2001年1月アーカイブ

梅花流師範養成所

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1999年の6月、10月、2000年の2月、6月、10月、2001年の1月と足掛け3年、合計24泊30日にわたる第13期梅花流師範養成所が無事終わった。
梅花流詠讃歌については、こちらにまとめているが、全国の宗務所から推薦された40歳までの86名の僧侶が寝食を共にしながら、前期4名後期4名の上級師範の先生から80数曲にわたる御詠歌・御和讃を教わる。
朝は5時30分に起床して座禅、朝のお勤め(ここでも御詠歌をとなえる)。午前7時におかゆを食べたら朝8時から講習開始。夜8時まで1日10時間。途中には差別問題などを考える人権学習、また曲想や発声法の特別講習、法話などが加わる。
実にハードに見えるが、休憩時間にはお茶を飲んでだべったり、夜には各自好きなところに行って遊んだりと、常に張り詰めている訳ではない。声を使うので風邪を引いているとつらいが、先生方も非常に優しく(励ましたり誉めたりしたがどなったりいじめたりは決してしなかった)、仲間も同年代であるため気さくに話ができて過ごしやすい。
何よりも1日中歌のことだけ考えていればいいのだからこれほど楽なことはない。日課をだいたい覚えると体が勝手にそう動いてくれて頭を使うことがなくなり、悩まず楽しくやっていける。その分現実に戻ったときが恐いのだが。
最終回は4級師範認定検定という試験があったが、無事全員合格。初回から一人の脱落もなくここまで来られたのは珍しいことらしかった。最終日夜の謝恩会がついていけないほど大いに盛り上がったのは当然と言えた。最後に全員輪になって肩を組み、「同行御和讃」の大合唱をするころには私はすっかり気後れしてしまった。
先生方からは全員進歩したと言われたが、自分自身はどう考えてもそうは思えなかった。これは謙譲ではなく、自分自身をそれなりの位置にランク付けしてしまうことへの恐れである。梅花にしても勉強にしても、自分が今どれくらいのレベルにいるのか知りたいのは人情だろうが、それに安心を求めてしまってはいけないような気がした。
この合宿を通して全国津々浦々に知り合いができ、またいろいろな悩みが自分だけのものではないことを知った。このような機会を与えてくれた宗門に深く感謝すると共に、今後も詠道を精進していくことお誓い申し上げたい。
主任講師の大徳師範はじめ、平川、岩館、山下、加藤、吉川、佐藤各師範の先生方、伝道部長、詠道課長、関根さん、吉岡さん、および同期のみなさま(もし読んでいたら)ありがとうございました。

お布施の金額提示

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<はじめに> 以下に述べることは,近年檀家に対して葬儀のお布施の金額提示をすることにした私が,自分のしていることに対する疑問を整理し,何を自戒するべきか明らかにする道筋を記したものです.客観的な言葉で書いていますが,出てくる意見はほとんど自省から得られたものです.それをあえて公表するのは,現代仏教の存続に関わる一問題として,仏教に関心のある方々に読んでいただきたいと思ったからです.ご意見ご感想をお待ちしております.

<布施の金額設定> 近年,お葬式や法事で,施主が僧侶に「お布施はおいくらくらいがよろしいでしょうか?」と聞く場合が多くなっています.その質問を見越して僧侶の方から先に「○○円くらいでいかがでしょう」と提示したり,さらには「枕経○○円,通夜○○円,葬儀○○円・・・」というように明細書を発行したりすることもあるようです.この間を葬儀屋さんが仲介する場合もあります.こういった風潮をどう見るべきでしょうか? 

<経済性の優先> 僧侶に失礼にならない限りできるだけ安くという経済性がこういった金額設定の背景にあると考えられます.おそらく一番多いのはこのような考え方ではないでしょうか.
「日ごろ寺に対して何もしていないのに,こちらの気持ちを示すにはお金しかない.その額が不十分ではお坊さんに失礼だ」
「葬儀ではお布施以外にもお金がかかるし,家計的にも苦しくなるのでお布施を出しすぎたくない.ほどよい金額が提示された方が安心できる」
僧侶の側が金額を提示するのも施主がこのように考えていることを見取ってのことであろうと思います. さらに僧侶の側には何も言わないとお布施が激安になってしまうかもしれないという懸念もありえます.法具や衣,寺の維持など何かとお金がかかるわけですが,ひとつひとつの葬式・法事では原価というものがほとんどありません.「坊主まるもうけ」と揶揄されるのはこの点にあります.だから葬式・法事で大したことをしていないと思われればお布施が下がってしまう心配もあるわけです.

