2005年2月アーカイブ



2月26日夜、インド映画のオスカー賞、フィルムウェア・アワードが発表された。今年は第50回という節目を迎える年である。

  • 最優秀男優賞…シャー・ルク・カーン(『スワデース』)

  • 最優秀女優賞…ラーニ・ムカルジー(『ハムトゥム』)

  • 最優秀助演男優賞…アビシェーク・バッチャン(『ユワ』)

  • 最優秀助演女優賞…ラーニ・ムカルジー(『ユワ』)

  • 最優秀喜劇俳優賞…サイフ・アリ・カーン(『ハムトゥム』)

  • 最優秀悪役俳優賞…プリヤンカ・チョプラ(『アイトラーズ』)

  • 最優秀監督賞…クナル・コーリ(『ハムトゥム』)

  • 最優秀映画賞…『ヴィール・ザーラー』


巨匠ヤシュ・チョプラが大枚を投じて撮影した『ヴィール・ザーラー』がベストフィルムに選ばれたが、上記から見る限り事実上『ハムトゥム』が昨年一番の映画だったということではないだろうか。『ヴィール・ザーラー』は確かにいい映画だが、パキスタンを舞台にしていること、筋書きがあまりにストレートなこと、展開に無理があること、長いことなどの欠点も挙げられる。『ハムトゥム』はその点、先が読めない楽しさがあった。ずっと満席で4回目に行ってやっと見ることができたのを思い出す。一方の『ヴィール・ザーラー』は、1ヶ月ほどでもうがらがらだった。
2つの助演賞が出た『ユワ』は、3カップルの物語が同時進行して主演が誰だか分からない映画だ。その点で、ほとんど主演だったとも言えるアビシェークらが受賞するのはちょっとずるい気がする。
シャー・ルク・カーンは大本命だろう。ただ『スワデース』で取るべきだったのかはやや疑問だ。演技の幅という点ではコミカルとシリアスを同時に進めた『メーン・フーンナ』の方がよかったのではないだろうか。



仏教では、言葉による伝達は本来あやふやであるという。言葉の伝達が成功するのは、話者の意図を正確に読み取ることができたときだけだが、そもその話者の意図を正確に読み取ることが容易ではない。他人の意図は知り難しである。同じ言葉でも、話者によって、また聞く人によってさまざまに読み取ることができる。
「察する」文化の日本ではその度合いが強まり、どうしてそこまでと言うほど深読みされることがある。それは完全に話者の意図を超えている。そんなつもりで言った・書いたんじゃなくても、聞く人・読む人がそう聞く・読むならば、ときには大問題にまで発展しうる。
ここ数日、そういう危うさを感じることが何回かあって、そのたびに自分の配慮の足りなさを痛感した。配慮なんて、いくらしてもしすぎると言うことはない。その底なしの感じに深い恐怖を覚えた。
誤解のないように話す・書く、つまりいろいろな意図で読む人を想定して先手を打っておくためには、公式に出す前に誰かに聞いてもらうこと、読んでもらうこと、そして意見を伺うことが大事だと思う。人が増えれば気づくことも増える。記事しかり、論文しかり、多様な価値観が共存するこの社会に何かを発信する場合、こうした共同作業が不可欠だとさえ、言えるのではないか。

金銭の価値

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「ペンギンのえさ代に」動物園にインドから50ルピー(asahi.com)
一方総人口10億人の国の話。50ルピーは125円ぐらいだが、日本と比べて物価6分の1のインドでは1000円札ぐらいの価値がある。私が毎日食べている定食は25?30ルピー(60?75円)。カレー味の野菜、カレー2品、カレー味のスープ、ナン2枚、ライス、ピクルス、レモンとタマネギ、デザートが付いてくる。全部残さないようにして食べるには、前後の食事をかなり控えめにしなければならない。調子が悪いときは、3分の2ぐらいしか食べることができず、皿をいかに食べたように見せかけるかで苦労するほど(自己満足の問題だが)。
そんなお腹いっぱいの定食が2回食べられる金額。日本ではペンギンのエサにもならないのかと思うと、ちょっと寂しい思いがする。
今日の夕ごはんは食欲不振を解消するため、中華料理とライス。肉を食べないと体がもたないとは思っても、いつのまにか菜食になっているのだった。

