2003年11月アーカイブ

お葬式について

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最近お葬式が形式的になっているような印象を受け,その意義を取り戻すためにはどうしたらよいか考えています.

お葬式とは故人を失った悲しみを公然と表明することが許されるべき儀式だと思います.大っぴらに泣くのは人間的に未熟な証拠ととられがちですが,悲しみをこらえて長い期間鬱になるよりは,一時にたくさん悲しむことによって気持ちの整理をつけておいた方が健全でしょう.よい葬式とは,より多くの人により深い惜別の悲しみを感じてもらえる式です.

この目的を達成するしようとするときに,非常に有効だと思われるのはごく親しい人の弔辞です.長年の友人はたくさんの思い出を持っています.死を悼み,もっと長生きしてくれればと思う気持ちは家族より強いことがあるかもしれません.

また遺族の言葉も重いものです.遺族が弔辞を述べたりするのは憚られることが多いようですが,実は子供や孫の弔辞や喪主あいさつほど本当に悲しんでいることがひしひしと伝わってきて心に迫るものはありません.私は親族の言葉が葬儀には必要不可欠だと思っています.

反対に障害になるものは,故人ではなく喪主の関係者などでつきあい上来ているような人々.出来あいの文章を使った弔電.喪主の社会的地位が高ければ高いほどお葬式は盛大になるでしょうが,その分葬儀の意義が薄くなりがちです.遺体に近い遺族席は悲しみに暮れていても,後部の人たちは退屈して早く終らないかなと思っていたりします.ままあることですが,葬儀は喪主のステータス誇示の場になってはならないでしょう.

このことは僧侶もお葬式の飾りになってはいけないということを意味します.儀式には厳格さが大切ですが,心のこもらない形式的なものに堕してはなりません.引導を渡すということの責任は,演出というレベルで話すことはできません.

昔は「和尚さんに引導を渡してもらえば,成仏できる」という願いで僧侶が呼ばれたと言います.果たして今もそうでしょうか.日本人の信仰心の薄れなどに帰すよりも,自分自身の問題として真剣に考えたいものです.

お葬式については人の生死に関わる重大な儀式としてこれからも勉強し,考えていきたいと思います.

ヨーゲーシュ

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 ヨーガのクラスが終わると,ヨーゲーシュと帰るのが日課になりつつある.ヨーゲーシュは図書館に行って勉強を続け,私は帰宅する.

 彼の平日は,8時から11時30分まで授業,昼食をとってあとはずっと図書館におり,夕方のヨーガに出席する.そしてまた図書館へ.専門は教育心理学だが,修士を取ったら教育哲学で博士をとりたいという.読書は好きだが実験ぎらい.

 そんな彼は気分転換を求めており,週に一度くらいは一緒にチャイを飲んでおしゃべりする.こちらとしても,インドのいろいろな話を聞けるのが興味深く,楽しみにしている.

 インド人にしては珍しくネガティブで,先日「人生の究極の意味とは何か?」なんてことをふってきたので「人の役に立つこと」と答えたら,「それは建前だよ,人生は苦しみさ」と深刻な顔で言ってきた.日本だったら,「彼女にふられたのか?」なんて茶化すところだが,真顔だし,こちらも真面目に答えることにする.「でも,その人生は神様が与えたものだろう?」

 私自身,全知全能なる神を信じているわけではない.こういうことを言うのは,彼が敬虔な家に育ったことを知った上での方便的な表現にすぎない.だが,彼には満足のいく答えだったようだ.

 それからこの頃よくこぼすのは,インドの環境汚染.「空気も,食べ物も,水も,ここは全部汚染されている…今飲んでいるこのチャイもだよ」とまたネガティブな発言.そこから癌患者が多いという話になったが,それ以上にインドが直面している大問題はエイズ.100万人以上の罹患者がいるという.数年前,海外からの流入を阻止しようと政府は留学生にエイズ検査を義務付けたが,今はやっていない.海外からの流入云々よりも,国内でもう止められないくらい大流行しているからだ.プネーも含めてインドの大都市では売買春が絶えないが,売春婦の8割がたはエイズに感染しているという.そのほか血液感染や母子感染,一般に貧しい人ほど罹りやすい構造になっている.何と不幸なことか.

 今日はスラム街に住む人々の話.ヨーゲーシュが育ったところにスラム街があり,友達がいたらしい.多くは建設土木作業に従事しており,日給70ルピー(175円),月給2000ルピー(5,000円)ぐらい.1日中体を酷使して,夜に飲むドブロクワインが何よりの楽しみ.しかしヨーゲーシュの口ぶりでは,彼らの夜の眠りはとても安らかで,多くは自分の生活に満足しているという.

 そのあと日本の平均月収はいくらか聞かれて,50,000ルピー(12万5千円)くらいかなと答えたら口をあんぐりしていた.だが入るものも大きければ,出るものも大きいのが日本だ.インドに来た留学生である私は,専らお金を使う方に傾きがちなのに対して,日本に来た留学生が働いて少しでもお金を貯めたくなるのは当然といえよう.でもこんなに物価の差があるのはどうしてなのかまでは,いろいろ考えたがよく分からない.経済学でも勉強しないと.

 さらに「日本にいる奥さんとコミュニケーションが少ないから,いろいろ問題は起きないか.自分が思っているようにあちらも思っているとは限らないから」などと心配してくれる.心配の仕方がまたネガティブだが,そんな彼の前でやたらポジティブに振舞う私は,何なんだろう.日本では妻からよくネガティブだと言われたが,相手に合わせてキャラクターを変えるのが私なりのバランスの取り方なのかもしれない.

 こんな話ばかりだが,不思議と和やかなムードである.ヨーガのクラスは,3日に1日くらいの割合で何かのお祭でつぶれるのが口惜しい.ヨーゲーシュは「1日でも休むと,調子が悪い」と私以上に不満げ.インドはお祭大国なのであった.

日本語環境

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勉強部屋 日本はだいぶ寒いそうだがこちらは日中は30度ちょっと,夜も20度前後という暖かさだ.肌寒いこともあるが蚊はいまだにいる.油断して蚊取りリキッドをつけないでおくと襲われる.それでも刺された後の腫れが小さいのは蚊の力が弱まっているせいだろう.