<信仰が大切> 以上のような考え方に対して,僧侶ならずともこのような反対意見があるだろうと思います.
「信仰の問題であるから,何でもお金に換算してしまうのはよくない.僧侶はサービス業ではないから,代価という考え方は成り立たない」
僧侶の仕事に値段はつけられない.寺院は商店ではないので経済性や利潤を求めてはいけない.基本的にお布施は「(経済的にではなく気持ちとして)出すことができるだけ」ということでいくべきである.施主にもそのことをよく理解してもらった上でお布施を出してもらうようにしていくことが大切,という考え方です.これは,仏教におけるお布施本来の意味にもかなっています.

<お布施の意味> 「与えること,他に与えること,ほどこし,喜捨,恵むこと,金や品物を与えることばかりでなく,親切な行いも布施である.信者が僧に財物を施すことを財施,僧が信者のために法を説くことを法施という.通俗的には,いつくしみ.(仏教語大辞典)」
さらに,お布施に関して次のような教えがあります.

<三輪清浄(さんりんしょうじょう)> 「原語トリ・マンダラ・パリシュッディ(tri-man.d.ara-paris'uddhi).他人に対する奉仕の心がまえ.物を与え,奉仕する主体(能施)と,奉仕を受ける客体(所施)と,奉仕の手段となる物(施物)と,この三者は空で清らかであらねばならない,滞りがあってはならない.もしも「おれがあの人にこのことをしてやったのだ」という思いがあるならば,それは清らかな慈悲心からでたものではないという.(同)」
現代人の心に深く染み付いている経済性という観念を捨てて,僧侶は無償でお経を読み,施主は無償で金品を喜捨する.お経を読んでお布施を請求したり,お布施をして立派な葬式を頼んだりしてはいけないということです.この考え方は仏教が成立し存続する上でとても大切なものなので,仏教の基本として広く知っておいて頂きたいと思います.

<お布施をする動機> それでは見返りを求めてはいけないとするとお布施をする動機は何かということになります.常識がある人ならば,無意味なものにお金を使って破産することはないでしょう.社会生活を営んでいくためには何にお金や労力を使い,何に使わないかを判断していかなければならないのです.
これについて仏教では,2つの答えが用意されています.ひとつは慈悲心,すなわち困っている人への同情と親切です.悲しみにくれる遺族の心がお経によって少しでも癒されるならば進んでお経を読み,貧しい(今はあまりそうでない場合も)僧侶の生活がかわいそうだと思えばお米なりお金なりを分けてあげるということです.もうひとつはいわゆる功徳というものです.「情けは人のためならず」というように,よい行いをすれば最終的に自分自身が救われる(めぐりめぐって自分が得をする,または宗教的には涅槃の境地に近づく・極楽浄土に行けるなど)ということです. (この功徳を求めるということが見返りを求めることになる可能性がありますが,ここでは立ち入りません.)

<現実の問題> このような仏教の合理的でありがたい教えを理想として,実践し広く伝えていくことが僧侶の役目になりますし,おそらく僧侶という僧侶はすべてこのことを理解しているはずです.それではなぜ,先に見たようなお布施の金額設定の問題が出てくるのでしょうか.そこには以下のような理由があるようです.

「檀信徒の余計な不安をとりのぞく」 現実的な問題はお布施をするかしないかということではなく,お布施をいくらにしたらよいかというところにあり,この問題は檀信徒の頭を悩ませるものです.特に葬儀などでは遺族は近親者の逝去による混乱があり,この問題を考える余裕すらない場合がほとんどです.そこでその問題から解放するという親切心から金額提示がなされることがあります.実際,額に関係なく「言ってもらった方がありがたい」という意見もあります. 確かにこのような考え方自体はお布施の意味から外れていませんが,そのような契約的な取り決めが続いていけば,以下に述べるような寺院の事情とあいまって,檀信徒と寺院の関係を信頼がなくお金だけのドライな関係にしてしまう恐れがあることは否めません.

