2004年4月アーカイブ

日本へ

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 アーメダバードから朝の飛行機でデリーへ、デリーから夜の飛行機で成田へ。

 昨日の飲みすぎ、食いすぎが祟ったか、あるいは熱射病だったのかわからないが朝から調子が悪い。胸焼けがして眠れなかった上に、朝は下痢続き。熱はないようだがだるい。

 デリーでは11時間ぐらいの待ち時間がある。市内観光や映画も考えたが、体がついていかないので近くのホテルを予約して休むことにした。休憩も宿泊も値段は変わらず、4000円。ホテルに着いて、NHKを見ながらウトウト。

 お昼はスープを飲んで、またウトウトする。そのお陰で夕方にはだいぶ回復した。寝ると治るというパターンは、夏になってから多い気がする。あまり食欲はわかないが、下痢は収まったようなので一安心。インターネットをしたり、この日記を書いたりできるようになった。インターネットは市内通話でできるのに、フロントが国際電話をしたと勘違いして出掛けに1000円ぐらい余計に払ったのは悔しかったが。

 さらに空港に着いてからチェックインすると、アーメダバードで買った本のおかげで荷物が35キロもあることが発覚。10キロの超過荷物料15000円となった(カード支払い)。これまた悔しいが、疲れ気味なので言うがまま。日本から本を注文することを考えればそれほど高くないと、自分に言い聞かせた。

 飛行機は夜の9時出発、追い風で早まり日本へは7時間で到着した。

アーメダバードで

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アーメダバード旧市街 LDインド学研究所は11時の開所で、その前にゲストハウスの小林氏を訪ねる。レンガ造りの2階建に住んでいて、1階には誰もいない。それどころか、LD研究所に在籍している学生は彼しかいないというから孤独だ。あまり珍しいのでこれまで何回か新聞に載ったという。私だったらこの暑さの中の孤独に耐えられるだろうか。

 LD研究所はサンスクリットの教師を育成するために作られた伝統ある機関だったが、今は出版活動も学生の受け入れもあまりしておらず閑散としている。だが創設時に気合を入れて集めた写本は充実。注目されるのはグジャラート北部のパタンという街にあるジャイナ寺院が保管している写本を、そっくりコピーして保存している点だ。パタンの写本にはジャイナ教はもちろんのこと、仏教やニヤーヤの貴重な本がある。

 しかしLD研究所に行くと、写本担当の係がムンバイの結婚式に行っていて3日帰ってこないという。所長も含めてほかに写本を出せる人がいなく、申し訳ないが分かってくれと言われた。膝がつくくらいガッカリ。「こんなもんですよ」と小林氏。

 一番の目的がかなわず、いきなりすることがなくなってしまった。マンゴージュースを飲んでいると、小林氏が本屋に行くことを提案する。ジャイナ教関係の出版を行っているサラスヴァティー出版は、サンスクリット本ではアーメダバードで1番大きいらしい。リキシャーに乗り込んで旧市街に入る。

 プネーのリキシャーは(メーター×5+2)ルピーという計算だが、アーメダバードは(メーター×3)ルピーという安さ。ただメーターの進み方がやけに早い気がするのは気のせいだろうか。

 サラスヴァティーはジャイナ教文献をはじめ、ほかの出版社の本も置いてあった。荷物が増えるのが嫌だったので軽く見るつもりでいたが、隣で小林氏が気が狂ったように買っていたのでつられて15000円分ぐらい購入する。店の人が後払いでいいからといううちに、小林氏のツケは50000円ぐらいになっているらしい。

 それからインド双六「チョーパド」を探す。昨年デリーの博物館で見たもので、グジャラート刺繍が入った布製のボードが美しい。グジャラート刺繍ならきっとアーメダバードで見つかるだろうと、本屋で店を訊いて探し始めた。

 最初に行ったのは布製品のお店。ボードだけ1枚250円で売っていた。コマとダイスは別の店にあるという。店の名前を書いてもらい移動。次の店はコマだけ1セット100円で売っている。ダイスはまた別の店。ハヌマーン寺院の近くにあるブレスレット屋で売っていると言われたが、そこにはなかった。戻ってまた別の店。やっとダイスを発見できた。手作り感のあるいかにも出目が偏りそうなダイスが2個13円。

