1999年1月アーカイブ

三鷹寮の思い出'92

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三鷹寮入口1992年上京して2年間住んでいたのがこの三鷹寮だ。

三鷹寮は一応、京王井の頭線三鷹台駅が最寄。電車に乗ってしまえば大学まで25分だから近い。とはいえ自転車で15分かかる上に勾配が大きい。雨の日はバスに乗って吉祥寺に出た。自転車を盗まれたり移動されたりして、しかも夜遅くに帰ってきたりすると、40分も歩かなければならない。当然のことながら、学生がタクシーなど乗れるはずもない。

北寮三鷹寮は南寮と北寮に分かれていた。1部屋は3?6人で構成されており、サークルの名前がついていた。私が入った部屋は「スポ研」。1部屋といっても談話室、寝室、学習室の3つがセットになっていて、生活時間帯がまるで違っていても困らない。誰かが寝る頃に、誰かが起きる。

前には寮生用のテニスコート。ときどき女学生が来て遊んでいるのを私はうらやましそうに眺めていた。

森昔は馬場だったという敷地はものすごく広く、外でトランペットの練習をしている人がいるほど。建物の周りは森になっていて、誰も足を踏み入れることはなかった。ちょっと歩き回っったことがあったが、あまりの茂みで退散した。

どこからでも入ってこれるはずなのに、犬を散歩させている人を除くと外部の人にはまず会わない。森はおいしい空気の源であるとともに、外界からの遮断として機能していたのである。


浴室テニスコートの裏にある浴場。渡り廊下があるので雨の日でもあまり濡れなかったが、冬は寒い。冬場は2日に1回で、よく近くの銭湯にいった。銭湯は早い時間に閉店するが、寮の風呂は午前になっても入れた。

風呂掃除は当番制だが、ボイラーは寮委員会の仕事。ボイラーを止められてしまうとお湯が出なくなるが、寮委員会はたいてい遅くまで起きて酒盛りをしているのでその心配はなかった。

浴場遅くまで入れるということになると、ついウダウダしてしまう。同じ部屋や近くの部屋の仲間と連れ立って入りに行く。当時は疲れを知らない年だったが、おしゃべりしながら風呂につかるのはリラックスできる至福の時間だ。

夜の11時ごろがピークだっただろうか。お湯は継ぎ足しできたので温かさを保つことができたが、時間が経つにつれて湯舟にはいろいろなものが浮いてきて、うっかり口に入ろうものならたいへん。

ホール夏の風呂上りは、隣りのホールで延々とビリヤードや卓球をしてから帰る。とにかく広い上に、だだっ広い建物がいくつもあり、夜の3時や4時まで遊んでいても何も言われない。金管楽器の練習でさえもすることもできた。

発情期のネコの声を赤ん坊の幽霊だと思って、すごく怖くなったのを思い出す。それぐらい建物は古びており、がらんとしていた。

食堂寮の食事は朝はサンドイッチと牛乳、夜は黒板に発表されたメニューをおばちゃんが作る。1カ月分の寮食費を払って、あとは自分の都合で2、3日前までに止食の手続き(黒板の前の帳簿に×をつける)ができた。止食分は翌月に還元される仕組み。こうした手続きも寮委員会の仕事だ。

1カ月1万円台で安かったが、いつも夜の6時くらいにはできていたので時間がたつと全てが冷めてしまい味噌汁は煮詰まりカレーはルーに逆戻り。

食堂「十時軍制度」は、朝も夜も十時を過ぎて残っていた寮食は誰でも食べていいという決まりである。9時50分くらいになると何人か集まってきてハイエナのように待っている。そして10時になると始まるじゃんけん。「ジャンケンポン!」かなり気合が入っていた。

普通に予約している人は十時軍に食べられないよう走ってやってくる。じゃんけんが終わった頃に着いてよくトラブルになっていた。

ラウンジ各階にあるラウンジは、洗濯、物干し、電話置き場、冷蔵庫置き場、ゴミ置き場になっており、人の休む場所はない。掃除しようとしてもすぐに諦めざるを得ないような何十年分の汚れの蓄積で、通路だけ確保しておくのがやっと。スペース無駄遣いもいいところである。

電話番は当番制。事務室に待機していて、電話がかかってくると全館放送で案内。「○○さん、○○さん、1番に電話です。」これを聞いて各階にある電話から、案内された番号を押して話す。女性からかかってきた場合は「お電話です」、親(らしき年配の人)からかかってきた場合は「おお電話です」という決まりになっていた。「お電話」だったりすると、後からねほりはほり聞かれる。

電話をかける場合は、外にある電話ボックスから。電話ボックスで長電話している人がいたら、寮の外までいかなければならない。まだ携帯なんてなかった時代の話だ。


バイク置き場昔はさぞたくさんの寮生が住んで、さまざまな寮内行事があったのだろう。ホールが2つもあった。1つはビリヤード兼卓球場になっていたが、もう1つはバイク置き場に。昔は何に使っていたのか分からない。廃墟寸前である。

寮祭は年に1回あったが、日本酒をジョッキで一気飲みさせられるらしいというのを聞いて、私は小平の友達のところに避難していた。

トレーニング室ホールだけでなく、建物の中にも謎の部屋があった。ここはトレーニングルーム兼自転車修理場といったところ。昔は何に使われていたのだろうか。

ゴミはカゴに入れておいて、決められた日に出す。建物周りはおじちゃんが掃除していたが、部屋の中を掃除することはまずなかった。はじめのうちは気持ち悪いが、やがてゴキブリがブーンと飛ぶと、「あ、ゴキちゃんだ」とか言えるようになってくる。