「寺の維持と僧の生存のためにはある程度のお布施が必要」
寺院という大きな建物は年毎に老朽化し,雨漏りしたり戸のたてつけが悪くなったりしていきます.また僧侶もかすみを食べて生きているわけではありません.さらに明治時代以降に僧侶の妻帯が認められ世襲が進むと,後継者育成の養育費などの負担も生じてきました.そこで,僧侶を含めて寺院が成立するために必要な額を檀信徒で分担することになります.年間通じて必要な額が,お布施の総額を上回って赤字にならないようにお布施は設定されています. 明細書が発行されるのはこうやって設定された額を皆が納得できるかたちで提示するという意図があると考えられますが,それ以外の意味はありえません. 清貧が望ましいとはいえ,あまりに貧しくては現代において僧侶になる人がいなくなってしまいます.(僧侶はお金持ちだと思う人がいるかもしれませんが,それはごく一部であり,多くは平均をかなり下回る収入でやりくりしている場合がほとんどです.その結果,田舎の小さい寺院では深刻な後継者不足が起こっています.)僧侶とは本来全てを捨てて出家し,その日その日を乞食(こつじき)で暮らし,悟りを求めて何物にもとらわれず雲のように水のようにさまよう存在であった訳ですが,寺院の住職となればそうはいきません.寺院という建物,檀信徒ひいては地域社会に対する義務や責任が生じてきます.一方檀信徒はみんなで力を合わせて寺院と住職を支えていくことになります.もちろんこの考え方は寺檀制度という仕組みと檀信徒の信仰なしには成り立ちませんが,少なくとも近現代の仏教の性格では必然的な結果であるといえます.

「お布施の額は信仰の深さを表す」
「お布施は高いほうがありがたみが増す」というのは言語道断な考え方だと思いますが,経済性にとらわれた人々にお金では得ることのできないありがたい仏教の教えを伝え,寺院に意識を向けさせる方便ということで正当化されることがあります.しかしこれは二重の過ちを犯しています.それは施主をお金で仏法が買えるという逆の考え方にしばりつけてしまうということと,僧侶自身が拝金主義を促進してしまうということです. 「お布施は安いほうがありがたい」「タダならもっとありがたい」というのは,お寺の敷居を低くし,より多くの人に仏教に親しんでもらおうという意図があると考えられますが,一歩間違えると上と同じ過ちを犯すことになります.金額の安さにこだわれば結局「これだけ安くしてやってるんだから,それ相応の恩は感じてもらいたい(いざというときはたくさんお布施を出してほしい)」という見返りを求める心が出てくるからです. 信仰の深さはお布施の金額とは本質的に無関係です.お布施をたくさん出しているからといって信仰が深いということにはなりませんし,出さないからといって信仰がないことにもなりません.そして僧侶の役割はお布施の金額を上げさせるよう努力することではなくて,信仰を深めるようにすることにあることを常に銘記しなければなりません.

最近日本の仏教界では「戒名料」が誤解を招く表現だとして使わない方向で進められています.戒名は釈尊の弟子になったことを示す名前であるから,その意思がある者には無条件に授与するべきだということになっています.つまり無料ということで,これに対してお布施を出すか出さないかはまったく自由です.それに限らず,すべての葬式・法事においてもお布施を出すか出さないかは全くの自由だと言えます.しかし僧侶は僧侶である以上,お経を読むのは義務です.これが施主と僧侶の基本的な関係なのではないでしょうか.