博士論文執筆

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職場でブログを書くことの是非が新聞で論じられていた。「仕事のアイデアが浮かぶ」「仕事中に日記なんか」…賛否両論らしい。
今の主な仕事は博士論文執筆。1日中パソコンに向かっているような感じだ。
1000年前に書かれた議論のマニュアル『ニヤーヤパリシシュタ』をまる1冊和訳する。ティルパティ本とコルカタ本、それにチェンナイ写本を比べながらテキストの異読を整理するのが第1段階。終わったらシュクラ先生の授業を思い出しながら和訳を作成していくのが第2段階。これが終わると、後代の2つの注釈『プラカーシャ』『パンチカー』を読みながら和訳を再検討するのが第3段階。その後同じ著者が書いた別の本『パリシュッディ』を見ながら比較検討するのが第4段階。先行する5世紀から10世紀の3人が書いた著作『バーシャ』『ヴァールティカ』『タートパリヤティーカー』を読んでどこまでが従来説を踏襲しているか、どこからがオリジナルかを調べるのが第5段階。さらに仏教徒が書いた批判の本『ヴァーダニヤーヤ』を読んでその批判に答えているか見直すのが第6段階。つまり同じ箇所を6回読んでいることになる。それぞれの作業が1ページにつき1時間かかるので、だいたい6時間。本は全部で120ページあるから、720時間かかる計算になる。現在90ページ以上終了。
暑くなる前に早いところ終わらせて日本に帰りたい。

買い物

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シックスシーターシックスシーターに乗って買い物。シックスシーターとは、その名の通り6人乗りの中型車で、リキシャーよりも大きく、普通乗用車よりは小さい。排気量が小さくてスピードが出ないため、よく渋滞の原因になるということで、郊外の道路でしか走行を許されていない。料金はバスなみで、バスよりも頻発しており、使いこなせればかなり便利だ。

私の引っ越したところはかなりの田舎で、バスは45分に1本、リキシャーは通っていない。大通りまで10分ぐらい歩くと、シックスシーターがすぐに捕まる。6人乗りとは名ばかりで、最高10人ぐらい乗せて走る。乗り心地は、リキシャーよりも安定感があって悪くない。

今日の買い物はシャーストリナガルのピラミッド・ストア。品揃え豊富で輸入品や肉類も取り扱っており、プネーではドラブジマーケットと並んで最大級のスーパーと言えるだろう。日本人の多くがわざわざここまで来て買い物している。プリングルスのポテトチップ(通称原君チップ)や見慣れないお菓子、紙パックの牛乳やジュース、袋ラーメンなどを購入し、幸せになって帰途に着く。総額800円。

シャーストリナガルにはリキシャーがたくさん止まっている。荷物も多いし、疲れたのでリキシャーで帰ろうとしたが揃って乗車拒否。「そんな遠いところへは行けない」「いや、遠くないよ!4キロだ」「プネー市外だろう」「市内、市内!」「エクストラチャージならいいけど」……こうして帰りもシックスシーターのお世話になるのだった。お陰で交通費は往復で20円。でも歩き続けで、家に帰ってからは足がひきつった。



インド映画のオスカー賞、フィルムウェア・アワードのノミネートが発表された。
ベストフィルム部門は『ドゥーム』、『ハムトム』、『メーンフーンナ』、『スワデース』、『ヴィールザーラー』。一番取ってほしくない『ドゥーム』になりそうな予感。私なら『ヴィール・ザーラー』なのだが『メーンフーンナ』と共にパーキスターンが出てくるのはどうしても重くて人気がない。間を取って『ハムトム』とか?
ベストアクター部門はアミターブ・バッチャン、フリティック・ローシャン、シャールク・カーンしかいないんだけど、シャールクが3つの映画(いずれもベストフィルムノミネート)でノミネートされていて、大本命といった感じ。フリティック・ローシャンに取ってほしい。
ベストアクトレス部門は5人出た。『レインコート』のアイシュワリヤ・ラーイがよさげ。プリーティ・ズィンター、ラーニ・ムケルジーも入っているが、どっちもどっち。
映画ソング部門は『ヴィールザーラー』から3つ、『メーンフーンナ』と『スワデース』から1つずつ。「メーンヤハーン」が私は好きだ。あれ、「ドゥーム」が入ってないや。
ほかにもいろいろ部門があるが、分かるのはこれくらい。大賞発表は26日。

CGIストップ

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前にもあったのですが、掲示板のファイルかが爆発して容量オーバーとなり、CGI(掲示板、投票、カウンタなど)が全てストップしています。FTPアクセスができないインドでは復旧まで時間がかかりそうですが、しばらくお待ちください。メールは読めます。
トップページもふっとびました。避難先は
http://hourei.hp.infoseek.co.jp/em/index0.html
です。

本音

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西インド地区日本語弁論大会に昨年に引き続き質問係として参加する。今年は去年よりインド人の本音が聞けて面白かった。

コルカタ、プネー、チェンナイ、デリーと4つの地方で行われる日本語弁論大会は、それぞれ上位者がデリーの全国大会に出場、優勝すれば日本旅行が贈られる。審査員は全て日本人で、丸暗記かどうかを見分けるために質問係がいる。会場費、審査員や質問係の接待、それに日本旅行とずいぶんお金がかかっていそうだが、スポンサーは不明。大会終了後の食事会は、去年より豪華なところだった。

今年のプネー地区の優勝者は、ジュニアグループで「きれいな川をいつまでも」という題で発表した女性と、シニアグループで「笑ってはいけない」という題で発表した男性。この男性は去年ジュニアグループで優勝している。採点基準は内容よりも言語運用能力に重きが置かれているが、どちらのグループも実力伯仲だったため、内容も幾分か評価対象になったようだ。