 こうしてボード、コマ、ダイスをそれぞれ別の店で入手することになったが、全部探すまで2時間、40度を超える日差しの中でずっと歩き通し。途中途中でパックの水や、ジュースや、スイートミルクで水分補給していたが、フラフラである。

 ホテルにいったん戻ってから、小林氏と先生の家を訪ねて回る。LD研究所にはきちんと教えてくれる先生がおらず、小林氏は定年になった先生たちにプライベートで教わっている。

 はじめに訪れたのはナギン・シャーというジャイナ認識論の先生。私の専門を中心に1時間ほど話をしたが、近年インドにサンスクリット学者が少なくなり、LD研究所も機能していないという愚痴になると涙目になった。

 次はE.A.ソロモンというおばあちゃん先生。主著『インドの弁証法(Indian Dialectics)』は30年も前に出版されたものなので、まさか生きているとは思わなかったが、寝床に伏せっておられた。これまで多くの著名なインド学者を育ててきたが、かなりのご高齢で、今はもう小林氏以外は習っていないという。

 そこで帰るつもりだったが、ソロモン先生の薦めでもうひとり、ラクシュマン・ジョシという先生に会うことになる。ソロモン先生の弟子で、近年グジャラート大学サンスクリット学科を定年退官された。私も修士論文で扱ったバーサルヴァジュニャという人物の研究があり、現在はブラフマスートラのグジャラート語訳を作っている。パティルという弟子が出版したグジャラート語のバーサルヴァジュニャ研究を紹介してもらった。

 3人の先生と話している間、水を2杯、チャイを1杯、ぶどうジュースを1杯ご馳走になる。その後小林氏行きつけのグジャラート定食屋でバターミルク。さらにフレッシュジュースを飲んだ。いくら暑くてのどが渇くとはいえ、飲みすぎである。グジャラート定食は砂糖入りカレーと油を塗ったチャパティーで、これまたお腹がいっぱい。

 1日だけの滞在で、肝心の写本が見られなかったものの、小林氏のおかげで入手困難な本と、著名な先生に会うことができた。暑さは堪えたが、充実した1日だった。

アーメダバードへ

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 インド最西部に位置するグジャラート州のアーメダバードへ写本調査に向かう。

 実はアーメダバードはプネーからそれほど遠くはない。電車で行っても我慢できるぐらいだが、飛行機の早割(1ヶ月前予約で半額)を利用してムンバイから行くことにした。飛行機代は4000円。ムンバイからわずか1時間ほどのフライトだ。

 ところがプネーからムンバイが近いようで遠い。距離は160キロ、インド有数の高速道路が走っているので3時間ぐらいで着くのだが、バスの時間が合わないことが多く、空港に早く着いて3時間も待っていたらそれだけで1日つぶれてしまう。

 今日は17時のフライトに乗るために予約したバス時間が9時。その後のバスでは間に合わない。バスといっても乗り合いのタクシーで、4人ぐらいをそれぞれの家の前から乗せて空港に向かう。

 旅行代理店では8時40分ころからバスが待っているだろうと言うので、8時50分ごろに下に行ってみる。しかしバスはまだ来ていなかった。それから9時30分ころまで待ったが一向に来ないので待ちきれずに電話した。

 「ミスター、オノ、予約を確認しました。今から行きます」「……今から?」結局車が来たのは10時だった。私以外の客は誰も乗っていない。「フライトは何時か?」「17時だが」「それならノープロブレム!」「……」

 時間というものは本当は非常に得体の知れないものだ。インド哲学では空間と共にすべてのものを入れる容器のように実体視されているが、異論もある。時間とは何かという問題は、洋の東西を問わず大きな哲学的なテーマになっている。

 今の日本人、先進国の多くの人は時間を売り買いできる商品のようにみなしている。そういう考えに慣らされると、何もしない時間は無駄に感じられ、待たされることや不本意な時間の使い方をさせられることに大きなストレスを感じるようになる。

 でも、時間の経過を意識しないで何もしない時間は単なるブランクだと考えたらどうだろう。今日は車が来るまで通りにきれいな花が咲いているのに気づいたり、歩いている人を眺めたり、話しかけてくる人としゃべったりしているうちに何となく過ぎた。

