相場となっている。
今回は自転車で来たのでリキシャーの交渉に疲れることなく、歌を歌いながらのんびりいい気分で帰った。次回は焼肉大会らしい。まじっすか?
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