「きれいな川をいつまでも」は、去年ヒマラヤ山脈にヤムナー川の水源を見に行った話から、川の大切さ、汚染、そしてきれいにするためのボランティアの話と、きれいにまとめていた。質問で「なぜインドで川は母とか神様と言われているのか」と訊くと、「人の命を育むから」という見事な答えを返したことも大きいだろう。「人間がよくないことをたくさんすると、がまんづよい川も、時々洪水になって、自分の怒りをあらわすにちがいないと思います。その時、川はひどいとみんなに言われますが、実は、川より人間がひどいのではないでしょうか。」

「笑ってはいけない」は落語だった。小ネタを出して笑わせておいて、そのたびに「笑ってはいけない」としめる。小ネタはヒンディー語のダジャレだったりして審査委員にはチンプンカンプンだったようだが、会場は爆笑の渦で、それに押されて点数が上がったのかもしれない。質問係としても、野暮になりそうでまともな質問ができなかった。「もうひとつ面白いことがよくあります。それは、似ている発音の言葉です。例えば、レストランへひとりで行ったとき、ウェイターに『ひとりまえですか』と聞かれたら、『あたりまえですよ』と答えられる。…笑ってはいけない。」……「おひとりさまですか」または「いちにんまえですか」と聞くんじゃないかというのはおいといて。

内容的に心に残ったのは「学ぶのに年をとりすぎるんじゃないの」。子どもの頃、お父さんは単身赴任なのにお母さんは毎朝早くから大学に通っていた。娘の髪をみつあみにするのは、前の晩のうちに済ませていた。大学を卒業する前に結婚させられて、子育てが一段落してから勉強を再開したのだと言う。そして今、私が結婚して2人の息子を持ちながら、NPOで働いて日本語を勉強している。お母さんの時代にお母さんが言われ続けた「学ぶのに年をとりすぎるんじゃないの」を今は言われないのがうれしいと。心温まる物語である。

それから「あばたもえくぼ」。発表者には彼女がいる。「美しくてかわいい」彼女がどうして私を愛するのか質問したら、「私にとって人がどのように見えるかよりその人がどんな心を持っているのかが一番大事なことです。だから、あなたを愛して私は何の損もしていません。実は、私が何を得たのかあなたにはわからないかもしれません。」…ヒューヒュー! 「人は誰でも心の中に自分の恋人の絵を描いています。でも、時々そのイメージと合わない人も、好きになったら恋人になれます。ですから、計画を立てて愛するのは無理だと思います。」お幸せに。

ほかにも今年はダイエットすることに決めた話や日本人がホームステイしたときの話なども面白かったが、建前ばかりで退屈だった去年よりも実体験に基づいているのがよい。その原因は、どうやら去年から印日協会の日本語学校で教えている小野さん(私ではない)のお陰らしい。小野さんは元教師で退職後プネーにいらっしゃった。日本語クラスでは英語を一切交えず、質問も日本語でさせている。そしていつも体験に基づいた話を書くように指導しているのだという。それでいて温厚な人柄で生徒の信望も厚い。

インド人が教える日本語ではどうしても限界がある。確かにインド人の言語能力は高いが、言葉は生き物であり、先生方が習った一昔前の日本語はもう古くなっていることが多い。だからと言って若者が崩れた口語を教えるのも問題だろう。そういう意味で、教師経験のある年配の日本人が、しっかりと教えるのは一番上達が早い方法かもしれない。

それにしてもプネーには日本人が多い。ムンバイには日本人が200人しかおらず、しかも減っているという。人口がムンバイの5分の1しかいないプネーには日本人が50人以上おり、しかも増える気配を見せているというのは、大したものではないだろうか。

映画(21) 克服

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インドに戻ってきて、一番最初にやりたかったことは映画を見ることだった。1ヶ月も留守にしていると上映中の映画はほとんど全部入れ替わっており、しかも毎週毎週新しい映画が出て目移りする。ちょうどシュクラ先生が親戚の結婚式のために5日間留守にした(長っ)ので、その間に映画三昧としゃれこむ。6日間で3本、2日に1本見ている計算だ。今日はラーニ・ムケルジーファンのI氏を誘って野郎2人。ちょうどバレンタインデーで、あたりはカップルだらけだった。

BODY:
ブラックBlack(ブラック)
〈あらすじ〉
デリーの北にある避暑地シムラーの冬は雪が降る。ときは数十年前、イギリス領だった頃の話である。車を運転して教会にいく母子。老いぼれた老人を見つけると大喜びした。12年ぶりの再会だったのである。

赤ちゃんのときに病気で盲目・聾唖となったミシェルは放任して育てられ、自分の感情がコントロールできない子どもになっていた。赤ん坊だった妹をゆりかごから放り出したり、食事を食べ散らかしたりする有様を見て、父親は精神病院に送ろうかと考える。しかし母親が大反対し、家庭教師を雇うことになった。そこで依頼されたのが、アルコール中毒で学校を追われ、視力も衰えて風変わりな教師サハーイだった。