 あるいは、気温が高いせいで待っている間は頭のスイッチが切れるのかもしれない。

 前ならば怒っていただろうが、運転手が言うとおり確かに間に合うわけだし、どうせ早く着いても空港で待つだけだからと思うと不思議に腹が立たない。しかし何でも遅れるインドにあっては、こうして早めに予約しておくことが大切だということはよく分かった。ただ気になるのは、もし電話していなかったら車ははたした来たのかどうかということ。

 ムンバイの空港までは3時間。エアコンをつけないで窓を開けていたが、ムンバイに近づくにつれてどんどん暑くなってくる。予約時にエアコン付きであることを確認していたはずだが……? 汗だくになって運転手に「エアコンないの?」と訊いたらあっさりスイッチオン。逆に「OK?」などと訊いてくる。運転手がエアコン嫌いなのか、それともガソリン代節約のためか(たぶん後者)、もっと早く言うべきだった。

 ムンバイの国内線は飛行機会社別に建物が異なる。私が乗るジェット・エアーの入り口に着くと早速ポーターの少年が寄ってきた。「ナコー!ナコー!(要らない、要らない)」悪名高い国際線ほどではないが、金持ちの集まる空港にはさまざまなボッタクリも集まっている。用心モードに切り替えなければならない。

 空港の中は快適。こぎれいなラウンジがあり、サンドイッチセットが400円もしたが冷房のきいているところでのんびりできた。一般の待合室も冷房がある。3時間ほど、この日記を書いたりして過ごす。

 飛行機は20分ほど遅れて出発。わずか1時間のフライトに、機内食が出た。アテンダントは忙しそう。食べるか食べ終わらないうちに回収が始まり、回収し終えたころに着陸となった。

 空港から広島大学の小林氏に電話する。今回の写本調査は1日だけで済ます予定だったため、アーメダバードで勉強している彼に予め手続きをお願いしていたのである。ひとまず大学近くのホテル「クラシック・ゴールド」で落ち合うことになった。個人タクシー・エアコンなしで250ルピー、30分。

 それにしてもアーメダバードは暑い。機内アナウンスで現地の気温が発表されるが41度というので一瞬機内がざわついた。到着時刻が6時を過ぎ、日も翳っているはずなのにこの暑さは何なのだろう。

 ホテルでは小林氏が待っていてくれた。大学の近くには高いホテルしかないが、1泊1650ルピーのところ、大学関係者割引で1329ルピー(中途半端なディスカウントだ)。チェックインをして夕食に出発。

 プネーより人口の少ないアーメダバードだが、大学の近くはずっとにぎやかだ。おしゃれな衣料品店が並び、若者や家族連れがつめかける。小林さんによると、菜食・禁酒・禁煙なのでお金の使いどころが衣服に向かうらしい。確かにいい服を着ている人が多いような気がする。

 グジャラート州は州全体で禁酒法が制定されており、外国人が滞在するような一部の高級ホテルを除き、届けを出さないと飲めないようになっている。当然夕食は酒なし。夏ばてに効くというのでバターミルクを飲んだ。屋外レストランで大理石がホカホカだったのは昼間の暑さを想像させる。汗だくになったので冷房のきいているバリスタ(喫茶店)に移動してコーヒーを飲んだ。

 ホテルはエアコンがない部屋で、やはりホカホカ。扇風機を回したまま寝ることになった。

ドライデー

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 日曜日からグジャラート経由で帰国するため、円実さん、K夫妻、I氏と5人でしばしのお別れ会。

 レストラン「ラージュワダ」に行ってキングフィッシャーを頼むと、今日はドライデー(禁酒日)だから出せないという。ちょうど今、インドでは議会選挙が行われており、選挙が終わるまで3日間、暴徒が酒を飲んで暴れないようにプネー全体で禁酒になっている。酒屋は閉まり、レストランも一切酒を出さない。出しているのがばれると警察に捕まってしまうという。

 席に座ってからそれが分かり、真剣に話し始める我々。ここで酒なしで食べるか、ほかに酒が手に入る方法はないか、10分くらい話し合う。酒がないだけでこれだけ真剣になるとは、注文を待っていた店員さんも呆れたことだろう。

 「ラージュワダ」のような大きなレストランは厳しいが、場末のバーのようなところならばテイクアウトでこっそり売ってくれることもある。そういうバーを探そうということになって我々は席を立った。「ラージュワダ」には申し訳ないことをしたが、選挙のたびに死者が出る国だから仕方あるまい。