洗面所トイレだけはおじちゃんが定期的に掃除していたので概して汚くはない。しかし、使用中止の貼り紙がずっと貼ってあったり、扉がなかったり、ナイスな落書があったりとその強烈さは印象的だった。

「昨日、このトイレで用をたしていたところ、体内から巨大な物体が出てきた。イモムシ状の茶色い物体で体長20cm、直径4cmほどもあった。気持ち悪いので流してしまったがいったいあれは何だったのだろう?」(北寮3F)

春三鷹寮の広大な敷地にはたくさんの木があふれ、とくに銀杏の木は四季の移り変わりを色濃く映し出していた。木漏れ日が気持ちいい夏、そして黄金色に染まる秋、日差しが横向く冬。

1993年、広大な空き地に国際留学生会館が建ち始め、寮生の引越しが終わると旧寮は全て取り壊された。もうひとつの駒場寮では、取り壊しにずっと反対運動が起こっていたが、三鷹寮では特にそのような運動は起こっていない。

三鷹寮・秋自称「平成のムッソリーニ」とか、司法試験X浪でちょっとおかしくなっている人とか、いることはいたが政治活動の拠点になっているわけでもなく、寮委員会も酒癖は悪かったが中立だった。

新寮はやや家賃が上がったが、完全個室で各部屋に電話も引かれている。シャワーだけになったり、電熱器しかなかったりと不便になることはあったが、概して生活の質は向上したと言えるだろう。

三鷹寮・冬しかし今になって振り返ると、友達と夜な夜な麻雀をしたり酒を飲んで語ったり、一緒に風呂掃除をしたり電話番をしたり、マンガ雑誌の回し読みをしたり、その結果午前中の授業はほぼ出られず、勉強はきまってテストの1週間前になってしまったが、そういう生活も、悪くはなかったような気がする。無駄だらけのスペースも、今そんな場所が果たしてあるだろうか。

三鷹寮よ永遠なれ。

1999年の夢

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12月12日 恐れていたこと


印哲がオウムになる.私は広報部に属し,あるマンションに住みこみ,住民を全部信徒にする係だった.マンションに住んでいる弁護士の部屋を訪問し,いろいろな頒布物を弁護士に手渡すと,
「君らは,どこの団体だ?SPGFか?」
と聞いてくる.オウムだと言えば拒否されると思って黙っていると,後ろから,
「そんなことを言う必要はない!」
と言ってくる人がいる.振り向くと学科の先輩だった.そのあと先輩さんに連れられて上の階にある本部にいくと,研究例会が開かれていた.タイトルは「知識階級への布教の実際」で私が話すことになっていた.困る私.

12月11日 自信なくす


バイクで鶴岡に行く.コンビニで買い物をしてレジに行った時,後ろから何者かにレジの台に押し付けられた.何が起こったのかわからなかったが,どうやら私のお金の払い方が後ろに並んでいる人の気に入らなかったらしい.後ろに並んでいる人の大ブーイング,でも私は何が悪かったのか全然わからない.
追い出されるようにしてコンビニを出ると,駐車していたはずのバイクがない!ブーイングをした人が持って行ったのかと思い,あちこち探してみたが見つからない.途方にくれた末,よく考えてみたらコンビニに来る前に駅前の駐車場に止めてきたことを思い出す私であった.

12月03日 虚栄


大学時代の友達みんなで友人の新居に遊びに行く.夫妻は古びた大きな洋館に住んでいた.友達は休日だというのに会社に行っていて,奥さんしかいなかったが,帰ってくるまで待たせてもらうことにする.
洋館にはたくさんの部屋があって,夫妻はそのうち一番大きい部屋を住居として,もう1つを物置として借りていた.他の部屋にはまた別の家族が住んでいる.日照はあまりよくないらしく,友達が自分で工事して照明を2つ増やしたが,そのせいで洋館全体の電力容量が足りなくなり,住民の顰蹙をかっているという話.2部屋借りていることも周囲のひがみを招いているようだった.
そのうち,別の友人が退屈して住居を歩きまわり,どこからか花火を探してきて,部屋の真ん中で火をつけた.打ち上げ花火などもあってずいぶんと賑やかである.部屋は総大理石製なので火事の心配はなかったが,すごい音が周囲に響きわたる.それで皆集まってきて文句を言い始めた.ただでさえあまりよく思われていないところにこれは強烈だった.
すっかり困った顔の奥さん,すまなさそうにしている友達,マンガを読んでいるさらに別の友達をよそに,私は奥さんに「『爆笑問題の日本原論2000』が出た」と伝言すると,窓から逃げ出した.

12月01日 懐古


「正直言って,ここまでひどいとは思わなかった」
オーケストラの定期演奏会の反省会で後輩が切り出した.私はオブザーバーとしての参加である.
「次回のパート割りは,俺がやる.まず,これから発表する人は次の演奏会では乗り番なしだ.……」
うつむく後輩たち,場に冷たい空気が流れる.そこで私は口を出した.
「お前、卒団したらパート割りなんかしなくていいんじゃないの?人も少ないんだし,まあ現役に任せたら?」
別の後輩が拍手をすると,他の現役生も相次いで拍手し始めた.そこで後輩は部屋を出ていくと,友達を連れてきた.どうやら彼が黒幕らしい.両者にらみ合いながら緊張感が高まる.
「甘いんだよ!こいつらに任せたら,東大オケはどんどん悪くなる」
「東大オケは君らのオケじゃない!みんなの,現役みんなのオケ以外のなにものでもない」
現役の拍手の中ですっかり英雄気分になる私.

