『ドイツ病に学べ』

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戦後、日本が求め続けてきたお金と、ドイツが求め続けてきた余暇。どちらが豊かな生活かといえば、ドイツに軍配が上がるに違いない。仕事が終わってから平日の夕方にボードゲームが遊ぶなどというのは、日本ではまず考えられないことだ。

企業に最低限20日の有給休暇を義務付ける「連邦休暇法」(しかも大半の会社では30日、土日を合わせて6週間を完全に消化するのが当たり前だという。この結果年間労働時間は1600時間、日本の8割である。)、葬儀費用や分娩費用、さらに「クーア」(病気や怪我の後に医師の診断書があれば最高6週間、山や湖のホテルで転地療養ができる)までカバーする公的健康保険、美術館と見まがうような豪華な老人ホームに入れる介護保険、1日10時間以上の労働や日曜出勤が明るみになると経営者が刑事訴追される労働法、6ヶ月の試用期間が終わると組合の許可なしには解雇できない「従業員を解雇から守る法律」、取締役に労働者代表を入れなければいけない共同決定方式、平日は午後6時半、土曜日は午後2時に店を閉めなければならなかった「閉店法」、定価の3%を超える値下げや、顧客層によって価格を変えることを禁じる「値下げ禁止法」、バーゲンセールができない「不正競争防止法」などで国民や産業は手厚く保護されてきた。

しかしその弊害が今出始めている。

公共債務は198兆円に上り(2004年末)、金利のために毎秒37万円ずつ増え続けている(ちなみに日本は2009年、816兆円に達する)。財政赤字がGDPの3%以下というユーロの安定協定は、ドイツがかつて違反国に厳しい制裁を求めたのに、今や毎年規準を破り続け、制裁措置を適用しないように各国に頼み込む始末。電子部品が故障するドイツ車、需要減で売却されたメルクリン社、技術的なトラブル続きで始動しなかった高速道のハイテク料金徴収システム、失業対策で政府が推奨したのに、皆ドロップアウトしてしまったアスパラガス収穫、中途半端に賃金の高い旧東ドイツを通り越して中東欧諸国に流れる労働市場、そしてついにはドイツからオーストリアへ移民労働者が出る事態になっている。教育投資額の低さに加えて、学校では授業が午前中で終わり、夏休みの宿題もないゆるさから、学力の低下も現実のものとなっている。

公共債務を解消しようにも、所得税・保険料・消費税はこれ以上上げられないくらいまで来ている。給与額面74万円のサラリーマンの手取りは45万円。社会保険料で5分の1、税金でさらに5分の1が引かれる。さらに会社が自己負担と同額の社会保険料を国に納めている。規制の多さに加え、このような労働コストの高さが、企業の進出も妨げる。

また個人主義もマイナスに作用していると筆者は見る。

ドイツ人は個人主義的な性格が強いので、自分を曲げてまでほかの仕事に就こうとはしない。日本とは違って「恥の感覚」が弱く、「周囲の目」を気にしないので、「仕事が見つからないのは自分が悪いのではなく、社会が悪いのだ」と開き直ってしまう人が多いのだ。さらに、旧約聖書には、アダムとイブが禁断の実を食べたために、神によって楽園から追い出されるという話が出てくる。彼らは、楽園では働く必要がなかったが、追放された後は、罰として、労働によって日々の糧を自分で得ることを明示される。このため、ヨーロッパでは「労働は、神からの罰であり、しないに越したことはないもの」という潜在意識がある。日本と違って、他人が働いているときに休んでいると良心がとがめたり、労働を手放しで肯定的に見たりする人は少ないのだ。(58〜59ページ)
私の目には、結婚件数が少なく、離婚件数が急増している理由の一つは、ヨーロッパの中でも特に個人主義的な性格と自己主張が強く、他の人に対する批判精神を幼い時から叩き込まれている、ドイツ人の性格にもあると思う。職場でIT化とグローバル化が進み、ストレスが増える中で、妥協や譲歩を好まない彼らの性格は、家庭の中でも摩擦や衝突を増大させる原因になるに違いない。(122ページ)

人口減少の秒読みが進む中、政府はやっと重い腰を上げ始めたが、これまで手厚い社会保障を享受してきた国民は当然のごとく改革に反対し、問題は先送りされようとしている。これは日本も同じこと。国家には社会保障制度や女性の労働環境整備、外国人の受け入れ、高齢化と少子化問題など問題が山積みで、国民全ての生活を守ってくれるというのは幻想だということに気づかなければなるまい。ボードゲームを遊ぶ時間も、結局自分で努力して作るしかないのだ。

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