2003年12月アーカイブ

タージマハル

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学会でデリーに寄り、帰国の飛行機まで1日空いたのでアグラに行ってタージマハルを見学する。

もともとは広島大学の小川先生が学生を連れて行く予定だったが、ご用事で行けなくなってしまった。そこでもともとアグラに行きたがっていた私に席が回ってきたというわけである。小川先生のご好意で貸切タクシー代は出して頂いたため、入場料だけですむという破格の旅行となった。感謝。

一緒に行ったのは以前プネーで勉強されていた創価大学の工藤さん、広島大学から今アーメダバードに来ている小林さん(※学会で発表した小林さんとは別人)。みんなインド暮らしの経験があるため、インド一のぼったくり都市で知られるアグラでも、何とか太刀打ちできるのではないかと思われた。

アグラまでは200キロ、道路はいいけれども車で4時間かかる。道中はインド暮らしの話に花が咲いた。楽すぎるきらいもあるが、快適な旅であっという間に着いた。

まずアクバル帝のお墓に到着。そこで謎のガイドが車に乗り込んでくる。「みなさンこんにちは!」にこやかな顔で親しげに話しかけてくる。訳が分からないのでドライバーに聞いてみると、「彼は会社で雇われているから、ガイド料はいらない。でも最後にチップをあげると喜ぶだろう」という。

このガイドがとなりで片言の日本語で話しかけてくるものだから、その相手をするのに気を取られてとても見た気がしない。そもそもせっかくの異国情緒が台無しである。アクバル帝のお墓を出ると、私はドライバーとガイドにガイドは要らないことを告げた。

ガイドは旅行会社から頼まれているからガイドをするのが彼の義務であること、気に入らなかったらチップは要らないことを主張したが、こちらはガイドが要らないこと、そして決定権はこちらにあることの2つで押し切った。タージマハルに着いたところでガイドはしぶしぶ退散。要らないものははっきり要らないというのがインドでは特に大事なことだ。

タージマハルタージマハルは昔の王様シャー・ジャハン帝が亡き王妃のために建てた巨大なお墓である。総大理石で出来ており、白い大理石が黒ずんでしまわないように500メートル圏内は車が入れない。公園の入り口で車から降りて、歩いていくことになる。ここが絶好のぼったくりポイントなのだ。

サイクルリキシャー、お菓子売り、土産物売り、飲み物売り、ガイド、物乞い…次から次へと近づいてくる。中には日本語を心得ている者もおり、日本人観光客がカモにされていることが窺い知れた。しかし我々はというと、すっかり慣れたもので徹底的に無視。足を止めないことがポイント。あまり嫌な思いをすることもなく、入り口まで到着できた。

入場料は例によって外国人料金でなんと750ルピー。世界遺産に登録されていることで維持の義務が生じているのだろうと工藤さん。しかしインド人・外国人を問わず、また平日にもかかわらず大勢の人出だった。インド人も、見るからにお金持ちという人と、見るからにおのぼりさんという風貌の人が多い。

誰でも写真では見たことがあるであろうあの白い建物は、入り口を入ってもすぐには見えない。白い建物の周りに大庭園があり、そこは全て城壁で囲まれているからである。城壁の外側にはもう一重の城壁があり、そこに入り口がある。厳重なセキュリティーチェック。ここからはタバコ、ライター、ナイフ、そして携帯電話も持ち込むことができない。

天気は快晴。絶好の日より。門を入ると青い空の下に真っ白で巨大な建物。その白さと大きさに心を動かされる。ゆっくりと歩いて近づいていくと、建物はさらに大きさを増し、もう信じられないくらいの大きさだ。まるで夢のよう。

白い建物は、外から見るだけでなく中に入ることもできる。靴を脱いで預け、ぞろぞろと歩いていく列に混じって大理石の階段を登っていく。上の階はまた広い大理石の広場になっており、さらにドームの中に入っていく。外の日差しから隔てられてひんやりした室内には王妃の棺らしきものが鎮座していた。

室内に漂う沈黙。王妃を失ったシャー・ジャハン帝の悲しみはいかばかりのものだったであろうか、この壮大な建物ははたして慰めになったのだろうかと、胸が熱くなった。命の重さは、この建物をいくつ建てたとしても代えられまい。