11月20日 実話でない


米沢でお檀家さんの葬式があって,導師として呼ばれる.行ってみると20人もの伴僧が置賜のみならず新潟などからも呼ばれており,それで驚く.
葬儀開始前,以前に枕経も通夜も連絡がなかった点について喪主である故人の奥さんに尋ねた.
「枕経や通夜はどうしたんですか?」
「○○寺さんに侍者としてお願いしましたわ」
呆れながら言う.
「侍者などを決めるのは菩提寺であるこちらのすることで,勝手に決めないでまずこちらに連絡してほしかったです」
「もう済んだことなんですから.こちらは高いお布施を出しているんだから,文句を言わないで葬式を始めて下さい」
御布施これで私は完全に切れた.持ってきた法具を全部しまい,慌てる皆をよそにさっさと帰途に着く(この裏には刺繍袈裟を忘れたり,引導法語を書いていなかったりといったこちらの準備不足もあったが,ここではおいておく).帰り道で手に入らなかった「高いお布施」のことを考えて少し後悔した.
寺に帰ってしばらくすると,その○○寺さんや喪主が関係者をたくさん連れてやってきた.葬式はその○○寺さんが急遽導師をしたらしい.○○寺さんいわく,
「いくらなんでも,帰るというのはひどいんじゃないですか?お陰でみんなたいへんでしたよ」
「今日の仏様は,遺族・子孫の信心のもとでこれからずっと,何百年もこの寺で供養していくんです.金を出してただ葬式をすればいいというような不敬な態度では,この寺の檀家としてやっていけない.そうではありませんか?」
やってきた人々はそれで納得したらしく,喪主が非礼をわびて一見落着となった.リアルすぎて後味の悪い夢.

11月17日 胃もたれで


夜中洗面所へ行ってウンコを吐く.きつい夢だった.

11月15日 反抗


高校にて.午後の体育の授業がグラウンドである場合には昼休み体育館で遊び,授業が体育館である場合にはグラウンドで遊ばなければならないという不条理な命令が先生から出される.
理由を聞いても先生は教えてくれない.そこで私はぶち切れて先生の唇に噛み付き,そのまま唇からぶら下がった!先生は悲鳴を上げて振り落とそうとするが,しっかり噛み付いていて離れない.でも心の中では,
「これって先生とキスしてるようにしか見えないな…」
と思っていた.

11月08日 新幹線車中にて


新幹線まもなく上野です.」車内アナウンスが耳に入ってきた.寝過ごしてしまったら東京まで行くことになり,遠回りで帰らなければならない.そこで目を覚まそうとしたが,目が開かないどころか体が全然動かせない!
焦りながら体を動かそうと努力していると,辛うじて手が動いた.その手で自分の頬をピシピシたたく.無反応.
そうするうちに再び手も動かなくなってしまい,絶望的な気分を味わいながら今度は息を荒げてみた.意識的にコントロールできる唯一の部分だった.
すると段々目が開いてきて次第に体も動くようになった.と同時に,息を荒げている自分に気付いた.
新幹線が上野駅に停車したのはそれからまもなくだった.無事下車することができた.(さて,この夢はどこから現実なんでしょう?)

11月06日 他人


高校の友人と久しぶりに会う.多田君は彼女を連れてきて紹介してくれた.その彼女が力強いツッコミをやたら入れる人で,ボケていないつもりでもつっこまれる(というよりも殴られるといったほうがよいかもしれない).細い友達は1分に1度くらいつっこまれてよろけていた.笑っていると彼女は私にもツッコミを入れてきた.「なんでやねーん!」肩のところを思いっきりドンと押され,とても痛かった.

10月30日 自信が持てない


安居期間(※修行日数)が足りないことが判明し,もう一度善宝寺にお世話になる.初日にいきなり本講(※講義)があり,準備に手間取っているうちに古参に叱られた.本講は若いお坊さんが講師で龍の絵を半紙に描くという内容だった.みんな絵の具を持っていて色とりどりに描いているが私は墨汁しかない.仕方なく先輩から借りたが,それが肌色だったため,肌色一色の龍になってしまった.


10月29日 準備不足


数珠朝6時30分から寺で大般若祈祷会が行われる.ところがいきなり寝坊.祖父が起こしに来た.慌てて着替えて行くと,すでに殿鐘三会が打ちきられ,導師である私がいないのに両班の人が上香して普同三拝を始めていた!「んな無茶な!」と思って大声を出し,法要をはじめからやり直してもらう.
ところがその後の差定も無茶苦茶で,献茶湯も転読もなく,御詠歌とお経を一緒にやったりして,終わったのが6時42分.呆然とする檀家さん.どうやってこの責任をとろうか悩む私.

09月30日 キレる友人


携帯電話早朝,携帯電話の操作を誤って友達にかけてしまう.「やばい!」とすぐ切ったが番号はすでに通知されてしまった.折り返し友達から電話がかかってくる.恐る恐る出ると,寝起きの友達がぶち切れている
「どういうつもりなんだ,バカ野郎!!お前はいっつもそうだ,自分勝手なんだよ!この間だって,約束した日に用事入れるし,…」
ひたすら謝る私だった.

09月24日 乱入


本山で特派布教師による法話の大会が行われる.
 途中で客席から野次を飛ばしている不届き者がいる.見ると友達だった.ところがたちまち見張りをしていた大柄な僧侶に取り押さえられ,その場で酒の入った壺に顔を押し込められた.ギブアップの手をする友達.だが止めてもらえない.
 見かねた私が棒で僧侶を殴り,友達を救出する.すると今度はたくさんの僧侶が集まってきた.二手に分かれて逃げる.私はテンテン君(※ジャンプのマンガのキャラクター)のサイダネ(※才能を花開かせる種)で飛んで逃げることに成功.
 逃げる途中,疲れて眠ってしまう.目が醒めるとと今度はヤクザの事務所の前.今度はヤクザにからまれる.再びテンテン君に頼って今度はおばさんの姿に変えてもらう.
「オホホホ・・・」と笑いながら脱出に成功した.

