電話格闘記(4)

電話!家に電話を引く。それだけでこんなに時間がかかるとは思わなかった。
引越し前、不動産屋に電話を用意するようお願いしたのが7月7日。それから大家の電話代滞納と他の電話会社の対応の悪さのせいで23日が無為に過ぎ去り、7月末に一時帰国のために中断。そしてインドに戻ってきた8月29日、すぐに不動産屋に行って電話をつなぐよう頼んだ。今度はBSNLのアナログ回線だ。
今の住まいには、同じBSNLの回線が通っている。それが使えないのは大家が13,000円を滞納していて、私が肩代わりするのを断ったためだ。来年返すと言われたが、日本に帰る直前、敷金50,000円の上にそんなお金が戻ってきても使い道はない。ルピーからドルに換金するには書類が必要な上に手数料が引かれてしまう。デポジット(保証金)は極力なくすのがインド滞在では大切なことだ。
一方、不動産屋のプラモード氏が紹介してくれたBSNL回線は、同じ電話線を使いながら別の電話番号を開設してしまう荒技で、電話工事をしている彼の知り合いが非正規な手続きで行う。7月に私が苦労しているのを見て、プラモード氏が考えた最終手段である。「彼に頼めば3日でつながる」と言っていたが、はたしてそんなはずはなかった。結局つながったのは30日後である。7月の分とあわせて56日間にわたる戦いに、ようやく終止符が打たれた。
なぜそれだけ遅くなったかというと、その電話屋がなかなかつかまらなかったことが大きい。日ごろ外で働いている彼は携帯電話も持っておらず、たまたま近くを通りかかったときに見つけて捕まえないといけない。そんなオフシーズンの焼き芋屋のような彼に、プラモード氏を通して開設費用がいくらかかるか訊き出すのに1週間を要した(7500円)。再びプラモード氏を通してお金を本人に渡すまでまた1週間。プラモード氏にはいくら急かしても「捕まらない」の一点ばり。
ようやくお金が渡ると(9/13)、工事に1週間から10日かかるということが判明。3日って言ったじゃないか、3日って言ったじゃないか! でもこれが最終手段である上に、プラモード氏が悪いのではない。私はただ待つしかないと諦めはじめており、すでに電話を手に入れるための格闘という感じではなくなっていた。
闘争心がそがれたのはあまりに時間がかかりすぎていたからでもあったが、もうひとつは、この開設が非正規な手続きだったからである。大家の電話線を使って新しい電話番号を入れるという荒技のほかに、電話局からの許可がおりやすくするため、プラモード氏は何と、サミルという偽名の同居人の名義で回線を開設させようとしていた。別の電話会社タタ・インディコムでは学生だからという理由で開設を断られていたため、慎重を期すのだという。「電話会社から人が来たら、サミルという友達と一緒に住んでいると言うように。絶対忘れないで!」……ここまで来ると非正規というよりも非合法ではないのか?
そして10日目(9/22)。それ以上かかるようなら工事は中止し、開設費用は返すと言われていたので再び不動産屋に出向く。電話線はつなぎ終わっているが、電話機の在庫が会社にないので2日待ってくれと言われたという。そしてくれぐれもサミルと一緒に住んでいることになっているのを忘れないようにと念を押された。もう何が何だか……。








今年の調査でHIV罹患率が1%を超える州が5つ(マハーラシュトラ、アーンドラ・プラデーシュ、カルナータカ、マニプール、ナーガランド)あることが判明。1%は一部のグループに限らず一般に流行している指標。これを超えると制御は難しくなり患者は急増すると言われる。5州の中には5〜6%もの地域も。妊婦は特に罹患率が高い。国内の患者数は510万人、農村部で310万、都市部で200万。

