女神

 プネー周辺の寺院めぐり。寺院といっても仏教ではなく、小島さんがこれまでに調査した土着の神様たちが祀られた寺院である。
 プネーは何といっても顔が象の神様ガネーシャの信仰が盛んだ。街のあちこちにガネーシャの祠があり、大きなお祭もある。だが、プネーから一歩外に出るとヒンドゥー神話に出てこないような土着の神様たちが信仰されている。小島さんがそこに目をつけていろいろ下調べをし、10箇所近くのお寺や祠を巡った。
 こういった神様たちはくりっとした目とオレンジ色に塗られた体に特徴がある。たいていはちょっと変わった形の石からできており、彫刻などはなされていない。その飾りっ気のなさが素朴で心温まる。
 今回一番大きかったのがマソーバー(モサビ)寺院の本山というところ。バラモンがマントラを唱えながら皆でご神体にスプーンで水をかけていた(写真)。この後まもなくして、正午のお祈りの時間となる。人がたくさん集まってくると、バラモンがマイクでマントラを唱え始める。皆は思い思いに手を叩いてお囃子。そのうち全員がその場でくるっと回転したと思ったら、正面から皿をもった人が出てきた。皿の上では火が燃え盛っている。皆はこの火に殺到し、手をかざして頭に頂いていた。
 いったいこのマソーバー神とは何なのか、お寺の人に聞いてみるとシヴァ神の化身だという。確かに正面にはシヴァ神を讃えるサンスクリット偈が掲げられており、寺院の2階にはシヴァ神の像がもあったが、何となく後付けくさい。K氏とあれこれ推測したが、この地方で昔から信仰されていたマソーバー神に、信者獲得や時代のトレンドからシヴァが割り当てられたのではないかと思う。他のところでも、土着の女神像にお参りをしている人が「これはパールヴァティー神だ」と言ったりしていた。
 仏陀もヒンドゥー教徒にかかればヴィシュヌ神の化身だ。インドにはたくさんの神様がいるが、その実はひとつの神様がいろいろな姿をとっているのだという考えをよく聞く。日本の八百万の神とは発想が異なる。以前ホームステイしていた家族によると、神様は本当は目に見えないものであり、それが人間の前に現れるときに、さまざまな姿をとるのだという。ブラフマンを人格をもつ宇宙原理としたヴェーダ以来の一神論的な傾向が息づいているようだ。
 寺院はもちろん、どんな小さな祠でもお参りする人があとを立たない。家族連れで来ている人たちもいる。インド人の信仰深さを再認識した小旅行だった。

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