大気汚染測定大理石の建物の両脇には全く対称に同じ建物があり、左側はモスクでお祈りが行われていた。右側では大気汚染測定が行われており、電光掲示板で基準値を上回る数値が示されていた。車の往来から500メートル離したところで、この煙もうもうのインドでは完全に免れることができない。

建物の日陰になっているところで、大理石の上に座ってみんなのんびりしている。裏手はヤムナー川が流れており、その景色もすばらしい。歩いているだけで2時間があっという間に過ぎた。

車に戻ると、あのガイドがまた車に乗っている。何か嫌な予感をしながら、休憩した後に連れていかれたところはお土産屋さんだった。ここでまたひと悶着。
「ここはコースになっているから降りてもらわないと困る」
「何も買うつもりはない」
「土産物屋に寄ったというスタンプを土産物屋からもらわないと帰れない」
「じゃあ我々は車の中にいるからスタンプだけもらって来なさい」
「お願いだ、見るだけでいいから。そうでないとスタンプをもらえない」
「じゃあ今、旅行会社に電話して我々から言ってやるから、携帯を貸しなさい」
ここで工藤さんの「さっさと行けよ、コラ!」が炸裂。その迫力だけは通じたようで、結局スタンプももらわずに出発となった。

おそらく旅行会社のコースになどなっていまい。ドライバーとガイドの小遣い稼ぎだろう。土産物屋のショーウィンドウにはじゅうたんなんかが見えた。客を連れて行って高いものを買ってもらえば、いくらかのマージンがもらえるに違いない。こういう抜け目のなさは観光地に生きる人たちの定めなのだ。しかし気の毒だからといって、わざとカモになる訳にはいかない。

おそらく土産物屋で最後の攻勢を仕掛けようとしていたガイドはいよいよ退散。アグラ城(これまた広い)に寄って遠目にタージマハルを眺めた後、デリーに帰還となった。あれほどもめたドライバーは始めぶつぶつ言っていたが、わりとすぐに立ち直る。こういう根に持たない(悪く言えば学習能力がないということにもなるが)性格も、観光地に生きる人たちにとって大切なのかもしれない。

往復に8時間、現地での見学に4時間。日帰りの旅は無事に終わった。タクシーでなく電車やバスで行ったら現地のリキシャーとの交渉などもっと苦労が多かっただろう。そういう意味では、見学に集中できる贅沢な旅行だったと言えるかもしれない。小川先生に感謝。

学会

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デリーで国際学会があることがわかり聴きに行く。テーマはバルトリハリという5世紀ごろの文法学者。「世界は全て言葉からできている」という深遠な言語哲学を残し、その意味がインド学・哲学・言語学のそれぞれから活発に研究されている人物だ。

この学会に行くきっかけは先月に遡る。プネーに住んでいる日本人の知り合い松尾さんから、「日本人がインド学関係の本をプネーに残していって、その引き取り手を探している」という連絡があった。面白そうなのでさっそく行ってみると、文法学の本ばかり。ほしいものはなかったが、そのままゴミになるのももったいないと思い、まずは家に持ち帰った。

しかしその本をどうしたらいいだろう? その本の持ち主である小林さんは広島大学の人だったので、連絡先を調べた。すると情報通である後輩の石田君から、小林さんが今度デリーで開かれるバルトリハリ学会で発表するという情報を得ることができた。さらに広島大学助手の本田さんを通して、小林さんとコンタクトを取ることに成功。本を持ち主のところに返す段取りを整えた。

ここで知ったバルトリハリ学会。考えてみればなかなか魅力的である。そこで今度は同じ大学で文法学を学んでいるルーマニア人のフロリーナに詳しいことを知らないか聞いてみた。詳細はフロリーナも知らなかったようだが、彼女も参加を検討し始め、いろいろ調べてきてくれた。その情報に沿って、私も参加を申し込む。これが学会の1週間前。ぎりぎりの申込にも関わらず、学会事務局は招待状とホテルの予約をしてくれた。