 場末のバーを手分けした結果、キングフィッシャーを1本200円で手に入れられることが分かり、ひとまず安心。ピザハットでピザとチキンウィングをテイクアウトし、みんなでK氏宅に集合した。

 ピザは2つともカレー味で、チキンウィングもいまいちだったが、執念でビールが飲めたのには満足。いつもながらインド風でない食材と料理の話、プネーに住んでいる日本人の四方山話などを4時間ぐらいだらだらしてすっかりくつろいだ。

 ピザがカレーパンの味がするいう話から、プリーバージーとか、パティスとか、日本のカレーパンに一番近いのはどれだということになったが、要するに全部カレー味ということだろう。それが毎日毎食続くのだから、飽きるのも無理はない。特に体調が優れないと辛いものなどが受け付けなくなる。日本人は結局日本食に落ち着くのだった。

 I氏が大学の友達から酒を飲んだことがあるか聞かれて、あると答えたら今度は「今まで何回飲んだ?」と聞かれた話が面白かった。プネーのような保守的な街では、若者が酒を飲む機会はかなり限られるのだろう。今日買ってきた瓶ビール8本は、すぐになくなった。

映画(6)

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マスティー 先月に壊れたパソコンの修理が、今日終わった。東芝国際サポートが送ったハードディスクは日本からシンガポール、デリーを経てプネーへ。なんと修理係が自宅まで持ってきたところまではよかったが、新しい型でハードディスクが奥の方に入っていたため、その場の修理を諦めて本社に戻ることになった。

 一緒に付いてくるように言われたので車で来ているのかなと思いきや、手に持っているのはヘルメット。パソコンをカバンに入れてバイクの2人乗りである。修理係はヘルメットに長袖、手袋までしているのに、後ろに乗っている私はノーヘル、Tシャツ、サンダル履きだ。バイクは50キロぐらいで走る。落ちたらパソコンどころか命はないと必死にしがみついていた。

 事務所は看板もないひっそりとしたところ。中に入ると東芝製品のポスターが一応貼ってあった。修理は1時間ほどで済み、無事ハードディスクを交換。関税がかかることもあると言っていたが、全部無料だった。だけど、帰りの送りはなし。

 待っている間に新聞を見て、映画の時間をチェックしていたので見に行くことにする。

マスティー(浮気)

 ミート、アマル、プレームは仲のよい3人組。結婚を境に疎遠になっていて3年振りの再会を果たす。その3年間に3人は、結婚の大変さをつくづく思い知っていた。ミートはプロレスのチャンピョンを目指す妻と義母にしごかれ、プレームは妻が宗教に凝ってお祈りの毎日、アマルは愛してる?寂しくない?といつも過干渉してくる妻を鬱陶しいと思っていた。

 そんな憂さを晴らそうと3人は酒を酌み交わし、浮気を決意する。ところが3人がいい関係になった女性は同一人物だった。写真を見せ合ってびっくりしているところにそのモニカが登場。奥さんたちにばらされたくなかったら100万ルピーを用意しろと脅してくる。

 妻の目を盗んで何とかお金を工面し、モニカの指定する場所で落ち合うと、彼女は車の中で死んでいた。とにかく慌てて死体を港の倉庫に隠す3人。

 この死体が発見されたため、3人は警察に付け狙われることになる。何とか尻尾を見せないように頑張っていたが、そのうちモニカを殺した男が現れ、3人がモニカを運んでいる写真を突きつけて脅してくる。

 再びお金を工面しなければならなくなったものの、お金を用意できないまま現金受け渡し現場へ。そこに警察も現れてカーチェイスが始まる。モニカを殺した男は拳銃の誤発射で死亡、3人は警察に向かうことになる。観念する3人。

 警察では妻も呼び出され夫がそんなことをするはずがないのにと泣いている。と思ったら妻たちは笑い始めた。気が触れたのかと思ったそのとき、この一連の事件が妻たちの用意したシナリオだったことが判明する(!)。モニカも、モニカを殺したという男も実は死んでおらず、警察まで全部ぐるだったというオチ。3人は妻たちに詫び、もう二度と浮気しないことを誓うのであった。