<金額提示の是非> 以上からお布施の金額提示について導かれる結論は,まずお布施の仏教における基本的な意味を十分にわかってもらった上でお布施を出すようにしてもらうということが肝心で,現実的な事情があるにしても金額の多少にこだわって基本を見失わないようにするということになるかと思います.
このことが効果的になっているある方の実例を紹介します.
「お布施はおいくらくらいがよろしいでしょうか?」と聞かれた場合,反対に「おいくらくらいをお考えですか?」と聞くそうです.するとたいていは「和尚様に聞いてから皆で相談しようと考えております」という返事.「私の意見はないですから,皆で相談してください」というと,親族でいろいろ相談して,「これくらいでいかがでしょうか」と提示してくるので,「それで結構です」と答えます.なぜ提示しないのか聞かれると,「こちらから提示すれば,きっとみなさんは『あの坊さんに○○円取られた』とお思いになるでしょう」というそうです.この場合,親族はいったん困るわけですが,相談の中で僧侶の心中についていろいろ考察し,お布施は出せばいいというものではないことを学ぶことになります.これだけのやり取りをするには相当な精神力と金額にこだわらないことが要求されますが,見本にしたいものです.

<今後の動向> 30年後くらいの近い将来,仏教が葬式行事に関与する必要がなくなってくると,信仰回復のための努力を行って生き残る寺院と,それができずに檀信徒を失って潰れる寺院の二極分化が始まると私は考えています.そのとき,お布施の金額提示は信仰回復を阻害することはあっても益することはないと思います.現実的な事情があるにせよ,お布施の金額提示はこれまで長年かかって培ってきた檀信徒の信仰の上でかろうじて成り立っています.信仰回復のための努力にはさまざまな形がありえると思いますが,お金に拘泥して信仰が消費されてしまわないよう注意しながら,現実の荒波の中でも仏教の原点を忘れないようにしていきたいものです.
より実際的には,金額を提示してもしなくても,葬式や法事を仏法発現の場として惰性でなく誠心誠意務めること,ひいてはできる限り自分の人生を一挙一動誠心誠意生きることが不可欠だと私は考えます.いくら立派なことを話しても,それを実践しなければ,誰もついてこないものです.

<最後に> お布施の問題に関して,ある老僧の印象深い言葉を紹介します.
「お布施というのは人からお金をとることにちがいない.みんな人からお金をとって生きている.これは悪業である.私は,そのみんなからお布施をとっている.それはみんなの悪業も引き受けているのだ.だから,当然私は地獄に落ちる.そういうものだ」

新カウンタで1年と10日、アクセスが10,000を突破した(旧カウンタは9,000台でリセットしたので、トータルでは20,000くらいか)。1日平均30弱である。内容の乏しさからすればそこそこある方ではないだろうか。リピーターの皆様には感謝申し上げます(特にtepcoとdtiとu-tokyo)。
アクセス統計を見ると、小林製薬がダントツ、次にオケOB会、ゲーム、セブン、トイレと続く。関心を持ちそうな母集団が大きいことと、類似したサイトの中でどれだけオリジナリティがあるか、そして更新頻度の多さが左右している。
掲示板もいろいろな方が書き込んでくれて楽しい。実際の生活での知り合いよりもネット上での知り合いが多いことは喜ぶべきことだろうか?
このページを通して自分の趣味が広がることがなによりの喜びである。もっとも、このページ自体が趣味になりかけているのだが。
今後ともよろしくお願いします。

大雪警報

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雪下ろしお正月から近年まれに見る大雪が降り、除雪作業の毎日が続いた。何でも夏にカメムシが大量発生すると大雪になるらしい。カマキリの卵が高いところに作られると大雪になるという話もある。今年のカマキリの卵の位置の高低は諸説あったが、確かにカメムシは大量発生してあの強烈なニオイに何度も悩まされたことを思い出す。
つばさは開業以来の終日さらに半日運休。奥羽山脈を越える米沢−福島間で雪の重みで倒木が相次いだらしい。その他県内でたくさんの列車が運休し、道路も通行止めが相次ぐ。かくも簡単に陸の孤島になるのであった。
1日の大半は除雪作業で過ぎて行く。朝起きると家の前は車が入ってこられないほどになっている。ロータリー式の除雪機に給油し、ロータリー部分に雪がつかないように潤滑油をさし、轟音を鳴らしながら小屋を出発する。山門から境内を一通り除雪すると約90分。ときどき雪がつまるので作業を中止して雪を取り除く。軒下などは山になっているが、そこは機械が入らないので人力(スコップ+スノーダンプ)で黙々とやる。
公道ではブルトーザー式の除雪車が除雪作業をしていて、せっかく除雪した参道入り口に雪の塊を置いて行くので、定期的にそこまで見に行って、山になっていればやはり人力で払わなければならない。
さらに天気がいい時には屋根に積もった雪を下ろす。屋根に雪が積もってくると家が歪んで戸が開きにくくなり、最悪の場合は家が潰れるのだ。屋根の上はもちろん人力。これだけの雪はどれくらいで片付けられるだろうかと考えていると気が遠くなるので何も考えず、疲れて動けなくなるまで続ける。動けなくなったら休む。休んだら再開。そして気がついたときには終わっているという寸法だ。
一面の白い世界で作業していると頭の中まで真っ白になり、体が自動操縦になっているかのようだ。口もぽかんと開いていたりする。
この地では何百年も昔から、こうして春になれば消える雪と格闘するとき、頭のスイッチを切ってきたのだろうか。すべてのルーティンはスキーマ(無意識でもできる行動の枠組)が形成されると楽しいとかつまらないという話ではなくなってくる。たまにはそういう世界に身を浸してみるのもいいが、全てがそうなってしまったら恐い。