09月22日 郷土を思う


野球道具家族全員で甲子園を見に北海道に行く.ところがみんなお土産を買うのに夢中で試合を見ていなかった.私もおいしい飴を探して店を転々とする.
 思い出したように試合を見に行くと,ちょうど山形県代表の酒田南高校が戦っていた!家族は帰ってこないがとにかく応援する.接戦の末,酒田南が勝った!やったー!
 その後すぐに閉会式だった.「これってもしかして,酒田南優勝ってこと?」と県勢初の快挙に胸を躍らせていたのもつかの間.「3位,山形県酒田南高校!」
そう,その試合は3位決定戦だった.

09月18日 類似性の発見


saamaanyato d.r.s.tam研究室で学科の指導教官と会う。
「昨日ねー、ヨーカドーで子供に『となりのトトロ』のビデオ買っていこうと思ったんだけど、ついレジ通さないで出ちゃって、警備員に捕まって大変だったよー」
 次に学科の先輩がやって来た。先輩は広島大学の先生方とお話してきたという。
「広島大学の先生が昨日ヨーカドーで『天空の城ラピュタ』のビデオを子供に買っていこうとしたんだって。ところがついレジ通さないで出ちゃって、警備員に捕まって大変だったって」
2人の先生の共通性(※従来あったと言われている)を再認識する私であった。

09月16日 ゆっくりした時間


賽銭箱善宝寺で1泊2日の梅花流全国奉詠大会が行われ、講員を率いて参加する。2日目は朝食後すぐ解散という予定だったが、冬道のためバスが来なくて帰れない。そこで後堂さんの法話を聞くことになった。法話の間、バスが到着したということで他の講は帰っていくが、後堂さんのお話も絶好調だったのでなかなか帰りにくい。
 そうしているうちにお昼になってしまった。善宝寺では気を遣って昼食を講員分用意して下さった。お代はいらないと言われたが、知庫寮に行って無理無理5万円を置いてきた。しかしこの5万円は私がせっせと貯めたへそくり。何となくやるせなかった。

09月07日 粛清


軍人大規模なApple-Macintosh狩りが行われる。Mac派の人物及び関係者が捕らえられていく。私は中でも最も急進的な処刑隊に属し、罪状を宣告する係だった。捕えた人物がどのようにMacに関わっていたかを私が宣告した後、6〜7名の処刑隊がその場で処刑する。隊長はとても残忍な人物で、10枚刃の刀を持っている。
 駅の階段の陰に隠れていたMac派の人物が捕まえられた。罪状を述べる私。しかし何の資料も与えられていないため、その人物が何をしたのかよくわからない!そこでデタラメなことを言う。すると隊長が「お前もMac派なのか?!」と怒り出し、こちらに刃を向けてきた!!
 そこで目がさめた。

09月05日 自信が持てない


亡くなった人のお骨を埋めるのに地表から縦に穴を掘るか断層になっているところから横に穴を掘るかで大論争。私は縦穴派だったが、穴を掘るともうそこにはたくさん骨箱がずらーっと埋まっていて埋めるところがない!勝ち誇る横穴派。横穴派が骨を埋めるところを提供してくれず途方にくれる私。

09月01日 懐古


タイムワープして3歳くらいの自分に会う。声をかけたがまだ満足にしゃべることができず、こっちをじっと見ている。その顔がとても純真無垢でかわいらしく見え、20年以上もの年月が過ぎた今の自分がなんとなく情けなくなってしまった。

08月31日 難関


お勉強なぜか、もう1度東大を受験する。1度合格したプライドにかけて頑張ったが、結果は不合格。がっかりしながら予備校に行ってみると、「小野氏こうして私は東大に落ちた」という本が売り出されていた!本の中では今回の受験に失敗した原因が事細かに調査され書かれていた。集まってくる人達に「みんな、買わないで〜」と懇願する私。


07月22日 自我崩壊


とつぜん、狂う。おそらく日常のしがらみや重圧が原因だったと思う。まるで支離滅裂なことを喋り、壁や床に頭を打ちつけて叫んでいる。まもなく精神病院送りだ。しかし自分自身は狂っていることを自覚しており、「ああ、これで何もかもおしまいだ」と絶望した。

07月15日 趣味


ホームページでたいへん面白い『カタンの開拓者たち』のヴァリエーションルールを見つける。大喜びする私。このところ,これにはまりすぎているようだ。

07月11日 信頼感


子供が川辺でプロレスごっこをして遊んでいた。「ブレーンバスター!」といって技をかけた子供が体勢を崩してそのまま増水した川に転落。見る見るうちに流されていく。
危なっかしいと思って見ていた私は「子供が川に落ちたぞー!!」と叫びながら川辺を走っていく。川に飛び込んでも追いつけないくらいの流れだった。
声をかけつけた人達2,3人が下流で川に飛び込んで待っている。子供を救ったのは檀家さんだった。

07月10日 準備不足


寺で晋山式が行われる。ところが進退を全く覚えていない! それですっかり気が動転してしまい、まるでちぐはぐな進退を取ってしまう。あとから間違っていることに気づいても後の祭り。まわりのお坊さんに白い目で見られ、大汗をかいた。

06月23日 つまらぬ諍い


牛乳びん小学校で焼き物教室の合宿に行く。はじめ幼なじみと一緒に作っていたが、製作方針が合わずけんか。牛乳瓶で頭を殴って家に帰った。「あとで先生に怒られる」と思って後悔した。