感想

 ちまたで結構面白いという評判だったので見に行ったが、全体的に下世話で大衆コメディ映画という感じだった。笑いを取るところがゲイネタというのは「カルホーナホー」でも見られたが、あまりしつこいと面白くなくなってくる。同性愛の人権とか、そういう問題には考えが及ばないようだ。でもアマルが妻の電話を切ってからも電話を話すふりをして、強がって言いたい放題言っていたら、また電話がかかってきたためにばれたというシーンは笑った。

 どんでん返しはお話とはいえやや無理を感じる。警察が浮気夫を懲らしめるためにわざわざ動くとは思えないし、モニカが死んでいるのは3人で運びながら確認しているわけだから生きているのはおかしい。ここまでどうしようもなくなってどうなるのだろうと最後を楽しみにしていただけに、不自然さの残るオチには納得できないものがあった。

 もっともこのオチは、純真だと思われていた妻たちが実は策略に長けた親玉で、夫たちは手塩に取られていたということを言いたいだけなのかもしれない。私の妻ももしかしたらそうなのかも…くわばら。

公式サイト

日本語学習

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 今住んでいるアウンドという街は、時折無料の情報誌「アウンド新聞」が配られる。その中にジャパニカという日本語学校の広告をよく見かけるので電話をしてみた。近くだと分かったので遊びに行ってみる。

 そこは一般家庭の部屋を使った、1クラス5人くらいの教室。先生のマニーシャさんは18年間日本に住んでいたが、一昨年夫を病気で亡くし、16歳の息子を連れてプネーに戻ってきた。旦那さんの話になると顔がまだ曇る。

 習いに来ている人はさまざま。12歳の子どもから定年退職したおじさんまで、日本語関係の職を探したい人から単なる興味できている人まで、ひとまず世界共通の日本語能力検定試験をめざす。

 サレーシャさんは製薬会社に勤めている1児の母。仕事が終わって帰ってくると夫とお義母さんが送り出してくれて、教室に通っている。夢は日本の製薬会社と共同で働くこと。息子のテージャス君(6才)が「それは違います」というフレーズだけ覚えているそうだ。

 スレーシュさんは銀行を退職したおじさん。出身はタミル地方で、日本語とタミル語の雰囲気が似ているので興味を持ったという。大野晋氏の「日本語タミル起源説」の話をしたら喜んでいた。

 彼らの勉強方法は、あくまで日本語能力試験をめざしているので教科書中心の、どちらかというと退屈。「荷物はもう着いて( ? )」の括弧に「あります」「います」「はずです」「きます」などから選ぶというような問題が延々と続く。

 もっと会話を重視して、自分の言いたいことを日本語で話せるようにしたらいいと思う。「これはペンですか?」みたいな文から入るのはつまらない。コミュニケーション意欲が全く湧かないからだ。文法規則を習うのは後の方がよい。

 ちなみにインド人は記憶力がよいとか、数学が得意だとかいうが、それはほんの一握りの人たちであることが、インドに住んでいると分かってくる。計算を間違えて釣りを出してくることなどしょっちゅうだし、物覚えの悪い人は悪い。比率の問題でいえば「勤勉な日本人」とどっこいどっこいというところか。

 それはさておき、マニーシャさんの息子から風邪がうつったらしく、先週末は1日半寝込んでいた。熱が出て起きると頭が痛く、食欲もない。翌日は下痢続き。

 夕方になってフラフラになりながら医者に行く。5時からの診察で早めにいったが結局医者が来たのは6時頃だった。薬を処方してもらい、命からがら帰宅する。

 おそらく頭痛薬と下痢止めと抗生物質だったと思うが、これがやたら効く。翌日の夜にはほとんど回復し、下痢は便秘になってしまうほどだった。薬はまだ半分ほど残っていたが飲むのを止めることにする。一緒にもらったインド・ポカリは香料がきつくて飲めた代物ではなかったが、我慢して8割ほどまで飲んだ。

 数日間は食欲が湧かなかったので、日清のラーメンを買ってきて家で自炊。袋ラーメンはマギーと日清の二種類があるが、味は断然日清に軍配が上がる。ただし全部カレー味。カレー味のもとは使わず、日本から持ってきた味噌汁の元を入れて、味噌ラーメンにして食べた。

 暑い日が続いているので一度体調を崩すとなかなか回復しづらい。救いは来週から日本に一時帰国できること。でも法事三昧だからどうなるか。体がもつか心配している30歳の夏であった。

