2003年8月アーカイブ

留学準備

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 お盆も終わり、ようやく留学準備に取り掛かる。

 ビザはすったもんだの末、ようやく学生ビザを発行してもらった。大学から出た証明書にResearch
Scholarと書いてあったのが元で、領事部から研究ビザを取るように言われた。この時点で7月。研究ビザというのは、研究計画書などの書類を本国に送って承認をもらうもので、最低3ヶ月、6ヶ月くらいかかることもあるという。これでは年内に行けるかどうかも怪しい。そこで急遽、インドの先生にResearch
Scholarという言葉をなくした新しい手紙を書いてもらった。大使館では領事がぶつぶつ行っていたけれども、無事発行された。まずは第一関門クリアといったところ。もし学生ビザが下りなければ、予定通り行くためには観光ビザにせざるを得ず、大学の授業に出られなかったり、住居で苦労したりするおそれがある上に、有効期間6ヶ月なので頻繁に更新しなければならないところだった。

 そうすると今度は航空券。格安航空券では往復8万円くらいなのに、片道となると6万5千円くらいからしかない。その最安値チケットも20日前頃では乗り継ぎ便がなかったりして売り切れており、結局スタンダードなエアーインディア便になった。ムンバイ到着が夜11時。ここから200キロのプネーまではタクシーを使うか、一旦泊まって翌日に飛行機か電車を使うか、これから考えなければならない。

 あとは電源プラグとか、モジュラージャックとか。プラグはインドだけで5種類もあるそうで、ひとまず「ゴーコン」というどんな型にも対応できるものを入手した。ノートパソコンはモデムがインドでも使える上にインドでの補修サービスがあるという東芝ダイナブックを購入。バッテリーの持ち時間も3.5時間と長めだ。

 本・辞書は何を持っていこうかこれから検討。予防注射(知人からの情報でA型肝炎、狂犬病、破傷風に絞った)は2回目が明日。インドは今とても暑いという。何を着ていこうか。出発は9月10日。

仏教

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『日常生活のなかの禅』 南直哉著 講談社メチエ 2001年4月
 曹洞宗きっての精鋭、南直哉師。ふつうのサラリーマンから20代に出家し、永平寺で長く修行してきた。現在は都内に僧堂をかまえ、現代にあるべき仏教と僧侶のあり方を求めて、修行を続けている。
 私はこれまで2回、講演を聞いたが非常に刺激的であった。「今や結婚しない僧侶はどこかおかしいと思われている」「これから50年後、寺院はどんどんつぶれていく」「儀式化した法要は、現代人の求めているものと違う」などなど。永平寺にいた知り合いなどによれば「極論の南さん」とさえ言われているらしいが、多くの点で納得できる話が多い。
 師の著書は『語る禅僧』(朝日新聞社)とこの本だが、前者は連載コラムをまとめたもので、師が幼少から抱き続けてきた違和感から、現代の社会情勢に至るまで痛烈な読み物であった。ひとの日記を覗き見るような面白さがあったが、もう一方のこの本はというとタイトルからして「どうせありきたりの説教ものだろう」と思われた。
 しかし読み出すとこれまた非常に哲学的で面白い。いや、面白いというよりは焦ってくる。自分の体たらくな生き方に。
坐禅は土台である。家を建てるには土台が決定的に重要だが、土台が家の「実体」でも「本質」でもない。また逆に、上に家屋が建たなければ、土台は土台でもなく、ただの地面だろう。われわれの生という家は、土台ぐるみの建物全部である。すなわち、坐禅の意味は、人が坐禅をしながら、あるいはした結果、どう生きているのか、生きたのかで決まる他ない。
 禅宗における参学とは、教室の仏教学とはまるで異なる。そこには身体が重要な役割を果たし、修行の中で釈尊や祖師の教えを身体に直接刷り込んでいく。文献をいくら眺めていても理解できない境地。そういえば昔読んだVasubandhuの『唯識三十頌』においても、「ここから先は修行した人でなければわからない」と言うようなことが書いてあって絶望した覚えがある。
 私は今、明らかにこの教えの外にいる。外にいたままでは死ぬまで仏教の何たるかを知らずに過ごすことだろう。思い切って只中に飛び込んでいく勇気が湧かない臆病さを恥じた。