06月22日 都市生活


新宿に月11万円でアパートを借りる。ところが亀有のアパートもあるため往復で忙しい生活になってしまった。新宿のアパートで授業の予習をした後、終電までには亀有に帰って寝るという生活。「早く新宿に集約しなくては」と思う。新宿のアパートではなぜかオケの後輩が部屋掃除をしていた。

06月12日 潜在印象


サムライテレビで時代劇を見ていたら、オケの金管トレーナーの先生が悪徳商人の店の用心棒役で出ていた。最後にお約束どおり主人公に峰打ちにされて後で獄門台へ引かれていった。芝居が大仰だったのが印象に残った。

05月19日 二重の悲劇


近所で比較的若くして(50歳くらい)亡くなった方のデスマスクをもとに、顔をそっくりに整形される。しかし遺族は中身が私だということを知っており、気味悪がって近づかない。「何のための整形だったんだー!」と嘆いた。

05月14日 挑戦


カレーインド料理店で「カレー&ウンコフェア」というのが開催される。内容はカレーを食べて規定の固さと形にどれだけ近いウンコができるかというもの。しかも3ラウンド。第2ラウンドまではなんとか規定に合格し、第3ラウンドになる。今度の規定は下痢便ということだったので「どのカレーがいちばんお腹を壊しそうかな」などと検討する私。

04月29日 死にたくない


病院に入院する。検査の結果であることが判明し長く生きられないことがわかる。一時退院ということになったが深い絶望感と「なぜ俺が?」という疑問にさいなまれ、何も手につかない。一緒に退院した人は全治の上での退院で、うらやましくて仕方がない。夢であってほしいとひたすら願う。まったく、夢でよかった。

04月28日その2 勝者なき競争


Nゲージで電車の速さ競争をする。先頭車両にハエをくくりつけたのが2台と、全車両キュウリでできたのが1台。競争してみるとキュウリ号が速かったが、何度も走らせているうちにキュウリがげんなりしてきた。そうなるとハエ号の方が速くなるのだが、今度はハエも死んでしまって結局どれも走らなくなってしまった。

04月28日 学問の世界


タクシーで学科の2人の先生と乗り合わせる。先生が私のかばんから3冊の新書「大乗経典を読む(定方晟著・講談社現代新書)」「はじめてのインド哲学(立川武蔵・講談社現代新書)」「インド人の論理学(桂紹隆著・中公新書)」を取り出し、「定方さんの本はいい本だよ、これを読みなさい」と薦めることしきりであった。もう1人の先生は何も言わず煙草を吸っていた。

04月27日 残虐国家


日本が軍事国家になったらしく兵役に駆り出される。軍事訓練学校で人間爆弾による射撃訓練が行われ、私は撃つ方になった。標的となる的がいくつもあって、それに向けて発射される人間爆弾。先に発射された人間爆弾が爆発して後に発射されたのが爆発に巻き込まれる。先に爆発した人は即死だが、後で巻き込まれたほうは断末魔をあげている。断末魔をあげながら吹き飛ばされていくのをまともに見てしまった。
きわめて後味の悪い夢。

04月24日 羨望


北海道で小学校の同級会が行われる。早めに出たのだが途中で電車を間違えたため遅刻して行くともうみんな到着していた。私は皆と遊ぶためにボードゲームをひとつ持ってきたが、小学校の同級生は「カミさんがこういうのに凝っている」というのでめちゃくちゃたくさんのボードゲームを持ってきていた!見たこともない面白そうなゲームに囲まれて大興奮の私。

04月22日 国際感覚


フランスで東大オケのサマーコンサートツアーが行われる。1日目の打ち上げが終わると、私は決死隊だった。ところがフランス語が全然わからない!そこでオケの同級生にフランス語で何と言うか聞くことにする。
「今何時ですか?」というのと「このホテルに泊まりたいのですが」
というフランス語を紙に書いてもらい、発音を練習する私。

04月15日 自然の恐怖


小学校のクラスでプールに泳ぎに行ったところ、プール開きどころか、掃除もされておらず、泥が底にたまっていた。それでも無視して皆プールに入って遊んだ。後日、クラスから多くの寄生虫感染者が発生し、あのプールが原因ではないかと騒がれ始めた。自分も感染したのではないかと戦々恐々とする私。

04月10日 潔癖


パンツ友達と1週間くらいの旅行に行くことになる。出発の前、友達がパンツを忘れてきたので貸してほしいと言ってきた。そこで1週間分のパンツを渡したら、
「1着でいい。はきかえないから
と言われ、「キッタネー」と叫んだ。

04月01日 意外性


久しぶりにオケの同級生の家に遊びに行く。行ってみてびっくり、超豪華マンションに住んでいた!しかも子供やおばさん6人で住んでいるのだった。話を聞くと、3世帯で同居しているとのこと。そういわれて見ると確かに母親と子という組み合わせが2組あった。ところが、1人だけ浮いている赤ん坊がいる。この赤ん坊について聞くと彼は言葉を濁した。そこで問い詰めるとなんと、未婚の父になっていることが判明!詳しく聞こうとしたら、
「それは、後で話すときがきたら話すから・・・」
と断られた。妙に彼になつく赤ん坊。

03月31日 楽器吹きたい


高校の合唱コンクールが近づいているのにまだ曲も決まっていないという状況。そこで合唱はあきらめて吹奏楽部員が合奏をするということになる。友達はトランペットなのに今回フルートを吹いている。「器用だなあ」と感心する私。その私はなぜかノートに字を書くというパート。音楽に合わせて同じ文を何度も書くという指示だった。「最近さらってないからうまく字が書けるかなあ?」とおそるおそる書いてみたら意外と上手に書けたので安心した。