停電と断水

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 3月に40度を超えたのは異常気象のためで何十年ぶりだという。その後しばらく暑さが和らいでいたが、今週になって再び盛り返してきた。夏本番である。

 昨晩午後9時ごろだっただろうか、夕食を食べているとき停電に見舞われた。窓から見渡す限り、どの家も電灯がついておらず、ロウソクがほのかに点っている。外では自家発電機をもっているお店がわずかに明るいだけだった。

 夜に飛行機でプネーからデリーに向かうとき、1エリア全部の電気が消えたのを見たことがある。一緒に乗っていた円実さんは「あ、街が消えた」と言っていた。今、私の住んでいる街が消えたのだ。

 石窟寺院を見るために小島さんに勧められて買った懐中電灯が役に立つ。フックにかけてぶら下げながら、懐中電灯の下で夕食を続行。それからインターネット。ノートパソコンはバッテリーがあるのでこういうときに便利だ。

 それでも暗い中では目も疲れてくる。11時になっても停電が回復しないので、寝ることにした。夕食の容器を洗おうとすると、今度は断水。停電と断水のどちらかというのはよくあるが、どちらもというのは珍しい。わずかの水で歯を磨いて床に就く。

 日本の場合、停電も断水もめったになく、しかも前もって通知されるがインドでは何もかも突然の上、頻度も多い。新聞かテレビで計画停電・計画断水(電力・水不足のため定時にストップする)のお知らせが流されることがあるが、計画にないものも多いという。

 床に就いて1時間、蚊取りリキッドがないので蚊に襲われまくる。蚊の羽音が耳障りなのと、刺されたところがかゆいのとで眠れない。日本から持ってきた蚊取り線香を焚こうとしたが、……マッチがなかった。しばらく考えた末、虫除けスプレーを体中に塗ることでようやく眠ることができた。

 この時点で温度は34度。湿度は低いものの天井のファンも動かないので汗だくになる。もっとも、肌寒いのに比べれば私は少し汗ばむぐらいの暑さが好きなので、朝までぐっすりお休み。

 普段から電気も水道もないとなりのスラム街だけ、何事もなかったように過ごしていた。

トイレ インドのトイレには紙がない。

 用を足した後、水を入れた手桶を右手にもち、左手の指にちょっと水をかけてぬらす。その左手の指で肛門を拭い、汚れた指に再び水をかけて洗う。これを何度か繰り返してお尻を洗うというわけだ。

 指は長くて太い中指が一番よい。指の腹を使う。はじめは便がついていることがあるが、それを指でこそげ取って流し落とす。次に第一関節ぐらいまで肛門の中に入れてぐりぐり洗い、ついで肛門の周囲半径1,2センチまで洗う。ヌルヌルした感触がなくなったら終わり。排便の直後には開いていた肛門が、徐々に収縮していき完全に閉まるまで数十秒(下痢の時は収縮が非常に遅れる)。この間が勝負だ。

 洗い終わったら、中指が触れないように薬指と親指でズボンを上げる。そして石鹸でしっかり手を洗う。石鹸がないときは、長めにごしごし洗う。

 インドのトイレにはたいてい、便器のそばに蛇口と手桶がある。金隠しがないのは、腕を回しこまなければらないからだ。水をかけながら洗うので、必然的に前から回しこむことになる。洋式もあるが、水をかけながら洗うのはつらい。

 外のトイレで用を足すときには、手桶がなかったり、底が抜けていたりすることもたまにある。そういうときは右手を丸めて水をもつことになる。あたりは水浸しだがすぐ乾くものである。

 紙を使っている日本人も多いが、紙は大きい店でしか買えない上にトイレに流していけないので、面倒くさがりやの私はいつしかインド式になってしまった。もっとも日本でも僧堂でこのやり方がつい最近まで行われており(『Fancy Dance』参照)、あまり抵抗を感じなかった。

 抵抗どころか、すみずみまでキレイになるし粘膜を傷つけないしで紙に戻れないのではないか思うぐらい。インドでは左手が不浄とされ、ご飯を食べたり握手をしたり、人を指差したりしてはいけないのだが、お尻を洗っているとこれが身をもって分かる。いくら石鹸でキレイに洗っていても、ご飯をつかむ気にはなれない。

 気をつけるのは、爪をよく切っておくこと。そうでないと肛門を傷つけたり、爪の間に便が挟まったりしてしまう。あと、日本人の間でインド式で洗っていることをあまり公言しないこと。さもないと「彼は指で洗っている」とエンガチョーされてしまうかもしれない。

 最近、トイレの後だけでなく前にも手を洗うようになった。肛門に雑菌がつかないようにである。そこまで来ると自分も、一皮向けたなあと思うところだ。日本では、できないだろうなあ。

夏バテ?

