仏教寺院参拝

 こちらに来てから,少しずつ日本人の知り合いが増えた.この街に住んでいる日本人は大きく分けて3種類ある.日本企業の駐在員,現地企業に就職している人,それから学生.話によると300万人のこの都市で50人くらいのものらしい.その中に日本人ネットワークが張り巡らされており,私も人づてに紹介されていくうちにこのネットワークにリンクした.
 ネットワークの目的は交流である.日本にいたら話す機会もネタもないような人たちでも,この異国の地では「仲間」になる.日本の話題,日本的な話題を日本語であれこれ話すのは,ストレス解消にもってこいだと言うことは1ヶ月もいない私でもよくわかった.裏返せば,いかに常日頃インド人との意思疎通に苦労するかということでもある.言葉も違えば,考え方もまるで違う.そこに一から説明をするのは特に企業ではさぞ骨の折れることだろう.
ご本尊 その「日本人会」のお誘いで,近所の仏教寺院に参拝した.駐在員の方々が運転手つきの車で送って下さり,8人で行った.情報を集めるところから始まって,訪問の約束を取り付けたり,方々に連絡したりと,ただ集まるだけではない手間に頭が下がる思いだ.夜7時頃,車に乗って着いた建物は確かに「buddh
vihar(仏教精舎)」と書いてあった.それほど大きくない平屋の白壁で周りは空き地になっており子供たちが遊んでいたが,お寺が開いて我々が中に通されると皆もどんどん入ってきた.礼拝の開始時間である.
 奥の間にあるご本尊にはタイから送られたキンキラキンの釈尊像.インドでは仏教が逆輸入されていることがよくわかる.そこに線香とお花を供えて,礼拝が始まる.「ブッダーン,サラナーン,ガッチャーミー(南無帰依仏)…」前に座っている僧侶(完全に在家)の先導で老人から子供まで三帰依文などを唱える.音程は日本のお経と比べるととても高く,叫んでいるといった方が当てはまっている.
 最初の唱えごとが終わると,日本人から何かないかと言われたので私の血が騒いだ.軽い挨拶をした後,般若心経の読経と御詠歌(紫雲)の奉詠.そして普回向といういわゆる「本尊上供(ほんぞんじょうぐ)」を行った.はじめは緊張したけれども,だんだんと異国の地で心細いところにお釈迦様にめぐり合えた安心感がこみあげてきた.そして終わった瞬間,「サードゥ,サードゥ(満足,満足)」と聞いていた全員が示し合わせたかのように唱えた.通じ合った瞬間である.
 その後また唱えごとがあって,終わると瓶のコーラをご馳走になり,続いて日本人が一人ずつ自己紹介をすることになった.マイクの感度が悪いと思ったら,スピーカーはお寺の外に備え付けられており,あたり一面に我々の声が鳴り響いていたのには驚き.私は外国語サークルで慣らしているヒンディー語の自己紹介.聞いている人の目をよく見ながら,テンション高めに話すことが大事で,反応はとてもよかった.「今度来たときはマラーティー語で」と司会が言って会場は大拍手.一緒に来た人の中にはその後「マザナーウ…アヘー(私の名前は…です)」とマラーティー語に挑戦している人もいて,聞いている人はその度に大いに盛り上がった.
 終わって帰る段になっても「私のおじは大学に勤めていて…」とか「仏教徒がどうしてサンスクリット語を(パーリ語じゃないとダメらしい)?」などといろいろ(英語で)話しかけられて,なかなか楽しかった.中でも「私の名前はシッダールト(※お釈迦様と同じ名前)です」というのにはびっくり.子供がひっきりなしに握手を求めてきた.いったい何者なんだろう,我々?
 集まった人は身なりがきれいで周囲の家もきちんとした建物だったが,中には駐在員に雇ってくれないか尋ねてきた人もいたそうで,決して楽な暮らしではないことが分かった.インドの場合,仏教徒の多くはヒンドゥー教の縦社会から外れた被差別民であり,そういった差別の状況が改善しているとは言いがたい.彼らにとってお釈迦様は本当に救いの主であり,厚い信仰につながっている.それに比べたら,お経を読んだくらいでいい気になっている私は,彼らの足元にも及ばない.
 しかしそんな反省をよそにその後我々が行ったところは高級レストランで,駐在員の方々から料理やビールをご馳走になる.背に腹は代えられず,会話を楽しみながらめいっぱい美味しく頂いたが,途中ふっと,今あの仏教徒たちは何を食べているのだろうと気になった.

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