03月15日 不登校


ランドセル授業をサボって小学校の恩師に叱られる。そこで授業に戻ることになったが長らく休んでいたために授業に何を持っていったらいいのかわからない。時間割を見ると1時間目は「」と書いてある。「何の時間?」と聞いたら、「銀行就職講座だよ。もちものは履歴書。」とのこと。「おれ、銀行に勤めるつもりないんだけど。」と言ったら「今の世の中、いつ勤めなきゃならなくなるかわかんないよ。出席したほうがいいよ」と言われた。2時間目は「家(家庭科)」で、3時間目は「英(英語)」、4時間目は「」とある。「4時間目は祝日だから今日は楽勝だな」となぜか安心した。

03月14日 郷土愛


新聞に長井の人がマラソンで1時間59分の世界記録を樹立したと報道されていた。「すごい」と思って記事を読むとその人のコメントがバリバリの関西弁。関西人が長井にある学校に来ているだけだった。「なんだ、長井の人じゃないんだ」と落胆した。

03月04日 期待されたハプニング


トレーラーオケの後輩とドライブをする。彼が運転して、私は助手席に乗った。突然対向車が右を走ってやってきた! あわててブレーキをかけバックして逃げる後輩。ところが後ろからもトレーラーがやってきた! 後輩はすっかりパニックになっている。私はドアを開けて車から脱出!ところが後輩が乗ったままの車はそのまま2つの車にはさまれてペッシャンコになってしまった!あわてて見に行く。運転席は奇跡的に無傷で後輩が真っ青な顔をして車を降りてきた。話しかけようとしたらゲロを吐いた。

03月01日 準備不足


おおかみ小学校の学芸会で狼の役をする。ところが全然練習してなくてセリフを覚えていなかった!初めのシーンは後に食べられてしまうお爺さんと会うところ。セリフが思い付かないのでアドリブで世間話をし、すきを見てお爺さん役の友だちに「何て言うところだっけ?」と耳打ちした。すると見ていた低学年の子供たちが「狼さんとお爺さんは仲がいいんだね」と言っている。これではストーリーがぶち壊しになると思って大汗をかいた。

02月02日 仕事


ナチスの収容所で拷問を受ける。拷問は、2人ずつペアになって片方が立ったまま15万回同じ場所で回り、もう片方がそれを数えるというものだった。最初は数える方になる。途中で次々とゲロを吐く人々。回数をごまかそうとしたら見張りの兵士にばれてもう15万回追加になった。

02月01日 目立ちたがり屋


オケの後輩が骨折で入院する。見舞いに行くとそこでは「○○氏お見舞いの辞コンテスト」が行われていた。3番目にエントリーする。1番目は高崎市長だった。さすがに立派である。私の番になった。「この度は○○君におかれましては・・・」長々と演説していたら失格になった。

01月16日 夢枕


木魚寺で祖父が導師をやり、自分が堂行維那をやってお経を読む。すると曾祖父が現れた。そこで祖父はすぐに侍者になって、3人でお経を読んだ。

99年1月07日 食欲


プリンコンビニでプリン批評会が開かれ、審査員として招かれる。店内どれでも好きなプリンをその場で食べて、味を批評する。同じプリンばかり食べては「これが一番おいしいですね。」と言っていた。ほかの審査員もそのプリンを絶賛していた。何のプリンだったのだろう?

マイブームの変遷

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私の生活に深く浸透したもの、コンプリート欲求を追及してしまったものを、記憶のため思いつくまま列挙しておきたい。


  1. ピンポンパン(保育園時代)[テレビ番組]
    幼児テレビ番組。あまり覚えていないが、最後に木の中からおもちゃをもらえるのがうらやましくてよく見ていたような記憶がある。一方で同じぐらいの時間帯にあった「ひらけポンキッキ」は見ていない。ムックが赤くて目も怖かったせいかもしれない。
     
  2. ブロック(保育園〜小学低学年時代)[玩具]
    何というか忘れたが、レゴブロックではないブロック。お城や車を作ったり、何だか訳のわからないものを作ったりして創作意欲旺盛だった。友達ともよく一緒に遊んだ覚えがある。今考えてみれば、当時からインドア派だった。
     
  3. プリン(小学校時代〜現在)[食べ物]
    小さい頃、母がせっかく作ったのに私が「プッチンプリン」の方がよいと言ってガッカリさせたという。プッチンプリンの味はさておき、底にあるバーを折ってプリンが皿の上に落ちるのが楽しかった。コンビニに行くと全種類チェックする癖がついている。
     理想のプリンとは、本体が上の方まで均質に軟らかくみずみずしいもの、味はバニラエッセンスのほどよい香りと卵の味がすること。カラメルは香ばしくてすこしだけとろみがあることとほんのりとした苦み。量は小さすぎず大きすぎず。
    一方ダメプリンは本体の上の方が乾燥などで固まってしまっているものは最悪。 カスタードやクリームなどとのブレンド自体はよいが、そっちの方が味が強くてはいけない。カラメルは色はあるけど味はなく、ゼラチンで固めたようなのはよくない。
     
  4. マシンロボ(小学低〜中学年時代)[玩具]
    乗り物をはじめとする機械がロボットに変形するというおもちゃ。600円くらいでシリーズになっていた。好きだったのは「ポルシェロボ」で、アイデア募集に応募してゴールデンポルシェロボをもらったのが嬉しかった。
     
  5. ロボダッチ(小学中から高学年時代)[玩具]
    小さいロボットの世界を広げるプラモデル。「大島」「小島」など、地形とロボットがセットになっていて、ガンダムのプラモデルよりも想像力をかきたてられた。箱庭指向か。
     
  6. キンケシ(小学中から高学年時代)[玩具]
    キン肉マン消しゴムのこと。ゆでたまごのマンガ『キン肉マン』のキャラクターのゴム製人形。100円のガチャガチャで3体。1000円のセットもあった。なぜか肌色がいちばんとされており、特に「キン肉マンB(ファイティングスタイル)」が貴重とされていた。机の上で落とされたら負けというおはじき遊びではサンシャインが強かったのを思い出す。見るからに強そうだった。。
     