国際バルトリハリ学会・日本人研究者の発表こうして私は学会に参加することができたのである。またその間には主催者の一員となったジャー先生からの情報を聞いたり、ちょうど帰国する日程だったので飛行機を旅行会社のニシャドにアレンジしてもらったりもした。私が参加できたのは少なくとも松尾さん、石田君、広島大の本田さん、小林さん、フロリーナ、ジャー先生、旅行会社のニシャドのお陰である。

学会は3日間に渡って行われた。出席者は文法学の神様ジョージ・カルドナ博士(原實先生にどこか似ている)をはじめ、アクルジュカル、デシュパンデ、ブロンクホルスト、ギロンなど有名な学者が勢ぞろい。日本からは小林さんのほかに、広島大学の小川先生、創価大学の工藤さんが発表(写真:発表前にイタリアのトレーラ博士と打ち合わせする小川先生と工藤さん)。毎日朝10時から5時までみっちり、同じ部屋にこもって発表と議論が繰り返される。3日間はあっという間に過ぎ、バルトリハリについてはほとんど知らない私ですら、終わる頃にはバルトリハリ像をイメージすることができた。

面白かったのは、上記の有名な学者たちが揃って、バルトリハリを天啓聖典と関連付けようとしていたことだ。インドの文法学はヴェーダの補助学であるというのは確かだが、やがて文法学の内部で独自に体系が発展するうちに、ヴェーダとの関連は薄まっていく。その中に現れたバルトリハリについても、文法学の内部だけの議論が注目されがちだったものを、彼の著作に流れるヴェーダへの志向を読み取ろうと言うものである。

バルトリハリはさんざん議論を重ねておいて、「本当はこんな議論をする必要はないし、しても意味がないのだが」というようなことを述べる。さらには、文法学自体も結局はいらないものになってしまう。なぜなら、彼にとって真実はひとつであり、議論によってそれに何かが付け加えられたり、修正されたりすることはない。その真実こそヴェーダ、ひいてはウパニシャッドに説かれるブラフマンなのである。彼はヴェーダを残した聖仙たちの伝統(avacchinnaparamparA)に乗っかって、著作をしているという。

無駄と知りながら行われる議論や著作は、真実に至るはしごのようなものであり、登っている間は必要となる。こうした著作態度は、もしかするとインドの古典哲学全般に言えることかもしれない。真実は決まっていて、検討する必要は全くない。しかし世の中には間違った考えを持っている人がたくさんいる。議論や著作は、彼らを更正し、自分の弟子たちを導くためにある。それは真実の知恵に対してあくまで飾りとしての花輪を捧げるようなものにすぎない。

ここにインド思想史全体に流れる、大きな大きな討論の姿を私は見てしまう。予め線は何本か決まっていて、その線の上に次々と現れる論者が議論をしかけ、応酬する。その意味で彼らは哲学者ではなく、解説者にすぎない。新たな知の発見など、できるだけしたくない。太古の昔から決まっているヴェーダの真理こそ、誰にも否定できない真理だからだ。後発の仏教、ジャイナ教はこの線たちとの苦闘を強いられることになる。

そのことからもうひとつ、インド思想がいかにヴェーダに束縛されているかということも考えられるだろう。ヴェーダは神様たちの言葉であるという。インド哲学の本流はここにしかない。

発表を聞いているとインド(系)の学者はこのことをよく心得ているように思われた。ヴェーダに説かれる善―ダルマ、神、解脱―を探求するのが彼らの一大関心であり、全ての研究はその手段に過ぎない。一方、西洋(系)の学者は逆で、ヴェーダに説かれる善は思想の背景に過ぎず、個々の思想を文献学や比較哲学として解析することに重きをおく。日本人の学者もどちらかと言えば西洋系だろう。これは、もしかしたら外国人として当然の帰結なのかもしれない。

デリーということもあってインド人研究者が多数来ていたが、発表・質問を問わず著作の暗誦が次々と炸裂。中には質問の時間に手を上げて当てられると、ずらずらーっと暗誦しただけで席に着く人もいた。外国人にとっては「ただ覚えているだけで何の意見も述べていない」と思われるが、彼らにも、真実は決まっていて検討する必要が全くないという態度が綿々と息づいているようだ。

はたして我々日本人はどのような態度でインド思想に臨むことができるのだろうか。我々にはヴェーダもないし、ダルマや神や解脱というものも違う。しかししばしば西洋の研究に見られるように、自分に都合のよいところだけを適当につまみ食いするのも好ましくない。我々が持っている身体性やローカリティー―例えば仏教―とどのようにすれば有意義・総体的に関連付けられるのか。実は無茶苦茶に難しい問題ではないか?