サハーイが最初に教えた言葉は「黒」だった。それからミシェルが悪さをしないように付けられた鈴を「これじゃ犬だ」と外し、早速ものの名前を教え始める。しかし体罰も辞さないサハーイの厳しさに、両親はすっかり驚いてしまいすぐに解雇を決める。だがサハーイも諦めない。父親の留守中に母親を説得して滞在を伸ばし、毎日部屋に2人きりになって1つ1つものを教えていく。ものを触れさせ、手を口に当てて口のかたちと振動を覚えさせるという方法。帰ってきた父親が怒ってサハーイを追い出そうとした朝、ミシェルは水を触って「ウォー(ター)」とついに口に出し、サハーイはそのまま家庭教師を続けることになった。

家庭教師は20年近くも続き、ミシェルも美しい女性に成人した。そこでミシェルは大学に入りたいと言い出す。入試面接は手話で行われ、知識を求める彼女の真摯な姿に、審査員は合格を認める。自分の娘のように喜んだサハーイは、大学でも彼女のそばに付きっ切りで、講義や本を手話にして教え続けた。両親の愛が姉だけに注がれているのをつらく感じていた妹も、婚約を機会に姉に理解を示し始める。

しかしそんな日も長くは続かなかった。サハーイはアルツハイマーを患い、次第にものがわからなくなっていく。ミシェルの妹の結婚式で、はじめて愛と口づけの意味を知らされたミシェルは、サハーイにキスを求める。たじろぎながらもキスをしたサハーイは、そのまま失踪してしまった。

それから12年。ついに見つかったサハーイはもうすっかりミシェルのことが分からなくなっており、また目も病気で見えなくなってしまっていた。必死に自分のことを伝えようとするがまったく分かってもらえないミシェル。そして彼女の大学の卒業式がやってくる。試験がうまくできず落第し続けていたミシェルは、そのあと奮起して見事大学を卒業したのである。卒業生代表で講演をし、「黒というのは絶望の色ではない」と話すミシェルに大きな拍手が送られた。

大学帽をかぶってサハーイを訪れるミシェル。外は大雨が降っていた。ミシェルの大学卒業が何よりの夢だったサハーイはミシェルの大学帽を手でなでると、何かを思い出したかのように窓を開け、手を差し出す。「ウォー…」

〈感想〉
歌も踊りもないインド映画だった。映像は全体にテーマを受けてか暗め。季節は冬でいつもどんよりしている。そんな舞台で必死に生きる登場人物たち。子ども時代のミシェルに扮した子役は、本当に障害児を使っているのではないかと思うほどの迫真の演技で、また大人時代のミシェル、ラーニ・ムケルジーも鬼気迫った演技を見せる。白目を向いてアウアウ言いながら、叫んだり、あたり散らしたり、よちよち歩いたり。それを必死に受け止めるサハーイことアミターブ・バッチャン。陰で涙を流しながら共に苦しみ、共に喜ぶ両親。退屈なんてことは全くない、これだけ揃えられて泣けないはずがなかった。弦楽器主体のBGMも見事に引き立てる。

もっとも、インド人はそんなにセンチメンタルに見ていない。障害者の仕草だからといって同情したりせず、笑い飛ばすところは笑い飛ばして見ている。こういうところに、普段から身近にたくさんの障害者を見慣れているのが察知できた。障害者が目に見えないところに隠されやすい日本と比べて、障害があろうとなかろうと一個の人間として見る力は、インド人のほうが優れているようだ。

この映画、日本で公開されないだろうか。時間も2時間と短めで、英語のセリフが多く、ストーリーも追いやすい。前に日本で「アンジャリ」という障害児の映画を見たが、障害をテーマにした映画は日本人にも訴えるものがあるのかもしれない。イギリス風の背景舞台もシックで世界に引きずり込まれる。

人は愛する者に愛される。その反対に憎む者に憎まれるなんてことがないようにしたいと思ったバレンタインの夜だった。女の肩に腕を回している男を指差して「これがインドのバレンタインって奴ですか」とI氏に聞いたのは反省。人の恋路を妨げる奴は、犬に噛まれて死んじまえである。本当に翌日、車に轢かれそうになった。

電話格闘記(6)

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2月2日、久しぶりに自宅に帰ってくると電話が死んでいた。確かに年末から断線しがちだったが、今回はずっと無音状態。携帯電話からかけてみたら話し中である。

ひとまず不動産屋のプラモードに言ってみた。「明日の朝、電話局に行く予定だからそのときに言っておくよ」そして翌日の夕方に聞いてみると、「今日は行かなかった。明日行くから」そしてまた翌日、プラモードのオフィスに行くと父親が留守番していて、「プラモードは娘を病院に連れて行ったから、いつ帰るか分からない」……こうして3日が過ぎる。