お正月

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♪もぉーいーくつ寝ーるーとー」というほどお正月が待ち遠しいのはなぜかわからないほど、お正月は普通だった。
大晦日は小沢征爾のバッハで辛うじて救われたが、お正月からはただルーティンを消化するというだけで、頭は全くはたらいていなかった。そうなって来ると「あけましておめでとうございます」と言うのさえ白々しい。
こんなにネガティブなのは、ひとつには21世紀という言葉への無感動があるように思う。西暦でなければ何の特別なこともない。政変が起こって日本が全く別の国になると言うならともかく、20世紀と21世紀を別の時代であるかのように考えられるか甚だ疑問である。
それから年末年始の行事の多さにうんざりしていること、元旦から大雪で除雪作業に追われていることなどが追い撃ちをかけている。子どもの頃楽しみだったのはお年玉のおかげだろうか?
そんな訳で憂さ晴らしに元旦の夜に幼なじみと飲み会、2日の夜に高校の同級生・後輩とゲーム大会を行った。これはどちらともヒットで、笑ったり叫んだり楽しいひとときを過ごした。懐かしい顔ぶれと会うのは、自分の忘れていた部分を再発見することである。
これで「お正月らしくなった」と思ったとき、ふと「お正月は楽しくなければならない」という観念に追われていたことに気づいた。お正月は楽しいはずだが、実際は楽しくない。その期待と現実の溝が大きかっただけのことである。やはり普段から見ればお正月はそれなりに盛り上っているのかもしれなかった。

2001年の夢

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10月13日 焦るひととき


オーケストラの合宿で芸の打ち合わせをする。同級生が考えたという芸は、5〜6人並んだところに同級生が順にインタビューし、軽妙なトークで会場の笑いを取るというものだった。試しにやってもらうが、騒がしい会場では声が全然聞き取れないということで、ボツ。
 この案がボツになったことで、打ち合わせは行き詰まる。後輩に何かないか聞いたところ、「ありません」という返事。そこで、ゲストで来ていた謎の外国人に案を出してらう。
「小野さんと、小野さんのおじいさんと、小野さんのひいおじいさんの違いを比べる」
そんなの、会場がわかる訳ないだろー!とツッコミを入れたところで目がさめた。

10月05日 こわい


駒澤大学で日本印度学仏教学会の学術大会が行われる。大会本部にはT先生、N先生をはじめ、曹洞宗関係の先生方が陣取っている。今回の規程で大会参加者は全員、「道元について思うこと」と題した作文を本部に提出することになっていた。原稿用紙をもっておそるおそる本部に入ろうとすると、後ろから「これも持ってって」。
振り返るとM先生がにこやかに立っていた。「前田先生なら、私に頼まなくても堂々と出せるのに」と思った。

09月28日 テロリズム


米坂線に乗ってのどかな田園をのんびりと進む。ふと見上げるとセスナ機が超低空飛行してきた。その直後、セスナ機が米坂線に激突してきた。「テロだ!」そう思ったときには周りは噴出した炎で包まれていた。即死だった。