この学会は、インド学の大手出版社モティラルが創立100周年記念としてスポンサーについた。会場費をはじめ、参加者の宿泊費・食費・交通費(インド国内分)まで負担する手厚さ。しかも2日目の夜には参加者全員をモティラルハウスに招待し、一族全員が食事のおもてなしをしてくれた。途轍もないお金がかかった訳だが、それを一出版社で賄ってしまうのはインドならではのことで、その財力に驚いた。確かにモティラルの本は高いけれど。

インド映画3

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タイトル:Kal Ho Na Ho(明日はあるのか?)

カルホーナホーストーリー:
舞台はニューヨーク。父を自殺で亡くし、祖母・母・弟・妹と暮らすニーナ(写真右・コーイー・ミル・ガヤーにも出ていた最近売れっ子女優のズィンタ)は、ヒンドゥー教の祖母とキリスト教の母の間の確執にうんざりしながら退屈な日々を送っていた。そこに現れたアマル(写真左・ボリウッド人気ナンバー1俳優のカーン)は軽口のひょうきんな性格で、はじめは心を閉ざしていた彼女だったが、次第に微笑むことを覚えていく。
 彼女の幼なじみの友達ローヒット(写真中)はマンハッタンのいいところに住んでおり、大きな仕事をもっているが、プレイボーイ気取りの性格が災いして孤独な生活を送っていた。やがて3人には友情が芽生える。その中でアマルはこの2人をくっつけようとするが、ニーナはアマルを好きになってしまう。告白しにきた彼女に、アマルは自分に婚約者がいることを告げて追い返す。
 傷心の彼女にアマルはローヒットを近づけ、ついに婚約までこぎつけた。しかしその後で2人は、実はアマルが心臓の病に冒されており、余命いくばくもないことを知る。アマルはニーナを愛していたにもかかわらず、自分の命が長くないことを知って、婚約者がいるなどと嘘をついたり、2人をくっつけようとしたりしていたのだった。
 2人の結婚式が盛大に行われた後、アマルは皆に看取られながらこの世を去る。そしてローヒットとニーナは彼の分までも幸せになると誓うのであった。

感想:
 ラブストーリーは苦手な私だが、知り合いの日本人が泣けると勧めてくれたので見に行くことにする。歌と踊りは確かに入っているが、カメラワークや筋の展開が斬新で、飽きさせなかった。ニューヨークに住んでいる登場人物が皆ヒンディー語しか話さないとか、心臓を患っている主人公が思いっきり歌って踊りまくっているのはどうかと思ったけれども。
 なぜラブストーリーが苦手かというと、ちゃらちゃらした感じが人間の真実に迫っていないような気がして白々しいのと、恋愛沙汰は人間のわがままだと思われるからである。日本でも、ラブストーリーというと「けっ!」という顔で見ていた。この映画も、最後に主人公が死ぬのは確かに悲しいけれども、友情と恋愛というストーリー自体はあまり感興がわかない。
 恋愛は(一般に異性の)誰とでも起こりうるものだと私は思っている。しかし実際に起こるかどうかは、「縁」というものによる。そしてこの「縁」とは、あらかじめ仕組まれたものではなくて何らかのはずみで偶然にできあがったものにすぎない。原因の前に結果はない。運命的に設定されていることもないし、赤い糸などもない。
 この考え方は私の学んでいるニヤーヤ・ヴァイシェーシカ学派というインド哲学の一派のスタンスである。「壺の材料は壺になる前から壺になる運命だったか」という議論があった。これと同じように、「ある男性とある女性は恋愛する前から恋愛する運命だったか」という問題を導くことができる。これにYesと答えるのがサーンキヤ派など、Noと答えるのがヴァイシェーシカ派など。私はNoだ。我ながら冷めているなあ。
 しかし恋愛は「縁」さえ揃えば成り行きでずっとうまくいくものでもないだろう。そこには一種のゲームのようなさまざまな駆け引き、努力、意志があり、時には運も大事。与えられたものを最大限に生かして活路を開くことである。……こんなに恋愛を熱く語らなくてもいいのだが、30歳を過ぎてから。