さすがに次の日言ったときは「明日行く」とは言わなかった。この一帯の電話工事を担当しているハルグレー〜これまでの電話格闘記でも登場した、たまたま通りかかるのを捕まえるしかない人であるが〜の携帯番号を教わる。この人の携帯電話はめったにつながらないのだが、翌朝かけてみたらたまたまつながった。「電話の調子が悪いんだけど、調べてくれるか」「わかった」「いつ調べてくれる」「午後」…しかしその日は直らなかった。

ちょうどその頃、電話料金の請求書が届く。正確に言えば、先月届いていたのが私のポストに入っておらず、誰かが預かっていて、思い出したかのように私の自転車の荷台に挟んでおいてくれたのである。ありがたいことだが支払期日はもう過ぎており、追徴料金40ルピーを払わなければいけなくなった。ポストはあるんだから、そこにちゃんと入れろ。

イェルワダの電話局に電話代を払いに行った折に、断線の苦情はどこに行ったらいいのか訊くと、ヴィマーンナガルの電話局に行くよう言われた。そして翌日ヴィマーンナガルの電話局に行くと、ワドガオンシェリの電話局に行けと言う。「イェルワダではここだと言われた」と言ったら、一応受け付けてくれた。「一応」というのは入口にあるノートに電話番号と苦情内容を書くだけのものである。「いつ見てくれるのか」「2日後」……甚だ心もとない。

再びプラモードのところに行くと、ハルグレーから話を聞いたらしい。まず電話局に行って「コンプレイン・ナンバー(クレーム番号)」をもらい、それをハルグレーに連絡するといいというのだ。しかもプラモードは電話会社BSNLのクレーム受付198に私の電話番号を連絡し、クレーム番号をもらってきてくれていた。さっきの電話局ではクレーム番号などもらっていないが、クレーム番号をもらう方が確実だろう。私の努力など、水の泡である。

翌日喜び勇んでハルグレーに電話するが、いくら電話しても出ない。またこれから何日かかるのだろうと不安になる。道すがら近所の人が「何か困っているのか?」と訊いてくる。「電話はつながらないし、水槽は掃除できないし…」「仕方ないさ、ここはインドなんだからな!」

この間、毎日ネットカフェに通う羽目になった。近いところは皆ナローバンドで遅く、3メガあるIME(日本語入力システム)をダウンロードするのはまず不可能だ。そこでCD-ROMに焼いて持ち込むことにする。絶望的なネット環境しかなかったカシミールで学んだ教訓だ。前から通っている自転車で10分のネットカフェは、よく停電していて使えない上に、最近ウィンドウズXPを導入し始めた。ウィンドウズ98の日本語IMEは3メガだが、ウィンドウズXPの日本語IMEは50メガもある(またはXPのインストールCDが必要)。そんなものは日本から用意してこない限り、インストールできない。というわけで何か用事を作って市内に行き、条件に合うネットカフェを見つけなければならなかった。

そして翌日、どうせ無理だろうと思いつつ受話器を持ち上げてみると、トゥルルルルル……! 驚いたことに電話がつながっているのである。プロバイダVSNLの調子が悪くてまた半日かかったが、インターネットにもつながった。こうして10日にわたるネットカフェ通いは終了となったのである。ほっ。


ちょうどその頃、今度帰国するK氏から連絡があった。K氏の近くに住む清水さんたちのお宅で宴会をするというのだ。とてもハッピーな気分で参加することにする。清水さんは元大学教授で有名な建築家。奥さんの林さんと共に、旅館などの設計を手がけてきた。気楽な余生をということで教え子の呼び寄せでインドに至り、K氏の住まいのすぐ近くに家を建てられたのである。バスを乗り継ぎ、最後はリキシャーで合計1時間。ついこの間完成したばかりの清水さん宅は、さすが建築家と思わせるスマートで素敵な家だった。すっかりご馳走になる。

清水邸でも、電話に目が言ってしまうのは仕方あるまい。リライアンスという会社のモバイルもできる最新の機器で、インターネットはLANケーブルからUSB接続ができるようになっているという、私が以前試みてダメだったやり方が可能になっている。電話でこれだけたいへんだったのは、私だけのようだ。

しかしプロバイダVSNLの接続の悪さにはうんざりする。前は3回かければ1回はつながったのだが、今は半日ずっとつながらないなんてことばかり。大人気の演劇のチケット予約開始日が、毎日続いているような感じなのである。でも話し中ではなくてプロバイダまではつながるのだから、電話代ばかりがかさんでいく。……「仕方ないさ、ここはインドなんだからな!」

映画(20) 狂気

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水槽掃除

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水槽掃除今の住まいは水道が1日1時間しか来ない。ワドガオンシェリ(バニヤンの村シェリ)という村が急激に開発されているため、水の供給が追いつかないのだ。朝の7時から8時まで、この間にみんなは水をめいっぱい溜め込む。