08月26日 成果主義


国立仏教学研究所(※もちろん実在しない)に勤める。上司は学科の先輩だった。なめきって午前中は床屋に行ってからお昼頃に出勤すると、先輩が怒っている。
「そういうことばかりしてると、クビになるよ。成果が出せればいいんだけどさ」
成果と言われても、論文の準備も出来ていない。気がつくと周囲の研究員の目も冷たかった。

08月05日 クセン


札幌のホテルで御詠歌の講習会が開かれる。夜は懇親会ということでコンパニオンを呼んで皆で飲んだり歌ったりしていると、入り口に伝道部長が立っていた!そこで全員正座させられ、説教を頂戴する。
「僧侶の肉食、飲酒、邪淫は全て戒律で禁止されておる。君らはどういうつもりか?」
返す言葉もなく、酔いもすっかり覚めて、ひたすら下を向いていた。

08月02日 バトル


ウルトラマンになって、ホテルで敵と戦う。敵もやはりウルトラ一族で、まともに戦ったら決してかなわないということはわかっていた。どんどん追い詰められて最上階に逃げる。しかしそこにはホテルの女王が眠りについていた。決して目覚めさせてはいけないと言われていたが、一か八か起こしてみる。すると女王は暴れ出してホテルが騒然となった。追いかけてきた敵もその振動でふらふらしている。そこでスキができたところに八つ裂き光輪をお見舞いして、何とか勝利したのであった。

07月22日 「最近の若い奴らは…」的


久々に東大オケのサマーコンサートに行く。指揮者は若い女の方で、黄色い浴衣を着ていた。M先生のお弟子さんだという。「時代はずいぶん変わったものだなあ」と思う。
アンコールはローエングリンの前奏曲だったが、OBの飛び入り参加OKだというので行ってみると、譜面なし、ひな壇に直に座る場所しかなかった。適当に吹くことになる。間奏になると、ソロのオーボエがすかすかいって音がしない。しかし指揮者はいっこうに気にせず、「○○ちゃんは本当はできるんだよね!」などと言って演奏を中断して途中からもう一度やらせたりしている。
「本番なんだから・・・」と文句をいうと、そのオーボエの子が逆切れした。「私たちは、練習しないで楽しい演奏会をしたいんです!OBの皆さんは、そんなに練習して何が楽しかったんですか?!」
帰りは後輩と一緒だった。歩きながら「東大オケって、こんなんでいいの?」と聞いたら、「あ、バスが来た。じゃあ、失礼します」と言って帰ってしまった。

07月12日 特別所作


御詠歌の講習会で新曲「恵心(※実在しない曲)」の練習が行われる。この曲の特別所作は、詠題中に本を開かなければならないという簡単かつ厳しいものだった。しかも裏開き。「とーなーえー奉る恵心のー」間に合わない。「恵心」が3音節しかないのが厳しい。せめて「高祖道元禅師七百五十回忌奉讃学道御詠歌」くらいあればなあと思う私。

07月05日 空腹


中学校の給食がバイキング形式になる.好きなおかずを,好きなだけ取ることができるのが好評で,私もこころゆくまで食べたい料理を取り,自分の教室に戻って食べた.おかわりをしたくなり,再び行ってみるともうほとんど残っていない.しかたなくご飯と漬物を盛っていたら,差し入れでさばの刺身が隅のほうにあった!好きなだけ取っていいと言われて喜んで食べる私.とても幸せな夢.

06月17日 御大


御詠歌の講習会に行く.特別ゲストとしてT先生がいらっしゃっていた.休憩時間に仲間と談笑しているとき,「N先生と比べるとT先生は髪の毛がうすい」と話していたら仲間の顔が凍りついた.いやな予感がして振り向くと,T先生が立っていた.

06月07日 外国語


蚊が顔の周りを飛び回って眠れない。そこで蚊語を話して飛び回るのをやめてもらうように説得しようとした。「か〜ん、かかか、ぷーん」蚊の飛ぶ音にも似た意味のわからない言葉をしゃべる私。

06月06日 落下


仮面ライダーのスタントマンになって高いビルから「とおーっ!」と行って飛び降りる撮影にでる。下はクッションが敷かれているものの、恐い。「とおーっ」という掛け声が「うぎゃあぁぁ・・・」になってしまい撮り直し

06月03日 起訴


一昨年出した修士論文の内容について,正確でないなどとして起訴される.多々誤りがあることは先刻承知しており,この裁判は勝てる見込みがないなあと観念する私.