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ワイ 先月に行ったワイの写本図書館を再訪。K氏が大学の先生に紹介状を書いてもらってそれを送り、毎日のように電話をかけたのに許可証が送られてくるまで2週間もかかった。

 前回の往復5時間の蒸し風呂バスに懲りた我々は小島さんに車を融通してもらう。所要時間は半分ほどで、エアコン付きの快適な旅ができたのはたいへんありがたい。そうでなければ秋ごろまで諦めていたかもしれない。

 図書館に着くともう必要な写本は用意されていて、すぐにコピー屋に行くことになる。やっと発行してもらった許可証も提示を求められなかった。それなら電話でもよかったのではないかと思う。

 しかし今度はコピー屋の方で時間を食う。次々と客がやってきて仕事が後回しになってしまうのだ。300枚のコピーで、はじめ2時間と言われていたが結局4時間かかった。もっとも、コピーした後にオリジナルと照合したりして丁寧なコピー屋だったので文句はあまりない。

 その間に観光や昼食。街の中央にはガネーシャ寺院があり、すぐ隣にはカーシーの神様の寺院がある。ガネーシャの方が人気があるようで、参拝者がひっきりなしに訪れていた。決して大きくはないがなかなか由緒ある街のようだ。

 コピーが終わると図書館に戻って精算。「またいつでも来て下さい」と言われたが、そう言うなら許可証を早く送ってもらいたいものだ。その時点でもう4時近く。小島さんからカルヴァーイーという女神寺院を勧められていたが、結構遠いことが分かって近場の湖ドーム・ダム(写真)を見て帰る。周囲を峡谷に囲まれた大きな湖で水もきれい。ボート貸し出しがあったがこんな暑さでは乗る気も起きない。しばらく眺めて退散。季節がいいときにきたら面白いだろう。

 前日寝不足だったせいか、暑いので天井のファンを回したまま寝ていたせいか、あるいは水も飲まずに暑いところにいたせいかわからないが、帰宅してから俄かに具合が悪くなりフラフラに。お腹の調子も悪い。K夫妻とピザでビールでもと話していたがキャンセルして寝た。

 起きてからもあまり食欲がわかず、とっておきのカップラーメンとバナナを食べて就寝。翌朝にはほとんど回復していたから、寝不足が原因だったのかもしれない。

 3月は異常気象でいきなり40度を超えたが、その後しばらく暑さは緩んでいる。それでも夜はかなり暑く、窓全開、天井のファンを付けっぱなしで寝るようになった。ところがこの高地では夜になると急速に冷え込むので、お腹を出して寝ていると寝冷えしたり、喉をやられたりする。その上窓から蚊が入ってきて、蚊取りリキッドを使っていても刺されるのでなかなか快適に寝られない。その結果いわゆる夏バテになるのだろう。

 ふと、日本のさわやかな季節が恋しくなった。

王宮(2)

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サユリちゃん 昨日行った「ラージュワダ(王宮)」で文法学のマヘーシュ先生たちと会食。今度は屋外の広い庭でインド料理を食べた。

 マヘーシュさんは32才で、つい昨年博士号をとったばかりの若手文法学者だ。若くしてサンスクリット文法学をマスターし、博士論文ではパーリ文法学を扱った。大学ではパーリ語を教えている。全盲ながら博識で、どんな質問にも満足の行く答えを出してくれる。

 奥さんのラタさんも研究者で、『アマラ・コーシャ』というサンスクリット語辞典の失われた注釈を、チベット語訳から再構築しようという何だかすごいことをやっている。マヘーシュさんが『アマラ・コーシャ』まで覚えているのはどうしてかと思ったら、奥さんの手伝いをしているらしい。

 この夫婦にかかったら、パーリ、サンスクリット、チベット(ついでにヒンディー、マラーティー)とインド学に必要な言語を全部カバーしてしまう。そしてこの夫婦は、何年か前に金沢大学に交換留学で来ていた。日本でどれほど勉強すべきことがあったのかわからないが、日本好きのようだ。