私の住んでいる部屋は幸い、水槽があって30リットルまで溜めておくことができる。毎朝供給されれば、洗い物・掃除・水浴・トイレ水洗・洗面にわたって困ることはない。

しかしこの水槽、ふたがついていないこともあってだんだん汚れてくる。中に緑の藻が生えてくるのだ。日本でも団地ではよく聞かれる話だが、この水で口を濯いだり野菜をゆでたりすることはあっても、飲んだりスープに使ったりはしないようにしている。味もちょっと変だ。

汚れもひどくなってくると、排水口がつまって水が出なくなる。こうなったら業者の出番。なにしろ水槽は4階の壁に設置されているのだ。いつも頼んでいる電気屋で水槽掃除を頼む。

ここの掃除は初めてだという男がやって来たのは翌日。あまりに高いところに設置されているのを見て口をあんぐり開けている。「……無理だ。」「えー? 前はできたんんだぞ」「……」延々と眺めた挙句、その男は帰ってしまった。仕方なくまた電気屋に出向く。「あの男、怖がってやらないんだよ」「今度は大丈夫だ、明日行くからな」

例によって翌日もその次の日も来ない。電気屋に行って「どうして来ないんだ?」と聞いたら「じゃあ、今行くから、30分後な。」そして来たのは3時間後だった。昼寝でもして待つしかない。2人で来て様子を見た後、もう1人連れてきて3人でやっと作業開始。はしごを足場に水槽を取り外す。初めての男はかなり足がすくんでいたが、2人にからかわれていて見ていると楽しい。

中の藻はブラシ程度では取れず、トイレクリーナーをかけたり、しまいには包丁で削ったりした。これを見ているとこの水槽の水で口を濯いだりするのも考え物かと思ってくる。それでも1時間ほど作業すると、汚れはだいぶ落ちていた。

「見てくれ、この水槽、そこかしこに傷があるだろう? これじゃ水が漏れそうだから、交換したほうがいいぞ」掃除が終わると3人は私を呼んで新しい水槽の購入を勧め始めた。「ここは私のじゃない。大家に聞いてくれ」と大家に電話して話をしてもらう。当然ながら大家の答えはノー。そのままでいいと言う。そんなに大きな傷ではなかったが、何となく掃除中に広がったような気がする。

最後は値段交渉。300ルピー(750円)というので大家にまた電話。男たちは「これだけリスキーな仕事をしたんだから」と頑張ったが大家の提示は200ルピー(500円)。結局250ルピーに落ち着いた。

水槽の排水口がつまって水が出なくなって3日間。温水器は水槽につながっているためお湯も出ない。朝早起きして冷たい水を浴び、トイレにも行っておく。バケツに水を汲んでおくのだがお手伝いさんが全部使ってしまうので1日中水なしの生活だった。飲料水だけは20リットルで70ルピーのものを確保しているが、それで洗面したり、トイレを流したりするのはもったいなさすぎる気がした。

その上電力不足で計画停電が1日3時間。発電所が故障で4つも止まっているためらしく、再開の目途は立っていない。その上電話も原因不明で断線中。これについては解決したらあらためて電話格闘記(6)を書く予定(はたして解決するのか不明)。

映画(19)シリアス

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ヴィールとザーラーVeer-Zaara(ヴィールとザーラー)
〈あらすじ〉
パンジャーブの花畑を駆け抜ける乙女。再会に心を躍らす男。駆け寄る彼女が目の前までに来たとき、彼女は銃で撃たれ倒れる―ここではっと目が覚めた。そこはパキスタン・ラホールの冷たい監獄。インド人のヴィールはスパイとして投獄され、22年の獄中生活を送っていた。まもなくその裁判がやってくる。弁護士のサーミヤはインタビューを始めた。22年の沈黙を破って次第に口を開き始めるヴィール。

パンジャーブ出身のヴィールはインド空軍レスキュー部隊として活躍していた。ある日、バス転落事故である女性を助ける。彼女の名前はザーラー。パキスタンに住んでいたが亡き祖母の遺灰を聖河に流すべくやってきたのだった。休暇をもらったヴィールはザーラーと道中を共にし、祖母の遺灰を無事に流した。ザーラーはお礼に何かと申し出、ヴィールの故郷を一緒に訪れることになる。

パンジャーブの田舎にやっとたどり着くと、父母を幼い頃に亡くしたヴィールの育ての親、叔父母は健在で暖かく迎えた。そしてザーラーの訪問がきっかけとなって女学校を作り始めることになる。子どものように可愛がられ、夜の踊りも楽しみ、すっかり気に入って帰るザーラー。それ以上にヴィールも彼女を愛し始めていた。叔父も「パキスタン人だろうと、日本人だろうといいじゃないか」と励ます。ところが再び帰ることを誓ってパキスタン国境近くアタリ駅まで来たとき、迎えに来ていたのはザーラーの婚約者だった。ヴィールは彼女のために一生を捧げると愛を告白し、2人は別れる。

