坐禅

一発逆転

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 インドは物事が進むのが日本と比べると非常に遅い。ビザ延長の難しさは有名で、書類を警察の窓口に出して次の週行くと、書類が手付かずのまま同じところにあるという具合だ。これを進めるにはしつこいほど足繁く通うことと、手数料という名の賄賂が必要。

 しかし進むときは驚くほどの速さで進む。つまり少しずつ少しずつ進んでいるのではなくて、まったく進まない状態が続いてから、ある時に一気に進むということなのだ。

 このことを実感した話。これまでの日記でしばしば触れているように、私が頼ってインドに来たジャー先生は、サンスクリット高等研究センターの所長をなさっており非常に忙しい。センターの中ではインド各地から先生を招いて研修コースを頻繁に開き、その合間に集中講義でデリー、コルカタ、ケーララなど全国を飛び回っている。そんな状態でまともに教えてもらえるはずもない。私がこれまで滞在したつごう7ヶ月で、1回1時間の個人授業が行われたのは14回。2週間に1回という超スローペースである。

 そこで別の先生を探し始めたが、それが遅々として進まない。ジャー先生は当然ながら奥さん(講師)ぐらいしか紹介してくれず、その奥さんも忙しい。デリーの学会で知り合ったコルカタの先生はメールアドレスを教えてくれたがそのメールを滅多に読まないため、返事が来ない。プネーのサンスクリット学者に詳しい本屋のサプレ氏が教えてくれるのは遠いところに住んでいる人ばかり。待ちの姿勢だったのは私の怠慢だが、文法学を教えてくれるマヘーシュさんが見つかったので何となく満足してしまっていたというのもある。

 そのまま数ヶ月。「パンディット探しは1年かかる」というのを覚悟しつつあったが、その後急展開するとは思いも寄らなかった。シュリナガルにいたとき、コルカタの先生からメールがあってヴァラナシとチェンナイに私の専門を教えてくれる先生がいるという情報が入った。カシミール地方はガンダーラ地方の隣、「そこに行けばどんな夢も叶うというよ♪(by
ゴダイゴ)」の気分である。

 ところが教えてもらった電話番号が通じない。そのままプネーに帰って再挑戦しているとき、大学で一緒に勉強している日本人のI氏にその先生の話をしたら「それはきっとシュクラ4兄弟のひとりですよ」という。「あ!」と思ってアドレス帳を開いたら、先日本屋のサプレ氏から教えてもらっていたプネーの先生の姓が同じだった。

 シュクラ4兄弟。なんだかだんご3兄弟みたいな言い方だが、シュクラ家は伝統的なパンディット、しかも私の専門でもあるニヤーヤ(論理学・討論術)を専門としている一家である。ヴァラナシでサンプールナ・アーナンダ・サンスクリット大学の主任教授をしているラージャラーム氏、プネー大学哲学科の元教授であるバリラーム氏のほか、デリーとウダイプールにいる。正確には兄弟でなくて従兄弟だが、実の姉もナグプールでサンスクリット学科の教授をしていた。

 ジャー先生と専門は同じだが系統(学派)が異なるらしく、あまり交流はないどころか、微妙な対立関係にある。ジャー先生の口から今まで1度も聞いたことがなかったのはそのためだったらしい(ほかにジャー先生は出身地も遠く一匹狼タイプだというのもある)。

 というわけでバリラーム先生に早速連絡。最初に聞いたとおり、今住んでいるところからは18キロほど、プネー市内の東のはずれにある。ちょうどI氏も行こうと思っていたということで、I氏とリキシャーをチャーター(往復500円)して行くことにした。

 1時間の訪問はとても有意義に終わった。先生は5才のときからこの学問を始めた筋金入りの伝統学者。退官してからも著作活動を続けている。これまで出版された著書は私の関心を広くカバーするものだった。そこで恐る恐る教授をお願いしたところ暖かく歓迎、週に何回か教えてくださるという話に。「教えを請うものは拒まないのが我々の伝統です」と仰る。

 この急展開はどうだろう。プネーに先生が見つからなかったらヴァラナシでも、チェンナイでも、コルカタでもどこにでも行くつもりでいたのに灯台下暗し。帰りは嬉しくておのずと軽口になった。まったく進まない状態が続いてから、ある時に一気に進む。しかし振り返ればそこにはまた多くの人がいる。

 プネーの松尾さんが日本人が残していった本のことを教えてくれ、後輩の石田君が持ち主の近況を教えてくれ、広島大の本田さんが連絡先を教えてくれ、その持ち主である小林さんがデリーの学会を教えてくれ、ジャー先生が詳細情報を教えてくれ、旅行会社のニシャド氏がフライトの変更をしてくれ、学会でたまたま同じホテルに泊まった先生がコルカタの先生を紹介してくれ、そのコルカタの先生がヴァラナシの先生を紹介してくれ、ヴァラナシの先生の名前からI氏がプネーの先生を思い出させてくれ、というように。もちろんその前にもインドに来るきっかけとなったK氏をはじめ、数えたらきりがない。この連鎖はバリラーム先生との出会いによってさらに続くだろう。

 好転するときにやってくるのはチャンスではない。人なのだ。

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このページは、おの2004年6月17日 00:00に書いたブログ記事です。

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