  7. 九十九一(つくもはじめ)(小学高学年時代)[芸人]
    漫才ブームの火付け役となったお笑い勝ち抜き番組で登場したピン芸人。淡々とした話しぶりなのに、内容はぶっとんでいた。真似をしてテープに録音してみたりするほど。
     
  8. 週刊少年ジャンプ(小学高学年〜高校時代)[マンガ]
    「北斗の拳」「キン肉マン」「魁!男塾」「ドラゴンボール」の黄金時代あたりから、主に近所の床屋さんで毎月まとめて読んでいた。「ジャンプ放送局」「ついでにとんちんかん」「燃える!お兄さん」などが好きで、単行本を揃えた。高校ぐらいになってやっと、敵を求めて無限に世界が広がっていく虚しさと、ギャグセンスのジェネレーションギャップに気付いて撤退。
     
  9. ビックリマンチョコ(小学中学年〜中学時代)[お菓子]
    ウエハースチョコのおまけのシール。はじめは世界の景勝地にイラストを入れたシリーズだったが、まじゃりんこシリーズ、天使・お守り・悪魔シリーズになってからはまる。ホログラムのシール「天空ゼウス」が貴重。
     
  10. マルキンチョコ(小学高学年〜中学時代)[お菓子]
    50円玉の形をしたチョコのおまけで漢字を図案化してシールにしたもの。デザインもさることながら、番号がついているため全部集めたくなってしまう。当たりか補助券3枚で1000円もらえるという特典がついていて、かなり回収した気がする。
     
  11. 少林寺(小学中学年〜中学時代)[習い事]
    映画『少林寺』を見て主役のリー・リン・チェイ(ジェット・リー)にあこがれ、少林寺拳法を5年くらい習った。他の武術と違い、ダンマパダを唱えたり、昇級試験で仏教の教えについて筆記も課される。今考えてみれば、これが仏教を勉強するという最初の経験だった。今でも余裕があればまたやりたいと思う。
     
  12. ドラクエ(小学高学年〜大学時代)[玩具]
    爆発的にヒットしたファミコンゲーム『ドラゴンクエスト』。自分の名前を付けた主人公が成長していく楽しみは中毒性があった。ファイナルファンタジーは1でやめてしまったが、ドラクエは6まで続け、プレステになる7で諦めた。
     
  13. トロンボーン(小学高学年〜大学時代)[習い事]
    小学6年のときに鼓笛隊で始め、中学・高校と吹奏楽少年だった。大学ではオーケストラに入部、毎日数時間練習していた。今の楽器はコルトワ。上野の東京文化会館で行われた大学最後の演奏会は、大学院入試の当日だった。今は練習する時間がほとんど取れないでいたらすっかりダメになってしまったが、時間ができたらまたゆっくり練習したいと思っている。
      
  14. トイレ(中学時代〜現在)[生活]
    少年期にありがちな恐いもの見たさ、中学生くらいの時期にありがちな清潔にしたい欲求、人がやらないことをやる喜びなどがあいまって、トイレ掃除をやるようになり、その延長でトイレや排泄について本を読んだりするようになった。フロイトの言う肛門期から卒業できていない証拠かもしれない。
     
  15. 妖怪人間ベム(中学〜大学時代)[テレビ番組]
    早く人間になりたい心やさしい妖怪人間ベム・ベラ・ベロのアニメ。再放送で見たが、ヒューマンとホラーを兼ね備えた独特の雰囲気が好きで、ビデオを借りて全部見た。オープニング「それは、いつ生まれたのか誰も知らない」がお気に入り。
     
  16. 必殺仕事人(中学時代〜現在)[テレビ番組]
    お金をもらって恨みを晴らすべく暗殺する時代劇。因果な商売の暗さを背負って生きている仕事人たちの葛藤は他の勧善懲悪的な時代劇に見られない。中村主水(もんど)も好きだったが、一番は三味線屋の勇次(中条きよし)。いつもウェイトトレーニングを欠かさない政(村上弘明)などの脇役も名優ぞろい。サントラをそろえ、ビデオを借りまくった。『主水死す』で一区切り。
     
  17. 1/35ミリタリーシリーズ(高校時代)[玩具]
    田宮模型のミニチュアプラモデル。ナチスのことをあまり知らなかった私は、純粋にフォルムの面から「キングタイガー」などのドイツ戦車やドイツ兵が大好きだった。それに比べると日本やアメリカの戦車は丸みを帯びていてかっこ悪い。
     
  18. ドビュッシー(高校〜大学時代)[作曲家]
    印象派と呼ばれるフランス不世出の天才作曲家。高校の時にかなりはまった。『海』と『夜想曲』の幽玄な雰囲気が好きで、さまざまなオーケストラで聴き比べたりもした。カラヤンの『海』にはくしゃみ(らしきもの)が入っている。大学に入ってからはだんだん小編成を好むようになり、結局『ベルガマスク組曲』『弦楽四重奏曲』などに落ち着く。
     
  19. 週刊スピリッツ(高校〜大学時代)[マンガ]
    伝染るんです。に惹かれて少年ジャンプから進級。お金がないので主にコンビニで立ち読みだったが、吉田戦車、中川いさみ、中崎タツヤの三本柱に圧倒されていました。東京大学物語がエロ宗教漫画に走ってきたあたりからあまり読まなくなりましたが。
     