公式ページ

コンサート

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 K夫妻とM.G.(マハートマ・ガンジー)ロード近辺を探検。シバージー・マーケットでは、皮を剥いだ牛の頭が積んであるのを見てしまった。黒い目が残っており、舌がだらりとはみ出している。そこに群がるカラスたち。鼻で息ができないような匂いが立ち込める。ベジタリアンになってしまいそうだ。

 K氏が街で見つけたポスターから、急遽コンサートに行くことになる。主演はザキール・フセインというタブラ(太鼓)奏者。入場料はS席700ルピー、A席500ルピー、B席300ルピーという高さだったが、客がたくさんつめかけていたので、有名な奏者なのだろう。会場は土曜宮殿(シャニワール・ワダ)という18世紀の史跡。宮殿は焼失し、現在残っている城壁の前に屋外ステージが設けられていた。我々はB席でステージから離れた芝生に腰を下ろす。

 開演は夜7時30分。どうせ遅れるだろうと話していたが、始まったのは8時すぎだった。奏者2人がステージのひな壇に登る前、靴を脱いだ。そして挨拶をするとおもむろに楽器の準備を始める。チューニングというよりも、ひもを締めたり、弓に何か塗ったりしているようだ。こちらは段々いらいらしてきたがインド人の客は、いよいよかという調子で席に着いた。用意が終わるとそのまま何の合図もなく演奏開始。音出しをしているのか演奏しているのかはじめはわからなかった。

 胡弓のような弦楽器とタブラの二重奏。だがリズムが合っているように聴こえない。2人が思い思いに演奏しているという感じだ。一般に弦楽器が旋律で打楽器がリズムだと思っていたが、しばらく聴いているうち、このコンサートはそれが逆で、タブラが主役で弦楽器が伴奏だということがわかってきた。マイク音量もタブラの方が大きく、激しく叩いているときなどは弦楽器の音はほとんど聴こえなくなる。

 そして時々奏者はタブラの手を休めてマイクで話す。「ビデオ撮影しているので、フラッシュはたかないで下さい」「今度は、交通渋滞を表現してみます。これがリキシャー、これが通行人、これがバイク…」などなど。話している間も伴奏はそのまま演奏し続け、いっこうに曲が終わらない。結局、そんな調子でまるまる1時間演奏。終わったときの拍手は、他のインド人客とは異なり「やっと終わったー」という喜びになっていた。

 それでも、タブラの超絶技巧が何であるのかは理解することができた。超高速で早打ちしながら、打つ場所を変えて音程を作るのが見せ場。客は曲の途中でそういう場面があると大拍手を送る。我々も一緒に拍手した。「よく手が疲れないよね」などと言いつつ。

 1時間後に曲がやっと終わって休憩。「後半はスペシャルゲストが入るのでお楽しみに」などと思わせぶりだ。この時間、外はとても冷え込んできた。K君がラム酒を調達してきてちょっと温まったが、休憩が終わったのは30分後。後半のスペシャルゲストはドラマーで、胡弓のおじさんがなぜか歌いながらフェードアウトしていくと、打楽器二重奏が始まった。「帰ろうか。」3人が席を立ったのはその10分後である。

 寒さには殊の外弱いはずのインド人を尻目に会場を出た我々を待ち受けていたのは、門にしがみつくようにして聴いていた人たち。「もう見ないんならチケットくれ!」と殺到してきた。会場の前で乗ったリキシャーの運転手までも「まだ終わっていないのに…」とぶつぶつ。それほどまでに、この太鼓の音楽はインド人の心に響くものかと驚いた。

書店めぐり(2)

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 プネー市内でサンスクリットの本を売っている本屋めぐりの2回目。