一回性

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 東京芸術大学の学生オーケストラが故郷・長井にやってきた。
 国立としては唯一の芸術大学である東京芸術大学(以下芸大)には、全国から芸術家のエリートである学生が集う。一学年が3000人もいる東大とは訳が違い、徹底した少人数教育。世界的に有名な卒業生は枚挙に暇がない。
 その芸大生からなる学生オーケストラは、従来大学の中でのみ演奏活動を行ってきた。ソロ演奏重視と学生は勉強に専念すべしという風潮があったらしい。
 それが21世紀になって、桐朋など私立音大のオケ活動に触発されたり、国立大学の独立行政法人化に伴って大学をPRする必要が出たりしたことから、方針が転換されつつある。大分で行われている別府アルゲリッチ音楽祭に引き続き、長井での演奏が史上2回目の地方公演となる。
 そんな訳で大学側も非常に気合が入っていた。オーケストラは公演日の2日前から長井に入り、3日間念入りにリハーサル。教授・講師陣はもとより音楽学部長まで入った。指揮は芸大教授でもある小林研一郎氏。
 なぜ人口3万人ばかりの長井に?というと、梅津さんという方の存在が大きい。長女と次男が音大卒で、県内外に音楽家との付き合いが深く、頻繁に交流している。昨年都響の金管五重奏が来たり、弦楽四重奏が来たりしたのも、梅津さんを窓口にしてのことである。ひとくちに付き合いといっても、ただ演奏会のマネージメントをするだけでなく、市内の観光名所を案内したり、美味しいものをご馳走したりと、至れり尽せりの心のこもった歓待で、いらっしゃった方はとても喜んでいく。この積み重ねがあの芸大を動かしたのである。
 もっとも、梅津さん自身のポケットマネーでひとつのコンサートが賄えるはずもない。市内にはお医者さんや事業家をはじめ、音楽文化に理解のある人がたくさんいて、大きな演奏会を支えてくれる。今回の演奏会は総予算600万円。当初は梅津さんも私も芸大からオファーがあったときにこの予算を見て、今の長井にそんな体力はないだろうから不可能だと考えていた。そこに長井市長をはじめとする多くの協力者が現れ、寄附を集め、チケットを売り、演奏会を実現してしまった。
 長井市が主催に入ったのは寄附金を非課税扱いにするためだった。財政難の市としてはお金は出せず、ホールの提供や市職員による手伝いを行った。近隣の白鷹町、飯豊町、小国町も協力。市民が積極的に動いて行政がバックアップをするという、ひとつの型が出来上がった。中途半端に行政が入ることを歓迎しない声もあったが、最終的な責任の所在がはっきりすることで安心感が違う。
 普段は長井にいない私なのでプログラム・パンフの作成をしたくらいで、あとは教授や学生のおもてなしという名目で一緒に美味しいものをたくさん頂いた。お寺の話や独立行政法人化の話で大いに盛り上がる。
 コンサート当日は予想を遥かに越える1000人の来場。ベルリオーズのローマの謝肉祭、二十歳に満たない学生のソロによるメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲、そしてドヴォルジャークの交響曲第8番。演奏は3日間のリハーサルの成果があってすばらしい完成度だった。特に8番の2楽章の弦テュッティは、背筋がぞくぞくしまくった。正確なアインザッツと爆発的な音量が両立する稀有な演奏である。
 ここまで完成度を高め、気迫あふれる演奏になったのは小林氏の一流の腕によるところが大きいだろうが、教授陣によると演奏に臨む新鮮な気持ちが大事だという。プロのオーケストラは演奏に慣れっこになってしまって、手を抜いても大丈夫なポイントなど「生活の知恵」を身に付けてしまっている。それがよく言えばエレガントな、悪く言えば覇気のない演奏につながる。芸大生は才能はあるが経験はまだ浅い。子供の頃からすらすらーっと演奏できたかもしれないが、ひとつひとつの音が持っている「意味」をかみしめるのはまさに今とこれからである。その意味を見つける喜びが、演奏をダイナミックでドラマチックなものにする。こんなすごい瞬間に立ち会うことができて、聴衆は大感激だ。
 省みるに自分の仕事や趣味、ひいては家族にも同じことがいえるだろう。長いこと同じことを繰り返しているうちに忘れ去られていく大切なもの。「1回きり」というときに否応なく顕現するもの。思えば人生1度きり、今日のこの日も1度きりだ。一回性のもつエネルギーをもっと生活の中で活用していきたいものである。

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