2004年8月アーカイブ








ネパール人の人質12人がイラクで殺害
(Indian Express 9/1)
イラク武装グループは12人のネパール人人質を殺害したと発表、首を切られている写真と銃殺された写真を公開した。
「仏陀を神と崇めながら、イスラム教徒と戦いユダヤ教やキリスト教に仕えるためにやってきた12人のネパール人に神の判決を執行した。」と武装グループのスポークスマンは述べている。
(写真:両手を前に出してうつ伏せになっている12人の死体)


インド怪人紀行 ゲッツ板谷/角川文庫
インドに住み始めてから紀行文を読むのが面白くなった。インドに携わっているにもかかわらず、留学前はどの都市がどこにあるかも分からない状態だったのが、こちらにきてそれぞれの都市の気候や雰囲気を見聞するようになると、紀行文を「なるほど、なるほど」と読めるようになる。

その中で異色の紀行文がこれ。何の前知識もなしにインドを40日間さまよい、病気と麻薬だらけのダメダメな日々を綴ったものだ。デリー、ムンバイ、ゴア、ヴァラナシ、コルカタという主要都市を全て回っているが、遺跡や建物の話などほとんど出てこない。そんなものはどうでもよいと言わんばかりに、寄せ集めメンバー4人の人間模様が事細かに描かれている。常に誰か1人は体調を崩しているし、何日も麻薬に明け暮れているので観光どころではない。

最後にマニプール州インパールという、外国人がなかなか立ち入れないところに挑むが、許可がなかなか下りない上に、苦心の末着いたところでまたダメダメなガイドに捕まって何もできない。予定通りに行かないのがインド旅行の醍醐味だろうが、ここまで来るともう喜劇の域だ。

それにしてもインドはつくづく麻薬大国なのだと思う。著者の回ったところが特にそうなのだが、麻薬目的で来ている日本人ばかりが登場する。特にヒンドゥー教の聖地ヴァラナシには、そういう日本人がごまんと集まっているようだ。中には麻薬中毒で一文無しになる者も。麻薬が手に入るところやその種類と効用、あとHIV感染者だらけの売春宿の場所といったアングラ情報まで載せているガイドブックは、この本を措いてほかにない。

「インドに行った者は、徹底的にハマるか、二度と行きたくなくなるか、そのどちらかだ」
誰が言い出したのか知らないが、いたるところでよく聞く格言だ。しかし著者はインドを大っ嫌いになりながらも、あと何年か経ったらもう一度行きたいような気がしている。自分の人生観を揺さぶるほど気に入った面もあれば、どう考えても理解できない嫌な面もあるというのが、多くの人の本音ではないだろうか。

前に話していたインド人がこう言っていた。
「インドに来た日本人がよく『インドは最悪だった』というけれど、誰も来てくれなんて頼んでない。あなたが勝手に来たんだろう? 私だって日本にいて嫌なことがたくさんあった。でもそれは習慣が違うというだけのことで、数え上げたらきりがない。それよりももっとポジティブにものを捉えられないのだろうか。」

著者は後書きで、今の日本人がなかなか体験できない「負ける」という感覚が、インドで嫌というほど体験できるのは快感になるという。暑さ、砂ボコリ、細菌、不便さ、汚さ、悪臭、インド人のしたたかさ、しつこさ、図々しさ。しかしこの負けを認めることで、「己の人間力」を高める第一歩が始まると説く。負と正は表裏一体、紙一重。不自由さを感じるに事欠かない今の生活で、このことは私も感じつつあることだった。

いい加減

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8月は国際議論学会、盂蘭盆会、山形ゲームコンベンション、祖父の七回忌と行事が立て込んでいたが体調を崩すこともなく無事に乗り切った。まずはめでたしというところ。ただ残念なことに、ほとんど山形にいたので妻と娘と過ごした時間がほとんどない。成田空港まで車で送ってもらったが、あと3ヶ月以上会えないかと思うと胸が詰まって言葉が出なかった。

 さて日本で1ヶ月いるうちに、自分で分かる、インドに1年生活した成果があった。それはいい加減さ。もともと段取りなどは得意な方でなかったが、確実なものが期待できない行き当たりばったりの生活にすっかり慣れてしまい、日本でもその癖が出た。よく確かめないで物事を進めるので必ず1つ2つ抜け落ちたり間違ったりする。前のことはすぐ忘れる。その場のノリで無責任・無根拠な発言を平気でしてしまう。面倒くさいことは全部「明日」(先延ばしするだけで明日必ずするということではない)。そのお陰で何度か痛い目にあったのだが、さらにタチの悪いことに全然こたえない。自分の都合のいいように解釈して片付ける。