 日本にいる間に奥さんが妊娠し、インドに帰ってきてから産んだ娘さんのサユリちゃんが3才(写真)。インドでも通用する日本風の名前にしたという。お父さんが大好きで、出勤前は嫌がって泣くのでお絵かきをしている間に出かけたり、飴をあげてなだめたりしなければならないそうだ。

 今日はサリーを着たいと言い張って、子供用のサリーを身にまとっている。我々日本人は「かわいい」の連発。食事もそこそこに、となりにある遊び場で滑り台などで遊び始めた。ここのレストランが人気があるのは、子供が遊べる遊具がたくさんあるからで、サユリちゃんもサリー姿で走り回っている。

 サユリちゃんの子育て話から、息子がいいか娘がいいかとか、名前はどういうのがいいかと言った話になり、やがて日本に行ったときの旅行話、インド料理の話などして楽しいひとときを過ごした。

 帰り際サユリちゃんが他の子供と遊具の取り合いで泣き始め、お父さんに抱っこされているうちにお休み。?Tさんが日本から持ってきた盲人用便利グッズを奥さんに説明する。マヘーシュさんは本が読めないため、勉強の大半は録音したカセットテープで行う。今ではICレコーダーという手もあるが、データ管理がたいへんかもしれない。

 明日から家族でサールナート行き。マヘーシュさんは夏休みなので、そこで奥さんの仕事を手伝うという。プネーと比べると暑さが尋常でないエリアに、もっとも過酷な時期に行くのはつらいものがある。

 大学には7月に戻ってくればよいのだが、サユリちゃんの保育園が始まるとかで6月に帰ってくることになっている。それなのに別の大学でアメリカ人相手にパーリ語を教えることになっているそうな。優秀な上に文句も言わないので、引っ張りだこである(というよりも、こき使われているといった方が正しいかもしれない)。

 2月にインドに戻ってから2ヶ月、月曜日から土曜日までほぼ毎朝文法学を習えたことは非常にためになった。6月に戻ってからもまた習えることを楽しみにしている。そして将来にはまた、奥さん共々ぜひ日本に来てもらいたいものである。(写真提供:K氏)

王宮

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 郊外の高級レストラン「ラージュワダ(王宮)」日本人と会食。ラージュワダは風雲たけし城(?T氏談)のような建物の中にある中華レストランと、その前の広い庭にあるインドレストランの二本立て。

 建物の2階にある中華レストランは豪華だった。広々とした店内、回転テーブル、ウーロン茶のサービス。壁には中国風の絵が飾られている。店員もネパール人なのかもしれないが東アジア系が配置されている。冷房は効きすぎかというほど。

 中華料理は世界中どこにでもあるというが、なるほどその通りだと思って席に着くと、ビールの付け合せにキャベツのキムチにキュウリと唐辛子の酢漬け。しかもアジア人は我々しかいないインド人だらけの店内に、なぜか演歌が流れている。「二輪草」「舟歌」「雨の慕情」「氷雨」「娘よ」「津軽海峡冬景色」などがエンドレスで。

 その演歌が妙な雰囲気を醸し出していた。演歌といえば下町の小さな居酒屋、日本酒か安い焼酎でイカでもつまむときに流れるという刷り込みがあるようで、こんなに広々とした店内ではどうしたものか。

 メニューもよく見ると中華だけでなく、インドネシア、タイ、マレーシアなどさまざま。その中にポツンと「Tempura」250円が。タマネギなどの野菜だけだったが、塩をつけて食べるとなかなか美味しかった。ビールがすすむ。ついでにワインまで飲んでしまった。ぶどうジュースのようなすごい甘口。

 さとうきびジュースは飲んでも大丈夫かとか、インドでダイエットをする方法とか、今年度末で日本に帰った人々の話とか、いろいろ盛り上がって3時間。値段も一人当たり1000円ぐらいといつもの5倍ぐらいになった(そのうち半分ぐらいは飲み代だが)。その辺のレストランとは桁違いである。

 最後はアイスクリームでしめ。さんざん飲んでいるはずなのに汗をかくせいか酔わない。娯楽の少ないインドでは、食べるということが大きな娯楽だということがわかってきたような気がする。

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