04月24日 悪戯


友達が福島勤務となり,毎日退屈していたせいかネット上に「東北電力お客様相談室」を冗談で開設し「うちの原発はチェルノブイリ級」などと悪乗りした書き込みを繰り返していた.その悪戯を知った東北電力本社が事態を重く見て調査に乗り出した.追い詰められる友達.

04月24日 収監


収容所から脱獄する.追われながらも市街地に紛れ込んでたまたま入りこんだ寿司屋でかくまってもらう.カモフラージュのために衣装をまとって寿司を握ると,たまたま美味しい寿司ができた.追いかけてきた捜査員もその寿司のために怪しまずに帰っていった.それからは寿司屋として平和に過ごしていたが,その幸せは長くは続かなかった.結局調査をしてきた捜査員につかまり,収容所に連れ戻されてしまう.脱獄囚には二度と脱獄できないように,死なない程度に手術で内臓や手足の筋肉を取り除かれてしまうのだった.歩くのがやっとになり,ふらふらしている私.

04月15日 会食


オケの同級生が帰国したということで,オケの同級生5人で会食をする.N君が珍しく饒舌でギャグ連発し,T君が激受けしている.私は向こう側に座っているK君に聞こえないように隣のU君とひそひそ話をしていた.

04月13日 子孫


かわいい息子タク坊(※実在しない)を連れて祖母の実家に挨拶に行く.すっかり夜が更けてしまってからお墓参りに行くと,近所のおばさんがお墓のところでお供え物を料理している.携帯コンロとまな板を持ってきており,奇特にも真っ暗なところでずいぶんと手の込んだ料理をしていた.お墓参りのあとは実家の仏壇にお参り.こちらの家も子供が多く,みんな宿題をやっているところだった.それまで黙ってついてきた坊ちゃん刈りのタク坊も心なしか喜んでいた.

03月26日 欲望と犠牲


ドイツから限定版のゲームが販売される。このゲームを購入するには骨髄バンクに登録することが条件となっていたので、医者に行って登録した。ところがこのゲームにはさらに超限定版があって、その購入資格は骨髄移植経験者だった!早くドナーが適合しないかなあと期待する私。

03月16日 逃げ


読書会を5回連続して予習しないで行く。ヒンシュクを買いながらも自分の発表はひたすらかわしていた。6回目、とうとう発表が避けられなくなったとき、部屋からエスケープした。むなしい気分で博物館を回っていると、帰りに偶然読書会が終わったメンバーと偶然同じ電車になってしまう。
怒りを肩に感じながら、黙っていた。

03月15日 入れ子


午前7時に目覚ましをかけていた。
目がさめるともう11時。「寝坊したー!!」慌てて飛び起きる。
ここで目がさめる。時計を見るとまだ7時だった。「セーフ・・・」ゆっくりと着替えをする。
ここで目がさめた。時間は7時少し前だった。どうやら今度は現実のようだった。

03月11日 参考文献


研究例会でバルトリハリについて発表する.発表後の質問で,指導教官から,
「K先生の文献が載っていないけど,読みましたか?」
と聞かれた.読んだが正直なところあまり関連すると思われなかったので参考文献に挙げなかったという話をしたら,出席していたK先生が憮然としていた.こういうときはとにかく出しておくんだったと後悔する私.