パキスタンに戻って結婚の準備が進むが、ザーラーはヴィールの言葉を思い出し、自分もヴィールを愛していたことに気がつく。いつも近くにヴィールがいるような気がして、次第に正気を失っていくザーラー。心配した使用人のシャボーは、意を決してヴィールをパキスタンに呼び寄せる。2人はしばしの再会を喜び合うも、婚約も済ませた結婚は家族のために避けられず、再び悲しい別れとなった。

インドに帰るバスに乗ったとき、ヴィールはパキスタン警察に逮捕される。ザーラーの婚約者が嫉妬して彼を捕らえさせたのだった。ザーラーを人質にとり、ヴィールをラートルという別の名前に仕立て上げて投獄する婚約者。さらにヴィールが乗ろうとしていたバスは途中で崖から落ちて乗客は全員死亡。ヴィールは死んだことになってしまう。

そしてまた監獄。22年の歳月はヴィールをすっかり老けさせてしまっている。しかし今もザーラーを愛する彼は、彼女の命に関わるため彼女に決して言及しないように頼む。こうしていよいよ裁判が始まった。サーミヤはヴィールが本当の名前であることを認めさせようとするが、決定的な証拠がない。何よりヴィールがこれまでずっとラートルと呼ばれてきたために、証人もみんなヴィールが本当の名前だと思っていなかった。

そこで次の公判までにヴィールの故郷を訪れることにしたサーミヤ。しかしもはやヴィールの叔父母は死去していた。学校の前で途方にくれていると、「ザーラー!」「シャボー!」の声が聞こえてくる。何と、ヴィールの叔父が設立した学校を、ザーラーたちが引きついで子供たちを教えていたのであった。ヴィールが逮捕された後ザーラーの両親が亡くなり、政治的な利用価値がなくなったザーラーたちは結婚も破棄されてパキスタンを出ていたという。

再び裁判所。遅れてやってきたサーミヤの後ろにはザーラーが来ていた。22年の時を超えて感動の再会を果たすヴィールとザーラー。ザーラーが実際に現れたことで裁判は勝訴、ヴィールは晴れて無罪放免となる。そして2人は故郷パンジャーブに帰っていった。

〈感想〉
 実は2回見てしまった。先行発売されていたCDの音楽は早逝の作曲家モーハンが生前作ったものをアレンジしたといういわくつきで、現代の音楽にはない独特の魅力を秘めている。まずこれが気に入ってずっと聴いていた私は、それぞれの音楽の映画での使われ方に感動してしまったのが1回目。音楽にあわせてミュージカルシーンを作ったのだろうが、逆にミュージカルシーンに合わせて音楽が作られたとも見えるように音楽と映像が絶妙にマッチしていた。75才を迎えたラタ・マンゲーシュカルおばあちゃんは若干声が枯れて低くなったような気もするが、実際にザーラー役のプリーティ・ズィンターが口ぱくで歌うと違和感がない。それよりもサーミヤ役のラーニ・ムケルジーの声が前より悪くなったような気がするのは気のせいか。シャールク・カーンは白髪染めのせいか髪が前より茶色くなった。

 2回目は音楽を再び楽しみつつ、台詞と筋書きに注意を払って見る。パンジャーブのシーンではパンジャービー語、パキスタンのシーンではウルドゥー語が頻出するので分からないところが多かったが、ところどころは何となく分かった。最初から最後まで、観客を泣かせよう泣かせようとして作られているのがよく分かる。1回目は映像の美しさに感動して胸がつまったが、2回目は別れの悲しさと出会いの喜びにいちいちぐっと来た。

 昨年のディワーリーから3ヶ月上映されているが観客は1ヶ月も過ぎないうちからまばらになり、同じプロダクションのヒット作ハム・トゥムドゥームの足元にも及ばない人気の低さだ。これはおそらく最初から最後まで延々シリアスに進む展開に原因があるのだろうと思う。ザーラーの父親が娘が見知らぬ男と抱き合っているのを見て卒倒し、そのまま危篤状態になってしまうシーンが笑いどころになってしまうほど。私はホモネタなんかを使って必然性のない笑いを取らないでほしいと思うが、映画を見に来る大方のインド人はまず笑いたくて来ている。彼らにとっては退屈な映画に違いない。

 DVDが出たら、字幕をにらめっこしてやり取りをもっと分かるようになりたい。そうすれば登場人物の心の機微が見えてきてもっともっと感動的になると思う。このところDVDを購入していろいろ見ているが、巨匠ヤシュ・ラージの大作は、期待に違わぬ涙々の3時間だった。

年末年始の務めを終えて再びインドへ。日本では津波のことを何度も心配されたが、シュクラ先生宅では「日本は津波が大丈夫だったか」と訊かれた。

ほんとうは1月下旬にカシミールのタヒルさんが遊びに来る予定だった。インド人が日本にくるためのビザはなかなか降りにくい。そこで私が一筆書いた「友人招待ビザ」というものを進めた。外務省ホームページにある書式に従って招待の理由や身元の保証を行い、所得証明と住民票、レターを付けててインド人に送る。インド人はさらに書式に従って申請書、パスポートのコピー、レター、航空券の予約票、所得証明をつけて大使館か領事館に送るという、なかなか面倒くさい作業だが、受理されれば3日で発行されるという。