 インド人は体が夏仕様になっているので,これぐらいの気温でももう着込みまくる.フリース,セーター,ジャンパーなど,こちらが汗をかくくらい,見ているだけで暑い.女性はサリーやパンジャービーの上にジャンパーやカーディガンを羽織ると,かなり不思議な感じだ.

 そんな過ごしやすい季節にまる2日間パソコンに向かいっきり(26日は祝日).論文をひとつ仕上げたところである.9月にインドに来て最初に取り組んだのが『曹洞宗葬儀法要法話事例別体系II』(四季社)というのお坊さんマニュアルで,それが終わって今度は『曹洞宗研究員紀要』(曹洞宗宗務庁)の論文.曹洞宗付いている.駒澤大学にも道元禅師にも縁遠かったはずの私がいつの間に?

 とはいえ,法話の方はお釈迦様や道元禅師の引用もそこそこに,自分の言葉で好き放題に書いたし,紀要に至ってはインド仏教最大の論敵についてまとめたという,道心があまり感じられない態度だ.けしからん!

 なぜこんな若僧のところに法話の原稿依頼が来るかというと,お寺のホームページを立ち上げて,そこで勝手なことを書いていたかららしい.はじめに『曹洞宗祈祷法話体系』の依頼がきた.この本は,法式(法要の次第)に厳格であった曹洞宗が,ついにミーマーンサー(祭事学)に乗り出したかという,(良かれ悪しかれ)画期的な本だと思う.私は「文殊祈祷」「跡祈念」「どんど焼き」の3本を担当.本当は梅花流詠讃歌のことを書きたかったのだが,梅花は今のところ祈祷とはみなされていない.真言宗から伝わった密教的な法具を使って音楽を奏でるということ自体,微妙適悦(みみょうちゃくえつ)の功徳があると思うのだが,どうか.

 その「跡祈念(お葬式の後,遺族の健康を祈祷する法要)」つながりで,次の原稿依頼がやってきた.近親者を亡くした家族に,枕経(亡くなった直後,枕元で読むお経),初七日,四十九日,百ヶ日,一周忌…と連続して法話を説いていく「連続法話」という企画で,インドに来たての寂しい時期にそんな話を書くのはつらかった.書き終えたときにはとてもせいせいしたものだ.

 それから勉強も軌道に乗り始め,毎日のように図書館で調べたりした成果を,このたびの論文に盛り込んだ.インド仏教は12世紀頃からインドで衰退していき,代わってイスラム教とヒンドゥー教の時代になる.そのかわり目に出た11世紀のウダヤナという人は仏教をこてんぱんに批判した人物だ.バラモンと仏教徒が,神が存在するか否かというテーマで討論を行い,両者譲らなかったため,彼は両者を丘に連れて行って突き落とした.バラモンは「神は存在する!」と叫びながら,仏教徒は「神は存在しない!」と叫びながら落下したところ,バラモンは無傷であったが仏教徒は死亡した.これによって彼は神の存在を証明したのである!なんていう伝説も残っている.ひでー.

 そんな彼が残した討論に関する書物.この伝説にもあるように,インドでは討論が重視されてきた.王様の庇護を巡る命をかけた公開討論会だけでなく,弟子と師匠,敵対する者同士,友達…対話を重ねるごとに新しい知見が生まれると信じられた.現代のインド人がおしゃべり好きなのも理由がないわけではない.とはいえまだ着手したばかりの題材で,論文そのものは概説的な記述にとどまる.これからが勝負だ.

 日がな一日パソコンで日本語を打っていると,自分が本当にインドにいるのかわからなくなってくる.食事で外に出たとき,道を歩いている人たちの日焼けした顔とヒゲを見て現実に戻るような感じだ.それぐらい没頭しているということなのだろう.日本では,もうできないことなのかもしれない.

科学信仰

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大学の正門近くにあるシバージー像.マラータ王国の王様でイギリスの侵略に最後まで抵抗した英雄としてあちこちに像がある.
シバージー像

 今学んでいるセンターには教授と講師のほか,何人かの研究者がいる.博士論文執筆中という人,博士号とりたてという人.経済的・(インドの)年齢的に厳しいせいか,修士を取ってからすぐに博士課程に入る人はあまりおらず,従ってここにいる研究者の年齢はばらばら.

 そのひとり,オリッサ出身の若手研究者N.ジェーナー氏の研究発表があった.タイトルは「アタルヴァ・ヴェーダの薬学」.今まで彼とは話したことがなく,偉い先生の講演のときはスライド&OHP係をしているのでてっきり事務の人かと思っていたが,ヴェーダを専門にしており,アタルヴァ・ヴェーダの本も出版しているれっきとした研究者だ.

 四大ヴェーダのひとつに数えられるアタルヴァ・ヴェーダは黒魔術の書という評価が一般的だが,比較的新しい(といってもお釈迦様以前の話だが)こともあり,呪術的な部分のほかに実用的な部分もある.実用的な部分には医学的な知見も盛り込まれており,さまざまな病気に対応した薬が説かれている.もっとも,その薬の使い方は呪文を唱えながら服用するなど,呪術的な要素から完全に逃れてはいない.そもそも病気は悪魔が悪さをしたものと考えられており,呪文も治療の大事な一環であった.しかし,そこで使われている薬は現代までアーユル・ヴェーダなどに受け継がれており,その効果もあながちいい加減なものではない.謎の用語を解明することによって,従来研究されてこなかったアタルヴァ・ヴェーダの薬学を明らかにしようとするものである.

 発表の大部分は,アタルヴァ・ヴェーダの記述から病名とそれに効く薬を説明していくというもので,病名の語彙がない私としては,付いていけなかった.インド渡航前にしてきた予防接種のA型肝炎,狂犬病,破傷風だって,英語で言われてもわからない.

 終わってから教授のコメント.ジャー先生はアーユルヴェーダや現代薬学・生理学との関連から,古代の知恵を現代に蘇らせるようにしていくべきだという,ずいぶん難しいことを言っていた.情報提供だけではなく,現代への貢献につなげなければならないと.