03月04日 ゴシップ大魔王(?)リターンズ


東大オケの合宿が終わるが、忙しくて合宿に参加できなかった後輩とパート練習をするために宿を移してもう1泊することになる。後輩が来ないので昼寝をしようと布団に入って眠っていると、いつのまにか別の後輩が布団に入ってきていた。こちらが寝ぼけているのをいいことに、足の裏や首をこちょこちょしながら「ファーストキスは?」などと意味不明のことを訊いてくる。くすぐったいのには弱いので参った。

02月25日 癌再び・・・


胃痛がおさまらないので病院に行き胃カメラを飲む。お医者さんがカメラをのぞきながら、
「これはひどい!病巣が1、2、3、4、5つもある!手遅れですな」
日頃の姿勢が悪くて胃に負担がかかったんだろうと思い、すっかり絶望した。癌になって絶望する夢はこれで何回目だろう。

02月24日 ストーリー


実家の前の県道に米坂線の車両が2両横転し、乗客と見られるたくさんの人たちが放り出されていた。乗客はみんなカバのような顔をした宇宙人だった。1人がこちらに来て事情を話した。
「有名ナ桜ヲ見ニキマシタ。途中デワープシタラ失敗シタ」
そこで死んでしまった宇宙人の葬式をしてほしいという。その話をしていると住職の森喜朗さん(※私は小僧ということになっている)が和服姿でやってきたので、どういう葬式にしたらいいかを聞いたら、
「適当でいいんじゃない。舎利三遍ぐらいで」
という。それじゃ墓経だろ!などと心の中でツッコミつつ、住職の言葉なので素直に従う。というわけで当日は何も準備していかなかった。
そんななめきった森さんのお供をして葬式会場にぎりぎりの時間に着くと、会場はたくさんの参列者でごった返し、オルガンでBGMが流され、見知らぬお坊さんがたくさん招かれていた。祭壇だけは住職に任されていたためか何も飾られていない。慌てる森さん。
「ご飯だ、ご飯を持ってきてくれ。あとは・・・」
すっかり動転している森さんを尻目にご飯を取りに行く。ついでにお茶と砂糖湯を準備しながら時計を見ると、もう葬式が始まる時間だった。


02月15日 ファン熱


K.トイバーの来日講演会が行われる。会場に行くと『カタンの開拓者』のドイツ版がショーウィドウに展示してあった。日本版とは異なる立体的なボードでひたすら感心する。講演後ドイツ語でお話してサインをもらおうと帰らないでねばったが、結局会うことができないまま追い出されてしまった。

02月09日 まあじゃん放浪記


梅花流師範養成所で一泊研修に行く.2日目の朝は何もないということで朝8時から麻雀をすることになった.ところが,麻雀セットが全部貸し出し中だったため,誰かが持ってきていた紙のお札に「一萬」とか書きこんで用を足した.お札にはもともと書いてあったため,特に字牌の判別がしにくく,変な役を作ってしまう人もいた.

01月07日 反復練習


日本でも兵役が始まり、その予備講義が高校の教室を借りて行われる。軍隊では整列をすばやく行うことが重要だということで、軍服の教官が行ったのは絶対座標と相対座標の講義だった。「○列縦隊の○列目○番」という場所が与えられたら、「△列目△番から右(左)にいくつ、前(後)にいくつのところかをすばやく計算し、答えなければならない。この練習問題を怒鳴られながらやっていると、突然スピーカーからモーニング娘。の新曲が流れてきた。これは運動神経を高めるための訓練らしく、曲に合わせて決められた通りに踊らなければならない。見よう見真似で踊っていると、音楽がやむ。音楽がやんだらすぐに着席し練習問題。しばらくするとまたモーニング娘。練習問題。モーニング娘。講義はこの繰り返しだった。

01月04日 集中


お葬式が1日に3つも出た。準備に追われる中、どの家でも午後1時30分から始めたいと言われる。そこで時間を30分ずつずらして、1件目が1時から、2件目が1時30分から、3件目が2時からということにしてもらった。30分で葬式を終えるのも困難だったが、それ以上に伴僧が足りない。苦肉の策として※地元の吹奏楽団に伴奏をお願いすることにした。なかなかいい演奏だったが、葬式らしくなくなってしまった。

01月01日 唐突


帰省しようとアパートの戸締りをして家を出る。ふと洗濯物を取りこむのを忘れたことを思い出し、戻ってみると学科の先輩が閉め忘れたサッシを開けて部屋に入り、電話をしていた。焦っていると、先日出した論文で、写本からシュローカをどうやって見つけたか気になってここまで来たという。私は照れながら「あれは偶然ですよ」と答えていた。

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