仏蹟(4)ナーランダ








ここが燃えに燃えたという図書館跡。3階建てだったという
ナーランダ

ラージギルを出てバスで15分、ここも馬車かサイクルリキシャーしかない。値段を交渉して馬車に乗り10分。ナーランダ大学跡に到着した。政府が発掘と整備を今も進めており、例によって外国人料金が設定されている。残念ながら博物館は金曜日休館。
ナーランダは世界最古の大学があった場所だ。もとは仏弟子シャーリプッタとモッガーラナの故郷で、仏陀も時々訪れていたところ。仏滅後もシャーリプッタの高名のため寺院が作られ、ナーガールジュナ(竜樹)を輩出している。大学になったのは5世紀で、12世紀まで続いた。7世紀にやってきた三蔵法師はここで5年間学び、当時ここに3000人の教師、10000人の生徒、900万冊の写本があったことを伝えている。門戸は狭く、入試があって10人中2人ほどしか通らなかったという。倍率5倍というわけだ。主として仏教が教えられたが、論理学、文法学、物理学、数学、薬学、なども学ばれていた。仏教論理学で名高いシャーンタラクシタはここの卒業生で、チベットに招かれて仏教を広めた。
滅びた原因はシャンカラ(ヴェーダーンタ学派)やクマーリラ(ミーマーンサー学派)など賢人を輩出したバラモン教の台頭、タントリズムの流行、仏教教団の中の分裂が挙げられるが、決定的なのはムガル帝国による弾圧で、図書館に火がつけられ6ヶ月間燃え続けたという。焼失した写本が今に伝わっていたら、仏教研究はもっともっと盛んになったことだろう。とても悔しい。ガイドは壁を指差して「この辺りが黒くなっているのが火事の跡だ」と言う。
ムガル帝国にだいぶ破壊されたものの、他の遺跡と比べてまだ原型をとどめている。11の建物は周辺が寮、中央が教室になっていて、井戸や浴室、排水溝なども残っている。寮は1部屋に2人住むようになっており、奥が先輩、手前が後輩だったという、ベッドのわきには本棚も。大学といっても僧院なので、麻雀をしたり酒を飲んだりするような真似は絶対にできなかっただろう。ひたすら勉強と崇拝に打ち込むしかないのだ。今なお残る10世紀前後の難解な書物は、このように世間から隔離されたところで長大な時間をそれだけに費やした結果生まれたものなのだろう。私も向学心をもっともっともちたい。
仏像などは全くないのだが、大学の雰囲気が気に入って4,5時間ほど滞在した。帰りはガヤーまでバス。ちょうどディワーリー(ヒンドゥー新年)の日で、全ての家で窓や屋根にろうそくやランプの火を点しているのが見える。全戸で電気まで消して雰囲気があるなあと思ったら、電力会社が2時間、サービス停電にしているのだそうだ。そんなの聞いたことない。宿泊はまた「ブッダホテル」。翌朝発の列車でプネーに向かったが、待ち時間を入れて35時間かかったので帰宅は翌々日である。

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