しかしタヒルさんは結局来なかった。年末年始に風邪で家族全員体調を崩し、その上仕事を休む目処が立たなかったのである。そのために出発を2週間遅らせて待っていた私は、税金の手続きをしたり大学に行ったり、ゲーム会を開いたりして空いた時間を過ごした。出発の前日には葬儀も入り、日本にはいればいただけやることがあると思ったところである。

日本航空は珍しく30分ほど出発が遅れ、到着も1時間30分遅れた。機内では相変わらずずっと映画を見ていた。日本でもあまり見る時間も気力もない私の楽しみのひとつである。

まずは三谷幸喜の「笑の大学」。第二次大戦直前の日本。喜劇作家の椿は台本の上演許可をもらいに警察の担当官向坂のところに赴く。ところが堅物の向坂はいっこうに許可を与えず、無理難題をつきつける。それに応えるうちに台本は図らずも面白くなっていき…。もとは演劇で、妻と見に行ったのを思い出す。笑いあり涙ありの傑作だが、もともと取調室だけで完結する話だけに演劇と比べると余計なものが多すぎる気がした。

続いて韓国映画「誰にでも秘密がある」。今や日本人男性が好きな女性でベスト10入りするチェ・ジウと、これまた写真集を出すほどの人気俳優イ・ビョンホンが出演。医者を夫に持つ長女は倦怠期、勉強してばかりの次女は恋を知らず、歌手の三女は男選びを買い物のように思っている。そこに現れた謎の男。3人は同時に男に惹かれ、全員肉体関係をもつようになるが、この男はいったい何者? 謎の男性をイ・ビョンホン、ガリ勉の次女をチェ・ジウが演じる。テレビの純愛ドラマとは違って韓国の映画は過激だが、ストーリーは他愛ない。イ・ビョンホンとチェ・ジウのベッドシーンが見たい人がいたらおすすめ。

そして邦画「約三十の嘘」は詐欺師のグループが鉄道で繰り広げる愛と裏切りの物語。札幌で一山当てた詐欺師の一団が寝台列車で大阪に向かう。しかし途中で7000万の売り上げがすっかり消えてしまった。誰が裏切ったのか? 詐欺師が詐欺師をどこまで騙し、そして信じるかという面白いテーマだったが、その割に展開が行き当たりばったりだった。

最後は「エクソシスト・ビギニング」。ケニアで発掘された教会の謎を調べに、元神父の考古学者メリンが派遣される。しかしその教会は堕天使ルシフェルを鎮めるためのもので、発掘によって悪魔がめざめ、周囲では変死事件が相次ぐ。ナチスドイツ時代、ユダヤ人虐殺に加担させられたメリンは神を信じなくなってしまっていたが、とうとう法服をまとい悪魔祓いを行う。いわゆるホラーものにしては信仰やキリスト教の問題が鋭く描かれていて、考えさせられた。

と映画を4つも見て、機内は全く退屈しなかった。合間に読んだ玄侑宗久「死んだらどうなるの?(ちくまプリマー新書)」もオカルトとは異なる新たな視点があって、いい本だと思った。

さてデリーに着くと、期せずして12月の家族旅行の思い出がよみがえってきた。3ヶ月ぶりに再会した空港、娘が遊んでいたホテルの階段、3人で乗ったリキシャー、そしてのんびり過ごしたプネーの自宅……全てが思い出に彩られたインドを、今はたったひとりで見ている。こんな感傷的な思いに襲われるのは初めてだ。夢から覚めたかのように呆然としてしまった。

とはいえプネーに着けばいつもの生活が始まる。40日の不在で床はすっかりホコリだらけ。水道が来るのは1日1〜2時間だけだし、電気も1日3時間止まる。そのうえ電話も不通になっていて、感傷的になっている暇などない。シュクラ先生も「遅かったじゃないか」とてぐすね引いて待っていた。ここには私の居場所がある。



私の在籍するインド哲学仏教学研究室のホームページが公開されたので記念にリンク。
http://www.l.u-tokyo.ac.jp/intetsu/
海外留学だよりでは、名前を伏せて紹介されていますよ。

加藤竜雄新聞

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大学時代の楽しみの一つに、加藤竜雄新聞というのがあった。大学の掲示板などでひっそりと配布されていたもので、置かれてすぐになくなるほどの人気ぶり。付き合っていた彼女(今の妻)と集めては腹を抱えて笑ったものだった。
虚構新聞社(http://www.f7.dion.ne.jp/~moorend/news/)のような内容だが、ペットフードを食べたレポートや駅の野宿体験など、体を張った記事がいつも楽しく、その発想力は度肝をぬいている。
今はどこにいるのだろうか、加藤竜雄氏。もし可能なら、バックナンバーを閲覧可能にしてもらいたい。

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