 ここにきて私が学んでいるインド哲学・サンスクリット学は,少なくともインドにおいては実学(現代に役に立つ学問.虚学の反対)であるという信念がとても強いことに気が付いた.サンスクリットは,文系だけの学問ではなくて理系の学問すなわち科学なのである.先々週から行われている「古代インドの現代物理学に対する貢献」という集中講義も,ヴァイシェーシカを形而上学としてではなく,科学として捉えるところから始められている.「ニュートンが引力を発見するずっとずっと前から,インド人は引力という概念を持っていた」「現代物理学がようやく到達した結論(何だったか忘れたけど)に,1000年以上も前のインド人が気付いていたということは驚くべきことだ」などとインド人の物理学者は口々に言う.

 こんな発想をするのはヒッピーか,ちょっと頭がどうかしている人だろうに思われ,自分自身は抵抗感を感じる.この抵抗感がきっと,科学といえば近代西洋から生まれたものしか信じない科学信仰からくるものなのだろう.しかし科学はある時期に生まれたのではい.インドやアラビアから蓄積されてきたものがだんだん発展し,現代につながっているだけの話だ.問題はその流れを我々がどう捉えるかということ.一口に科学といっても,日本人のイメージと,インド人のイメージはまるで異なる.「科学史」は現代哲学の大きなトピックであるのも頷ける.

 日本は高校で文系と理系に分けられるのがよくないのかもしれない.世の中の学問は文系・理系に二分されるはずもない.優秀な科学者を育てるために,数学と物理学のできない人間を早い段階でふるい落とすエリート教育だとしたら,私は10年以上も前に落ちこぼれていたんだなあ….分からないことがあると「オレ,文系だから」というのが決め台詞だったY君の話を思い出す.決して今学んでいることに不満を持っているわけではないのだけれど.

個人的には

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ここ1年くらいよく見聞する中に,鼻につく言葉がある.
 それは「個人的には」という言葉.もともとは組織(会社・学校・団体など)の人間が,組織を代表して述べる立場でもありながら,それと区別して見解を述べるときに使われるはずである.「今から述べる意見は,私の所属する組織の意見ではなく,したがってこの発言の責任を組織は負いません.あくまでも私個人の責任において発言されるものです.」ということは,しばしば組織と異なる見解だということが含意されるだろう.
 例えば私の属する曹洞宗は,都内に大きなホテルを所有しており,これまでかなりの赤字を出してきた.しかし曹洞宗としては大切な財産として今後も活用していきたいという.そんなときに要職についている偉いお坊さんが「個人的には,このようなホテルの必要性を感じない」と発言するような場合だ.
 さてそこで気になるのが次のような発言.「個人的には好みです」.彼の背後に,それを好みでないと考えている何らかの組織があるのだろうか? 「もしこれを好みだというならば,あなた個人の責任においてのみ発言せよ」というような組織が.
 用例を探っていくと,どうやら「個人的には」というのは「他の人はともかく,少なくとも私は」という意味らしい.それならばただ「私は」と書くだけでもよいはずだが,日本語で「私」というのを使うことに抵抗がある人が多いのかもしれない.他の言語と違い(韓国語にもそれらしきものはある),「私」という言葉にはすでにジェンダーなどいろいろな属性が混入している.
 小学校のときから作文で男子は「僕」,女子は「私」を使うことになっている.でも男性の場合「僕」は年を取ると使いづらいし,「私」はオカマくさい(と思う人もいる).「オレ」「ワシ」はくだけ過ぎだし,「自分」は田舎者っぽいし,「わたくし」はかしこまり過ぎている(漢字が「私」と同じだし).まさか「拙者」「某(ソレガシ)」もないだろう.自分にしっくりくる一人称を見つけるのは案外難しいのだ(ついでに言えば,二人称「あなた」「君」「お前」も難しい).実際にはTPOで使い分けていることが多いのではないだろうか.大学生にもなって自分のことを下の名前(しかもちゃん付けだったり)で呼ぶ人がいるのには辟易するが.
 そこで「個人的には」.フォーマルな感じをかもし出しつつ,一人称を表示する.納得できないことはないんだけれども,それでも「あなたは一体どんな組織に入っているのか?」とつっこみたくなる今日この頃である.
 最近知った言葉「愚禿(ぐとく,頭を丸めているばか者)」.僧侶が自分のことを卑下して言うらしい.親鸞上人が使っていたという.私のお寺にも18世紀,「愚紋白癡(ぐもんはくち)」という名前の住職がいた.どうしてそんな名前になったのだろう?-----
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書店めぐり

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 K夫妻とともに書店をめぐる.10時に出発して帰宅したのは20時半.たっぷり満喫した.書店情報を教えてくれたプネー大学のI氏には深く感謝をしたい.

クロスワードクロスワード
[JMロード,マハーラージ・チョークから200メートル]
プネーでたぶん一番大きい書店.映画館やデパートにも支店を持っている.輸入書籍,CD,DVD,ステーショナリー,玩具など.品揃え豊富で,英語の本が大部分を占めており,外国人も多く立ち寄っている.「誰が私のチーズを盗んだ(だっけ?)」とか「話が聞けない男,地図が読めない女」とか日本でもおなじみの本がたくさんある.インド旅行の写真満載ガイドブックが豊富なので,旅行の前後にチェックすると面白いかもしれない.今の時期は売れない本をディスカウントしており,写真いっぱいの図鑑などが安く売られている.前に来たときはマラーティー・英語&英語・マラーティー辞典があったのだが,今回は見つけられなかった.指輪物語ペーパーバックス版560ルピーを買おうかどうか迷ったが,これから回るところもたくさんあるのでパス.


インターナショナル・ブック・サービスインターナショナル・ブック・サービス
[サンバージー・マハーラージ・チョークそば]
英語の本や辞書などの品揃えはクロスワードにかなわないが,その分安くて面白い本が置いてある.またサンスクリットの本がある程度まとまって売られている.日曜休日,平日も午後1時から4時半まで昼休みであるため,狙っていかなければならない.
今日の収穫―


  • バルトリハリ:ニーティ・ヴァイラーギヤシャタカ(M.R.カーレー,モティラル,1971-1998(リプリント),75ルピー)
  • ジャイナ哲学概論(M.H.メータ,バーラティーヤ・ヴィディヤー,1998.160ルピー)
  • ダンディン(J.トゥリパティ,サーヒティヤ・アカデミー,1996,15ルピー)
  • 無常性―恒常性に対する仏教徒の批判の分析と存在論・人類学に関する対案(M.R.チンチョール,シュリー・サトグル,1995,350ルピー)

「仏教におけるダリット」という本があったが890ルピーという値段で断念.


