1999年11月アーカイブ

覚えましょう

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広島大のページで見つけてきました。マハーヴァーキヤ(大文章)とあります。覚えましょう。
ガヴァヤの森に日は沈み、
アシュヴァに我は跨りて、
サティアン エーヴァ ジャーヤタ イティ
リンガ・ヨーニ・サンバンダー
※ガヴァヤ・・・牛に似ているという水牛
※アシュヴァ・・・馬
※サティアン エヴァ ジャーヤタ イティ・・・真理だけが生まれると。
※リンガ・ヨーニ・サンバンダー・・・諸々の○○と××の結合
作者情報やコピーライトがあったら、メール下さい。

ぷらいばしー

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下で書いたことを押し進めると、ほんと、ホームページなんて自分の思っていることしか書けなくなってしまうことに気がついた。
電話帳に掲載を拒否する人が増えている。掲載するとわかるが、「お墓買いませんか」「近くに新しくマンションができます」「○○に清き一票を!」などといった電話がたくさんかかってくるのだ。平日の昼間の電話はたいていこれである。
NTTで番号非通知やナンバーディスプレイを始めたのはつい最近のことだ。携帯でははじめから番号を通知するかどうかの選択がある。商用・勧誘の電話に加えストーカーが一般に知られるようになったという背景がある。
インターネット上でも、本名やメールアドレスはもちろん、ドメイン名まで公開を望まなくなってきている。名簿流出は大きな事件として取り上げられ、漏洩した人は大悪人として報じられる。
個人情報とされる範囲は名前・住所・電話番号などその個人を特定できるものから始まって、職業・性別・出身・病歴などが差別の原因になるとして付け加わり、さらには服装・性格・趣味・ある日の行動など漠然として些細な事柄にまで膨れ上がっている。このままいけば、他人について言及することさえできない社会が到来する気がする。
それだけ他人を敵とし、他人アレルギーをもつ人が増えているのだろう。今、現代人が一番怖いものはカルト教祖でもテロリストでもなく、見知らぬ他人ではないか。
その一方で、自らを閉じ込めたオリの中で現代人は、有史以来一度も経験したことのない孤独に苦しんでいる。いまや、家族すら他人になろうとしている。自分以外はみな他人。他人という敵の四面楚歌でたまるストレス。それがたまりたまって突然爆発する。自殺、犯罪。
プライバシーをもっともっと大事にしながら、人間はどうなっていくのだろうか。

観音様について

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 曹洞宗では御供養でよく『大悲心陀羅尼』というお経をお読みします。「ナムカラタンノー」という言葉で始まるのでよく聞いているとわかります。このお経は、インドの言葉をそのまま漢字に音写したもので、しかも中国を経由してくる漢字の読み方が変わってしまったので、聞いても中身は全然わかりません。ですが原典にあたると、このお経は観音様の徳をたたえて,その偉大なるお力にあやかろうというものです。

たとえば冒頭。
 ナムカ・ラタンノー・トラヤーヤー・ナムオリヤー・ボリョキーチー・シフラーヤー・フジサトボーヤー・モコサトボーヤー・モーコーキャールニキャーヤー。 サンスクリットでは、
 namo ratnatrayaaya, nama aarya^avalokitezvaraaya bodhisattvaaya mahaasattvaaya mahaakaaruNikaaya で、意味は、
 三宝に帰依し奉る。聖なる観自在菩薩摩訶薩、たいへん慈悲深い者に帰依し奉る。 となります。

 観音様は本名を観世音菩薩、または観自在菩薩といいまして、これはインド名アヴァローキタ・イーシュヴァラ(スヴァラ)・ボーディサットヴァ(avalokita-ii'svara-bodhisattva,自在に観察する菩薩,avalokita-svara-bodhisattva,音を観察する菩薩)の漢訳名です.もとはヴィシュヌというインドの神様でありました。太陽の光のようにあらゆるものに手を差し伸べて、私たちが生きる上でのさまざまな苦しみを取り除いてくださる神様として信仰されておりました。

 それが仏教に入ると法華経などに現れ、11の顔―これは自分の顔に八方と上下を加えて11になる訳ですが―と1000の手とそれぞれの手のひらについている1000の眼で人々の助けを呼ぶ声を世界中どこでもいちはやくキャッチし、すぐに救済にやってきてくださる菩薩様となりました。

 観音という言葉は「音を観る」と書きます。ふつう音は聞くものですが、なぜ観るでしょうか。運動会で「よーい、ドン!」というときにピストルを鳴らすのを思い出してください。音が聞こえるよりも早く、煙が見えます。音の伝達速度(マッハ)よりも光の伝達速度(光速)の方が格段に速いという訳です。おわかりでしょうか、観音様は光速で我々の助けを呼ぶ声をキャッチしてすぐにやってきてくださる訳です。

 さて、困ったときの神頼みというように,自分の力ではどうしようもなくなってしまうと、私たちはしばしば神様仏様を念じます。そのとき観音様ははたして来てくださっているのでしょうか?

 観音様は、33の何の変哲もない人間に変化して救済しようとする衆生の身近に現れると説かれています。そうしてみると、ここに集まった皆さんも、その家族も、テレビに出ている犯罪者も、果てはただの通りすがりの人も観音様の化身だということになります。そしてもう一つ、自分も観音様になるということを忘れてはなりません。

 中国の偉い和尚様は「観音様はその1000の手で何をするのか」と聞かれて「人が夜に寝相が悪くてどこかにいってしまった枕を探すようなものだ」と答えたそうです。観音様の救済というととてつもない感じがするのですが、実はごく身近で,私たちが観音様になって共に苦しみや悩みを解決していくのは何も難しいことではないということを教えられます。

 観音様というと母親の温かさを連想する方も多いと思います。その温かい思いやりをみんなで分け合って,一緒に生きていこうというのが観音様の教えなのです.難しいことではありません。ひとつ、このことを頭の片隅において下されば幸いです。

「日記が危ない」

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友人Aが結婚したという話を別の友人Bから聞いた。この友人Bはさらに別の友人Cが開いているホームページ上の日記で友人Aの結婚を知ったと言う。
めでたいことだからよいけれども、これが悪い噂だったら、友人Cの日記によって少なくとも友人Bと私の2人が知らなくてもよい情報を得たことになる。
日記というのは、事実を書くことになっているし、実際ふつうは事実として読まれる。
したがって日記の登場人物の情報が公開されることにより、思いもよらない問題が発生することがある。
固有名は確かに親しい人にしかわからない。しかしアリバイ、身分、行状など、親しい人の中でこそ知られたくないこともあるはずだ。知られてよいか悪いかということは、結局その人にしかわからない。
もちろんいちいち「このことを書いていいですか」と聞くことは馬鹿らしい。たいていは「自分が相手の立場だったらこのことを書かれてどうか?」ということを考えているはず。
それでもついつい必要以上のことを言ってその人を傷つけることもありうる。また、知られたくないということを知らないで公開することもあるだろう。
つまり、日記の公開には不特定多数の人が読むという大きな前提があるという注意の喚起。ただの日記であれば、自分のPCから出す必要はない。

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