インドブックセンター Bharatiya Pustaka Kendra
[ゴーカレロード、サハラホテルから徒歩5分]
 このすごい名前とは裏腹に、ごく普通のアパートの一室で営まれている書店。店主のサプレ氏は昼間インド銀行に勤め、片手間にこの商売をやっている。だから訪問には予約が必要(020-5655278,smsapre@vsnl.com)。片手間で親の代からこの仕事をしており、インド中から希少本を見つけ出す人脈と、希少だからといって高くふっかけたりしない誠実な対応で、大学の教授たちや図書館とも取引がある。
 連絡をして道を聞き、行ってみて驚いた。本はサプレ氏の寝室に並んでいたのである。基本的に注文を受けて探すというスタイルなので在庫はあまりないものの、すでに絶版になった本が山積みになっているのを見た。教授たちが利用しているだけあって、在庫も学術性の高いものが多いような気がする。ただ、古い本は土ぼこりをかぶっていてあっという間に手が真っ黒になるのは勘弁。
 買い物が終わって奥さんがチャイを出してくれた。文字通りのアットホームさだ。サプレ氏は、休みというと各地に行って絶版本を探してくるという。欧米の図書館が高く買うのをいいことに、値を吊り上げる本屋がいることを「あれは犯罪行為だ」と言って嘆いていた。そして、近年コンピュータ製版で誤植だらけの本を出している出版業界にも、辟易している様子だった。
 いくつか絶版の本を頼んでみた。ジャー先生曰く、彼のお父さんは絶版本を探し出す名人だったというが、時代が移って出版状況も変わり、探し出すのは前と比べて難しくなったと言う。


  • インド哲学入門(S.C.チャテルジー&D.M.ダッタ、カルカッタ大学、1984年、75ルピー)
  • 推理の正当性―新正理学派のアプローチ(R.ゴーシュ、バーラティーヤ・ヴィディヤー出版、1990年、150ルピー)
  • バーマナ『詩文修辞学』―様式論と方法論からの研究(W.K.レーレ、マンサンマン、1999年、150ルピー)
  • 正理学派における神学の発展(J.ヴァッタンキー、インターカルチュアル出版、1993年、135ルピー)
  • サンスクリット・リーダー1〜3巻(R.S.ヴァディアル&サンズ、1997〜2001、46ルピー)
  • ダルマキールティの推理論―再評価と再構築―(R.プラサード、オクスフォード大学出版、2002年、565ルピー)
  • 対立主張(ガンゲーシャ、中央サンスクリット大学、1985年、28ルピー)
  • 擬似論証因の一般解説(ガンゲーシャ、、中央サンスクリット大学、1985年、15ルピー)
  • 別基体の十四定義(ガンゲーシャ、中央サンスクリット大学、1985年、23ルピー)
  • 定説の定義(ガンゲーシャ、中央サンスクリット大学、1985年、19ルピー)
  • 六大哲学集(ハリバドラ、アジアティック・ソサエティ、1986年、80ルピー)

アーナンダアーシュラマアーナンダ・アーシュラマ Ananda Ashrama
[ラクシュミーロードとバジラオロードの交差点から北上1分、N.M.V.高校左]
 サンスクリット・サーヒティヤ・ラトナーカラからも近いところにあるアーシュラムの図書館。
 人々が共同で生活する場である「アーシュラム」だが、ヴェーダやウパニシャッドを中心に良書を出版してきた。そのリプリント版の購入と、写本のコピーができる。これまで143タイトルが出版されているがそのうち現在購入できるリプリントは半数ぐらい。購入できなくても、1ページ3ルピー(アーシュラムだけに寄付として)でコピーしてもらえる。写本は10000タイトルが保管されており、これも1ページ3ルピーでコピーしてもらえる。商業としてやっていないせいか、本も安めでありがたい。


  • 全哲学集成(マーダヴァ、1921年初版、90ルピー)
  • 聖ガウタマ著『正理経』(ガウタマ、1907年初版、150ルピー)

ヴィナヤク

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ヴィナヤク&サイラージ インドに来てから一番きちんと習っていると思うのは,サンスクリット会話だ.先生は修士課程のヴィナヤク.多いときは週に4,5日習っていた.彼は日本語を習っており,日本語の練習も兼ねている.さらにインドの見慣れない慣習も説明してくれるので,とても貴重な存在になっている.