モティラルモティラル・バナルスィダス
[ティラク・ロードを進み左折,バージラオ・ロード,アトレ病院そば]
インド学・仏教学研究者にはおなじみの出版社.インド各地に8支店を展開する.インド文学,インド哲学,仏教学など全般に良著を発行している.その多くは日本でも購入できるが,マイナーなものは日本に輸入されていないので品揃えをみて驚いた.どれも高いことは高いが,定価の一割引.それにおまけに1冊サービス.
今日の収穫―


  • 刹那滅についての仏教哲学(S.ムケルジー,1975-1997(リプリント),360ルピー)
  • ゴータマ:ニヤーヤ・スートラ(N.L.シンハ&S.C.ヴィディヤーブーシャナ,1930-1990(リプリント),203ルピー)
  • サーンキヤ・ダルシャナ(J.パーンデーヤ,1981,108ルピー)
  • サンヴァーダ―2つの哲学的伝統の対話(D.クリシュナほか,1991,180ルピー)
  • 対象性に関するガダーダラの理論1(S.バッターチャーリヤ,1990,81ルピー)
  • インド哲学のエッセンス(M.ヒリヤンナ,1995-2000(リプリント),100ルピーだったがサービス)


サンスクリット・サーヒティヤサンスクリット・サーヒティヤ・ラトナーカラ
[バジラオ・ロードを北上,ラクシュミー・ロードを越えて次の十字路を右折,100メートル左手]
 そろそろ荷物も重くなり,リキシャーで移動せざるを得なくなる.おまけにお昼もだいぶ過ぎていたのでレストランを探すがなかなか見つからない.やっとのことで昼食をとり,今日最後のお目当ての本屋へ.
 ここはプネーで一番サンスクリットの本を売っているという本屋.サンスクリットの本しか売っていない.「シャクンタラー入荷!」「チャラカ・サンヒター入荷!」とか入り口に看板を出している.
サンスクリット・サーヒティヤ内部 入ってみてその狭さにびっくり.床は人が一人寝れるぐらいしかなく(本当に店長が昼寝していた),三方を本棚に囲まれている.本棚には本が横に積み重ねられており,しかも奥にもある.はしごで登っていくロフトにも本が積み重ねられていた.
 本当は店員に本の名前を言って出してもらうのだが,何があるのやら知りたかったので中に入れてもらう.アーユルヴェーダ関係の本が多い中,哲学も少々発見された.その多くはヒンディー語訳付きの本で,あまり食指ははたらかない.手当たり次第に本の名前を言ったが,K君が言ったヴェーダーンタ関係の本は結構出てきたが,私の言ったニヤーヤ関係はナヴィヤもあまりない.
サンスクリット・サーヒティヤ倉庫 すると店長が倉庫に連れて行ってくれた.店から歩いて5分.ここも本がうずたかく積み上げられている.しかもぜんぶ包まれているので見づらい.店長があれはどうかこれはどうかと,いくつかの本を出してくれたが,ここでの購入はなし.K君は何冊か買っていた.
 ちょっと気になったのは,六派哲学のスートラだけムーラと英訳を全部載せた本.サーンキヤ・スートラもヨーガ・スートラもミーマーンサー・スートラも全部全部入って750ルピー.結構厚い本だった.
 「また来い」と店長.確かにこれは,前々から連絡をして探しておいてもらう必要がありそうだ.


 4件の本屋めぐりは,喉も渇いたし目も疲れた.帰りにショッパーズ・ストップというプネーで一番大きいデパートに行く.ムンバイ・プネー・ロードにあり,1階はお約束どおり匂いプンプンの化粧品店がずらりと並び,2階はサリーやパンジャービー,3階はカジュアルウェア,4階は寝具・本屋・喫茶店とデパートの基本を全て揃えている.つい先日小島さんに教えてもらったところだ.3階の喫茶店で飲み物を飲んでから,買い物をした.リーバイスのジーンズ1299ルピー,リバーシブルのジャケット(帰国用)1495ルピー,パンジャービー上下1495ルピー.ほかの店で買えばもっともっと安いのはわかっているが,どれもとても気に入ったものがあったので散財.ここにもクロスワードがあり,K君の奥さんがお料理の本を購入.私はヨーガの本でも買おうと思ったが,いつもやっているヨーガとはかけ離れたあり得ないポーズがたくさん載っているのにびっくりしてやめた.

 さらに帰りはバネールロードからアウンドにちょっと入ったシュクリヤーという高級レストランで夕食.ビールを飲んで,お腹いっぱい食べて1人200ルピーちょっと.1日で5000ルピー以上使うのは,この先しばらくないだろう.帰ってきてみると電話代の請求書.9月10月の2ヶ月で2,386ルピー.そのほとんどはネット接続で,50〜60時間ぐらいつないでいるからなあ.

ヒツジ

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やぎ 昨日の夜ぐらいから家の裏でやたらメエメエいうと思ったら,ヒツジの大群が家の裏にたくさん駐留していた.どこからやってきたのだろう.

 旅行中,テレビでよく見たヒンディー語のコマーシャル.大学のキャンパスで男の子がスター気取りで闊歩しているそばで,女の子が陰口を言う.「スター気取りもいいけれど,においがきつくてヤギみたい!」そのとたん,靴のひもを結んでいた男の子は本当にヤギになってしまい,メェ〜と鳴く.におい止め制汗剤の宣伝だが,ヤギのにおいがどんなのものか,日本人だったらあまりわからないだろう.

 午後から道端でこの一行に出くわした.確かに,くさい.けれどもどこか懐かしいにおい.子供の頃には山形の実家の近くでも多くの家が牛や豚を飼っていた.その小屋で友達と遊んだ記憶がよみがえる.