  20. 吉田戦車(大学時代)[マンガ家]
    マンガ界に新しい旋風を巻き込んだ4コママンガ『伝染るんです』をはじめ、全てのキャラクターが常識を完全に外れた論理で動き出し、その外れ方にめまいすら覚えつつ楽しむと共に、外れる前のひながたである常識を深く考えさせられもする作品が目白押し。
     
  21. 中川いさみ(大学時代)[マンガ家]
    4(6)コママンガ「大人袋」をはじめ、常識とされているものが、その実あいまいで虚構も多い点に注目。そこから独特のエスプリで笑いを引き出している。
     
  22. 伊丹映画(大学時代)[映画]
    絶妙のキャスティングとストーリーのドロドロしたところが好きで、シリーズは欠かさず見ていた。『たんぽぽ』でリストの交響詩『レ・プレリュード』でラーメンが出てくるところが一番好き。監督が自殺したときはかなりショックを受けた。
     
  23. スネークマンショー(大学時代)[ラジオ番組]
    高校時代の友達のすすめで聞き始めたラジオ番組。小林克也と伊武雅人がつくりだす狂気に近い独特の世界に大喜び。しかしその頃にはもう番組は終了していたらしく、収録したCDでのみ知ることができた。
      
  24. 嘉門達夫(大学時代)[芸人]
    大学の友達が好きで、その影響を受けて聞き始める。「NIPPONのサザエさん」が最高傑作。コンサートに行ったりするほどの熱中ぶりだったが、「傑作集」とか行って前のネタをやったことから急速に冷めた。しかし、カラオケでは場が盛り上がるのでよく歌う。
     
  25. プーランク(高校〜大学時代)[作曲家]
    オーケストラに入団すると、クラシックを「どのパートがおいしい(=目立つ出番がたくさんある)」といった聴き方しかできなくなり、その結果交響曲と管弦楽曲はほとんど聴かなくなる。そこで急激にはまっていったのがパリのモーツァルトと言われるプーランク。フルートソナタから聴き始め、ピアノ曲へ。フルートソナタを聴きにパユやロジェのリサイタルに行ったりした。
     
  26. ウルトラセブン(大学〜大学院時代)[テレビ番組]
    実際にテレビで放映されたいたのは『ザ・ウルトラマン(なぜかアニメ)』で、再放送で『レオ』を見る程度だったが、大学の後輩に薦められてビデオで見たことから始まり、その深いテーマと哲学に心を動かされた。大学の卒業式の当日、モロボシダンが出ているというので『ゼアス』の映画を見る。
     
  27. ボードゲーム(大学〜現在時代)[玩具]
    もともとは大学時代に夜ヒマだったので始めたものが、いろいろ買い集めていくうちに九段にあるゲームショップ・メビウスに出会い、それ以来ほとんどハズレのないドイツ製のゲームにのめりこむ。特にシュテファン・ドーラというデザイナーの作品は独特の雰囲気を醸し出していて、絶版ものも含めてほぼコンプリート。ルールやレビューを読んだりするためにドイツ語もかなり上達した。
     
  28. 小林製薬(大学〜大学院時代)[生活]
    アイデア・ネーミング・清潔感どれをとってもステキな製品を次から次へと生み出しつづける大阪の会社。あるときドラッグストアを歩いていて面白い名前の製品はかなりの確率で小林製薬だったことに気づいたのが始まり。本社と工場の見学も果たした(外から)。
     
  29. ホームページ(大学院〜現在時代)[ネット]
    大学でアカウントをもらって、後輩に作り方を教えてもらってから発信することの魅力にひきつけられる。何でもかんでもネタにしてきたが、今は日記とボードゲーム関連が主体で、1日中更新や閲覧をしていても飽きない。
     
  30. ブリーフ&トランクス(大学院時代)[芸人]
    ラジオでたまたま聴いた「青のり」で注目。視点の細かい歌詞と軽快で絶妙なハーモニーが抜群の2人組。アルバムを全曲揃えてみた。「さなだ虫」「遠足」「石焼イモ」がお気に入り。カラオケでも歌う。
     
  31. 週刊モーニング(大学院時代)[マンガ]
    スピリッツを卒業したので、手ごろな雑誌を探していたところ、須賀原洋行の作品に偶然出会い、それがもとでモーニングに傾倒。基本的には立ち読みだが、帰省のときなどいい時間つぶしになるので買ってしまうこともあった。
     
  32. 養命酒(大学院時代)[薬]
    もともとは「必殺人」で中村主水を演じていた藤田まことが宣伝していたので気になる。その宣伝の中で「冷え性に」という文句があって、夏になると冷房病に悩まされていた寒がりやの私は、「おやじくさい」という壁を乗り越えて試す決心をしたのだった。これがなかなか美味しくて、月に2〜3回体調のおかしいときに飲む。
     
  33. 御詠歌(大学院時代〜現在)[歌]
    曹洞宗梅花流詠讃歌。知らない人には「仏教の賛美歌のようなもの」と説明している。住職になった直後に近くのご寺院さんから声をかけられ、何となく師範養成所に入ったのが始まりで、お経とは違う歌の楽しさや法要における劇的な効果を覚えてしまう。機嫌が悪いときに出てくる鼻歌の7割は御詠歌。
     
  34. 増田こうすけ(大学院時代)[マンガ家]
    きっかけは朝日新聞の書評だっただろうか、しばらくギャグマンガからご無沙汰していた私は、新しいタイプの笑いを発見することになった。妻も好き。
     
  35. シャー・ルク・カーン(インド留学中)[映画]
    キング・オブ・ボリウッドと呼ばれるインド映画界随一の俳優。お笑い上がりで一見それほどかっこよくはないのだが、映画を見れば見るほどかっこよく見えてくるのが不思議だ。出演した映画はできる限りチェック。インドに留学して一番はまったものかもしれない。

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