 その彼が,試験期間が終わっても連絡してこないのでこちらから電話してみると,何やら足を悪くしているらしい.原因はよくわからないが,長距離の自転車通学が悪い影響を与えたようだ.まともに歩けず,じっとしていても痛くて,医者に通いつつほとんど家にいるという.落ち込んでいるようだったのでお見舞いに行ってみた.

 彼の家は大学から中心街を抜けて9キロ南にある.道端の狭小住宅に,おばあさん,両親,彼に加えて,2ヶ月前から里帰り出産でお姉さんと新生児の甥が来ており,6人で住んでいる.キッチンを入れて3部屋,必要最小限のスペースだ.

 彼は思ったよりも元気そうだった.しかし家からほとんど出られなくて退屈なのと,時々足が痛むのとで,日本語能力試験が近づいているにもかかわらず勉強する気は湧かないという.その上,家の前はリキシャーや車がクラクションをブーブー鳴らしながら走っているし,家の中では赤ちゃんの世話に家族全員おおわらわ.確かに,勉強できなさそう.

 訪問した私はまず,赤ちゃんに目が行った.生後2ヶ月で名前をサイラージという.サイババの「サイ」と王様という意味の「ラージ」から取った.「ラージ」はラージャシュリーというお母さん(ヴィナヤクのお姉さん)の名前の一部でもある.無表情な顔で手足をばたばたして,ときどき思い出したように泣く.とてもかわいい.

 インドの赤ちゃんは2歳ぐらいまで目の周りを黒くしている.魔除けかと思って聞いてみると,アンジャンというアーユルヴェーダの黒い薬を毎日眼の周りに塗布しているのだという.これは目が良くなる効果があるとか.そのせいでかわいさがやや減退しているような気もしたが,しばらく見ているうちに慣れた.

 しばらくおやつを頂きながら歓談していたが,今日は赤ちゃんの健康祈願に30キロ離れたお寺にお参りに行くというところだというので,家族総出で出発.お姉さんの旦那は旅行会社に勤めているがサイドビジネスでリキシャーの運転もしており,彼のリキシャーにおばあさん,お母さん,お姉さん,赤ちゃんと乗っていった.日本でいうところのお宮参りのような感じだ.

 留守番になったヴィナヤクは私にお姉さんの結婚式の写真を見せてくれた.インドはお祭大国で,結婚式の派手さは名古屋の比ではない.中流家庭と思われるヴィナヤクの家でも,結婚式は1,000人の客を招待して,朝から晩までまる一日,結婚式をやったという.以前ホームステイした家でも今度お兄さんが結婚するが,結納だけで300人が招待され,結婚式はやはり1,000人集まるという.

 さらに,結納金はインドの場合,嫁の家が出すしきたり(ダウリーという)があり,一世一代の出費になる.さぞ大変だったことだろう.写真には親戚や親戚の友人や友人の親戚など,数え切れない人たちが写っていた.彼らもお祝いを持ってくるが,それ以上の記念品を用意しなければならない.それでも規模を小さくしようとは決して考えないのがここインドだ.

 お姉さんは24歳,旦那さんは27歳.去年結婚したが,適齢期からするとどちらも3年くらい遅いという.女性は20歳,男性は23歳ぐらいが適当とされる.それぐらいの年齢になると親戚があちこち伝手を頼って,縁談をもってくる.ヴィナヤクのお姉さんの場合は,叔父さんの知人の友達が甥を紹介してきたという.そしてまず家族で偵察がてら彼の家を訪問し,よさそうだと思ったので彼が今度はヴィナヤクの家を訪問した.これが彼らの初対面である.こういう出会いによる結婚をアレンジ結婚という.

 ヴィナヤクもあと2,3年すれば親戚が縁談を持ってくるだろうという.嫌でも拒否はできないのだ.しかし彼は,奥さんをほしがっているような気配だった.彼も今年23歳,まだ大学に在籍しているから猶予があるが,世間的には適齢期なのである.

 翌日,翌々日も赤ちゃんを見たくて訪問.おかげでサンスクリット会話を再開できた.大学では例によってジャー先生が大忙しで講読の時間が取れない.おまけにヨーガのクラスもすぐ何かのお祭だとかで休みがち.私が現在インドにいる必然性の5割ぐらいは,まさにヴィナヤクに依存している.

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