 昨日はK夫妻のお招きで新居に遊びに行った.スィンドゥ・コロニーという高級住宅街にあり,4階建ての3階と4階と屋上が彼らの住居だ.建物の構造がアバンギャルドな上に,家主が家具をいろいろオーダーメイドしたらしく,やたら現代的な作りになっている.家の作りに細部に至るまで感心.奥さんの作ったカレーは野菜たっぷりでどことなく日本の懐かしい味がした.ビールを飲んでおしゃべりに興じたり,「6ニムト!※」というゲームを遊んだりしているうちに12時.住宅街は難民除けのためか全て柵で囲われており,入り口は東西南北に数箇所しかない.そのうち夜は何箇所か閉鎖するようで,一時は出られないかと心配された.高級住宅街ゆえに,セキュリティーも高く,また繁華街からも少し遠いのがよしあし.K君はスクーターを買おうか検討している.

 今朝はいつものお掃除のおばちゃんの代わりに,その娘が2人でやってきて掃除をしてくれた.小学校高学年くらいのお姉ちゃんが掃除をしているそばで,低学年くらいの妹はキャロムを遊んでいる.帰るとき2人にアメをあげた.それにしても学校にも行かず働いている子供が多いこと.レストランでも食べ終わった食器は子供が下げている.時々腑に落ちない.

 小島さんから頂いたチラシで来月の帰国の飛行機を予約する.JALの「里帰りプラン」というもので,プネーから国内線でデリーへ,デリーから成田まで直行,希望すれば成田から大阪・名古屋まで国内線も料金に含まれる.3ヶ月以内の往復で35,485ルピー(年末年始38,710ルピー).反対に日本出発の往復「呼び寄せプラン」はこの2倍以上するので,格安航空券の方がいいかもしれない.3ヶ月ぶりとなる日本,なかなか楽しみである.


※6ニムト(ゼクス・ニムト 6nimmt!)…牛のマークをできるだけ取らないようにするドイツのカードゲーム.2〜10人まで遊ぶことができ,ルールが簡単でとても盛り上がる.1994年のドイツ年間ゲーム大賞ノミネート,ドイツゲーム賞金賞受賞.日本でも根強い人気.1000円ぐらい.ちなみにインドで牛は聖獣とされており,インド人と遊ぶときには逆に牛のマークをできるだけ集めるゲームにしなければならないかもしれない.

ヨーガ(2)

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心理学教室 ヨーガのクラスは,毎日同じことをするのかと思っていたが日によってメニューが変わる.あやしいものも少々.

 「シャワ・アーサナ(死体のポーズ)」は大の字に寝転がって目を閉じ,リラックスする.先生が「かーんぜんににリラーックスしてー(coompleetelyyy
relaaaax)」と眠くなるような号令をかける.両足の小指から親指,両手の小指から親指へと意識をひとつひとつ集中しては変えていき,最後に,体のどこにも意識がいかないようにする.つまり死体になるということ.

 「スーリヤ・ナマスカール(太陽にあいさつ)」は「オーム,スーリヤーヤ,ナマハ」と合掌で唱えてから体を起こしたり倒したりして,その度に天を仰ぐ.一連の動作が終わると,「オーム,バースカラーヤ,ナマハ」と太陽を別名で呼びながら同じことの繰り返し.太陽にはそのほかにもラヴィ,サハスラカラなどの別名があり,5,6回繰り返しただろうか.寝たり起きたりなので,結構つらい.

 かなり苦しいポーズをとっているときに先生が「このポーズは特に腰の悪い人に効果的です」などといった解説を入れてくれる.「いや,腰の悪い人はこんなポーズはできません」と心の中でつっこむ.

 さて,夕方のヨーガのクラスには韓国人3人とインド人1人が参加しており,私を入れて5人でやっている.韓国人はインドにヨーガと英語を習いにきたという.一人は日本に1ヶ月住んでいたことがあり,「高田馬場の国際パチンコで遊んでいました」なんていう話も.英語は「difficult」を「ティピカルト」と読む韓国英語だ(コーヒーは「コピ」,コピーは「カピ」).

 インド人はヨーゲーシュという教育心理学の学生.ヨーガ+イーシュ(ヨーガ・マスター)という名前はまさにヨーガにもってこい.マハーラシュトラ州の北はずれジャルゴーンの出身で,大学の近くに同郷の人と5人で住んでいる.その彼は,週に一回昼食をぬく軽い断食をしている.彼のお母さんは週に2回,ガンジーは毎日のように行っていたという.「ヨーガと断食が神様に会える方法なんだ」という彼の目は,とても輝いていた.

 そのヨーゲーシュが教育心理学の調査をするというので協力することになる.「すなお」「けんか好き」「貪欲」「気まぐれ」「頑固」「わがまま」などの設問について,自分はどれぐらい当てはまるか,他の人は自分をどれぐらいであると見ているか,そして自分の理想はどれぐらいかというものを答える.英語で書いてあり,わからない単語は説明してもらえる.ところがヨーゲーシュは,分かる単語にも説明をしてくれる上に,「これは反社会的な性質だよ.君には当てはまらない.僕が保証する」などと付け加えて先生に「誘導はしないように」と注意されていた.

 「時間を守る」というのは,日本とインドのお国柄の違いがはっきりする.日本で私はわりと時間にルーズな方だと思うが,インドに来ると超几帳面な人間になってしまう.小島さんの話では,ビジネスにおいても同じらしい.時間を決めてアポイントをとっても現れず,忘れた頃にひょっこりやってくるなんていうことがよくあるという.確かに交通渋滞が頻繁に起こるため約束を守りにくいのは分かるが,それならそうと早めに移動を開始するとか,遅れるという連絡を取るとかという発想をしないのが,インド流だ.日本にいる私のお師匠さんは,1分遅れる場合でも携帯から連絡することにしているというのを思い出した.

 調査協力のあと,ヨーゲーシュにジャヤカル・ライブラリーという大学図書館に連れて行ってもらう.学習室は夜中遅くまで開いているらしく,あまり明るくない蛍光灯の下で学生が熱心に勉強していた.しかも中央には創立者か何かの大きい額縁が掲げられてあり,その下でたくさんの学生が熱心に勉強する姿は北朝鮮を連想させるものがある.ここの図書館は利用証が有料.本はたくさんあったが専門書となるといつも勉強している図書室にはかなわない.一度だけ見学させてもらうことにして,後しばらくは行くことがないだろう.

 そのようなわけで,ヨーガクラスを通して少しずつ学内に知り合いが増えてきた.道端で声をかけられることもある.孤独になりがちな留学生としては,なかなかいい環境なのではないだろうか(写真は心理学科,教育心理学科は別だが,7年間学科が閉鎖されていて今年から再開したので看板などはまだない).