その日の午後、初めて電話屋が家を訪れた。書類を見ながら「ここはラジニカーントの部屋か?」といきなり疑われる。「ラジニ??」書類をちらりと見ると「パティル・ラジニカーント」となっている。「ああ、パティルなら私の友人で、一緒に住んでいる。」プラモード氏が言っていた「サミル」というのはファーストネームで、電話局の登録から抜け落ちていたらしい。おかげで電話屋は不審な顔つきのまま帰り、プラモード氏に確認までしていったという。何でこんなウソをついてまで取り繕わなければならないのかと思うと気分が悪い。
電話屋は翌日(9/23)の12時に電話機を届けると言って帰ったが、翌日はおろか、翌々日も来やしない。もはや毎度のことなので、できるだけ期待しないで待つようにしていたが、時間が過ぎていくにつれてどうしても悔しさが頭をもたげてきてしまう。これはもういい加減の域を超えている。なんて不正直で、怠惰で、でたらめなんだろうか。警察署で、大学で、家で、インド人たちのその場しのぎの言葉にかすかな希望を託して、悶々と待ち続けた日々が甦る。
結局その2日後(9/25)、ようやく電話屋がやってきた。「パティルはいるか?」「いない」「15分後にまた来る」……しかし15分後はおろか、7時間たっても来やしない。そのあいだ家を出るわけにもいかず、インスタントラーメンやおやつで空腹をしのいでいた……こういうパターンばっかり。夜にプラモード氏に行ったところ、外国人しかいないので不審に思ってまた確認して帰ってしまったらしい。プラモード氏は「彼はパティルと一緒に大学で勉強しているのだ」と言い、支払いは自分が保証するから手続きを進めるようにお願いしたとのこと。電話代を滞納している大家の尻拭いとはいえ、そこまで言ってもらえるのはありがたい。
しかし何はともあれ電話屋が約束を破ったのは事実。プラモード氏にそのことを言ったら、彼は1枚の書類を見せてくれた。BSNL新規回線申込書。彼が自分の事務所に引こうとしているものである。その申し込み日が7月9日。「あなたの場合はもう電話線が来ているから10日とかでできるんだ。私のは電話線を引いてこないといけないからって、こんなだよ」……論点をずらされた気がするが、3ヶ月近くも待っているプラモード氏に、2ヶ月足らずの私がこれ以上文句をいうことはできなかった。
さて日曜をはさんで月曜(9/27)。今日こそ電話屋が来るから自宅で待機しているようにプラモード氏から言われる。「パティルのことをまた聞かれたら、仕事で出かけていると言うように。」……さすがにもう遅れまいと期待が否応なく高まっていたが、午後3時まで来るという電話屋は9時になっても現れず。電話がつながったときのことをあれこれ想像しながら空腹に耐える哀れさ。プラモード氏に電話したら、「今日はガネーシャ祭の最終日で、交通マヒが起こっている。夕方に電話屋から、努力するが今日は来れないかもしれないという連絡があった。明日は絶対来るように言うから、今日はもう諦めてくれ」……絶句。フラフラと外に出て、お祭を見て遅めの夕食をとった。
お祭で「インドは気に入ったか」と聴かれた。「何でも時間がかかってしょうがない。今行くというが『今』って今日のことか、今週のことか、それとも今月のことか?」それが私の偽らざる心境だった。
そして火曜日(9/28)、お昼過ぎに電話屋が電話をもってやってきた。こちらは嬉しいというよりもまたパティルのことを訊かれないかと思って無口になる。何やら設定があるとか言っていたのに、電話機をコードにつないでおしまい。こんな簡単なことに、今までどれだけ時間がかかったのかと思うと拍子抜けもいいところだった。
というわけで今、部屋に電話がある。それにちょっと違和感を感じてしまうぐらい長かった。この56日間、通話は携帯電話を使っていたから不自由がなかったが、問題はインターネット。自転車で10分、ヴィマーンナガルのネットカフェに毎日通っていた。DSLの高速回線なので日本語のGlobal IMEをインストールするのは容易だが、あまり快適ではない。その理由は第一に、込んでいると30分ぐらい平気で待たされること、第二に、よく停電や断線が起こりせっかく書いたものが見事に消えてしまうこと、第三に、蚊が多いこと。あとキーボードが古くてエンターキーを押すと戻らずに連続改行が起こってしまうのもイヤだ。ホームページの更新は、家のパソコンからCDに焼いてきたり、ブラウザ上で更新できるプログラムを使ったりして少しだけやったが、あとはメールを書くぐらいが関の山。何をするにも時間がかかってしょうがない。
そしてもうひとつ、9月になってからネットカフェに行く問題があった。それは日が暮れると毎日のように降り始める大雨である。今年は異常気象のせいか雨季がずれ込んでいるのかと思うぐらいよく雨が降る。行く前に降り始めたら断念するしかないが、ネットカフェにいる間に降り始めたら、小降りになるまでだらだらネットサーフィンをするか、いつまでも雨が上がらないようならばずぶぬれで帰るしかない。雨が降ると停電することが多いため、ネットカフェにいても何もできないことも多々。家にネット環境があるありがたみが分かってくる。

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