 こう書いてくるとインド人そのもの、日本では適応できないように見えるが、意外と何とかなるものである(と考えるところがいい加減なのだが)。何より精神の健康にとてもよい。いい加減はいい加減なのだ。何事にも完璧を期するあまり、ストレスが増大したり、自信を喪失したりするよりはずっとよい。結果としてたくさんの人に迷惑をかけてしまうのは避けられないが、人は生きている以上迷惑をかけあうものとまで考えられればもう言うことなし(救いようがないとも言う)。

 インドは訪れる者の性格を変える。まさかこんなかたちで変わるとは思ってもみなかったが(いいのかなあ?)。



 今年の6月から、JALのデリー便は新しい機種が導入された。各席に液晶画面がつき、オンデマンドで映画やゲームが楽しめる。日本到着便は深夜である上に、8月初頭に帰ってきたときは風邪でブルブル震えていたのでそれどころではなかったが、今回は満喫した。

 はじめに「8時だよ全員集合」(約90分)。前から見たいと思っていたDVDからの抜粋だ。1980年前後の舞台ライブばかりで大道具に頼ることが多く、円熟期の掛け合いが楽しめるコントが少なかったが、ドリフターズのメンバーがかもし出す独特のおかしさは堪能できた。「大爆笑」のDVDが売り出されないかな。

 そして「笑点」(約20分)。ワンパターンと知りながらもおかしい。私は喜久蔵師匠のどうしようもないダジャレが好きだ。こん平師匠が座布団10枚でタヒチ旅行をゲットしていた。「日立じゃないでしょうね?」うまい。

 それから邦画「バーバー吉野」(約2時間)。男の子は伝統的にみんな吉野刈り(=マッシュルームカット)という謎の村に、東京から茶髪の転校生がやってきた。伝統の吉野刈りにこだわる母親と、大人にめざめつつある息子とその友達の葛藤を描く。母親役のもたいまさこが好演。

 さらに韓国映画「花嫁はギャングスター」(約2時間)。かつて50人の男たちを倒したという伝説をもつヤクザの女組長ウンジンは、幼いころ生き別れた姉がいた。久しぶりに会った姉は癌に冒されており、余命いくばくもないことを知る。姉の願いはウンジンの結婚。そこでウンジンはウダツの上がらないサラリーマンを騙して結婚する。だがやがて彼女がヤクザだということがばれてしまい……。笑いあり涙あり、構成や伏線もうまく組み入れられており、とても面白かった。韓国映画は2,3本しか見たことがないが、どれも面白くてもっと見たい。

 そのほかにも「スタンド・バイ・ミー」「デイ・アフター・トゥモロー」などの米映画を見たかったが時間がない。そこで麻雀を一局(30分)。フリテンでも上がれてしまう(当然チョンボ)というソフトは初めて。1度それをやらかしてしまったが、1度も振らずに満貫2回でトップ。上がってから「ああ、そんな役もあったか」というぐらいのブランクぶり。

 そんなことをしているうちにデリーに到着。日が暮れているのに34度という暑さである。これからまたインド暮らしが始まる。

お盆に思う

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毎年夏の一番暑い時期、全国的にお盆の行事が行われています。お墓参りをして先祖の霊を家に迎え、お供え物のおもてなしして送る行事は、夏の風物詩となっています。

こういった行事がいつから行われているのかは定かではありませんが、仏教の行事となったのは『盂蘭盆経』というお経によります。その中で説かれているストーリーは以下のようなものです。

お釈迦様の弟子、目連は母が死後、餓鬼界に落ちて飢えに苦しんでいることを知る。神通力を使って母に食物を届けようとするが、母が食べようとすると全部炭になってしまい、食べられない。困り果てたところにお釈迦様から助言がなされる。それは7月15日にたくさんの修行僧を招いて食べ物を振舞えというものだった。これを実行すると、母が無事に餓鬼界から脱出することができた。お釈迦様はさらに皆の者に告げる。毎年7月15日に供物を供えれば亡き父母は天上界に赴き、存命の父母は寿命が延びると。

このお経は、実は作り話であることがわかっています。お釈迦様の時代の仏教は、出家をすすめるものでした。それはお釈迦様が妻と子供を捨てて修行に出たというところに端的に表れています。家族、親族、血族といった俗世間からきっぱりと決別して髪を剃り落としたら、もう家族のことを気にかけてはいけなかったのです。当然、先祖祭祀からも足を洗うことになります。