だるい日

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大学構内。大きな木が鬱蒼と生い茂っている。
大学の中の森

 インドの生活は,体調にしても仕事にしても「調子がいいな」と思うときにはもう下り坂で,「調子が悪いな」と思うときには上り坂という,起伏が大きいような気がする.

 教授との講読は,先週から週に2回に増えて,予習や復習でかなり充実してきたように思われた.ところが今日は何を間違えたか12時の約束を2時と勘違いして大ポカ.先生をしばらく待っていて,手帳を見てから気が付いた.せっかく先週から着々と用意してきたものを自分で無駄にすることに.しばらく図書館で呆然としていた.


 それから修士課程にいるカシミール出身のムリナールという学生が,ディワーリーで帰省した折に写本情報を調べてきてくれたが,これもダメ.彼はパンディットの家に生まれ,父親と本を出したりしているらしい.今は外務省の退避勧告もあってなかなか近寄りがたいカシミールだが,ここは古来文化が花開き,多くの哲学者が活躍していた.そのうち私が専門とするニヤーヤ学派の学者,ジャヤンタ・バッタとバーサルヴァジュニャは,10世紀頃の人と言われている.この2人の著作『ニヤーヤ・マンジャリー』と『ニヤーヤ・ブーシャナ』という本について,写本(※手書きの古い本.オリジナルに近い)があるか調べてもらっていたのである.シュリナガルとジャンムーの両方の大学の図書館でカタログから探したけれども,結局1冊もなかったという報告.カシミール出身の人間の著作がないことについて現地のパンディットは,「ジャヤンタは牢獄に入れられていたくらいだから何らかの理由で燃やされたのかもしれない」と言っていたそうだ.ガッカリ.

 そんな中,午後から特別講義.「古代インドの現代物理学に対する貢献」という謎のテーマで,ベナレス大学の物理学科の教授が10日間講義をしている.昨日が初日で「ヴァイシェーシカと物理学」,今日は長さや時間の単位の話だったが,出る気乗りがしていなかったところに小島さんが上司と大学を見に現れたので,付いていってチャイを飲んでいた.留学生センターのおじさんが「マイコに会ったか?マイコはもう日本に帰るぞ」と勧めるので「マイコって誰よ?」と思いつつせっかく小島さんたちもいることだし会いに行こうと思ったが,住んでいるのはどうやら女子寮ではなくて留学生寮の模様.結局会うことはできなかった.

 小島さんたちが帰った後,教授に謝りに行くと,「私もとても忙しかったから,講読はできなかったと思う」と仰っていた.実際とても忙しいのはわかっているので,何だか複雑な気分.そこにK君が現れる.彼の話では昨日お金を下ろしたときにキャッシュカードを取り忘れてしまい,今日は紛失手続きに追われていたという.この話は聞くだけで私までガッカリ.しかし,彼はシャイラジャー・バパットというヴェーダーンタを専門としている教授と会うことができ,教授は大歓迎.早速週2回読む約束をしていた.いいなあ.

 思うに,留学先の大学を選ぶとき,受け入れる教授はその学科のボスであることが多いはずだ.しかし,ボスは学科の運営にかなりの時間を割かれている.そこでいちばん望ましいのはナンバー2ぐらいの,実力も時間もある先生のところについて勉強することだろう.しかし,ナンバー2の先生はそもそもあまり名前が知られていない上に連絡も取りにくい.その先生が直に受け入れることも難しいだろう.つまり学科の中がどうなっているかは,行ってみないとわからないのである.そこで自分の専門と重なる先生が見つかるのは,本当に幸運だと言わざるを得ない.

 受け入れたのがジャー先生(※今勉強しているところのボス)である点では同じでも,ジャー先生自身の専門を当てにしてきた私と,一か八かジャー先生以外の人に賭けてきた(?)K君の違いがあきらかになったかたちになった.とはいえうらやましがっていても仕方がないので,私はできることを精一杯やるのみだ.

 明日のヨーガのクラスは,教室でクリケットのテレビ放映を見る集まりがあるために,休み.なんじゃそりゃ?

ヨーガ

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メインビルディング.ガネーシュ・キンドと呼ばれる大学のキャンパスはかつてイギリス政府の避暑地であり,この建物が公館だった.インド独立によって返還され,大学となったがこの建物は残されて今は博物館のようになっている.
大学のメインビルディング

 結局ヨーガを始めることになった。ヨーガというと,大学生のときに「ヨーガ研究会」というサークルがあって,「ヨーガをすれば睡眠時間が4時間ですみます!」という売り文句で勧誘していたのを思い出す.後で聞いた話ではこのサークル,オウム真理教が絡んでいたらしい.そのイメージがあってか,ヨーガというと変なポーズをしながら瞑想をして,ときどき宙に浮く練習をするというようなかなり怪しげな感じがつきまとっていた.しかし先生がきさくだったので,話の種になるだろうと思って1度見学してみることに.

 1時間,ヨーガのクラスでやっていることは私が考えるところのストレッチ体操と筋トレだった.はじめ仰向けになって深呼吸.それから手足を左右にひねって伸ばしたり,足を伸ばしたまま上げて腹筋のトレーニング.それからうつ伏せになって体を反り返らせたり,ブリッジをしたりと,体を伸ばす体操と筋肉を鍛える体操がほどよく混ざっている.実に気持ちよさそうだ.途中,『ゲームセンターあらし』(昔はやったマンガ)の「水魚のポーズ(うつ伏せから足を手でつかんで反り返る,本当は弓のポーズというらしい)」と『少林サッカー』(少し前話題になった香港映画)に出てきた合掌のポーズ(片足で立って合掌する)ところは,確かに変なポーズではあったが.

 問題は時間で,朝の8時からと夕方の6時から.朝はお掃除のおばさんが8時にならないと来ないので難しく,夕方は日が暮れるとライトのない自転車で帰るのは危ない.しかし次週からは5時からのクラスもあるというし,迷っていると先生が「1日でも多く行うことが健康にいいんだ」と勧めてきたので参加を決意.昨年の今頃,やたら風邪を引いて大変だったのを思い出すと,健康にいいというのはとても魅力的だ.授業料は3ヶ月間で300ルピー(750円).毎日参加したほうがよいのはもちろんだが,行っていることは毎日同じなので参加できない日があっても構わない.

