また会う日まで

 帰宅の日。カシミール・パンディット探しは続行しており、カシミール大学の元サンスクリット学科教授が近くに住んでいることが分かった。ところが今はジャンムに行っていて留守中。タヒルさんが連絡を取ってくれるとのことで一件落着とした。
 家族中の見送りで出発、帰りは叔母さんがエスコートしてくれた。飛行機に乗るまでに車の検査、持ち物検査、身体検査がそれぞれ2回ずつあったが、叔母さんが乗っている警察に付いていって時間を短縮。車がずらりと検査待ちしているそばをすいすい通り抜け、荷物検査もほとんど開けずに済まし、空港では飛行機に乗るまで、警官がひとり随行してくれた。警官同士の会話に「マダム・シャズダ(叔母さんの名前)のお客様で」というのが聞こえてきた。だがここまで手厚いと、VIPというよりも護送されている犯罪者のような気もしてくる。
 空港での熱い見送りを受けて飛行機に乗り、デリーまで1時間、デリーからプネーまで1時間30分のフライト。タヒルさんの家にステイしていたときは会話と食事に夢中であまりほかのことを考えられなかったが、独りになるとさまざまな思い出がよみがえってくる。シュリナガルがいいところだったのは、タヒルさんの家族がいい人たちだったからにほかならない。どんなに素晴らしい景色よりも、一緒にしゃべったこと、一緒に笑ったこと、一緒に歌ったことが心に残っている。感謝してもしきれない。
 プネーに着くとタヒルさんから電話があって、「何だか分からないけれど無性に寂しい。家族中みんな寂しがっている。あなたのいた部屋にはまだ誰も入れない。」というのを何度も繰り返す。「あなたはもう我々の家族だから、何かあったらいつでも電話して下さい。もうすぐ雨季だから水に気をつけて。タマネギをたくさん食べるように…。」お父さんは「今すぐ戻ってきなさい。いつでも待ってるよ」とまた熱いメッセージ。こちらはもう言葉に詰まってしまった。
 日本の家族と別れてインドに暮らしていると、別れるつらさに鈍感になってくる。それは頭のスイッチを切って悲しみを避ける一種の自己防衛かもしれない。しかし今回の別れは、昨年秋にプネーに着いたときの胸の痛みをまざまざと思い出させた。決して遠くない将来に、必ずまた行こうと思う。

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