一般社会と縁を切って別の世界にひきこもってしまう。この考え方は、為政者にとっては危険なものでした。とりわけ家族・父母を大切にし長幼の序を重んじる儒教国家・中国においてはなおさらです。仏教が中国で広まるためには、「仏教もちゃんと父母を大切にせよと教えていますよ」ということを示さなければなりません。こうした背景から『盂蘭盆経』などたくさんのニセのお経が作られたのです。仏教は儒教に大きく歩み寄ることになります。

さらにこうした中国の影響を受けた日本では、儒教と仏教が混合して広がることになりました。例えば仏壇にある本尊は仏教、位牌は儒教に由来するものですが、日本人は特に意識せず「ほとけさま」として一緒に礼拝しています。

さて、ここからが本題です。このような事情から、我々日本人は儒教に束縛されず原始仏教に回帰して、葬式法事などの先祖祭祀から足を洗い、生きている人の救済に焦点を合わせなければならないという主張がなされることがあります。

この主張は一見正しそうに見えますが、いくつかの問題がありますのでここで指摘をしたいと思います。

第一に、仏教とは原始仏教以外にはありえないという「仏教原理主義」である点。仏教とは仏=お釈迦様の(直接の)教えという定義をすれば間違ってはいないのですが、仏教はお釈迦様の(直接の)教えだけではありません。お経の字面からお釈迦様の教えに直接アクセスしたつもりになっていても、それは仏教を理解していることにはならないでしょう。

お釈迦様と我々の間には、お釈迦様の教えを真摯に伝えてきた弟子たちがいます。彼らはお釈迦様の意図を汲み取ろうと修行し、さまざまな言葉を尽くして語ってきました。「自分は成仏できなくとも、まず他人から救おう」という大乗仏教も、こうした中から生まれました。僧侶が出家者という性格を薄め、俗世間の中で人々を導く存在に変質していったのは、日本で初めて起こったことではないのです。お釈迦様への敬慕は仏教徒として当然のことですが、だからといって原始仏教に回帰することは不可能です。必要なことは、仏教の通史をひもときながら我々がとるべき今後の方向性を模索していくことにあります。

第二に、先祖祭祀が儒教に基づくものであると断定している点。日本民族は仏教や儒教が云々という前のはるか昔から先祖祭祀を行ってきたことが民俗学の成果によって明らかになっています。お盆は(儒教と混合した)仏教の行事でなかった可能性があるのです。豊かな日本の民俗行事を、これは仏教、これは儒教というように因数分解することはできません。

第三に、先祖祭祀と生きている人の救済を対立するものと捉えている点。この2つは両立が可能であるどころか、そもそも対立するものであるという意識さえされないものでした。またかけがえのない人を失った心の傷を葬式で癒す、法事に亡き父母の教えを思い出して気持ちを入れ直すということを、「葬式仏教」は実現してきました。古くから僧侶はお寺の周りに住む信者と深く付き合い、対機説法(人の状況に応じて適切な助言を与えること)を成し遂げてきたのです。

心に残ったある僧侶の方のお話です。

「檀家さんたちは話を聞いてもらいたくて寺に来ていました。決して偉いお坊さんを求めているのではありません。僧侶が寺の周りに住む人たちの寂しさや孤独を汲み取る役目を担い、そういう僧侶の積み重ねが宗門の今を築いているのです。寺に行けばお坊さんが待っている、そこで話をできる、そういう寺にしたいものですね」

以上の3点の問題によって、「我々日本人は儒教に束縛されず原始仏教に回帰して、葬式法事などの先祖祭祀から足を洗い、生きている人の救済に焦点を合わせなければならない」という主張は全く意味をなさないことがわかります。

それならばどのような主張をするのか。「我々日本人は、先祖祭祀が形骸化しないよう絶えずその意味を問い続け、その中から生きている人の救済を実現する方法を模索していかなければならない。」これが私の現在の考えです。先祖祭祀は生命の連続、人の生死、文化の伝承など、豊富な内容を含んでいます。「生きる」ということは親から生れてきているということであり、文化を担っているということであり、まだ死んでいないが死に向かってつき進んでいるということです。ひとりひとりが主体的に悩み、そして解決していくしかありません。幸いにして我々にはお釈迦様の言葉という心強い手がかりがあります。

葬式法事・先祖祭祀の是非を問う以前に、僧侶は生死問題のプロフェッショナルとして自己を磨き、先祖祭祀という場をうまく使って人々を教え諭していくべきでしょうし、一般の方々もなぜ先祖祭祀をするのかというところから一度、深く考えてみることをお勧めします。

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