 最初の週は,お掃除のおばさんに頼んで7時に来てもらうことにした.朝7時40分頃家を出て,まだ肌寒い中を自転車で行くのも気持ちよい.それでも大学に着くころには息も上がり,汗もかく.先生が颯爽とバイクで現れ,学生や近所のおじさんが集まってくると,ヨーガの開始.雰囲気としてはラジオ体操が始まるといったところだ.

 一番最初には正座をして目を閉じ,深呼吸をしてリラックスする.すると先生が「オーム,サハナーウ、バワトゥ…」とヨーガの偈文を唱えるので,その後について一緒に唱える.その頃には自転車の汗も引き,上がっていた心拍数も落ち着いてくる.自分の体の硬さを痛感しながら,1時間はあっという間に過ぎた.普段伸ばしていないところをビリビリ伸ばすのはきつかったが,終わってみると体が軽くなったよう.2日目,3日目と続けるにつれて,調子もよくなった感じがする.

 インド3000年の叡智と言うべきか.自転車とヨーガで運動不足はだいぶ解消される見込み.教室のじゅうたんがとても汚いのと,時々蚊に襲われるという欠点はあるが,当分は続けるつもりだ.

 日本の大学で同じ学科のK君が奥さんとプネーに到着.

 もともと私のプネー行きは,彼なしになかった.オーストリア留学の計画がなかなか思うようにいかず,インド留学に路線変更をしたとき,ちょうど彼がインド留学を計画中で,これ幸いと相乗りさせてもらったのである.入学願書,ビザ,予防接種,持ち物に至るまで,怠け者の私は彼からことごとく教えてもらい,留学を決めてから半年足らずで実現できた.

 その彼がなぜ私より遅れて到着したかというと,インド政府がのろかったからである.インドに行くためには,たとえ観光旅行であっても,パスポートに加えてインド大使館が発行する入国許可証(ビザ)が必要.そのビザには観光ビザなど何種類かあり,それぞれ手続きが異なる.私は単身で渡る上に研究費は曹洞宗だったので制約がなく,短期間で発行される学生ビザ(Student
Visa)を申請していたが,彼の場合,奥さんが同行する上に研究費が国から出ているので研究ビザ(Reseach
Visa)という正式な手続きを踏まなければならなかった.

 この研究ビザというのが曲者で,申請に大量の書類が必要な上に,発行まで最低3ヶ月,6ヶ月以上もかかることになっている.申請書がインドに送られ,大学を経由してまた日本に戻ってくるという.その途中で書類の不備があればやり直し.そんな気の遠くなるような手続きをしていれば,予定も全く立てられない.K君の場合は,あまりの遅さに教授と大使館にかけあい,結局発行されたのが学生ビザだったという虚しさ.しかし研究ビザを待っていたら年明けだったかもしれないことを考えると,正解だったかもしれない.この研究ビザに泣いた研究者は,枚挙に暇がない.

キャロムが上手いドゥルゲーシュ、ビジネスの電話をしながら そのような訳でやっと着くことができたK君と奥さんはまず大学近くのホテル・ピチョーラというところに泊まって家探しを始めた.家探しといえばこの人,ドゥルゲーシュの登場である.K君が来る前から連絡を取り,よいフラットがあるという情報を得た.私も住んでいるアウンドという街は大学から近い上に空気があまり汚れておらず,お店も揃っている.ここをテリトリーにしているドゥルゲーシュなら,私の場合と同じようにすぐにいい物件を見つけてきてくれるだろうと思われた.ドゥルゲーシュは大張り切り.いつにも増してテンションが高くなっていた.

 しかし,ことはうまく運ばない.今回は街の中心部にいい物件が見つからなかったのだ.3日間,合計10件以上見て回ったがどれもこれも街外ればかり.街外れは買い物などの移動が大変なだけでなく,スラム街を通っていかなければならず,女性にはきつい.いいところが見つかってもすでに成約済みだったり,まだ人が住んでいたり,オーナーが売るつもりだったりと,なかなかうまくいかない.ドゥルゲーシュは「ここは中心から決して遠くない!」「今住んでいる奴らはすぐ追い出すから,そこに入ればいい!」とかかなり苦しいことを言っていて持ち駒の少なさが見て取れた.かさんでいく宿代に次第に憔悴していくK夫妻と,紹介するもの紹介するもの断られて不機嫌になるドゥルゲーシュ.

 このままでは拉致があきそうにないと思い,日本人会の連絡網を活用させてもらう.ここで小島さんが会社で契約している不動産屋を紹介して下さった.K君が電話をすると場所や予算などの条件を聞かれ,早速翌日に下見.そこからは今までは何だったんだというくらいあっという間に話が進み,K夫妻はプネー到着4日目にしてとてもよいフラットを見つけることができた.K君の話では下見は全て車で回ってもらい(ドゥルゲーシュは徒歩か自腹リキシャー),決まったフラットは家具つきで,しかもクッションなどを交換してもらえるという.ホテルから荷物を運んでくれたり,支払いは銀行員が同席してドルで払えたりと,至れり尽くせり.

 慌てたのはドゥルゲーシュ.K君が別の人の紹介で決めたと知ると,烈火の如く怒ったという.K君としては,3日間もいろいろな物件を見せてもらって土地勘や相場などを勉強できたし,お礼に結構な額の謝礼を渡すつもりだったが,ドゥルゲーシュが怒っていて受け取るまでも大変だったそうだ.彼はまだ21歳.良くも悪くも若い.

 その後しばらくして私のところに電話があった.前もって一部始終を聞いていたので,ドゥルゲーシュが私に愚痴を言うようならば,顧客を満足させられなかったドゥゲーシュの非を説くつもりだったが,予想に反してドゥルゲーシュは落ち込んでいた.力ない声で,「彼らが別の人からフラットを決めた…」と繰り返すだけ.しかもちょっと泣いているようだ.「落ち込まないで,次があるさ,ポジティブにいこうよ」と慰めてこういう時にいい子ぶる私はずる賢いと思う.

 今回の宿探しの間にドゥルゲーシュから聞いた話では,彼の父親は警察官で,10才年下の母親がドゥルゲーシュを産んだのは彼女が15才のとき.21才のドゥルゲーシュのお母さんは今36才なのだ.父親は州内の遠いところに勤務しており,絶大な権力とお金を持っている彼に対してドゥルゲーシュは反抗期を迎えている.その反抗心が大学の勉強とビジネスに彼を駆り立てているようだった.不動産業をしながら大学で経営学を学び,MBA(経営学修士)を取るのが目標.いい加減なインド人が多い中,彼の真面目さはひときわ光っている.経験がまだまだ浅いのは仕方ないことだが,経験を積むことで彼の理想を失わないでほしいと思った.私も,彼を見ていると元気が出る.がんばれ,ドゥルゲーシュ!

講演会

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大学内の郵便局 いつもは西門から入るが,北門から入ってみる.後で地図で見たが完全に遠回り.20分くらいかかった.でも大学内にある郵便局が思いのほか近い.日本宛に葉書を出した.

 日本はもう民営化する前から非常に愛想がいいが,こちらの郵便局は事務的.切手の窓口に人がいないとき,隣の窓口で暇そうにしている職員に言うと,「切手はとなり.」と言って取り合ってもらえない.しかも切手の窓口の職員が来ないこと来ないこと.タイミングが悪いと30分くらい待たされる.窓口の前に切手を買う人の群れができあがるが,みんな我先にと割り込むのでカオスだ.日本へは葉書が1通8ルピー(20円).でも8ルピー切手はなく,4ルピー切手を2枚買う.今日はその4ルピー切手もなく,2ルピー切手を大量に購入することになった.知らないおじさんの怖い顔が印刷されている.

 今日はライプツィヒ大学のラルス・ゲーラー博士による講演会.テーマはプールヴァ・ミーマーンサー(ミーマーンサー学派)というヴェーダを合理的に解釈して正しい祭式の方法を求めた学派.ドイツ人というだけでなぜか楽しみにしていたが,講演会に来てみるとこの1,2週間図書館でよく目にする西欧風の人がゲーラー博士だった.こんなことならもっと早く話しかけておくんだった….


 内容はというと,解釈学といわれるミーマーンサー学派がいかに哲学的かという話.文法学派の影響を受けつつ,祭式の記述からメタ・ルール,メタ・ルールから意味論的分析へと昇華されていく.元はといえば「どのようにして祭式を行うか」という点について各地方でいろいろな見解があり,それを一本化するためにヴェーダを根拠に説得力のある解釈を示したわけだが,ここに哲学的な発展を見てとることができるという.

 1時間という時間では立ち入った話までは行かなかった.その後ディスカッションとなり,ジャー先生が「もともとミーマーンサー学派は文章の意味を探求する教え(ヴァーキヤアルタシャーストラ)だから,その展開は至極当然である」とまとめてしまった.後代に認識手段の議論が深まるのもあくまでその流れであるという.これにはゲーラー博士も反論したいようだったが,ここまでテーマが大きいと何ともいえない.というわけでおひらきになった.

 確かに初期のミーマーンサー学派は,解釈学に専門化していたと思う.しかし後代に認識手段の議論などを取り込んだのは,解釈学からの必然性があったからなのだろうか.学派が独立してやっていくために当時備えるべきトピックを揃え,それについて独自の見解を打ち出す必要があったからではないかと,私は思う.クマーリラの時代には,明らかに解釈学からかけ離れたトピックがある.ミーマーンサー学派の「色気」というか,「食っていくため」というか…

 終わって立ち話をしていると,保健センターでヨーガを教えているという先生に会った.サンスクリット語で話しかけてきたのでこちらもサンスクリット語で返す.3ヶ月間,朝8時からか,夕方6時から行われる.実習だけなら300ルピー、講義と試験も入れたヨーガ講師資格コースなら3000ルピー.坐禅とヨーガは親近性があり,一度見学してみようと思う.

 帰ろうと思ったら前輪の空気が抜けていた.振動でねじがゆるんだようだ.いつものバイク屋まで自転車を引き,帰りが30分余計にかかった.

日本語熱

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私が通っているセンターのそばにある屋外学食.
ここでいつもサンスクリット会話を習っている.
三角カンティーン

 プネーは今日本語ブームの様相を帯びている.大学では1000人を超える学生が日本語を受講し,大学外にも大小さまざまな日本語学校が賑わっている.今住んでいるところの近くにもJapaniccaという学校があった.

 なぜこんなに流行っているかといえば,それは間違いなくお金になるからだ.インドにどんどん進出してくる日本企業,月給1〜2万円が平均というところで賃金水準はとても高い.先のJapaniccaという学校の宣伝にも[Congratulates
our students Sidharth & Kaushik for getting selected by Hitachi Co.
Tokya, Japan]という売り文句が書いてあった.日本語スピーチコンテストもある.インドの各地区大会から,勝ち抜きで全国大会まである.ここプネーは西地区の大会会場になっているらしい.

 私が学ぶサンスクリット学科でも,日本語を勉強している学生が3人いる.私がサンスクリット会話を習っているのヴィナヤクは,その一人だ.11月には試験があるというので,殊の外一生懸命勉強している.テーマにそった日本語スピーチを日本人の前でするという.ヴィナヤクのテーマは「なぜ日本語を学んでいるか」,その女友達のサンバダが選んだテーマは「私の夢」.練習のために何度か聞いた.

 ヴィナヤクによると昔,「Love in Tokyo」というヒンディー映画があったらしい(見てみたい!).その主題歌の「サヨナラ,サヨナラ…」が頭に残っていたという.そしてサンスクリット語を学ぶうちに,サンスクリットの文化が仏教として日本に影響を与えたことを知り,日本語に親近感を持つようになった.そこに友達が「日本語は難しいよ」と言うのでチャレンジ魂に火がついたという.将来は日本人にサンスクリット語を教えたい,できれば日本に行きたいというが,それで食べていけるかどうか.

 サンパダの夢は「みんなを幸せにすること」.なんて純真なんだろうか.私は「いい夢だけれど抽象的で具体性がない」などとコメントして,後から反省した.

 私の夢は何なんだろう,そしてなぜサンスクリット語を学んでいるのだろう? ヴィナヤクがサンスクリット語でそれを書く宿題を私に課したので今考えているところである.

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